永遠に続く愛を。
背中を預けあい、共に戦う愛がある。
守り守られる適材適所の愛がある。
微笑み合い、穏やかな生活を守る愛がある。
駆け引きの中、心を奪い合う愛がある。
愛には、様々な形がある。
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「イルヴィア・アーガス! 今日をもって貴様との婚約を破棄させてもらう!」
学園の正面玄関を抜けた中央ホール。その中央に私は一人で立っており、向かい合うのは第一王子殿下一行。
一行の取り巻きその一、ゴフェル・オレット。国王陛下の右腕であるオレット宰相の長男で、その優秀さは学園中に轟いている。眼鏡の奥で光る青銅の瞳がその知性を演出しているようだった。
その二、テオ・カルオリア。カルオリア公爵家の次男で、穏やかな貴公子然とした見かけのくせに剣術の天才だ。訓練中は性格が変わるともっぱらの噂だが、女が男性の訓練場を覗くことはないので確認したことはない。
その三、その四はお姫様に構うのが忙しくてこっちには関わって来なそうなので割愛。あえて言うなら不良系とワンコ系である。
取り巻き最後がその五、エヴァンス・シファレーン。その容姿と人当たりの良さで女子から絶大な人気を誇っている。文武両道を体現したような男で、王子より王子らしいと評判だ。
そしてその中心には守られるようにして隠れているのがお姫様ことアリア・コレンズ。コレンズ男爵家の一人娘らしい。詳しいことは知らない。
その周りを野次馬どもがワイワイガヤガヤ取り囲み、あたりは騒然としていた。
「まぁ、急に呼び出したと思ったら一体何を仰いますの? 婚約破棄だなんて、冗談でも悪質ですわ」
「冗談ではない! 立場を悪用した貴様の行動は目に余る。貴様に王太子妃の資格はない!」
「立場を悪用……? 身に覚えがありませんわ」
「あくまでしらばっくれる気か。ならば一から説明してやろう!」
偉そうに大声で騒ぐ第一王子がうるさい。どんなに胸を張っても身長は私より低いので、それを補おうとしているのだろうか。
そういえば、殿下と会うときはヒールの高い靴を履かないようにしていたのに、今日は忘れて履いてきてしまった。だから目線の差がいつもより大きいのか。
「ゴフェル、説明してやれ」
「はい殿下」
そう言ってゴフェルは一行からすっと前に出た。
「イルヴィア・アーガス嬢。貴女は王太子殿下の婚約者という立場を笠に着て自分より身分の低い女子生徒に酷い虐めを行なっていました。貴女の友人たちが、貴女に脅されて逆らえなかったと涙ながらに白状してくれましたよ」
オレット様がそう言い切ると、何人かの女子生徒が使用人に連れて来られるのが見えた。皆、私の友人たちだ。一様に顔を青白くして俯いている。
無理もない。こんな場に引っ立てられて、脅され、虚偽の証言をさせられそうになっているのだから。
彼女たちは高くても私と同じ伯爵位で、中には男爵家の娘もいる。断ることはできなかっただろう。彼女たちのせいではない。
私は同情を込めて友人たちに微笑みかけた。
「さぁ、あの時俺に話したように、もう一度お願いします」
オレット様の言葉を皮切りに、彼女たちは右から順番に話し出す。私は黙って聞いている。
「イルヴィア……アーガス嬢は、アリアを、コレンズさんを虐めていました……」
「具体的には?」
「全ては知りませんが、私は、下駄箱や机を汚すように指示をされました」
「私は体育の時間中に、コレンズさんの制服をボロボロにするように言われました」
「私はコレンズさんの教科書を捨てるようにと……」
「私は……」
欠伸を噛み殺して耳を傾ける。
これらの証言は全て嘘だが、立場を悪用という点はあながち嘘とも言い切れない。
私は王太子殿下の婚約者という地位を利用し、王宮の書庫に入り浸っては一般人は閲覧不可の書物を読みあさっていた。私にはまだ知識も技術も足りない。足りないものが多すぎる。それを補うために、どうしても必要だったのだ。
王妃教育という名目で受けた授業はとても質が高く、王妃様の元へ通って教えを請うたこともあった。公務のお邪魔だっただろうし、悪用といえば悪用だ。
そういえば、王子の婚約者という立場を使って我がアーガス伯爵家を馬鹿にする高慢ちきな令嬢をやりこめたこともあった。結構やらかしてるな、私。
ふと見ると、王子一行の中で唯一心配そうに、テオ・カルオリアが私を見ている男がいた。
王太子殿下の取り巻きとは思えないほど優しくて紳士な彼のことだ。この吊るし上げには最後まで反対だったのだろう。王子はそれを聞かずに突っ走ったようだが。
何のことはない。立場を悪用とか王太子妃に相応しくないとかそれらしい理由をつけているが、結局は王子が自分の想い人であるアリア・コレンズと結ばれたいが為の茶番劇なのである。
「……と、彼女たちはこう証言してくれていますが、何か言いたいことはありますか?」
「人の証言なんて証拠にはなりませんわ。そんなの、いくらでも捏造できますもの」
「あくまでも認めないというわけですが……」
おそらく次の手を打とうとしたであろうオレット様の声を遮るように、甲高い声が上がった。
「イルヴィア様! 罪を認めてください!」
言わずもがな、アリア・コレンズだった。目に涙を溜めて、緊張と恐怖を必死に押し殺しながら毅然と立つ姿に男たちが見惚れている。
「私はイルヴィア様を悪者にしたいわけじゃないんです……どうか、罪を認めて私に一言謝ってください。それで終わりにしましょう。お願いします、イルヴィア様……!」
「やってもいない罪を認めろだなんて、無茶なことを仰るのね。その上謝れですって? 貴女に謝ることなんか何1つないわ。分かったらその甲高い声で囀るのをおやめなさい。耳障りよ」
アリア・コレンズがショックを受けたとでもいうのうにふらりとよろめき、王子に抱きとめられていた。あほらし。
まだ提示されてはいないけど、オレット様の様子を見るとどうやら証拠は固まっているらしい。この状況からの私の大逆転はもう無理だろう。ならばこの茶番に付き合う義理もない。
「殿下、中身のないお話はやめにしましょう。一体私にどうして欲しいのです?」
「この書類にサインしろ。これを父上に提出すれば婚約破棄が成立する」
「分かりました」
私は進み出て、殿下から書類とペンを受け取る。アリアは怯えるように殿下の後ろに隠れた。周りの男どもは私の一挙手一投足に注意を払い、アリアには指一本触れさせない、とか言い出しそうな顔をしている。しかし、殿下はにやりと笑った。
「イルヴィア、お前には悪いことをしたな」
「……何です? 急に」
「私はお前の気持ちを汲んでやることができなかった。お前のしたことは許されないことだが、それでも責任の一端は私にある」
「あの……お話が見えないのですが」
思わずサインする手を止めてまじまじと殿下の顔を見てしまった。一体何?
「お前は私が好きだったんだろう。だから私が恋をしたアリアに嫉妬してこんなことをしたんだ。そうだろう?」
「はぁ?」
「隠さなくても良い。最後くらい素直になったらどうだ」
「私はいつも自分の気持ちに素直に生きておりますわ」
「可愛くないやつだ。お前にはアリアの可愛げの百分の一でもあったなら、こんなことにはならなかったんだぞ」
「…………」
「手が止まっている。そんなことをしても無駄だ。俺の気持ちはお前には向きはしない。諦めろ」
「…………はぁ」
呆れて物も言えないとはこのことである。私は止めていた手を再開し、サラサラとサインを書き上げた。
「これでよろしいですか?」
「ああ……今まですまなかったな」
いつまで自分に酔ってんだよ、馬鹿王子。
アホヅラをさっさとしまえ。アリア・コリンズにも愛想尽かされるぞ。
「殿下、最後に1つだけ」
「何だ?」
流石に腹が立ったので、最後だけ言い返しておくことにする。
「私、自分より背の低い男性には魅力を感じませんの。ごめんなさいね、殿下」
「なっ……」
「どうぞお幸せに」
背を向けて、学園を後にする。殿下の間抜け面を拝めなかったのが残念だった。
――振り返る時、一瞬見えたあの子の微笑みに、私も笑みを抑えられなかった。
夕方、そろそろ夜本番という薄暗い頃。私は寮に置いていた荷物を全て馬車に詰め込み、家に帰るところだった。
きちんと調査をすれば私の無罪は分かるだろうが、一度立ってしまった醜聞は取り消せない。もうこの学園にいる意味もない。
お母様とお父様にはこまめに手紙を送っていたので免罪だということも分かってくれている。この学園を退学し、レベルは下がるがまた別の学校に入れてもらおう。
そんなことを考えていると、向こうからやってくる人影がある。テオだ。
「イルヴィア……!」
「テオ。どうしたの、こんな時間に」
「寮母さんに、もうイルヴィアが、出たって聞いて……」
息が上がっている。ここまで走って来てくれたのだろう。
「落ち着いて。汗をかいているわ」
「あ、ありがとう……」
私がハンカチでこめかみに滲んだ汗を拭ってやると、テオは驚くくらい顔を赤くして俯いた。
「ごめん、こんなことになってしまって。殿下を止められなくて……」
「テオは私を信じてくれるの?」
「もちろんだよ!」
「なら良いのよ。私は貴方が信じてくれるだけで十分」
「イルヴィア……」
テオは真っ直ぐな瞳で私を見つめる。私の傍には無かったものだ。眩しい。
「手紙を書くよ、イルヴィア」
「待ってるわ」
「……元気で」
「テオもね」
しばらく帰り難そうにしていたが、そのうちテオは寮へ戻って行った。
王太子殿下のお古なんてもう売れ残り確定かと思っていたが、案外次の婚約者はすぐに見つかりそうだ。公爵家次男なら立場も申し分ない。もしかしたら王宮の書庫へだって行けるかもしれない。
「……いるんでしょう? エヴァンス。出ていらっしゃいな」
そう言うと、学園の門のそばに生えた大きな木の裏で、がさりと音がした。
「なんか良い雰囲気だったから、邪魔しちゃ悪いと思って」
「そう……って、あはっ。何その顔。どうしたの?」
「分かってるくせに。殴られたんだよ、王子に」
「王子の思い人に手を出したりするからよ」
「誘って来たのはあっちからだ」
エヴァンスの頬は真っ赤に腫れていた。ずいぶん手加減なしにぶん殴られたらしい。
「証拠は無かったはずなのにな」
「証拠を作り上げることなんて容易いわ。貴方がやったみたいにね」
「そりゃそうだ」
エヴァンスは普段の人当たりの良い笑みを消して、酷薄に微笑む。こっちがこの子の素なのだった。
「アリア・コリンズと手を組んだのね」
「ああ。彼女の自作自演の『虐め』を利用しない手はなかった。アリアも初めからイルヴィアを犯人にするつもりだったみたいだしね」
「全く、酷い話」
「あんな女に先手を打たれるなんてイルヴィアらしくない。王子と婚約して浮かれていたんじゃない?」
「返す言葉もないわ」
馬車につながれた馬がぶるる、と鼻を鳴らした。退屈させてしまったようだ。
「私、そろそろ」
「次はどこへ行くの?」
「教える義理はないでしょう」
「王子とも揉めちゃったし、僕ももうここを出るよ。イルヴィアと同じ所に行こうと思って」
「あら、あと一週間くらいここにいたら良いじゃない」
「どうして?」
「明日からきっとたくさんの女の子が貴方を訪ねるわ。貴方が関係を持って来た女の子たちよ。彼女たちは声々に貴方を糾弾するでしょうね」
「……何したの?」
「別に。ただ、貴方が今まで利用して来た女の子たちに、エヴァンス・シファレーンは利用価値のある子なら手当たり次第に近づいてるって教えてあげただけよ。本当のことでしょ?」
「あー……本格的に学園にはいられないな……」
エヴァンスはおどけるように頭を抱えて分かりやすく困って見せた。
「僕も荷造りしなきゃな。もう戻るよ」
「ええ、そうなさい」
去り際、エヴァンスは薄い唇を引き結んでにぃと笑った。
「また会おうね、姉さん」
「ええ」
エヴァンスの、愉悦の混じった呟きが私の耳に響いた。
「幸せになんて、絶対にさせないから」
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昔の話をしよう。
私は孤児だった。貧民街で道の端に座り込み、靴を磨いたり乞食の真似事をしたりして日々を食いつないでいた。
一人だったら、きっとすぐ心が折れてしまっていただろう。それくらい辛く苦しい日々だった。けれど私には双子の弟がいた。弟と支え合い、私たちは必死に生き延びて来た。
ある冬のことだ。
その年は寒さが尋常ではなく、空気は乾燥して、道端の雑草すらほとんど生えていなかった。私たちは空腹に喘ぎ、このままでは餓死することが明白だった。
そんな時、私は身なりの良い男に声をかけられた。彼は伯爵家の使いのものだと名乗り、その家の老夫婦が娘を欲しがっていると言った。どうやら私は、幼くして亡くなった老夫婦の娘に面差しが似ているらしかった。
私はその男の手を取った。そうして私は貴族の娘となった。食事に困ることも、寒さに震えることもなくなり、優しい両親を手に入れた。
あの寒く暗い街に、弟を置き去りにしたままで。
成長し、再び私の前に現れた弟は、あの時のことを恨んでいるらしかった。そうしてあの子は私の幸福をことごとくぶち壊して行く。
あの子さえいなければ、私は今頃揺るぎない幸福を手にしていたはずだったのに。
そう思いながらも、自分の唇が釣り上っているの自覚していた。
次はあの子をどんな風に追い詰めようか。今回は後手に回ったから、次は私から攻めよう。あの子の悔しさに染まる顔が早く見たい。
嫌い合い、憎しみ合い、蹴落とし合って、足を引っ張り合う。
そんな私たちの醜い想いすら、一種の愛と呼べるのかもしれなかった。
恋愛つもりで書いたんですが恋愛要素薄くてタグを使うの申し訳ないです。でも恋愛のつもりなんです。