晴れ一時雨
集合場所――――第三校舎B棟1ーB教室では今後の展開の説明と情報の交換が執り行われようとしていた。廊下には情報漏洩防止策として三鬼を配置させていて、翠感が使用可能なため完全とは言えないが信頼性の高いセキュリティシステムである。そんな端から見れば鳥籠のような教室では僕は最早、定位置となった教壇に立ち上がり、僕を除いたクラスメート30名に2試合目の試合運びの説明、指示を出すためその端緒として口を開いた。
「2試合目のバレーだがBクラスに勝ち目は無い」
その一言に教室内は狼狽しどよめきあう。そんな雰囲気の中、おさげ髪の少女が質問のため高らかに挙手していた。
「畦倉くん、それはどういう意味?」
「“バレーでは勝てない”という意味だ」
「それは、相手が経験者だから? でもそれは1試合目も同じだったよね」
委員長がクラスメートの疑問を代弁するかのように至極真っ当なレスポンスをしてくる。…………だが、1試合目と2試合目のバレーでは状況がまるで違う。
「1試合目は確かに経験者相手だったが勝てたのは他にアドバンテージが有ったためだ」
「………翠感か」
岡の低い声が僕の耳に届く。
「ああ、それに野球をしっかり把握していた。だから翠感でカバーが出来た。だが、2試合目は違う」
“違う”そう言い捨てる事が出来るのは今ほど耳に入れた影丸からの情報故だ。
「先ず、前情報としてこれ等のEクラスに関する情報を頭に入れて欲しい」
僕は一拍置いて此方に目を向け、耳を傾けるクラスメートに問題を問題と認識出来るための判断材料を与える。
「さっきも言ったがまず最初にアドバンテージが無い」
この台詞に異議を唱える者は一人として居ない。いや、厳密に言えば発言しないだけで心中ではこの言葉に疑問を抱いている者も少なくないだろう。BクラスはAクラスの次に『高木層』の数が多いからな。そう思うのも無理はない。
「Eクラスは間違いなくバレー部員を出してくる。しかもそのバレー部は全国五指に入る強豪、それにメンバー全員が『亜高木層』それもバレーにしっかり方向性を見出だした翠感の使い手だ。1試合目なんてまともに翠感が機能していたのは代表生徒二人だけ、それなのに途中苦戦を強いられたんだ。そのうえ野球に比べてチームプレーの要求が多すぎる。普通に考えれば僕らに勝機は無い」
そこまで言ってようやく事態が把握出来たのかクラスメートは押し黙る。
「けど、この大会にはもうひとつ勝利する方法が有るだろう? そいつを利用するんだよ」
「……不戦勝」
誰かが呟く。
「そういうことだ」
ここで言う“不戦勝”とは情報、翠感、人材を駆使した結果得られる勝利であり、試合の延長線上にあると言ってもいい。もちろん、剣道で試合前にわざと相手の足を捻挫させたりフィギュアスケート選手の靴に画鋲を仕込んだりといった姑息でモラルの無い手段を取るわけではない、僕らが行うのは姑息だがルールに沿った妨害行為である。
「手順を説明する、よく聞いてくれ。バレーの試合が行われるのはCグラウンドだ。出席番号1~20の生徒は菘を中心にCグラウンドに移動、そしてあるタイミングで菘が一帯に豪雨を降らせる。この時、約20名の生徒はその場を離れないでほしい。狙いは試合会場をCグラウンドから格技場に移すことだ」
「そして影丸、奈瑞菜は僕と行動、残りは岡と一緒に格技場近くで待機だ。試合場所変更の放送が流れるはずだからそれを合図と考えて格技場に移動してくれ。最初から格技場に居たら怪しまれるからな」
「だいたいこんな感じだ。追々、指示は与えるが何か質問は有るか?」
「はい、マスター」
言下に疑問をぶつけようとしているのは奈瑞菜だ。視線を彼女の方に向ける。
「それは確か、菘の雨はあくまで“不戦敗しないための手段”でしたよね? それに今となってはそれは意味を成さないのでは?」
そう、あの時僕は撫子の『不戦勝』という提案にまだそれに至るための因子が足りないと分析した。問題だったのは“時間”『不戦勝』のための条件とは試合開始時間までに相手チームを試合場所に来させない事だ。だから例え、午後1時から始まる試合を二十分後に遅らせたところで試合場所を知っている僕らにメリットは無い。奈瑞菜はそれを言いたのだろう。
「確かに試合場所が分かっている以上、わざわざ雨を降らせて格技場に移動させる意味は無い。ただ、それは奈瑞菜の言う通り“不戦勝しない”ための手段で『不戦勝』を軸に考えた場合、試合をする位置情報を有している事を前提にこの“Cグラウンドから格技場に試合場所を移す”という行為は意味を成す。もちろん、それだけでは足らないから他にも手は打つけどな」
言葉尻に「それについても具体的な説明は後でする」と加えて奈瑞菜からの問いに答えた。
「それはそうと、現在時刻は12時20分だ。先程言ったクラス番号20番までの生徒は菘とCグラウンドで待機。目的はルールにそぐわない程度に相手チームの移動を阻止すること、以上だ。移動してくれ」
阻止と言っても雨を降らせている中その場に居てくれるだけでいいんだけどな。そうなればEクラスもじっと放送での指示を待つだろうし。
「…………了解」
「では行きましょうか」
「雨に濡れるの嫌なんだけど……」
「ほら撫子、行くよ」
「はぁ……」
菘が一言そう呟いて教室を後にしようと席を立つ。ちなみにその二十名には委員長や芹、撫子、御形も含まれている。代表生徒の情報はおそらく相手には漏れていないはずだから高木層を集めるだけで信憑性は上がるだろう。
****
12時40分
5つの棟と高層ビルの間に有るいつもは清閑とした中庭は人で溢れかえっていた。その中で幾分か静けさの感じられる木漏れ日も相まって麗らかといった様相の噴水周りのベンチに腰を下ろす。そんな僕を正面から見つめるのはポニーテールがチャームな女子生徒と黄色いバンダナを頭に巻いた青年だ。
「私達は何をするんですか?」
「……隣に同じ」
僕はその二人の問いに対して簡潔に簡明に答えた。
「放送室への侵入と情報の操作だ」
物騒な物言いだが要約すると僕らの行動目的は其である。ただ説明も無しにそう言い放った為か二人は怪訝な面持ちでいた。
「放送室、侵入、操作………」
奈瑞菜がその単語を反復する。その隣では影丸が少し考えたあと下げていた頭を上げる。
「…………Cグラウンドへの情報を遮断するということか?」
「そういうことだ」
“情報”とはもちろん、試合場所の変更を知らせる旨の事だ。奈瑞菜もそれに気が付いたのかなるほどと小さく頷いていた。
「あ、でも担当の先生が先に知らせることも考えられますよ」
担当の先生というのは各試合に立ち会う監督を任された教師の事を指す。試合の直前になって現れるのだが緊急時に職員室に連絡を入れて事態を収拾させたり等の責務を負っている。Cグラウンドにも様子を窺っている教師が居るはずだ。
「大丈夫、それも考慮してるよ。事前に手回しも済ませてあるからな」
「手回し?」
奈瑞菜が首を傾げる。
「ああ、影丸に携帯と無線をくすねてきてもらった。これで職員室に連絡を入れるのは不可能だ」
「でも、通信手段は抑えても担当の方が職員室まで足を運べばいいだけの話ですよね」
僕が制服のポケットから教師のスマートフォンと球技大会用に配られた無線をチラリズムさせると奈瑞菜はそう言った。くすねた事については何も言及しないのな。
「だから職員室の有るこのビルの前で張ってるんだよ」
「………どういうことだ?」
「僕らの目的はCグラウンドに放送を通さないこと、その放送室は職員室からじゃないと入れないんだよ」
「……その教師を利用して侵入するというわけか」
「理解が早くて助かる」
奈瑞菜はそんなやり取りの外で未だ分からないといった面持ちでいた。そんな彼女に説明しながら計画を再確認する。
「つまりだな、あと数分後にまず菘に雨を降らせる。これが12時50分前後、それから状況の確認と試合場所の変更のため直接職員室にやって来た教師の影に身を隠して職員室に侵入するわけだ」
「影に?」
奈瑞菜は影丸の翠感が何かよく知らないからな。その台詞に疑問を抱くのも無理はない。
「…………俺の翠感で第三者含めて影に潜める。職員室には生徒は入れないしセキュリティも厳重だ………この方法しかない」
より詳しく言うと職員室というよりこのビルに入るとこと事態が禁止されている。確か来賓客の対応に失礼の無いよう徹底するためだとか。ちなみに仮に無理に入ったとしてガードマンに止められて終わりだ。
「そしてCグラウンドには放送は入れずにおけば不戦勝はほぼ確実だ。20分延ばすわけだから試合が開始する時間は13時20分、その旨を伝える放送は流れず、例え担当の教師がCグラウンドに伝えようとしても此処からCグラウンドまで10分は掛かる。放送を流す時間が13時だとして10分後にCグラウンドに着いても開始時間は13時20分だ。それまでに此処より遠い格技場に到着するのは不可能。といった筋書きだ」
長くなったが早い話Cグラウンドへの放送さえ阻止すれば僕らの不戦勝となるわけだ。
「では、その放送室での情報操作というのは具体的にどうするんですか?」
「それは奈瑞菜の翠感で放送部員に暗示をかければいい“Cグラウンドには放送は流すな”とかな」
奈瑞菜の翠感は“洗脳”“催眠”といった類いのものだ。何かをさせないといったような簡単な暗示ならすぐに掛けられる。
「だからこの人選なんですね」
「ああ、僕は連絡をここで待ってるから。二人で頑張ってくれ」
「え? マスターは来ないんですか?」
「いや、行っても意味無いだろ」
何か不満げな奈瑞菜を余所にスマートフォン片手にした僕は一度周りに聞き耳立てている人間が居ないか確認する。辺りに生徒はまばらにチラホラ居る程度だ。まぁ問題ないだろう。そのまま菘に電話を掛けてスマートフォンを耳に当てる。しかし電話の呼び出し音というのは本当に不快だな。
『…………はい、マスター?』
呼び出し音が鳴って数秒で菘が対応する。
「菘、そっちの状況はどうだ? Eクラスの人間はどれくらい居る?」
『…………22人です、ただ代表生徒が二人とも揃っているかどうかは分かりません』
そうだったな、確か女子の方は分かってるんだが男子の代表が分からないと報告に入っていた。1クラス30人だから残り8人が自由に動けることを考慮しておいた方がいいな。そこに代表も含まれているかもしれないし。まあ多分男子代表もCグラウンドに居るとは思うけど。
「女子の代表は居るんだな?」
その問いに『はい』と二つ返事を受けてようやくその指示を出した。
「把握した。菘、とびきりの豪雨を頼む。範囲はCグラウンドのみだ」
『……了解です』
電話を切って空を見上げると暗雲が凄いスピードである方向に向かっていた。
****
岩山剛毅、1-B担任のその教師は丸太のようなバルクを備えた腕に競輪選手のような太股、その体躯から彼を見る人に巌といった印象を与える。そんな岩山先生の大きな影に僕ら三人は文字通り身を潜めていた。Cグラウンドのバレー試合の担当というのはこの教師の事だ。
…………というか、
「なぜ僕が………」
「いいじゃないですか、ただ待ってるだけよりも」
等と言っている彼女に影に入る際、無理矢理連れ込まれたのだった。しかしこの影の中というのはなかなかどうして悪くない。感触としては寝姿勢で綺麗なS字をキープ出来そうなスプリングのマットレスのようだ。そこに僕は座っている、おそらく奈瑞菜と影丸も同じような状況だろう。おそらくと言うのは視覚情報を教師と共有しているためだ。
「…………む、職員室に入ったぞ」
影丸の声が何処からか聞こえてくる。その声の通りビルを突き進んでエレベーターに乗り込んでいた教師は五階で降りると職員室とプレートに書かれたその部屋に歩を進めていた。その足取りは忙しい。因みに中はどこにでも有るような至って平凡な職員室だ。オフィスのような配置の机の上には雑多な書類が散りばめられホワイトボードにはプリントが貼り付けてあったりお知らせが書いてあったりと仕事の忙しさを物語っていた。そんな職員室で一人の女教師と目が合う。というか、彼女しかその場に居なかった。
『あら、岩山先生そんなに息を切らしてどうされました?』
その柔らかな声色の主は学年主任の女教師のものだ。ほわわんとした雰囲気は見る者を和やかにさせ学園内の人気も高いのだとか、歳はギリギリ20代だと聞く。緩やかなウェーブを呈したその髪型は茶色に染まっていて実年齢よりも若く見える。それよりも僕としてはその豊満な胸の間に通されているショルダーバッグの肩紐だ。その自然なパイスラッシュに目を奪われるのは僕だけではないらしく、教師の視線もそちらに向かっていた。
「………マスター、自重してくださいよ」
自重もなにも教師の行動なんだが。それから1拍置いて呼吸を調える岩山先生。
『Cグラウンドが雨で泥々になってしまいまして、来賓も居るので濡れないよう格技場に移動するよう放送を掛けて欲しいのです』
『まあ! たいへん! 分かりました、私が放送を入れておきますので岩山先生は担当の試合場所に向かってください。2試合目はバレーでしたから格技場で行うという事ですよね?』
『そうです』
岩山先生はぺこりと一礼すると踵を返して歩き出した。このままでは職員室を出てしまう。
「………出るか?」
「見たところ、職員室には学年主任しか居ない。今のうちに出よう」
「……了解」
影丸の了承の言葉が聞こえた途端、視点が変わる。どうやら影から脱したらしい。僕は職員室を足早に抜けていく岩山先生の後ろ姿を屈んだ状態で学年主任に見つからないよう背中を机に引っ付けて見送っていた、二人も同様だ。
「奈瑞菜」
小声で呼び掛け放送室の鍵を探す学年主任の背中を目で示す。彼女に暗示を掛ければ事は済むというわけだ。それを理解した奈瑞菜はゆっくりと近付いていくがそれを影丸が止める。
「………待て、影の中からでも翠感は使えるから安全策を取るべきだ」
「分かりました。取り合えず隠れましょう。こっちに戻ってきますよ」
小声でそんな話し合いをしながら教員の席の下に身を隠す。僕もそこに入ったため、中はとても窮屈だった。息苦しさを我慢すること数秒、足音が此方に向かってくる。
「鍵何処だったかな~?」
僕らが隠れたのは学年主任の席だったらしい。彼女が引き出しや机の上の物ををひっきりなしに動かしているのが振動に伝わってくる。その揺れは二つの巨峰にまで顕れていた。机の下からその揺れを眺めていると奈瑞菜が睨み付けてきたので影丸を急かす。
「あ、有った!」
それと同時に学年主任の声が上がり、そして影に潜り込んだ。
「奈瑞菜頼む」
「分かりました」
速やかに済まされるそのやり取りを通じて奈瑞菜の洗脳の末、ようやく放送室に入る。
「影から出ても大丈夫ですよ。私達を認識できないように暗示しましたから」
「…………把握」
そして本日何度目かの急な視点変更。
「これで何も無ければいいんだが………」
「マスターそれフラグです」
「………」
そんな会話が学年主任の前で交わされるが彼女は歯牙にも掛けず放送の準備を進めていく。放送室は六畳程の広さで機材が所狭しと並べられていて、その中のひとつである大きな机に有線マイクや音量等を調節すると思われる上下に動く黒いツマミがたくさん付いていた。その他にも“第三校舎A棟”Bグラウンド“格技場”と書かれたスイッチがそこに有る。もちろん、暗示通り“Cグラウンド”のスイッチはOFFになっていた。
マイクを前にパイプ椅子に座って学年主任は放送を始める。
『2試合目のバレー、B、Eクラス戦はCグラウンドにより行われる予定でしたが天候悪化のため格技場に移動となります。試合開始時間は1時20分です。試合開始時間までに準備の出来ていなかったクラスは不戦敗となります、くれぐれも御注意ください。繰り返します。2試合目の――――――』
僕はそれを聞いて肩の荷が下りたように安堵のため息を吐いた。
「取り合えずこれで僕らの仕事は了したわけだ」
「戻りましょうか、放送が終わったらビルから出るようにしてありますので」
そうして同じように僕らは影に潜り込み職員室から退却した。