第25話 さくらさく
「私の事、覚えてるか判らないけど、あの子とまた話してみたい」
『構わぬぞ。わっちらでは、もはや埒が明かんしの。ただし注意ぞ』
『あの子が暴挙に出るとは思いたくありませんが、既にこの有様ですし、気をつけてくださいね』
「うんっ! それより雪ちゃん、自衛隊近付いてるから、こっち来ないよう言って」
艦橋から艦首に転送ゲートで夕日乃が現れた。
白雪が後ろに下がり、夕日乃がネロの前に立つと、今さっきまでネロと白雪の間をひゅうひゅうと吹き抜けていた冷たい風が和らぎ、そして凪いだ。
じっと見上げるぱっつん髪の少女と、じっと見下ろす黒髪ロングの少女。
互いの瞳をじっと見つめ合う事一分弱――息を吸い夕日乃が思い切り叫んだ。
「さくらっ!」
その言葉に目を丸くするネロ。
初めて彼女が怒りと無関心以外の反応を見せた瞬間だった。
そんな顔のネロ見るのは、白雪達も初めての事。二人とも素直に驚いている。
「覚えてる? あなたに花の名前を聞かれて、さくらって教えたの私!」
驚いた表情のまま、彼女はこくりとうなずく。
にっこりと笑いかける夕日乃にネロは驚いた表情のままだった。白雪が何か言おうとした所を手のひらで遮る。
「知ってる? こんな寒い季節でも花を咲かせるさくらもあるんだよ? ほらっあの出会った公園! あそこにも今頃咲いてるはず」
「……ほんとう?」
白雪が数十年ぶりに聞いた彼女の声。先程までの険しい表情からは想像も出来ない、鈴のように可愛らしい声色だ。
ネロに向け、すっと両手のひらを差し出し、ちょっと頭を傾けながら――
「今から見にいこっ!」
その言葉に思わず手を差し出そうとしたが、さっと引っ込め、ぐっと堪えるような表情をうつむき隠すネロ。
「無理……だめ……」
「どうして?」
「あたし……いっぱい悪い事したから」
ユニオン歴5348年――惑星ヴェリスティア。
この惑星は銀河一の頭脳と謳われるクラリア・ヴァスティール博士の所有惑星の一つであり、アトリエクラリアの本拠地惑星だ。
ハイペリオンドライブの発明により莫大な富を得ると、彼女は欲望のままに研究開発に没頭する事になる。
何でも全て助手任せで、生活力ゼロのダメ人間ではあるが、彼女は銀河で唯一人の「深淵の探究者」と呼ばれる知能のオーバーウェイカーなのだ。
強力な動力炉と武装の開発はひとまず終わり、次に彼女が心血注いだのは、効率化を極めた宇宙戦艦の操艦システムの開発だ。
そこで開発されたのがマナスオペレーションシステムと呼ばれる、人間の精神と戦闘艦の制御中枢をリンクさせるという技術である。
だがこのシステムには単純かつ大きな問題があったのだ。普通の人間には30%程度、どんなに適合率が高い者でも70%前後の制御が限界で、彼女の理想には程遠い数値だったのだ。
博士は何かが吹っ切れた様に一度は開発を放棄した、人道的、倫理的に問題があるとされた、生きた宇宙戦艦の開発に着手したのである。
それはオーバースキルの暴走だったのかもしれないと後に彼女は語る。
この時使用された素体は二人。自身と恋人の遺伝子から生み出された実の娘と、恋人が保護し連れてきた余命幾ばくもない違法クローン体。
娘をサイボーグ艦に、急を要したもう一人を研究中の星間植物体を使用した植物艦に組み込み、事実上一人で宇宙戦艦を完全に操れるシステムを完成させたのだ。
この時、博士は思い付きで植物艦をクラリア黒という、新カラーズにカテゴライズし、艦とリンクし命を取りとめた少女にネロ(黒)と名付けた。
しかし、ネロが十歳過ぎた頃から「黒はイヤ!」自分の色への不満を露わにし始めたのだ。
姉妹の白は真っ白に藤銀の瞳。クラリア博士は桃銀の美しい髪に金の瞳。その恋人である助手は銀髪銀眼の美少女……なのに自分は、黒い髪に黒い瞳、艦も真っ黒……
博士は「黒いの格好いいでしょ?」と取り合わず。助手も必死になだめるもの効果なし。そして白が何を言おうとネロは全て無視し続けるのだった。
その三年後、瞳を真紅に染めたネロは、完成したてのクラリア紫(突撃航宙母艦)の鮮やかで美しい紫の船体をバキバキに食い壊すと消え去り……現在に至る。
「思い……出しました」
彼女が黒を嫌う事に全く留意出来てなかった自分に気付き、言葉に詰まる白雪。
「あの時、あなたが黒い色をとても嫌っていた事に、私も博士も凄く無頓着でした……ネロって呼ばれるのも当然、とても嫌でしたよね?」
元の表情に戻り、白雪を睨むように見つめる少女。
成り行きを見守るヤマブキ。当時の彼女はまだ幼く、この件について殆ど記憶がない。故に口を出さずじっと見守る。
「じゃあ、名前から変えようよ」
その提案に皆が驚き、夕日乃へ一斉に視線が向かう。
「でも……あたしは……いっぱい酷い事をした」
ネロは自分の色が嫌で嫌で、綺麗な色が羨ましく、クラリア紫が完成した時、そのあまりの鮮やかさに嫉妬し思わず破壊してしまった。
我に返ったネロは怖くなり、その場を逃げ出したのだ。
逃亡中、どんどん自分自身を追い詰め、思考が混濁し、色の付いた物を食らうことで自分の色を変えられるのではと思うようになり、派手なカラーリングの艦艇を襲うようになる。しかし、いくら食らっても色は黒いままで変わらないままだ……
被害が報告が増え、博士はクラリア黒の廃艦を――ヤマブキにネロを始末させる事を決める。だがギンコの強い反対で捕獲に切り替えた。
ネロの行動から白を襲う可能性を鑑み、ヤマブキをこっそりと護衛に付けたのだ。
やがてネロは思った。白い色を食べれば自分の色が薄まるのではないかと……実際に白を追い地球に来たものの、強大な力を持つヤマブキがこっそりと護衛しており、二の足を踏んでいたという。
このままでは埒が明かず、ネロは隙を窺う為に白がご執心の日本という国に降り立ち……そして驚愕した。目の前いっぱいに自分の一番好きな色が広がっていたのだ。
憧れの博士の髪色にも似た美しい花。それは見渡すと至る所に咲いている。街中も、川沿いも、山が丸ごと咲き誇る場所もある。
そこは春という名の季節だけ、全てが淡いピンク色に染まる島国だったのだ。
さくら――ふと降り立った地で、幼女に花の名を教えてもらった。
なんて綺麗で優しい名前だろうか……
その花に魅了され知る程に、ネロは自分の中の「黒いもの」を自覚する様になってゆく。
ネロはさくらに触れる事で、正常な思考を取り戻しつつあった……しかしそのせいで、過去の過ちを思い出し、罪悪感により再び心を閉ざす事になった。
だが、さくらの木々に傷つけたくない。そんな慈しみの心も生まれ、白を食おうという衝動は薄れていった。
その後一度だけ、白を傷つけようとした艦を食った。
理由は本人も判らない。
獲物を取られるのを嫌ったのか、美しい白を汚させたくなかったのか……
「私はあなたが何をしたか知らないけど、ひょっとして、昔、悪い事しちゃったのを気にしてる?」
夕日乃の問に、コクリと頷くネロ。
「聞いた? 雪ちゃん、ヤマブキちゃん、この子すごく良い子だよ」
夕日乃の言葉に目を丸くするネロ。
「はいっ、私の大切な姉妹ですから、良い子に決まってます」
『そうよの、子供の罪は親の罪ぞ? お主の仕出かした事は、博士が全部何とかしてくれようぞ。気にするな、わが姉よ。実はわっちも各所で……おっと』
「ヤマブキ、何したの? 言ってみ?」
「のーこめんと!」
いつも、姉妹が何を叫んでいるか判らなかった。
ずっと自分の事を怒って、怒鳴っているのだとばかり思っていた姉妹の声。
聞くのが怖くて無意識に耳を閉ざしていたのかもしれない。
それが今、初めて何を言っているのか、きちんと聞き取れて理解も出来た……
しかも……二人は自分の事を全然怒っていない?
「今だって、雪ちゃんの事噛み付いてるの、きっとこの新しく塗られたピンク色がちょっぴり羨ましかったんだよね? 雪ちゃん、これ全然痛くないでしょ?」
「はい、甘噛されてる感じですねぇ」
図星を突かれたのか頬を赤らめるネロは、とても可愛らしかった。
同時に白雪の艦を噛む力も緩む。
すると、夕日乃が薄い胸元でパンっと手を叩いた。
「よしっ、じゃあ新しい名前になって生まれ変わろうよ! それにね、悪い事しちゃったなら、一緒に私も謝りに行ってあげるから大丈夫!」
「はい、私もお付き合いしますよっ、姉妹ですから」
『所で二人、どっちが姉で妹ぞ?』
「さぁ~どうなんでしょね。新しい名前になったら決めましょうか?」
驚きを隠せないネロ。
何と答えたら良いか判らない。
そんな表情だ。
「あとは~体の色……ねぇ雪ちゃん、色は何とかなるんじゃないの?」
「そうですね、色の件は思った程、難しい事ではないと思いますよ。それにきっと博士も協力してくれます。いえさせます」
そう言いながら、ふわぁっと自らの髪と瞳を黒く変化させる。
「ええぇっ! 黒いっ、なんで黒くなるの? 白キレイなのに!」
真っ黒になった白雪の姿に驚きを隠せず、叫ぶネロ。
「よく御覧なさい。夕日乃だって髪も瞳も黒ですよ。この国じゃこれが普通です。私もここで暮らしてるのですから、黒くするのは当然です! それに、黒だってとっても綺麗ですよ!」
「あなたは雪ちゃんみたいに色を変えられるの?」
「わからない、考えた事も……ない」
「じゃあ色は後回し! 名前っ! 新しい名前を考えようよ!」
夕日乃の提案に、名前を考え始めるネロ。
胸元で祈るように指を組み、ん~っと考えるネロ……凄く悩んでいる。
当然だろう、名前を自分で考える経験をする者など普通居ない。
いや……ここに一人いた。
しかも姉妹揃ってとは……
「わからないっ、あなたが考えてっ!」
「あなたは、さくらっ!」
即答だった――これ意外あり得ない! 自信満々の夕日乃。
名を聞いた途端、黒い少女の制御中枢がたった三文字の為にフル演算を始める……まるで浸水した船舶の様にゆっくり艦尾が沈み始める。艦制御が疎かになる程の凄まじい演算だ。
「さく……ら……さくら……」
「さくらっ!」
少女が叫んだ刹那、一同が瞠目した!
余程の事でもない限り、もはや驚く事もなさそうな面々が、目を見張り息を呑む。
突然、漆黒だったはずの彼女の髪が柔らかな桜色に変わると、淡い光をまといながら、ふわぁっと風になびいたのだ。まるでこの場所に春が訪れたかのよう。
そして暗い水底に沈みきった漆黒の瞳は、鮮やかで深みのあるチェリーピンクルビーのように美しく輝いている。
この色が大好きな夕日乃なら、きっと飽きる事無く、いつまでも眺め続ける事だろう。
禍々しい雰囲気の漆黒の宇宙戦艦も、はらはらと黒い外殻が剥がれ落ちながら桜色にひらひらと変わってゆく。
剥がれた外殻が花びらのように舞い散る中……白雪に喰い付いてた口が――
艦首開口部が大きく開くと、まるで桜を思わせる大輪の花を咲かせるのだった。
夕日乃達が驚きすぎて、感嘆の声も出ないというのに、当の本人、さくらに至っては、我が身に起きた変化に理解が追いつかず、完全にフリーズ状態だ。
今の自分が、ずっとずっと、ずぅっと望み続けるも叶わなかった、憧れの色を全身にまとっている事に気付くと、大粒の涙をぽろぽろと零し始め、そして声を上げ、わんわんとまるで子供の様に泣き出すのだった。いや、彼女はまだまだ子供なのだ。
白雪もぽろぽろ涙を零し、ヤマブキはあまり見せない笑顔で、そしていつもの笑顔で夕日乃が、心からさくらを祝福するのだった……
奇跡の瞬間に居合わせた四人……この光景を、この驚きと感動を、彼女達は生涯、この先どれだけ長い時を過ごそうと、忘れる事はないだろう。
【艦 名】 さくら
【形式名】 元クラリア黒 CCBK-001 有機宇宙戦艦(植物艦)
【サイズ】 デミトロン級 全長670m全幅200m
【主 機】 ハイペリオンドライブ×16基(シャフト深度200~2000m)
【攻撃兵装】バイオブラスター砲×24基
【防御兵装】エネルギーシールド(最大展開数45)エネルギースクリーン
【特殊兵装】スターブラスター砲×1
【備 考】 出奔後、艦船を襲いハイペリオンドライブを取り込み独自成長し、
黒色から桜色へ変化の時点で急激な構造変化があったと推定される。
今後再調整、最適化を施し、改めて新クラリアカラーズに登録する事
になるだろう。
白雪は安堵した。
大切な姉妹がようやく戻ってくれた……そう心から安堵した。
緊張が途切れ、警戒を疎かにした。そこに大きな隙が生まれた。
刹那、猛烈な閃光が目の前を通過した――
それがハイペリオン砲の輝きだと気付くのに時は不要だ。
今、私達は銀河で最も凶悪な攻撃のひとつを受けたのだ。
ハイペリオン砲の一撃は、さくらの艦側面に巨大な貫通孔を空けた。
戦闘艦とは思えない有機的な内部構造を露出し、体液が噴き出し、ゆっくりと艦が傾き都心に落下を始める。
さくらぁーっ!
皆が叫ぶ。
とっさに夕日乃が艦外からアクティブアームを起動させ、その手のひらに重力を発生させ、落下する少女の体をふわりと確保する。
白雪は夕日乃のアーム操作に驚くも、ヤマブキと共にさくらの艦体の都心落下を阻止し、同時に敵艦位置の索敵した。
攻撃は地平線の真っ直ぐ先、衛星軌道上の艦から。そして直上に七隻、合計八隻の大型艦の存在を捉えた。
意識の無いさくらを乗員室のベッドに寝かせ、急ぎ艦橋に入ると嫌な声と顔の通信が入る。
『またあなた方ですか、やれやれですな!』
モニタースクリーンに映し出されたのは、艦隊司令の横に並ぶ豪華なシートにふんぞり返る、あのグランドン・ボワード運営委員だ。
「またかっ! お前が撃ったのね! 私の姉妹を!」
『ほう? 姉妹とな、ならその不気味な艦もクラリアのものですか』
下卑た笑みを漏らすボワード。
「なんでさくらちゃんを撃ったの? おじさんは、私達に戦争を仕掛けてきたのかな?」
うつ向き、小さな肩を震わせながら問う夕日乃。
だが声のトーンは妙に落ち着き、一見普段の彼女の様だが……
『お嬢ちゃん、勘違いしては困りますな、その艦には何件もの宇宙戦艦を襲った容疑が掛けられてましてな、逃げられても困りますから撃ったまでですよ』
「容疑っていうのは、罪を犯したって疑いであって、犯罪者とは違うんだよ? そんな事も判らないで撃ったの? 何でそんなに馬鹿なの?」
もう大人の男性が怖いなどという気持ちは完全に消し飛んでる上に一言多い。
『めっ目上の者へ対する口の聞き方も知らんのかね? さすが未開のガキだけの事はありますな』
「次、夕日乃に暴言を吐くと後先考えずに殺しますよ?」
瞳が真赤だ……白雪もかなりキている。
そしてヤマブキは事の動向を見守りつつ思案する。
だが現在さくらを支えている為に即応不能状態にある。
「なんぞこれ、さくら重すぎぞ」
直下は東京都心、落下させればビルを倒壊させ人々を押し潰す大惨事だ。
『わっ私を脅す気かね? それにたった二隻で何が出来る? こちらは最新のデミトロン級大戦艦八隻だぞ! 大人しくその容疑者と艦を渡すんだ!』
「おじさん、戦艦祭の運営委員だよね? 偉いんだよね?」
『勿論だとも、私には様々な権限があるのだ! だから犯罪者も逮捕出来るのだ!』
運営委員に警察的権限などは無い。治安に関しての権限を有してる為、祭と無関係であってもその方向でごり押すつもりなのだろう。
「じゃあ私と、私達この宇宙戦艦白雪と、そっちの艦隊で対戦しようよ。戦艦祭でもそういうのあるんでしょ?」
「ゆっ夕日乃?」
『面白いの』
その提案に驚く白雪と、ニヤリとするヤマブキ。
『なっ何を言っているんだこのガキは! 八対一で勝てると思っているのか?』
「一対八だもんっ当然そっちの方が有利だよ……でも私は友達を守らないといけないんだ! この試合、勝った方の言う事を聞く! やるの? やらないの? 子供から逃げるの?」
夕日乃がこんなセリフを言うはずがない。
普段の彼女を知る者ならそう思うだろう。
だが今、彼女は静かにキレているのだ。
何て言い草のガキだ……いやまてよ? これは上手くすれば白いクラリアを手に入れられるやもしれんぞ? 所詮すばしっこいだけの小型艦だ。しかもこちらは例の装備付きの大型艦八隻……
『ぐふっ、よかろう! その勝負、受けてやろうではないか!』
「そっちが負けたら、潔くあの子をあきらめてよ? いい?」
『よかろう約束だ。ならば戦艦祭トーナメントと同じ方法で戦おうではないか。宇宙に上がって来るがよい』
夕日乃が深く頷く。
「ゆっ夕日乃、相手は大戦艦級が八艦ですよ。流石に実戦経験の少ない私一艦では……んんっ」
くるりと振り向いて白雪の不安を唇で塞き止める。
まったく不安を感じさせない自信に満ちた……いや。
白雪を信じ疑わない瞳でじっと見つめ、もう一度キス。
唇を離すとちょっぴり糸が光り、ちょっぴり舌でペロリ。
そしてもう一度じっと見つめ断言する。
「二人ならやれる!」
「はっはいっ!」
『夕日乃、今わっちは動けぬぞ? よいか?』
「よゆうっ! さくらちゃんの体はどうなの?」
『先程から猛烈な速度で再生しておるぞ。なので存分に狩りを楽しめ!』
「うんっ!」




