福寿草
マスター達と別れて十数分、来賓もほとんどがビルの中へと消え、中庭はたくさん植えられているタラヨウの木で森閑とした雰囲気を呈していました。そんな中庭の一角で遺憾なく清涼剤ぶりを発揮している噴水を眺めていると手に持っていた携帯端末がぶるりと震えます。マスターからです。
『二回戦勝利したぞ、途中ハプニングも有ったけどな』
絵文字も無く淡々と綴られたそのメールを見て安堵のため息が思わず出てしまいます。大会が終わればマスターは帰ってしまう。ここで負けてしまうとマスターとの学園生活が終わりを迎えてしまう。そんな事ばかりを考えていた私に一時の平穏が訪れました。
「電話………してみましょうか」
マスターの声が聞きたい。その一心で私が手にしているスマートフォンを操作していると悪寒の走るような聞き覚えのある声が私の名前を呼びました。
「いやぁ、ひとり? 奈瑞菜ちゃん?」
腰まで伸びた薄茶色の髪に中性的な整えられた顔、木田くんです。その隣には大柄でAクラスにしては珍しく黒髪短髪の男性がただ静かに立っていました。
「見ての通りですが」
「まあまあ怒らないでよぉ。僕らの仲じゃない」
この男はあの時から何も変わっていません。いえ、最近はアプローチもしつこくなったように感じます。私は彼に目もくれずマスターと連絡を取るため一度止めた指を再び走らせました。
「無視しないでよぉ。何してるのぉ? 愛しのマスターとメールでもやり取りしてるのかなぁ?」
「鬱陶しいです。近寄らないでください」
「やっとこっち向いてくれたぁ」
思わず反応してしまった自分に腹が立ちます。私はその場を去ろうと座っていたベンチを立ちました。
「ちょっと待ってよぉ。何処行くのぉ? お話しようよぉ」
「あなたと話すことなんて有りません」
私がそう言い捨てて足を踏み出すより早く彼がポケットから何かを取り出しました。
「何故それを持ってるんですか……!」
彼の手にしたそれは小さなピンク色のリボンが付いた見覚えのある透明の包装ビニールです。それには試行錯誤を尽くして今朝ようやく形を成したマスターに渡す予定のクッキーが入れてあります。 本当はお昼休みに渡すつもりだったのですが早めに切り上げてしまったため渡せずにいたものでした。
「話をしよう。奈瑞菜ちゃん」
「………何が目的なんですか」
「ちょっとお願いが有るだけだよぉ」
それをお願いとは言いませんが私は黙って彼の要望を聞く姿勢に移ります。
「率直に言うとねぇ、奈瑞菜ちゃんに次の試合降りて欲しいんだぁ」
「何故ですか?」
「簡単さぁ。勝てないからだよぉ、君以外なら勝てるけどねぇ」
私はその台詞に言い知れぬ違和感を覚えました。
「あなた、学園のイベントで勝ちに固執するような人でしたか?」
物事を斜に構えたような人だったはずです。そこまでして勝利を収めてもメリットなんてたいしてないでしょう。
「そうだねぇ。大会自体には興味は無いけどぉ。君のマスターには絶対負けたくないんだよねぇ。Bクラスに優勝されるのも嫌だなぁ」
だったら正々堂々勝負したらいいじゃないですか。とは言えませんでした。私達も似たような事をしていますから。
「あまり君にこんな事はしたく無かったんだぁ。奈瑞菜ちゃんに嫌われるのは嫌だからねぇ。野球の時もロジンバッグに仕掛けを施したり、バレーも五人以上がCグラウンド以外に居るように指示なんかもしたんだけどぉ」
彼は臆面もなくそう私にそう話します。
「……そうですか。ですがそのクッキーにそこまでの価値は有りませんよ」
勿論嘘です。眉ひとつ動かさずそんな虚言を吐いた事に自分でも驚きました。マスターの影響でしょうか。
「そんなこと無いと思うけどぉ。だってコレ見せたら奈瑞菜ちゃん立ち止まって僕の話聞いてくれたじゃん」
「………気まぐれですよ」
「そうかなぁ」
私はそんな顎に手を当てて考える素振りを見せる木田くんの隣を通り過ぎます。その時私は彼の制服の端を軽く摘まみました。これで翠感使用条件はクリアです。私の翠感は手で触れた人を催眠状態にさせる能力。
「それ、返してください」
私はくるりと回れ右して彼の背後から指示を与えます。
「やっぱり其なりの価値が有るじゃないかぁ」
彼はそう言って決して私にそれを渡しはしませんでした。
「な、なぜ――――」
「セイタカアワダチソウを知ってるかい? 奈瑞菜ちゃん」
私の言葉を遮って木田くんはそう問い掛けます。セイタカアワダチソウ………以前マスターから聞いたことの有る名前です。
「………確かゴールデンロッドハニーと呼ばれるハチミツを作るための花粉をもった植物ですよね。それがどうしたんですか」
そのため養蜂家からは重宝されるそうですが特有の臭いが有るため日本ではあまり食べられないのだとか。
「よく知ってるねぇ。でもそこじゃあないんだよぉ。キク科アキノキリンソウ属の多年草―――――セイタカアワダチソウというのは明治時代末期に持ち込まれた帰化植物でねぇ。日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれた要注意外来生物なんだ」
彼はそれに続けました。
「その理由というのがぁ。アレロパシーって呼ばれる根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出す事なんだよねぇ」
「何が言いたいんですか」
「彼だよぉ。かれぇ」
彼というのは隣に佇む青年の事らしく木田くんはポンと彼の肩を叩きます。
「セイタカアワダチソウを用いた翠感がどんな効果をもたらすか知ってるぅ? 知らないよねぇ。それは“翠感の無効化”奈瑞菜ちゃんの能力が僕に通じなかったのはそういうこと」
木田くんの言っている事が本当かどうかは分かりません。ですが通じなかったのは事実。ここは戦略的撤退しかありません。クッキーの事は諦めます。目前に迫った優勝と私情を天秤に掛けるわけにはいかない、そう思って走り出そうとしたところ此方に走ってくる影を目の端に捉えました。
「はぁ……はぁ」
肩で息をしている様から急いでやって来たのがよく分かります。色素という色素が真っ白に染まっているような綺麗な肌に髪、その特徴的な朱色の眼は見覚えが有りました。以前マスターが連れてきた男子生徒です。
彼は息を整えると私に視線を向けました。
「奈瑞菜さん。これを」
そうやって差し出されたのは今ほど諦めた私のクッキーでした。状況を確認するために回りを概観すると一体の木目の肌を持った小人が白髪の青年の隣に立っています。
樹人『トリエント』です。
「おいおい何してくれてんだよぉ。お前」
「うるせぇ。木田、てめぇには借りが有るんだよ」
「借りぃ? ん? お前白山かぁ。なんで意趣返しにでも来たかぁ?」
おかしい。なぜ彼の樹人は消えないのでしょうか、そう思ったのも束の間トリエントはボシュッと音を立てて蒸気となります。その間セイタカアワダチソウの彼は首ひとつ動かしていませんでした。 動かしたのは眼球だけ……この状況で先程と違うのは白髪の青年が死角から視界に収まったこと、発動条件は“彼の視野に居ること”なんでしょうか。真実は定かではありません。『高木層』は翡翠色の光を出さずに能力を使える人も沢山いますし。
「なっ!」
白髪の彼は狼狽えます。その隙を木田くんは見逃しませんでした。樹人の突然の消滅に体をのけ反りながらバックステップするものの木田くんの手が回避する足に触れてしまいます。
木田くんの条件も私と同じです。これで白髪の青年は木田くんの管理下に置かれてしまいました。
「残念だったなぁ」
木田くんの笑みは抑えきれない陰鬱とした彼の感情を横溢させたようなものでした。
「おらぁ!」
彼は青年を横にさせると容赦なく腹部を蹴りあげます。何度も何度もそれは続き、遂には肺に骨が刺さったのか喀血を起こしてしまうまでに。
「もうやめてください!」
「あ? 奈瑞菜ちゃんまだいたの。もういいよ、クッキーも持ってかれちゃったし。テニスは勝てないだろうからコイツでそのストレスを解消させてもらうよ」
彼は言いながら蹴り続ける。その言葉が本心でないことは明らかでしたが私は言わざるを得ませんでした。
「分かりました。私は三試合目には参加しません。だから彼を解放してください」
私の台詞に木田くんは顔を綻ばせます。
「ほんとぉ?」
「………はい」
彼はごろごろと足で青年を転がすと、
「喀血してるけど肺や臓器が破れないよう翠感で指示してあるから大丈夫だとは思うよぉ。一応、早く御形ちゃんに治してもらったほうがいいけどねぇ。じゃあまた後で、もちろんこの事は誰にも話しちゃだめだよぉ? あ、これ貰っていい?」
そう言って答えを待たずに私の手からクッキーを奪っていった彼は満足そうにその場を後にしました。
*****
タラヨウの木を見るといつも昔を思い出す。七人を召喚した時の事、初めてマスターと呼ばれた日も未だ記憶に新しい。タラヨウの葉は肉厚で20センチほどもある長楕円形をしており、その縁は鋸のようになっている。日本ではその葉に経文を書いたりと葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、葉書などもここから来ている。
人間界と精霊界の連絡手段もこのタラヨウの葉を使ったハガキでやりとりされる。
当時、小学生だった僕はそのハガキに書いてある内容を読んで早急に彼女達を召喚したのだった。
七人は病に犯されていた。
と言っても只の風邪だ。だが、精霊界では風邪は治せないらしく人間の医者に診せてやって欲しいという切実な願いがそこに書かれていた。宛名は彼女達の母親らしかった。治療方法を探している最中、召喚術を行使できる僕を見付けたのだとか。
僕の家に来て七人の病状はすぐに回復していった。
『あなたはだれ? 私たちを家に帰して』
それが奈瑞菜の第一声だ。
それからというものよく笑顔で振る舞う彼女達だがそれが僕に向くことは無かった。召喚した理由を話そうと思った事も有るが言ったところでどうにもならない。僕は樹人を召喚、送還することから始めた。それが成功したのは中学校卒業間際の事だ。勿論、精霊でも送還が可能かどうか試していた。結果は可能。それを伝えようとその日の内に僕は彼女達の通うこの学園の校門で七人を待っていた。
『奈瑞菜ちゃんはさぁ、翠感なんで使えないのぉ?』
校門の側で立っていると無駄に拗音の強調させた独特な話し方をする少年の声が聞こえる。
『別に……』
その頃は未だ奈瑞菜は翠感を発現しておらず、その容姿から校内の人気は高かったが奇異に見られる事も多かったらしい。
確か……校門の前でその二人の会話はまだ続いていた。それが終わるのを待っていた記憶が有る。
『確かさぁナズナって植物あるじゃん? 春の七草のぉ』
その台詞に奈瑞菜の眉がピクリと動く。
『知ってる? 花言葉ってぇ“あなたに私のすべてを捧げます”なんだってさぁ』
『だから?』
『奈瑞菜ちゃんの親ってそれをちゃんと考えてつけたのかなぁと思ってぇ』
『………だからなに? あまり人の親を馬鹿にしないでもらえる?』
不快さを隠そうともせず奈瑞菜は毅然と言い放ちその場を後にしようと足を踏み出すが、少年の言葉がその動きを止めた。
『前も言ったじゃん。奈瑞菜ちゃんさぁ僕と付き合ってよぉ、だって“あなたに私のすべてを捧げます”だよぉ? 此処で言う“あなた”って僕のことじゃない? ねぇ?』
この時の少年の顔はよく覚えている。卑俗、苛虐性を孕んだその表情は今でも鮮明に思い出せた。
『違うだろ』
それは僕の声だ。
その後何を言ったのかあまり覚えていない。少しその少年と会話をした記憶も有るが会話になっていなかった気もする。その日の帰り、僕は奈瑞菜に送還が可能だと伝えた。だが、不思議なことに彼女は帰りたいとは言わなかった。
奈瑞菜が翠感に目覚めたのはそれから少し経ってのことだ。確か炭みたいなクッキーを貰ったのもそれくらいだったかな。
今になって思い出した。どうやら僕はAクラス男子代表:木田正人と面識が有ったらしい。
僕は奈瑞菜の名前が表示されたスマートフォンの通話を切り三回戦の行われるテニスコートへ足を運びはじめた。




