第10話 マナスオペレーションシステム
あの日、彼女が白雪と出逢い、宇宙に出てから約三年の月日が流れていた。
先日、夕日乃は七歳の誕生日を迎えた。
今では毎年友達を招き、白雪の号令でお誕生会も行われている。
祖母に引き取られ、そして白雪との出逢いによって劇的に変化した夕日乃の世界。
ちょっと変化に富みすぎているかもしれないが……
「私に雪ちゃんの体……宇宙戦艦の操縦って出来るかなぁ」
月に来るのもこれで何度目だろうか。
この衛星で一際高いクレーターの尾根に二人ポツンと座り、青い月を眺める。
ここは夕日乃のお気に入りスポットだ。
呟くような夕日乃の質問に、白雪は一瞬目を輝かすも、考え込むように沈黙した後、いつものように、にっこりと答えた。
「はい、操縦できますよ」
夕日乃が艦橋に入ると、床面中央が開き、操縦席と思しき物体が現れた。
それは普段、白雪と二人でムギュッと座ってる背もたれ付きのシートに合体し一体化すると、ふわりとその場に浮き上がり、空中にピタリと静止した。
それはタイヤとエンジンの無い、大きなタンデムシートのツーリングバイクと言った様相で、操縦者はシートに跨がり、グリップを握ってバイクを運転するような前傾姿勢で操縦するシステムだ。
夕日乃には大きすぎる様に見えたが、実際にシートに跨がると彼女にピッタリのサイズに変形した。
「はい、最適化終了です。次は両手で左右にあるハンドルを握ってください」
「うんっ」
やや前傾姿勢でぎこちなく、バイクのハンドルのような装置を握る。それは掴むと指に吸い付くような感触がちょっと気持ちいい。
「これから夕日乃とこの艦の制御中枢の操艦域をリンクさせます。操艦深度はレベルＥ。まずは基本的な操艦を出来るアクセス権限を差し上げましょう」
難しい単語もあるが、何となく理解出来るので、うなずく。
「目を閉じて、心を落ち着けましょう。意識を手のひらに集中して、リンクします」
「なっ何かが私の中に入ってくるぅっ！」というような感覚は一切ない。
中枢へリンクした時の感覚を第三者に伝えるのならば、抽象的ではなく、見たままを具体的に伝える事が出来る。
操縦席に座っている自分の意識はそのままに、もう一つの意識が中枢へ続くであろう通路を進む。そこは真っ黒な世界だが、青や紫のラインが縦に横にと幾重にも引かれており、まるで３Dのワイヤーフレームで作られた大きな建築物の中を移動してるようだ。いくつも扉のあるドーム状の空間に入ると、そこには白雪と思しき白い少女のシルエットが、この扉に入れと手招きをしている。
「夕日乃、そのドアに入って」「うん」
操縦席に座ってる自分と、不思議空間の自分、それぞれが別の行動と思考が可能なので、まるで自分が二人同時に存在してる様な不思議な感覚だ。
だが独立しながらも、自然に一人の自分として行動を取れる。
ああ……大小の雪ちゃんと戦艦の雪ちゃんは、多分こんな風に世界を見ているんだ。なんとなく、そう感じ納得する夕日乃。
扉をくぐった瞬間、自分の体が戦艦だと認識してしまった。
自分の体のサイズに違和感を持たないのと同様、全長333ｍ全幅180ｍの船体にも大きいという感覚はまるでない。
同時に艦橋の操縦席に座る自分が見るモニターの光景と、全く同様のものを戦艦になった自分も見ているのだが、更に自然に詳細な情報が脳内に入ってくる。
どうすれば艦が動くのか考えるまでもなく、自分の手足を動かすのに許可など要らないのと同様に、歩き出し、走り出し、飛び跳ねる、艦が動き出す。
今、夕日乃は戦艦としての白雪とほぼ同じ感覚で操艦していると言える。
これこそがマナスオペレーションシステムと呼ばれる操艦システムで、艦の制御中枢と人の精神体を複製しリンクさせ、極少人数での戦闘艦運用を可能とする最新の操艦システムなのだ。なぜ精神体を複製し接続するのかと言うと、直接精神を接続したままシステムがダメージを負った場合、脳細胞が破壊され、廃人になる可能性が高い為である。
だが現状、一人だけで巨大な宇宙戦艦の全てを掌握し操艦するのは難しい。
マナスシステムにリンクしても、システム支配率は平均で30％前後でしかない。
この数値だと航行がやっとで、あとに二～三名はいないと戦闘艦の運用は難しい。
それでも十分の一の乗員で戦闘艦を動かせるなら十分だといえよう。
無論人工知能を使用すれば、一人での運用が可能だ。
現在、夕日乃のシステム支配率は平均の二倍、58％と非常に高い。
本来この艦はサイボーグなので、白雪によりシステム支配率は100％だ。その為マナスを使う必要はない。
しかも白雪のオーバースキルのより、三人分の頭脳が使用できる。
ちなみに、このスキルで銀河一のオーバーウェイカーは、同時に144人の自分をクローンやシステムに移し操る事が可能な化け物である。
夕日乃に操られた宇宙戦艦白雪は猛烈な速度で縦横無尽に宇宙を駆る。
それはまるでジェット戦闘機がアクロバット飛行をするかの如くの凄まじい超高機動航行であった。
「雪ちゃん凄いよ！ 速いよ！ 思ったようにいっぱい飛べるよぉーっ！」
驚いた……これが七歳児の操艦技術なの？
自分の体なのに私でさえこんな高機動航行出来ませんよ。
最適化されてたはずの艦制御アルゴリズムが物凄い速度で更新されてゆく。
操艦というのは、ただ操るだけではダメなのだ。
船体構造を無視した無茶な機動をとれば、メインフレームである竜骨が歪み、最悪廃艦の可能性もある。
それは手足の関節を逆方向へ曲げようとするのと同義なのだ。
ユニオンや帝国にも夕日乃と同等以上の操艦をする者はいるだろう。ただしその艦は後日、大規模メンテナンスで長期入院になる事必至のはずだ。
そんなに戦艦がやわなのか？ そう疑問に思うかもしれないが、主機ハイペリオンドライブは非常に強力で、高機動時のフレームへの負担が非常に大きいのだ。例えるならF１エンジンを一般車に載せる様な感じであろうか。
何故この様な事態に陥ってるのかと言えば、単純に原材料不足だ。
宇宙船に最適な鉱物、クリアメタルやヴェリオメタルの供給量が圧倒的に少なく、メインフレームにまで使用すると十倍近くコストが跳ね上がってしまうからだ。
戦艦祭にエントリーするレベルの艦艇ならば、たっぷり使用しているだろうが、量産艦ではそうもいかない。
現在、我がユニオンと敵対する帝国の休戦協定に陰りが見えている為、軍備増強の面でも贅沢が言えない状況下にあるのだ。
かと言って完璧な艦であっても、乱暴な操艦を手放しに許容出来るものではない。
私の体は宇宙龍の骨格をヴェリオメタル製に置き換え、人工筋肉を纏い、カニの甲羅みたいなキチン質の装甲で覆っており、軽量で柔軟かつ靭やかで粘り強い艦構造が持ち味なのです。
これだけ聞くと、とても宇宙戦艦には思えませんよね。
でもこの体、人で言うと肩関節でしょうか、左右艦翼付け根などデリケートな稼働部分も存在してます。当然無茶な操艦は骨格を歪める恐れがあるのですが、夕日乃はこの骨格の持つ特性を理解するかのように操艦するのですよ。
特に高速航行時の急な軌道変更は各部に負担を与えやすいのですが、負担の集中を全体に分散させるように自然な操艦をするのです。
もの凄い才能だとしか言いようがないです。しかもまだ七歳の女の子なのですよ？
この私、宇宙戦艦白雪は、機動戦艦や突撃艦を相手にする高機動格闘戦こそが本分の戦闘艦なので、まさに夕日乃という存在は、私の為に生まれて来たかと思える程の最高のパートナーと言えましょう。
だからこそ夕日乃の存在は秘匿したい。
この子を私だけの存在にしたいから隠しておきたい。
それは私の性能向上の部品にしたいという事では断じてない。
彼女の持つ能力は今の時代、戦闘向けすぎる。
だから――迂闊だった。本当に迂闊だ。
まさか夕日乃がこんな操艦をするとは想像できなかった。
その為、彼女の操艦ログがシステムに残ってしまった……
私には消せない、間違いなく博士に見られてしまうだろう。
これを知った博士が夕日乃を何か危険な事に利用するのではないか。
私は生みの親である博士を手放しで信用する事が出来ないのですよ。
絶対にそうなるとは限らないけれど……
だからと言って楽観的に考えるのは危険すぎます。
私が見つけた最愛の宝を奪われてなるものか。夕日乃は私のだ。
ただ、私はいずれ夕日乃の元を去り、ユニオンに戻る。
いえ戻される可能性が高い。
この子を連れ帰りたい――そう考えてしまう自分も確かに存在する。
でも一番に考えるべき事は、夕日乃の幸せですよ。
操艦深度レベルＥ。
これは人で言うと、歩く走る跳ねる、基本的な操艦をするレベルだ。
まさかこの初心者向けレベルで、この操艦されるとは思わなかった。
ちなみにレベルＤは重力圏内の操艦許可。
レベルＣは一部武装の使用許可。
レベルＢは操艦と戦闘に纏わる大半の使用許可。
そしてレベルＡ は全ての許可。
レベルAに該当するのはハイパードライブ航法と秘匿兵器使用の二つのみ。
これらは私のサポートが必須なシステムなので、実質深度Ａは無しと考えてもいい。あと操縦者に操艦を任せてる時でも、いつでも割り込んで私が操艦する事も、奪う事も可能です。今後は操艦を夕日乃に任せ、その補佐を私が担当するような役割分担になるでしょうね。
次の休日、夕日乃の要望で、以前航行したアステロイドベルトにやって来ました。
正直複雑な気持ちですが、夕日乃のやりたい事を「だめ」と頭ごなしに拒否出来るメンタルは私に無いのですよ。なのでお手伝い出来る事は極力します。
甘々ですね～私。夕日乃にはこの先何があろうと、おのれで道を切り開ける力を持たせてあげたいですからね。
この小惑星帯、広大な空間にぽつぽつ岩塊が点在してる程度の密度で、実はスカスカ。比較的岩塊の密集する宙域は想像よりずっと少ないので、前回の場所に来ました。
前傾ポジションで夕日乃が可愛いお尻を振りながら、縫うようにアステロイドを飛び回る。デブリや岩塊等の密集宙域航行の場合、モニターにガイドカーソルを表示し、安全マージンをたっぷり取り、艦の進行方向を探るように航行するのがセオリーです。
なので岩塊に接触するコースに入ると警告表示が出るのですけど……
「これ邪魔！」
警告を非表示にして飛ぶ夕日乃。猛スピードで飛ぶ、避ける、避ける、飛ぶ！
さながら私は、運転の荒い嫁の助手席で冷や汗をかく旦那というポジションでしょうか……マジで怖っ！
「あっドーナツ岩！くぐろうっ！」
「えっ？ ちょっそこ艦翼ギリギリ！」
減速させようと干渉するも、操艦深度レベルＥの夕日乃に「ダメッ！」と拒否された。ちょっと！ 今のあり得ないんですけどぉ？
猛烈な速度で空洞を潜り抜け、はぁ～助かったと思いきや――
360度ループで三連続で空洞を通り抜けた。
キャッキャとはしゃぐ夕日乃。
こっこの私が失神なんて事になったら大恥です。何とか意識は保ちました。
ちなみにアステロイド内での操艦速度は瞬間最大速度は秒速25kmを記録。弾道ミサイル並です。
これは推測ですが、彼女は空間認識能力の他にも、何らかのオーバースキルを持っているのではないかと考えられます。
リアシートの私の胸に寄り掛かりながら、満足げな表情を見せる恐るべき幼女。
いや、そろそろ少女か。はぁ～この先、どれだけ私は驚かされるのでしょうか。
「最初からもう一回っ」
「やめてぇ～～っ！」
流石にご勘弁をと談判しようとした時、急にピクリとして周囲を見回す夕日乃。
「あっ！ またなんかいる！」
「え？ 何？ 夕日乃？」
これで何度目だろうか。また私のレーダーが捉えられない何かに夕日乃が気が付き、じっと一点見つめる。今回は操艦が出来るので、そこへ行く事が出来るのだ。
「あ、いなくなった」
艦首を向けた途端にその何かは姿を消した。一体何なのだろうか。
ふと何か思い当たる……まさか。
「じゃあ続きする」
「え」
