秘術の一端
墓場を満たす業火の勢いが徐々に収まっていきました。無限に湧き上がると思われた炎が虚空に消えて、墓場には元の闇が戻ってきます。
「はぁ、はぁ……」
レイヴァンは額に汗を浮かべて地面に両手をついて体を支えました。彼は体内の魔力のほとんど全てを放出してしまったのです。これ以上の魔法の行使は彼の命にかかわります。
「レイヴァン!」
フィオは意識を保つのに精一杯の彼に駆け寄ると、彼の体に魔法を掛けました。
レイヴァンは自身の体調が急激によくなるのを感じます。疲労で動くのもままならなかった体に力が戻ってきたのです。使い切った魔力と、体力、気力までもが充実していくのを彼は感じました。その回復ぶりは、二カとの戦いが始まるよりも調子がいいと思えるほどでした。
レイヴァンは消えかけた炎に戻った魔力を注ぎ込み、目くらましを続けました。
フィオはレイヴァンに声を掛けると、彼の体調を確かめます。
「動けるか?」
「ああ、おかげさまで大丈夫みたいだ。……俺の体力はいつまで持つ?」
レイヴァンは自身の体調をフィオに問いかけました。
今のレイヴァンの体調は万全の状態に戻っています。フィオの魔法で体の時間が巻き戻されているのです。けれどもそれは一時的なものでした。魔法が解けてしまえば、再び動けなくなる事でしょう。
フィオは彼の問いかけに難しい顔で答えます。
「今回はかなり無理をしているからな……。十分が限界だ」
「そうか……。だが、動けないよりかはましか……」
レイヴァンは金の髪を掻きむしりながら顔を顰めます。けれども絶望した瞳は見せません。冷静さが戻ったフィオを見て勝機が確かにあることを感じていたのです。
そして、フィオがレイヴァンに声を掛けました。
「レイヴァン。お前は、……わたしに命を預けることが出来るか?」
フィオは不安そうな目で彼の目を見上げました。
フィオが二カを引きずり出すために練り上げた作戦は、レイヴァンを危険に晒してしまいます。一歩間違えば確実な死が待っていました。
二人が共に行動し始めて一ヵ月。二人が組んでの実戦経験はほとんどありません。
それでも命を預けられるのかとフィオは問いかけたのです。
一瞬、二人の間に静寂が訪れました。
わずかな逡巡の後、レイヴァンは不安そうなフィオに向かってゆっくりと口を開き――
二カは目の前で燃え盛る炎が消えるのを楽しみに待っていました。
一時的に炎が消えかけた炎が、再び元の勢いを取り戻すのを確認した事で勝利に近づいたのを確信したのです。
時間を巻き戻して体力を回復させる行為は、著しく体に負担がかかります。そんな魔法を何度も使う事は出来ません。
つまり、彼らの活動限界はもう近いという事でした。
対して二カは戦いが始まってから一度も傷を負っていません。このままいけば二カの勝利で終わるのは目に見えていました。
そして、ようやく炎の勢いが消えていきました。
力尽きてしまったのか? はたまた、何か策を思いついたのか? どちらにして二カがやることは変わりません。目の前の騎士と魔法使いを倒し、自分の力を誇示するだけです。
炎が宙に吸い込まれるように消え、姿を現した二人は戦意をみなぎらせていました。
二カは乾いた唇を舐めて笑います。その笑みは獲物を見つけた猛獣そのものでした。
「死ぬんじゃないぞ、レイヴァン」
「ああ、分かっている。そっちこそ」
二カは完全に露わになった二人に向けて、炎から逃れた亡者の群れを差し向けます。その間にも灰になった亡者の時間は巻き戻り、着々と復活を始めていました。
再び乱戦が始まりました。亡者たちはほとんど一方的にレイヴァンに切り伏せられていきます。しかし、数の暴力に押され、なかなか二カの元には進めないでいるようでした。
二カはその様子を見てほくそ笑みます。レイヴァンを殺すための魔法を構築する片手間に、彼を自分に近づけないように亡者たちに命令を下しました。
二カやフィオが使う時空魔法では魂にまで干渉できず、ゆえに死者の蘇生は不可能でした。
そこで二カは『死んだ魂の向かう先』を死体に埋め込むことで死者の蘇生を成し遂げたのです。たとえ、ソレが破壊されて魂が肉体から抜け出ても、ソレを再生させれば再び魂が引き寄せられるのです。
そして、その術式が今の圧倒的に有利な状況を作り出していたのでした。
バラバラに砕けて『闇の王』の呪いにも感知されないほどの微弱な魂。そんな不完全な魂でも死体を動かすには十分でした。
壊れた魂と術式のおかげで、二カは死体の操作に意識をほとんど割かずにこの大群を動かすことが出来ていたのです。
二カは姿を現した二人に向けて魔法を放ちます。
同時に、フィオがレイヴァンに警告の声を上げました。
「しゃがめ!」
フィオの警告を聞いたレイヴァンは即座に姿勢を低くし、亡者の足を切り裂きました。彼の首を落とすべく放たれた魔法は何もない宙をズラすだけに終わったのです。
二カは驚いて目を見開きますが、すぐに次の魔法を構築しました。レイヴァンの利き腕を切り落とそうとしますが、またしてもフィオの声が上がります。
「左!」
フィオの声とともにレイヴァンは左に飛んで空間の歪みから脱出しました。
二カは魔法で攻撃を防がないフィオに訝しげな視線を送ります。攻撃を防ぐだけならば、指示を出すよりも魔法で防御した方が確実で、遥かに対応しやすいはずでした。にもかかわらず、口頭で指示を出して回避するという危険な選択肢を取った理由を探ります。
そして、墓場全体に空間の歪みを感じた二カはフィオの狙いに気が付きました。
フィオは墓場ごとすべての亡者を吹き飛ばすつもりだったのです。大魔法の準備を進める彼女には攻撃を防ぐ為に魔法を使う余裕が無かったようでした。
二カは少しの焦りを感じました。亡者の時間を巻き戻すために多量の魔力を使い続けている二カには大魔法全てを防ぐ余裕はありません。
二カはフィオの魔法が完成する前に仕留めてしまおうと魔法を連打しました。
しかし、レイヴァンがフィオを抱き上げます。フィオの身体能力では避けきれないような攻撃でしたが、レイヴァンは彼女の体を担いだまま攻撃を避け続けました。
その間にもフィオの魔法は着々と構築されていきます。墓場全体が僅かに歪んで危険な魔力で満ち溢れていきました。
二カは無茶な行動に出たフィオ達の様子から、居場所を特定させなかったカラクリを見破られたことを悟りました。そして、フィオの攻撃を止めるのを諦めると、自分の身を守るための魔法を構築し始めます。
二カの阻害が止んだ事で、魔法の構築速度が上がりました。そして、フィオによって構築された暴虐の嵐が、ついに墓場に放たれます。
空間に亀裂が入り、墓場の崩壊が始まりました。空間に走った小さな亀裂は、すぐ近くに別の亀裂を生み出します。その亀裂がさらに別の亀裂を生じさせ、その亀裂がさらに次の亀裂を作り出し、空間が連鎖的に倒壊していきました。
当然、墓場にいた亡者たちはただでは済みません。空間の亀裂に巻き込まれた部分は次々に切断されていきました。構築された亀裂と亀裂の間は、せいぜい指一本ほどあるかないかの隙間しかありません。当然、全ての死体はバラバラに砕け散って墓場に鮮血をぶちまけます。
そして、ズタズタになった空間が元に戻った時、立っていたのは一人の人影だけでした。彼女は周囲の空間を固定してフィオの魔法を防いだのです。
フィオは荒い息でその人影に声を掛けました。
「はぁ、はぁ……ようやく見つけたぞ。二カ」
声を掛けられた人影は盛大にため息を吐きました。
彼女はフィオに語り掛けようとしますが、腐り落ちた喉からは風が抜ける音が漏れただけで、意味のある音が出てきませんでした。彼女は仕方なく自分の喉に手を当てると魔法を行使し、時間を巻き戻します。
そうやって紡がれた声は、しゃがれて聞き取りにくい声でした。
「……まさか、こんな力技で来るとは思いませんでした。ワタシの攻撃に晒され続けるリスクを負ってまで、すぐに蘇る死体を吹き飛ばすなんて」
そう言って、二カは腐った手で頭を押さえました。頭を押さえた衝撃で、二カの目がポロリと地面に転がります。
こうしている間にも死体は蘇り始めていました。フィオの放った魔法は亡者に対しては時間稼ぎにしかなってなかったのです。
けれども、ほとんど全ての魔力をつぎ込んだ大魔法は無駄ではありませんでした。おかげで二カの居場所を突き止めることが出来たのです。
全力で魔法を放って魔力が底をつきかけたフィオは、青い顔で吐き捨てるように言いました。
「お前が死体に化けていたお陰で、死体を全て同時に潰す必要があった。そうでなければ、こんな危うい真似はしない」
フィオは自身の時間を巻き戻して魔力を回復させながら二カを睨みつけました。
二カの体は朽ち果て、ボロボロの状態でした。他の亡者たちと比べてもほとんど違いがありません。
彼女は自身の時間を進めて死体の中に紛れ込んでいたのです。死体に掛けられた時間を操る魔法に紛れさせ、彼女自身に掛けられた魔法の気配を隠していたのです。
「さて、これでようやく対等だ。なぁ? 二カ。これで、ようやくお前を殺すことが出来る」
レイヴァンに抱き上げられていたフィオは、彼から離れて二カに向けて杖を構えました。レイヴァンも蘇りつつある死体に注意を向けます。
一方、二カは自分の時間を巻き戻しました。腐った死体から老婆へ。老婆から中年へ。そして、元の二十台ほどの年齢へ。
しかし、そうして元の姿を取り戻した二カは首を何度か横に振りました。
「いえ、今日はこれで終わりにしておきましょう。未来の断片が見えました。このまま戦えばワタシは死に、ワタシの死後に力を使い果たした貴方たちはこの子たちに食い殺されるみたいです」
「……そんな戯言を信じると思ってるのか?」
フィオが殺意に満ちた声を上げますが、二カは欠伸をしながら二人に背を向けました。すでに二カには戦意が無いようでした。
二カは退屈そうに言葉を紡ぎます。
「こんな、勝ったか負けたかはっきりしない終わりはワタシの好みじゃないんです。流石に二対一じゃ分が悪かったようですし……。ワタシは場所を移してまた研究の続きを始めようと思います」
そう言うと、二カは突然自分の指を喰いちぎりました。おびただしい量の血が流れ、その異常な光景にフィオとレイヴァンは言葉を失ってしまいます。
二カは口の中に残った肉を吐き捨てると、肌に刻まれた魔法陣にあふれる血を塗りつけました。そして、魔法陣が青白く発光し、光が二カの体を包みます。その魔法の効果に気が付いたフィオは二カに魔法を叩き込みますが、その全てを相殺されるだけの結果に終わりました。レイヴァンも剣を打ち付けますが、光に阻まれて二カには届きませんでした。
「それではごきげんよう。当代『時空の魔女』フィオ・ドゥリトル、『赫灼の騎士』レイヴァン。次に会う時までに考え直しておいてくださいね? フィオさん。今でも貴方とは同志になれると思っているんですから」
二カの姿が少しずつ薄くなってきました。二カの体に刻まれている魔法陣は転移の魔法でした。フィオは二カの転移を防ごうとしますが、即席ではない完成された魔法にまでは干渉できません。
二カは攻撃を続けるフィオ達に楽しそうに笑いかけて手を振り、そして、消えました。
二カが墓場から離脱すると同時に死者たちの体が塵となって消えていきました。二カが居なくなったことで、かけられた魔法が解けて元の死体に戻ったのです。
そして最後に、姿の消えた二カのメッセージがフィオの頭に響きます。
『楽しませてくれたお礼です。答えはあげませんが、ヒントだけは出しましょう。時空魔法で魂には干渉できません。ならば、初めから魂の宿ったモノを使えばいいのです。頑張ってくださいね、フィオさん』
フィオの体がビクリと震えます。
二カがなぜフィオに助言を残したのかは分かりません。けれどもその言葉には確かに慈しみの感情が籠っているようにフィオは感じました。