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魔眼バジリスク

 

 必死に論文を読み込んでいたら、夜になっていた。

 藤村は床に敷いた寝袋にくるまって眠っている。結局、花粉症がひどすぎてろくに進まなかったようだ。それでも藤村が切り上げて家に帰らなかったのは、ひとえに帰っても一人暮らしで不安だったからに他ならない。アニマの暴走で死んだ例はないとはいえ、不調も長々と続けば気弱にもなるだろう。いくら頼りないとはいえ、俺がそばにいれば安心するというならいくらでも付き合うつもりだった。

 と、俺は目にカエルひんやりシート(ナマモノ)を当てながらうんうん頷いた。

 藤村は「せんぱいがお馬鹿なことやってるもんで、なんかもうアニマが暴走したくらいでいちいち悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたっす」と、半笑いで遠い目をしていた。はァン? これがツンデレ?

 しかし、カエルひんやりシートはいい。

 あんまり同じ個体ばかり当てていると、カエルも弱るので、次はアフリカツメガエルにしてみた。このむっちり感がたまらなくエクセレント! カエルミシュランの一つ星に認定したいくらいだ。喰わないけど。

 ……そんな感じで、俺は朝までなめらかなカエルのお腹の感触を楽しみ、研究室にも朝日が差し、


 ――俺のアニマが爆誕した。なんでや……。


 □□□


 異変に気付いたのは、頭の中で『シュージャヤ!!』という、空気を裂くような音が聞こえたからだ。

 いつのまにか机によだれ垂らして寝ていた俺は、その音で跳ね起きた。

 最初は藤村のハスキー犬の鳴き声かと思った。

 とっさに藤村に目をやるも、藤村はまだ寝ていた。いや、そもそもこれはハスキー犬の吠え声とは似ても似つかない。じゃあこの声は一体?

 考えてる暇はなかった。異変は藤村にも起きていた。

 寝袋からはみ出た藤村の肩の部分が石に覆われつつあったのだ。

「?! ふ、藤村、起きろ! お前なんか変だぞ!」

 俺は跪いて藤村を抱き起し、揺さぶった。藤村のまぶたが震える。

「ふぁい?」

「ふぁい、じゃない! ああ、もう頬っぺたまで石になってるぞ!」

 急いで、藤村の頬を擦るとバラバラと石の欠片が落ちてきた。しかし、擦り落としても落としても、際限なく石に覆われつつある。無限に再生する鱗のようだった。

 その欠片を目にした藤村が、跳ねる勢いで寝袋から飛びあがった。

「?! 先輩顔伏せるっす!」

「は?! 何を?! お前このままだと石n」

「いいから私を見ちゃダメっす!」

「そんなこと言ってる場合か!」

 言い合いをしている間に頬どころか首も、足も、……視線を這わせる先からどんどん石化していく! 早く石を落とさないと!

「ああもう!」

 らちが明かないと思ったのか、いらだたし気に藤村が服を脱いだ。

「!!? おま、……!」

 とっさに顔を伏せる。しまった、これじゃ藤村の思うつぼだ。

「いいっすか、先輩。絶対こっちを見ちゃダメっすよ。……私は大丈夫っすから」

 そう言って、立ち上がった藤村は自力で石を剝がしたようだった。

 藤村の言うとおり床に視線を伏せていると、上からバラバラと石の欠片が当たって跳ねた。混乱で心臓がバクバクする。

「……なぁ、藤村?」

「先輩、フリーズっすよ。そのまま動かないでそこにいるっす。私はちょっと、この異変を落ち着かせる道具持ってくるので」

 何が起こっているのかわからない自分が情けない。遠ざかるヒタヒタとした足跡を聞きながら、俺は膝をついたまま途方に暮れていた。


 ――しばらくして、藤村が戻ってきたようだ。

「先輩顔上げていいっすよ。ゆっくりとね」

 恐る恐る顔を上げた途端、透明な何かを目にかぶせられた。とっさに引き剥がそうとするも、ぎゅっと押し付けられる。

「大丈夫っす。ただの眼鏡っすから」

 ゆっくりとなだめるように言われて、手を下ろす。

 瞬きして視線を上げると、掛けさせられた眼鏡の向こう、上半身はブラ1枚だけ身に着けた藤村がホッとしたように笑っていた。

「藤村、一体何が……」

 藤村は複雑そうに笑った。

「おめでとうっす、先輩。……いや、ご愁傷様っすかね。先輩のアニマが孵ったのはいいんですけど、これは厄介極まりないアニマっすよ。私が石化したのも、先輩のアニマによるものっす」

「なんの、アニマなんだよ」

 呆然と聞き返した俺に、藤村は慰めるように告げた。

「大いなる幻想種、猛毒たる蛇の王、――魔眼バジリスクっす」

 レンズに微かに反射した、俺の瞳の中。

 ……そこには、卵の殻を腹で踏みつけて毒気を吐いている、一匹の巨大なトカゲがいた。


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