ライバル
「第13回ブロッドロスカップ。優勝 種崎俊太郎」
「ハイ!」
優勝トロフィーを受け取り。満面の笑みを浮かべるのは。高校2年生の種崎俊太郎《たねざきしゅんたろう 》。彼は高校からテニスを始め。その類まれなるセンスで佐久間。青島が抜けた世代のエースとなりうる存在。紫色の帽子を脱ぎ。少し逆立っている髪と小麦色に焼けた笑顔は彼の努力をものか経っている。彼の優勝の傍ら。この大会で準決勝で敗れ。三位決定戦で勝って表彰された佐久間博之《さくまひろゆき 》。種崎の一つ上の世代で。この世代はこの佐久間ともう一人、高校テニス界最強と言われ、世界への道を進もうとしていた。帝王青島祐樹《あおしまゆうき 》の二人が高校テニス界をの支柱だった。佐久間は。表彰されながらも。目を伏せ。熱気燃え立ち、種崎を祝う会場の中。一人暗く、何処か諦めのついた顔をしていた。
「やったじゃん種崎!優勝だぜ優勝!」
同じ学校のチームメイトに祝福される種崎。
「ありがとう。優勝は確かにうれしいけど。俺はこれじゃまだ満足してないんだ」
そういうと種崎は、一人駆け出し。ある人物の元へと向かう。それは、表彰が終わった後、人目を避け。ここに居るのが悪い事かのようにコソコソと隠れながら帰宅の準備をしていた佐久間の元へと向かった。
「見つけたっすよ。佐久間さん」
「種崎か……」
メラメラと燃え立つような目をする種崎と対照的に、佐久間は何処か感情の籠ってない。無力感を漂わせる表情をしていた。
「優勝おめでとう。二位のあいつも相当やる相手だったのに良く勝ったじゃないか。本当。お前のセンスには驚かされるよ」
「何言ってんすか佐久間さん!俺は見てたっすよ。佐久間さん。手を抜いてたっすね! 佐久間さんならあんな奴。1ポイントだって取られないで勝てる相手じゃないっすか!?」
種崎は誰よりも佐久間を知っていた。彼がテニスを始めた理由は佐久間と、青島のテニスを見たからだ。きっかけはテニス好きの友達に連れていかれた高校テニスの大会。そこで1年ながらも他の人を寄せ付けない強さで勝ち進んでいった二人に、種崎は憧れを抱いた。それからは、佐久間と青島の事は何に置いても優先して研究し、試合を見ていた。そんな種崎だから。佐久間が本気を出してない事は、誰よりも分かっていた。
「手を抜いてはないさ。彼は角度のある良いドライブを持っていて、それを活かす為の戦略をきっちりたててきていた。それに俺は対応できなかっただけさ」
「嘘です! 佐久間さんは明らかに手を抜いていた。去年の青島さんとの試合の時の貴方なら。あのドライブにだって必死に食らいついていた。でも今日の佐久間さんは最初っから試合を諦めていた!」
「体力を温存したかった。連戦で疲れていたからね」
「一球一球を必死に食らいついて泥のように競って勝つのが佐久間さんのテニスでしょう。自分のテニスをしないでどうするんですか!?」
佐久間は人一倍スタミナがあり脚力もある選手だった。どんなボールにもその足で追いつき。深い角度で返球し。最後には逆転する。華やかさとは打って変わった泥試合の名手。それでも彼は強かった。青島のほかに彼を倒せる者などいなかったのだ。
「青島さんがもうテニスを出来ないからですか……」
「……」
佐久間は目を逸らす。今すぐにでも逃げ出したい。そんな表情をしていた。
「青島さんがテニスを出来なくなったからって。佐久間さんまで弱って。アンタのテニスは青島さんが居たからだったってかよ!?」
「青島さんは、俺の目標だった。その青島さんがテニスを出来ないとなれば、俺がテニスをする意味もない」
「小さい男ですね。幻滅しました。こんな選手に憧れていた俺が馬鹿みたいでした。これから空いてるコートを使って試合をしたかったですけど。そんな腑抜けたアンタと試合をした所で意味がない事が分かりました。さよならです。佐久間さん」
種崎はそのまま後ろを振り向きその場を立ち去る。佐久間は暗い表情のまま、会場を後にした。彼の心にあった熱意という水が。心に穴が開きそこから漏れ出てしまっていた。彼の穴には。満たされることなく。そのまま穴を広げていた。
佐久間はある所へ向かった。
とある大型病院の一室の屋上。夕日が差し込み。綺麗な小暮色の景色が照らすそのベンチに。腕に包帯を巻き。病室姿でねぷかきをしていたとある少年が居た。
「青島さん…… こんな所で寝ていたんですか。病院の人が心配してましたよ」
「フガッ……」
佐久間に起こされだらしない顔をしながら眠気眼をこする少年。薄い茶色の髪を後ろで結いながら起きる少年の名前は青島祐樹。帝王の二つ名を持つ。高校最強の男。佐久間と種崎の、高校テニスプレイヤー全員の憧れの選手。
「何だ…… 佐久間か。今日は大会だったんじゃねえのか?」
「大会ならもう終わったッすよ。優勝したのは種崎です」
「おぅ、種崎かぁ。あいつも強くなったなぁまだ初めて2年しかたってないのに。あの上達ぶりよ。ありゃ将来が楽しみな奴だな。ってお前が勝ったんじゃねえのかよ。まさか種崎に負けたのか?」
「いえ、俺は3位でした。準決で第四高の安達に負けまして」
「安達にまけたぁ?? お前ならストレートで勝てる楽勝の相手じゃねえか。なんでそんな奴に負けたんだよ」
「……」
「まぁ理由は問わねえよ。テニスはメンタルのスポーツだからな。格上が格下に負ける事なんてその時次第では良くある事だ。ジャアイントキリングなんて珍しい事じゃねえ。まぁ、お前が俺の所に来たって事は。何か言いたい事があるって事だもんな。お前は何時も何かあると俺の所へ来て愚痴をこぼしていったもんな」
佐久間と青島は、小さい頃から一緒にテニススクールに通っていた幼馴染。当時から才覚を現し大人達に交じって毎日疲れ果てるまでテニスをしていた彼らは。親友であり、ライバルでもあった。佐久間は落ち込みやすく。何かあると、その度に青島の所へ行き。愚痴をこぼし。悩みを打ち明け。時にケンカをしたりして、それでも。互いに気の許せる友であり。佐久間にとっても青島にとっても。こいつには負けたくない。そんな思いが。彼らがテニスを続けている理由の一つでもあった。
「青島さん。腕の調子はどうですか?」
「あぁ、医者によるとな。なんとか元の生活が出来るレベルにまでは回復するみたいだとよ。本当に運が良かったぜ。一時は二度と腕が動かせないとか言われたもんな」
青島は。交通事故で腕を負傷した。テニス選手にとって腕は何よりも大事な物。それも利き腕の方をやってしまった。最初にテニスを出来ないと言われたとき。青島は荒れた。荒れに荒れていた。だけど、時間が経つ内に。落ち着いていった。状況を受け入れる事が出来たのか。普通は大好きな事を二度と出来ないと言われたら。受け入れるのに相当の時間がかかる所だったが。青島はそれをすぐに受け入れた。
「テニスは。二度と出来ないけどな リハビリで腕を治したとしても。運動が出来る程には回復しない。無理をすれば出来ない事もないけど。そんな事をしたら二度と腕が動かせなくなると言われた。だから、俺のテニス選手としての時間はここで終わりなんだよ佐久間」
佐久間は顔を青くし、認めたくないと言った表情を見せていた。佐久間にとって青島は心の支えであり。全てだった。何時も青島に勝てないでいた佐久間は。青島を超える事だけを目標にテニスをしてきたから。
「お前は、俺を追いかけていたもんな。佐久間」
「青島さん。俺は貴方を超えたかったのに」
「佐久間。俺ばかりを追いかけるのはやめろ。お前は俺より才能がある。もっと上を目指してテニスをしろ。俺だけを追いかけるテニス人生はやめるんだ」
「そんなの!出来ないよ!」
佐久間は癇癪を起こし。その場を走り去っていく。彼の横顔から涙が風に揺られ。青島の顔に降りかかる。
「はぁ、あいつは。まだ時間がかかりそうだなぁ。どうすっかなぁ」
その時。青島の携帯がなる。
「この番号。なんでこの人が俺に…… とりあえず出なきゃ」
「おっと、もしもし、青島です」
「おっ、出たなぁ青島君。お久しぶりー」
「お久しぶりです。一体どうしたんですか? 日本に戻ってくる!? そうなんですか。えっ佐久間ですか? あー、あいつは今……」
青島は、その電話の主に、今の青島の状況を伝える。
後日。とあるテニスコートでは。
パコンッ!! パコンッ!!
壁打ち用のコートで。黙々と打ち続けている佐久間の姿があった。遠くではその佐久間の姿を見て何人かの人が話をしていた。
「おー今日は何時にも増して荒れてるねぇ。博之は…… 」
「そりゃそうよ。青島がテニスできなくなったんだ。博之にとっては耐えられない事なんじゃないか」
「うーん、確かに。いっつも後ろを追いかけて。本当の兄弟みたいだったもんなぁ」
「そうですよね。まったく実の兄が居るのに妬いてしまいますよ」
「そうそう、って柚人!?」
茶色のロングパーマのまるでモデル体型のような男が。話に割って入る。
「お久しぶりでっす! 皆のアイドル柚人です」
「なんでアンタがここに? 今は世界選手権の最中じゃなかったかい?」
「うーん。少し暇が出来たからね~ たまには可愛い弟の姿も見て起きたいじゃん?」
「いや、それにしても。そのフットワークの軽さは驚くよ」
「思い立ったら即行動。おっ…… 博之がこっちに来るね。ちょっと挨拶してくるよ。またね~」
佐久間は壁打ちを終え。コートから出てくる。感情をまだ整理できていない。青島が居ない今。自分がテニスを続ける意味はあるのか…… そればかりを考えていた。
「よっ。博之!」
「えっ? 兄さん!?」
佐久間柚人《さくまゆずひと》プロテニスプレイヤーで。博之の兄。現在はニューヨークで暮らしている。
「なんで、兄さんがここに…… 試合はいいのか?」
「うーん、次の公式戦までは時間があるし、少しリフレッシュしようと思ってねえ。それより聞いたよ博之。青島君の事」
「そう、」
「っで、それで燻ってるわけか。本当に博之は青島君の事が好きだねぇ。まぁいいや、博之。お前明日から連休だったよな?」
「あぁ、そうだけど……」
「じゃ、ちょっと兄ちゃんに付き合え」
「えっ?」
そう言って柚人は、佐久間の支度を全て整え。ある所へ連れ出した。何がなんなのか訳も分からず連れていかれた佐久間は、飛行機の中から降りた瞬間、ようやく意識を取り戻した。
「なんでニューヨークー!?」
佐久間は柚人と共に、柚人の居るニューヨークへと連れてかれていた。
ホテルで一泊した後。柚人は既に出かけていた。テーブルにはテニスコートの描かれた地図がメモとして置かれていた。柚人のおかげで佐久間は簡単な挨拶程度なら会話が出来るが。流石にこの広大な町の中を一人で行くのは不安が大きかった。
「ここが…… ニューヨークのテニスコート」
四方全てがテニスをする為の施設であふれ。佐久間はそのでかさに心ここにあらずと言った様子だった。佐久間は柚人を探しにあちこち探し歩いていた。
「さて、柚人兄さんは何処にいるんだろう」
「Oh!? Hey! ユズヒトー」
「えっ?」
柚人の名を呼びながら走ってくるものが居る。振り向いた佐久間の瞳に。金の輝きが吸い込まれていく。
草原から抜け出たかのような麦わら帽子と。純白の白の衣装に包まれた金髪の子は。その透き通る海の色をした瞳を覗かせていた。しばしの沈黙の後。その少女は何処か不思議そうな顔をしながら。小さな口元を開いた。
「あれ?貴方ユズヒトじゃないわね どちら様?」
「えっ…… あぁ、俺は佐久間博之。柚人兄さんの弟だよ」
「WOW!? そうだったのね。ユズヒトのブラザー! 私はメアリー。よろしくねヒロユキ!」
「よろしく、メアリー、日本語話せるんだね?」
少女の名はメアリーと言った。小顔で金髪碧眼の少女。肩に背負ってるのは彼女の体型には少し不釣り合いともいえる。大きなテニスバッグだった。
「そうなの、ユズヒトに習ったのよ。私ユズヒトにテニスも習ってるの。今日はその練習会だったのに。一体何処行ったのかしらね。ねぇ、ヒロユキもテニスってするの?」
「あぁ、そうだね。俺もテニスは結構やってるよ」
佐久間はメアリーと話し始める。佐久間の高校での話にメアリーは興味津々と言った表情で聞いている。佐久間もそんな彼女に色々と話していた。
「メアリーは、何歳からテニスを?」
「始めたのは7歳の時。父に連れられてプロの試合を見て始めたわ。もう10年にもなるかしらね。楽しいよね。こんな小さなボールを走って当てる、ただそれだけなのに凄く奥が深いわ」
「そうだね。テニスは奥が深い。どれだけ練習しても。どれだけ打っても。分かんない事はまだまだたくさんあるよね……」
「それを追求するのが面白いのよ。私がハマったこのスポーツは。確かに最高の競技だわ。それを私は全力で楽しんでやる。ヒロユキはどう?テニス 楽しい?」
「俺は……」
佐久間は言い淀んだ。佐久間自身。最近は楽しんでテニスをやれていないと感じていた。佐久間は思った。最初も自分はただ楽しんでやっていた。だけど、何時の日か青島に勝つ事だけを考えて、その為に自分を追い詰めて。ようやく背中を追い越す所まで来た矢先の、青島の引退だった。佐久間はその時からテニスに対する熱意を失いかけていた。
佐久間はメアリーに。自分の近況の事を話した。ほとんど愚痴のようなものであったが。それをメアリーはただ黙って聞いていてくれていた。
「そう、ヒロユキは日本のハイスクールでN0.2だったのね。NO.1が引退して。自分のテニスの情熱が分からなくなってしまったのね」
「そうなるかな、いや。何を言ってるんだろう。初めて会った子にこんな事言ってもしょうがないよな。ははは……」
「ねぇ、ヒロユキ! 今から私とテニスをしようよ。私ヒロユキとテニスをしたいわ!」
「えっ?」
佐久間とメアリーはその場を離れた。メアリーのオススメの場所があるという話を聞き。二人でその場所にテニスをしに行く事となった。
広大なテニスコートがそこら中にある。施設から少し離れた小さな公園に。確かに2面のテニスコートがあった。
「こんな所にもあるんだな」
高層ビルが並び。フェンスを挟んだ先には車が行きかい。他にもランニングをしている人や。スケボーで遊んでいる少年たちの姿もある。施設程の豪華さはないが遊びとしてならうってつけともいえる場所だった。
「おまたせ、ヒロユキ。さぁ始めましょう」
ピンクのテニスウェアに着替えたメアリーが、腰まである長い髪をまとめて現れる。
「じゃあ、やろうか」
「えぇ!ユズヒトのブラザーとやれるなんて私楽しみだわ」
メアリーのサーブ。小柄な体を全身を使いしならせながら放つサーブは良い速度と威力を持っていた。佐久間はそれを難なく返す。
「あぁ、流石に強いわねヒロユキ。でもこれからよ。ハッ!」
何度打ち返し。何度抜かれても。懸命に追いかける。顔には汗をかき。その姿を佐久間は少し輝かしく感じていた。
「おっと…… やるわねヒロユキ!」
佐久間は必死にボールを追いかけ、それでも笑顔を絶やさないメアリーを見ていた。その笑顔は心の底からテニスを楽しんでいて。今の佐久間に欠けていたものだったからだ。
「ハッ!」
佐久間が打ったゆったりとしたショットにメアリーは全身をバネのように弾ませて打ち返す。
佐久間の元にこれまでで一番いいショットが来る。佐久間はそれに。普段の練習のように無意識で振りぬく。速度のついたボールは、そのままメアリーの横をかすめようとしていた。
「あっ。ごめんメアリー!」
「なんのぉ!」
一生懸命に走るメアリー、彼女はボールに追いつこうと。腕を目いっぱい伸ばし。飛び込んだ。スカートの裾がひらりと舞い。黄金の髪が彼女の細い腕が土にまみれ。その小さな愛らしい顔にもついていた。全身を砂埃にまみれながらも。メアリーは屈託のない笑顔で居た。必死に追いついたボールは、時計の針を小さく進めるように、綺麗な放物線を描いて、佐久間のコートにポトリと落ちた。
「やったよ。アタシ届いた」
メアリーが自身を顧みずにあきらめずにボールに追いついた。それは、前の自分を見ているようだった。佐久間の心にあった空虚な穴に、再び熱意という水がゆっくりと注がれていくのを佐久間は感じていた。
「あれ?ヒロユキどうしたの? なんで泣いてるの? 涙はDon't クライはハッピーじゃないとね」
「アハハハッハハハハ」
「WoW! いきなりどうしたの?クライだったりスマイルだったり。ヒロユキは面白いね」
「いや、何でもないよ。メアリー続きやろうか。俺も、今度は楽しんでみるよ」
「? 私は何時でも楽しんでやってるよ。今度は負けないからね~」
ラリーを続ける佐久間とメアリー メアリーは笑顔で打ち返してくる。佐久間の方も、先程までの暗い表情でしていたテニスとは違い。何処か優しげな笑みを浮かべながら、1球1球を自分の思いを確認しながら打っていた。 やがて何球かのラリーが続いたとき。二人の時間を邪魔するように、金網フェンスが軋む音が聞こえた。
「おっ? なんだ先客か?ったくこっちが予約していたのに場所を取らないでほしいぜ まっ、無断だけどな。おっ、メアリーじゃねえか」
「ハーイ、スティーブン。久しぶりね」
スティーブンと呼ばれたブロンドの髪をした男は、他にも何人かのテニス仲間を連れて。
「久しぶり、じゃねえよ。お前あの時の俺のプロポーズを逃げやがって。
「だって貴方趣味じゃないもん。私はもっと男らしい人が良いわ」
「なんだと!」
スティーブンが逆上し、メアリーを持ちあげる。苦しそうなメアリーの表情は、それでも何処か恐怖にはおびえていなかった。それを黙って見ていられるほど、博之
「おい、離せよ、痛がってるだろう」
スティーブンからメアリーをはがす博之。横やりが入り。スティーブンは博之にくってかかる。
「あ?なんだお前は。」
「コホッ…… ヒロユキよ。ユズヒトの弟の、私は今彼とテニスをしていたの。」
「ユズヒトの弟? 兄貴の試合を見ないで女とデートかよ、はっこりゃたまげたな、兄貴が可哀想に思えるぜ。お前ら、そこをどきな。ここは俺達が使う予定のコートだ。下手糞は大人しく帰ってろ」
「少なくともお前よりは強いぞ」
「そうよ、ヒロユキは日本のハイスクールテニスのNO.2なんだから」
「そいつは面白いな。良いだろう。かかってこいよ」
「おらぁ!」
巨体から繰り出されるショットはまるで鉛を打つみたいに重く。腰に響くショットだった。だが佐久間はそれを難なく返す。
「そんな単調なテニスじゃ俺は崩せないぞ」
「そうかい、なら走ってもらうぜ!」
ドライブじゃなくスライス回転をかけてコートの外に追いやる。追いついて返した球をスティーブンはスマッシュで叩きつける。
「チッ……」
「おいおい、これが日本の高校生のNO2だって? 日本という国は随分と弱いんだな これじゃNO.1も大したことないな」
「おい、今なんていった」
佐久間は怒っていた。自分を馬鹿にされた事じゃなく。青島さんまで馬鹿にされる事を。
「プロの弟かなんか知らないけど。そんな腕で世界を見ようなんて甘い考えは捨てるんだなファッキンジャパニーズ」
飛び交う罵声。周囲には佐久間を笑う大勢の人達。佐久間は完全にキレていた。
佐久間は足元に転がっていたテニスボールを持ち、上空に放り投げる。足をしならせ。跳ね上がる鯉のように躍動するフォームからスイートスポットを捉えたラケットがしなやかに曲がる。相手のセンターラインに入ったボールは相手を動かさずにエースを取る。
「ビューティホー……」
誰が言ったか佐久間は耳に入っていなかった。後にその試合を見ていた選手は今まで見てきた中で一番きれいなフォームをしていたと語っている。
「来いよ。俺を舐めていると痛い目見るぞ」
「ハッ!1ポイント取ったくらいで良い気になるなよジャパニーズ」
佐久間がサーブを打つ、今度は反応し打ち返してくる。角度のついた深いコースに落ちたリターンを佐久間は回り込み体をしならせ力強いフォームで返す。
「グッ……」
今までとは違う。重さの乗ったボールを返す。だがそのボールに先程までの勢いは乗っていない。ネット際に駆け寄った佐久間は直接ボレーショットでポイントを取り返す。
その後も佐久間の勢いは続いていく。先程は苦戦した外に逃げて行くスライス気味のボールを。持前の足で回り込みし、的確に相手コートに返す。
「スティーブン。このままじゃやられるぞ。このままスタミナ勝負へ持ちこめ!」
「4つの肺を持つ男!スティーブンのスタミナテニスだ!ヘトヘトになりやがれジャパニーズ」
これまでのテニスとはうってかわり。外に逃げるボールを多用とし。佐久間を左右に走らせていった。佐久間も動揺に相手を走らせるテニスを仕掛ける
「俺にスタミナ対決か。相当自信があるんだな、良いだろう。乗ってやる!」
「ゼェ…… ハァ……」
「なんでだ!4つの肺を持つ男スティーブンが、先に体力を切らすなんて」
ギリギリで返球するスティーブンと違い。佐久間はその脚力で余裕を以て到着し。角度のついたショットを相手コートに放てる。いくら自身があるスティーブンと言えど。返す球に違いがあれば消耗する体力も激しかった。
「凄いわ。ヒロユキのテニス、さっきまでとはまるで別人みたい」
「あれが本来の博之のテニスさ。メアリー」
「ユズヒト!?」
「やぁ、メアリー。久しぶりだね。どうだい博之のテニスは」
「えぇ、凄いわ。一球一球全てに意思が乗ってるみたい。熱いテニスをしているわ」
「あの調子ならもう、大丈夫かな。じゃ、
佐久間の調子は、絶好調に近かった。同時に佐久間は思い出す。自身のテニスは。青島だけを追いかけてきたわけじゃないという事を。
「あぁ、テニスって楽しいんだな」
佐久間は体制を低くし。静かにラケットを振る。地面に張り付くかのようなドロップショットは、既に体力の限界を超えていたスティーブンには追いつけず。静かに地面を転がっていた。
「ゲームアンドマッチヒロユキ 6-3」
「ふぅ…… どうだ、日本のテニスの力は」
「チッ! 覚えてろよジャパニーズ野郎!」
スティーブンはその場を後にする。佐久間はその場で空を見上げ。何処か吹っ切れた表情をしていた。
「お疲れ様、ヒロユキ」
スポーツタオルを持ってきたメアリーが駆け寄る。佐久間はそれを受け取り汗を拭く。
「ありがとうメアリー」
「凄いのね。ヒロユキの本気のテニスは。私感動したわ、それにヒロユキ。最初は怒りながらやっていたけど。途中から楽しそうにしていたわね」
「楽しさを思い出してくれたのはメアリーのおかげさ。ありがとう」
「私のおかげ?何もしてないと思うけど……」
「そうだね、メアリーはメアリーのテニスをしていた。それに俺が感化されたって事かな。あぁ、こうしてみると今まで何で悩んでいたんだろうって感じだよ」
「おかしなヒロユキね。そうだ、今の試合。ユズヒトも見ていたわよ、彼も褒めていたわ」
「柚人兄さんが?でももう姿が見えないけど……」
「ヒロユキの姿を見て満足したらしいわね。もう何処かにいったわ」
「柚人兄さん……」
その後、佐久間はメアリーと柚人の試合を見ていたり。施設に居たプロ選手と練習をしたりした。短い時間の中だったが。それは佐久間にとっても大きなものとなった。
翌日。佐久間は日本に戻る事になった。休みの日が終わりそうになっていた。最後に佐久間はメアリーの元へと向かった。
「帰るのね、ヒロユキ」
「あぁ、短い間だったけど楽しかったよ。ありがとうメアリー」
「私も楽しかったわ。またテニスを教えてね」
「君ともお別れか。俺の心に熱意を再び与えてくれたのはメアリーだ。その事には感謝してもしきれない。欲を言えば。もっと居たかったけど。俺は日本で、君はこの町の人だ。また次いつ会えるかは分からない」
「そうね、ヒロユキにも戻る場所があるもんね。あっ、そうだ。ねぇ、ヒロユキはプロにならないの?プロになってユズヒトと同じようになれば、また会えるんじゃないかしら?」
そういわれて、佐久間は考えた。佐久間は実力で言えば、日本という枠で収まるには勿体ない程の輝きを持っていた。だが、佐久間の頭の中にはそんなイメージ等まったくもっていなかった。彼は青島を目標としていた為である。
「プロ…… プロか!」
佐久間は現地のプロ選手に言われた事を思い出す。
「君の足は最強の武器となりうる。さらに強化する事が出来たなら。良いライバルになるかも知れないね」
その時。佐久間の心の内に、溢れんばかりの熱意が注がれた。彼の内に、新たなる目標が出来た時である。
「プロになれば。また君にも会えるかな?」
「また会いに来てくれるの? そうしたら私も嬉しいわ」
「じゃあ、約束しよう。俺はプロになって。またここに来るって」
「えぇ、その時は、また私にテニスを教えてね。絶対よ」
約束の誓いを立て。佐久間はメアリーと別れた。
日本に戻ったのはその次の日だった。余りに速い帰国だったが。佐久間の心には。しっかりと熱意が戻っていた。
「どうだい博之? こっちのテニスも面白かっただろう?」
「えぇ、こんなにノビノビとテニスを出来たのは久しぶりだったよ。柚人兄さん」
「それは良かった。ニューヨークに連れて行ったかいがあったよ」
「えっ、柚人兄さん。まさか俺の為に?」
「うーん、最初はただ興味本位で見せてやりたかっただけなんだけどね。青島君に連絡したら博之の事を報告してくれてね。彼に感謝するんだよ」
「青島さん……」
その日から。佐久間は猛練習に励んだ。ニューヨークで教わった事を思い出しつつ。高校最後となる夏の大会に備えて。周囲からは何時もの佐久間が帰ってきたとほっとしていた所があった。
そして、夏の大会。佐久間にとっては高校生活最後となる大会。佐久間と種崎。別ブロックに配属された両者が当たるのは、決勝の試合となっていた。観客は皆この試合を臨み、選手達は負けないようにと奮起する。
「佐久間さん!」
「種崎か…… 随分と久しぶりだな」
佐久間はこの大会の一番の強敵であろう種崎を見返す。最初は呆れたような顔で見ていた種崎だったが。佐久間の姿を見た種崎は、熱意のある表情に変わる。
「なんか、吹っ切れたみたいですね。春に見た時より良い顔してますよ」
「そうか、俺そんなひどかったか。あの時はすまなかったな。お前、戦いたがってたのに」
「そうですよ。本当に待っていました。今日は別ブロックですね。俺は決勝まで残りますよ。佐久間さんも絶対残ってくださいね」
「あぁ、楽しみにしている」
種崎と佐久間。二人が再び顔を合わせる。春の大会で種崎が佐久間に抱いた思いは幻滅だった。自分の憧れとしていた選手が覇気のない。古ぼけたかかしみたいに熱意を失っていたから。しかし、種崎は佐久間の表情を見て確信する。前に見た佐久間じゃないと、自分が憧れた。あの頃の佐久間そのものだと。種崎は喜びに打ち震えた。今日こそ乗り越えると。種崎は強い意思を抱いた。
夏の大会が始まる。この日の為に、必死となり練習してきた成果を見せる為、3年にとっては最後となる大会。どの選手も、全力のプレイを繰り広げていた。
「どりゃあああ ワシのハイパーテニスを見せたるわあ!!」
大声を張り上げ、轟音がなるかのように打たれたフラットショットが放たれる。190cm以上もあるハードヒッター 伊吹仁。
速度と威力のある剛腕ショットを種崎が迎え撃つ
「ハイパーテニス。それがどうした? おりゃ!」
種崎は回り込み、体を浮かせ、スイートスポットに当てて返す種崎。相手のショットの威力を利用したショットは、伊吹の放つショットよりも数段キレの強いボールとなって跳ね返った。
「ゲームアンドマッチ 6-3 種崎!」
「ぬおおおお ワシのハイパーテニスがああ」
「はっはっは、よくやったじゃんよ伊吹。だけど今回の俺は絶好調だからな。そう簡単には勝てないって事よ。さて、俺の決勝の相手はどちらかな。まぁ、分かり切ってるけどな」
隣のコートでは同じく準決勝。佐久間が春の大会で負けた、安達との試合をしていた。春で戦っときは6-1という圧倒されるスコアで負けた佐久間。安達もここまで残ってきた実力者。調子を取り戻した佐久間相手にもひけを取らない。そう予想されていたのだが。
「フンッ!」
足元に来た甘いボールを片手バックハンドでライジング気味にすくいあげる。ネット際に詰め寄りボレーで安達のコートに叩きつける佐久間。
「0-40 佐久間マッチポイント」
「はぁ、はぁ、」
安達は肩で息をし、対する佐久間は汗こそかいてるものまだ余裕が見える。ここまでのゲームは安達が優勢に進めていた。 ポジションを取り。自慢のクロスドライブも決めれた。攻めに関しては安達が終始優勢を取っていた。
「ハァッ!!」
安達のサーブ、スライス気味の跳ねにくいサーブを。佐久間は丁寧にすくいあげる。安達のコートにゆったりとしたボールが帰る。安達の猛攻が始まる。このポイントを落としたら負ける事になる安達は、執念とも言えるように、全身全霊を込めてショットを放つ。対する佐久間は表情を変えず。だけど絶対にポイントを落としたりしない。安達が決めにきたショットを何度も何度も追いつき返す。安達の表情が絶望の色に変わる。自分が相手している男をどうすれば抜く事が出来るのか。まるで自分が相手しているのは巨大な壁。何処に打ってもどんな球でも跳ね返してくる。強固な壁。何度も打ち破ろうとしても。開く気配は微塵もない。そこに悠然と存在する。そして、安達の心がついに折れた。
「ゼェ…… ハァ……」
ついに息を切らしその場で動きを止めてしまう。その隙を佐久間は捉える。
「しまった……」
必死に飛びつくが思いとは裏腹に、無情にも横を突き抜けていく。
「ゲームアンドマッチ! 佐久間 6-0 」
準決勝を制したのは佐久間。安達に圧勝だった。
「佐久間、調子を取り戻したのか……」
「いや、あれは全盛期以上だぞ。春ではあんなにひどい状態だったのに」
その試合を種崎は見ていた。心の中から沸き立つ思い。理想とする佐久間を倒したい。強い思いが溢れる。
「ようやく、本気の貴方と戦える…… 待っていた」
コート上に二人の選手が並ぶ。高校NO.1の青島が引退した今。成り上がりという形で上がった不撓不屈の佐久間。もう一人は、抜群のセンスで、高校テニス界の魔物と言わしめる。種崎俊太郎。
最強と最高。高校テニス界の頂上決戦が今行われようとしていた。
「スイッチ」
「ラフ!」
ラケットを回転させる。佐久間と種島。誰もが待ち望んでいた。無冠の王者と新時代の覇者、両名がこの最後の大会で激突しようとしていた。
「種崎。お前とやるのも久しぶりだな」
「佐久間さん。もう迷って全力を出せないなんて事はないですよね?」
種崎が挑発をする。種崎にとって戦いたいのは全力の佐久間。前の試合のような、ぬるさの残っている佐久間を倒しても、種崎にとっては何の感慨もなかった。
「それは試合になれば分かるさ…… お前こそ。油断して無様に負けるなよ」
「それはないっすよ。この日をどれだけ待ち続けたか。俺が勝ちたいのは全力のアンタだ。その為に、今俺がいるんですから」
「そうか、楽しみにしておこう」
地面に落ちたラケットは裏面をさしていた。種崎のサーブだ。
「フンッ!!」
センターギリギリに放たれる高速サーブ。高校生では異例の190kmを超えるプロ並のサーブだ。
「フッ……」
佐久間はそれを返していく。浮き気味のリターンを種崎はラケットを肩の位置まで上げ。フラットショットで打ち返す。バックハンドのスライスショットで強打を凌ぐ佐久間。
コンッ
先に仕掛けたのは種崎の方だった。バックハンドの構えから勢いのあるフラットショットではなく。優しく包むようなネット際に落ちるドロップショット。佐久間が走り。滑りながら体制を低くししっかりと返球する。瞬間佐久間は苦い顔をした。種崎は佐久間の打つ場所に回り込み渾身のドライブショットを空いた逆サイドに打ち込む。
「15-0!」
「なんて試合なの…… 最初からやばいぞこの二人!」
「やはり強いな、種崎」
「佐久間さんこそ。想像以上ですよ。でも俺が勝つ。ハアアアア!」
スパンッ!!
佐久間が反応出来ない。210kmもの高速サーブが脇を通り抜ける。トッププロが放つサーブ速度は高校生のレベルではなかった。種崎は続けて2本決めて。先にポイントを取った。
「ゲーム種島。 1-0 チェンジコート」
佐久間のサービスゲーム。最初から攻め入る事が出来るサービス側は。常に先手を取る事が出来る。佐久間も。コートの隅に落とし。攻め入るが。種崎の会心のリターンショットは。前に出ようとした佐久間の足元に落ち。体制を崩して返球せざるを得なかった。
「そりゃっと!」
極度の回転が駆けられたドライブショットが放たれる。全てに置いて高い水準を持っている種島の絶対に自身のあるフォアハンドのドライブショット。1バウンドした後の加速量が佐久間を苦しめていた。
「クッ……」
試合勘を取り戻していない佐久間にとって。この加速差は結構な物だった。
「3-1 ゲーム種崎!」
「すげぇ、あの佐久間をここまで抑えるなんて。 これは時代が変わるかも知れないぞ」
「ふぅ……」
流石に強いなと佐久間は感じていた。天才と呼ばれる次世代のエース種崎。その名は伊達ではない。事実佐久間を追い詰めている。だが、佐久間はその状況を楽しんでいた。
「笑っているなんて随分余裕じゃないっすか、このままだと負けるっすよ」
「あぁ、すまんな。余裕があるわけじゃないさ、だけど。負ける気もしない、ここからはギアを上げていくぞ、ついてこれるか」
「さっきまで反応できていなかった人が…… 言ったっすよ。今日はアンタを超えるって!!」
5ゲーム目。種崎のサーブ。1ゲーム目には反応出来なかった高速サーブを打ち込む。佐久間はサーブの軌道を読み切り。リターンを返す。
「返した。しかも強い!」
「こっちか……」
種島がラケットを振り終わる前に、彼は種島が打とうとしている所へ先回りをしていた。
「体制が低い。ドロップショットが来る……」
前に出る佐久間。予測通り来た球はドロップショット。それをバウンドする前にボレーで返す。
「佐久間さん…… 貴方……」
「どうした? 動きが単調になってきたぞ……」
「このっ!」
その後、佐久間は連続で4ゲームを取る。種崎も奮闘するが。ギリギリの所で佐久間が優勢に回る。だが、種崎もその4ゲームで。佐久間の動きを把握しつつあった。3-5で回る第9ゲームは、種崎が優位に立っていた。
「クッ……」
ラケットのフレームにギリギリ当たって返った打球。へろへろとしたやっと返したその糞球に、種崎が反応しない筈がなかった。種崎は素早くネット際に詰め寄り。体重を乗せた両手打ち、ジャックナイフで決めにかかる。
「これで流れを取り戻す。ウオオオオオ!!」
渾身のショットは、佐久間の逆サイドを打ち抜く。これでポイントが決まった。誰もがそう思っていたが。
「フッ!!」
バシュン
ボールは種島の後ろのフェンスに直撃した。
「えっ?」
種崎が信じられないと言った顔を浮かべている。当然だろう。佐久間は逆サイドに居て体制も崩していた。ライン際に放たれたショットは、決して遅くはない。種崎の渾身を込めたものだったからだ。
追いつかれたとはいえ。まだ種島に分がある状況。
「ダブルフォルト! 40-30」
サーブを2回ともネットに引っかけるという痛恨のミスを犯す。種島の表情には動揺を隠しきれてはいなかった。
自身の決め球を返された事実がまだ頭の中に残っていた。テニスに置いて。1プレーでのミスはひきずる事はしてはいけない。その時はその時、重要なのは次なのだと頭の中で分かっていても。やはり渾身を込めたショットを返されたことは。ショックがでかかった。
「うぉおおおお」
動揺を抑えるかのように咆哮し、サーブを入れる種崎。スライスのかかった外に逃げて行く逃球で、佐久間を左右にゆすぶっていく。
パコン
リターンをライジングで逆サイドに振る。
パコン
ショートクロスでさらに揺さぶる。
パコン
攻めに入ってきた佐久間をネットから下がらす為にトップスピンロブを上げる。
パコン
体制を崩した佐久間に追い打ちをかけるようにネット際にドロップショットを放つ。
パシュ
拾い上げたロブにジャンプしスマッシュを叩き付ける種崎。少し体制を崩しながらのスマッシュだったが。ボールが高くバウンドする。
「なんで……」
バウンドする直前。完全に抜いたと思った佐久間の体がそこにあった。
「なんでそこに居るんだ!」
「未来でも見えているのか…… あいつは」
佐久間は開花していた。種崎との打ち合いで、佐久間は集中の極致に達していた。その集中は、予知となり。種崎が何処に打つかを事前と予測していた。今の佐久間はまさに最強であった。
「嘘だろ……」
またも種崎のコートに変えるボール 佐久間は、スマッシュで高く跳ね上がったボールが着地する前に追いつき、センターライン上に正確に返した。
「ありえねぇ…… ありえねぇぜこんなことはよ……」
スマッシュに追いついて返すシーンは確かに存在する。ただしそれはトッププロ、それも身体能力がきわめて高い選手に限られる。佐久間はそんな芸当をやり遂げたのだ。
そこからの種崎は、見ているだけでも悲壮感の漂う泥沼のテニスだった。
「ちくしょう!何故抜けねえ!」
スライスをかけて外にだし。逆サイドに角度のあるボールを返したり。ドロップとロブで前後に走らせ。得意のドライブが極端にかかったフォアハンドを織り込んでいく。その全てが。佐久間に返されていた。
「グレードウォール」
誰がつけたか佐久間が青島の為に編み出したとされる無敵の守り。彼のテニスの根源とも言える。どんな球にも喰らいついて取る。佐久間は持ち前の足と開花した予知で完成していた。まさに無敵なる強固な壁。種崎といえど安易に突破できるものではない。
「グッ……」
佐久間はただ返すだけのテニスをしているわけでは無い。きちんと返す際に、相手の取りづらい所へ、角度と威力をつけて返している。種崎は、リスクの大きいショットを何度も打ち続ける事によって。疲労していった。
ロブ気味に上がった絶好のチャンスボール。それを佐久間は笑みを浮かべながら
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
種崎のコートに叩き付けた……
「ゲームセットアンドマッチ 佐久間! 6-3 」
佐久間と種崎の意思をかけた戦いは、佐久間が勝利した。
「俺が…… 負けるなんて」
呆然とする種崎。佐久間はそんな種崎に近寄り。握手を求めていた。
「ありがとう、種崎。なんとか勝つ事が出来たよ」
「凄い……」
「えっ?」
「凄いですよ!佐久間さん! やっぱりあなたは俺が見込んだ通りの人だった。世界に通用する唯一のプレイヤーだ!」
「俺がここまで強くなれたのも。お前が居てくれたからでもあるよ種崎。全力で当たってくれてありがとう」
「良い顔してますね。やっぱり春の時より最高にカッコイイっす」
「そんなひどかったのか? あの時の俺は」
「あれはひどかったですよ。もう何もかも絶望していた顔してましたもん」
「なんだとこいつう」
「アハハハハ」
佐久間は試合の後。青島の居る病室へと向かった。前の時と同じように、夕日の光を浴びながらねぷかきをかいてる青島の姿がそこにあった。
「おぅ、佐久間か。今日は最後の大会だろう? その表情。勝ったみたいだな」
青島は佐久間の表情を見て全てを察した。
「青島さん…… 俺、世界に挑戦してきます」
「そうか…… 頑張ってこい、今のお前なら。何処に行っても通用すると思うぜ。俺が保証する」
「俺は、青島さんになりたかったんです。俺が超えるべき目標。ずっと憧れていた貴方に。うらやましかった。貴方のプレーは誰よりも楽しくテニスをしていて。俺は、そんなあなたになりたかったんです」
佐久間が青島に憧れていた理由。強さもあるが、誰よりも一番テニスを楽しんでいた姿を見て羨ましさを感じていた。
「今はどうなんだ?」
「今は、いえ、最初から俺と青島さんは別の人間で、俺が青島さんになれる訳がなかったんです。その事に気づいてなくて。あの時もひどい事を言ってすいませんでした。その後、柚人兄さんに連絡してもらったり。心配ばっかりかけて、すいませんでした」
「いいさ、その事はな、なぁ、佐久間。今、お前はテニス楽しいか?」
顔をあげて、さわやか少年の見せる最高の笑顔。そこには迷いもなく、ただ純粋に楽しんでいる一人の男の顔があった
「えぇ、今は、世界で一番テニスが楽しいです」
数年後、ニューヨークで行われたでかい大会があった。コート上に現れたのは、紫色の帽子を被った小麦色の青年だった。観客席にはメアリーと柚人。そして、その横には青島の姿もあった。
「ヒロユキー!絶対に優勝してね!」
メアリーの声に拳を突き出す佐久間。その彼の顔は、誰よりも自信にあふれ、そして熱意のある顔をしていた。
会場が熱気に包まれる。青年は黄色いボールを高くあげ。これまでの事を思い出しながら最高の一球を打ち込んでいった。