穢れた心
暖炉の火が手元を照らす中、二人の人影がテーブルにカードを並べて向かい合っていました。一人は少女、部屋の中にも関わらず、とんがり帽子をかぶったままの茶髪の変わり者です。もう一人は幼子、白い洋服を着た茶髪の女の子です。
髪の色が似ている二人は一見、姉妹のようにも見えました。しかし、ブラウンの瞳の少女に対し、幼子は真っ黒な瞳を持っていました。何より、幼子の態度がどこか、姉に対するものにしてはいささか他人行儀です。
「ねぇ、メアリさん。フィオ様はいつになったら帰ってくるの?」
白い幼子――スーは、手持ちのタロットをテーブルに広げながら目の前の少女に問いかけました。少女はニヤニヤと笑いながら、手に持ったカードをテーブルの上に叩きつけます。
「甘いよっ、スーちゃん! こっちの方が高い得点だよっ! また、あたしの勝ちっ!」
少女――メアリは大人げなく大差をつけてスーに勝利しました。メアリはゲームに夢中でスーの言葉を聞いていなかったようです。スーはじっとりとした目でメアリを見つめました。しかし、メアリは意図が読めなかったようで、首を傾げて間抜け面を晒します。
「あれ、スーちゃん、どうしたのかな?」
「ゲームにばっかり集中していないで話を聞いてよ、メアリさん」
スーはそっぽを向きながら、メアリに文句を言いました。イスが高く、床まで足が付かないスーは、ぷらぷらと足を宙にさ迷わせて不満そうにしています。しかし、メアリは拳を天に突き出しました。
「何言ってるのスーちゃん! ゲームはね、いつだって真剣勝負なんだよ!? 遊びじゃないんだよっ!? 他の事をしながらゲームに向き合うなんて、間違ってるよっ!」
「じゃあ、ゲームをやめて話を聞いてよ」
スーは、やたらとタロットによる対戦ゲームを仕掛けてくるメアリの事が苦手でした。手加減が全くないのです。また、ゲームに熱中すると周りが見えなくなるのです。何より苦手な一番の理由は、スーはどうしてもメアリに対する嫉妬が抑えられないからです。殺意とも言います。メアリは、フィオが屋敷を開けている間、自由に屋敷に出入りできるほどに信頼されていました。ギャンブルの腕前については一切信頼されていないようですが。
以上の事もあって、スーは必要以上にメアリの態度に腹を立てていました。気に入らない人間の行動は、些細なことでも気になるものなのです。
スーはゲームの合間にしつこくフィオの行方を訪ね続けました。そのおかげで、話をはぐらかそうとするメアリを打ち倒す事に成功しました。メアリはしぶしぶと言ったように口を開きます。
「……聞きたい事って、フィオの事?」
「うん。メアリさんは知ってるんでしょ?」
スーはまっすぐにメアリの瞳を覗き込んで問いかけます。メアリは居心地が悪そうに目を反らしました。
「あたしも、分かんないんだよ……ごめんね」
「……それじゃあ、フィオ様はどんなお仕事をしているの?」
普段のフィオは毎日のように屋敷に戻って来ていました。泊まり込みの仕事をする時は、帰れない期間を事前にスーに告げていました。けれども、今回は期間の指定がありません。こんなことは今まで一度もなかったのです。
初めての事に、スーの心はささくれ立っていました。スーは苛立たし気に、フィオがどんな仕事をしているか問いかけました。しかし、メアリの返事はスーの期待したものではありません。
「言えないわ。緘口令が敷かれているの。あ、緘口令っていうのは、話しちゃダメって王様に言われることね。だから――」
「……もういい」
スーは目に涙を浮かべながら立ち上がりました。メアリがスーに声をかけますが、スーは耳を押さえて聞こえないフリをします。そのままリビングを出て、自分用に割り振られた部屋に閉じこもりました。普段はフィオの部屋で彼女と一緒に眠るのですが、フィオが屋敷にいないため、最近はこの部屋がよく使われているのでした。
スーは毛布を頭からかぶって泣きじゃくります。フィオ様、フィオ様、フィオ様フィオ様。ひたすらフィオの名前を呼び、忘れてしまいそうな彼女の温もりを思い出そうとするのです。
そして、疲れていつの間にか眠りに落ちてしまいました。
夜の帳が降りたころ、スーはようやく目を覚ましました。ぼんやりとしたまま部屋を出ると、鼻をつく香りに誘われて台所まで歩いて行きます。台所にはメアリが作ったであろう夕食が『一人分』並んでいました。
「フィオ様、今日も帰ってこないんだ……」
スーは濁った瞳で並べられたお皿を眺め、一人でテーブルに着きました。
スー以外には屋敷の中に気配はありません。日中しかフィオの屋敷にいられないメアリはすでに屋敷を発っていました。スーは正真正銘の独りぼっち。いつもはスー抱きながら食事をとるフィオは音信不通で、屋敷に帰ってきていません。
「ぅっ……、ううぅ……」
スーは淡々と、スプーンを口に運びます。今日のスープは少し塩が効きすぎているように感じました。ぼろぼろと零れる涙が止まりません。皿が全て空になっても、スーは何度も、何度も何度も涙を拭いました。屋敷の皿洗いはスーの仕事です。けれどもこの日はなかなかテーブルから離れる気が起こりませんでした。
しかし、それは突然に訪れました。
「……? 足音……?」
屋敷の入り口の方から誰かの気配を感じたのです。
それに思い至ったスーは、勢いよく立ち上がりました。イスが倒れる事にも頓着しません。フィオ様、フィオ様、フィオ様。それだけがスーの頭を埋め尽くしていました。フィオが留守の間の屋敷には、フィオが許可した人物しか近づけません。そういう結界が張ってあるのです。スーは嬉々として屋敷の玄関に飛び出していきました。
「おやおや、活きのいいお嬢さんじゃないか」
「お兄さん……、だぁれ?」
スーが玄関にたどり着くと、そこには見知らぬ男が立っていました。漆黒の衣装を纏い、金髪をきっちりと整えた偉そうな男です。男は玄関に駆けてくるスーを見下すような目で見つめました。
「こんなのが、ねぇ……。まぁいい。私は『闇の王』の命でやってきた。貴様の同居人が何処にいるのか、何をしているのか、知りたくはないかね?」
「お兄さん、フィオ様の居場所を知っているの?」
「ああ、知っているとも。今、彼女は王国中を旅している。ここ一ヵ月ほど、一人の男と一緒にだ。どうだ? 同居人の居場所に興味はないか?」
男は見上げるスーの瞳を覗き込みます。顔と顔が今にも触れてしまいそうな距離です。口元から『牙』を覗かせる男の吐息が、スーの頬を舐めるようにくすぐります。スーは男の真紅の瞳に恐怖しました。
しかし、それよりも強い感情がスーにはありました。
「……ずるい」
「ほぅ?」
スーの口から、ポツリと言葉が漏れました。それは、怨嗟に満ちた禍々しい声でした。男は面白そうに表情を歪ませます。そして、スーは泣きながら絶叫しました。
「ずるいッ! ずるいよ、そいつッ! フィオ様はスーのなのにッ! 何で!? 何でフィオ様がお仕事しなくちゃいけないのッ!? 他の人がやればいいじゃんッ! スーからフィオ様を奪おうとしてるんだッ! 死んじゃえ、死んじゃえっ、死んじゃえっ! フィオ様はスーのなんだっ! 返せっ! 返せよぉッ! 返してぇッ!」
スーの心は決壊してしまいました。必死に押しとどめていた思いが、涙と共に溢れ出します。呪詛に似た思いが、感情が、遮るものもなく口をついて溢れ出したのです。スーは男のズボンを力強く握りしめました。
「お兄さん! フィオ様の場所が分かるんでしょうッ!? スーをそこまで連れてってッ! フィオ様は……フィオ様はスー以外を見ちゃいけないんだ!」
スーは涙を流しながら見知らぬ男に懇願します。男はしゃがんでスーに目線を合わせると、ゆっくりとスーを抱きしめ、耳元で囁きました。
「ああ、いいだろう。その願い、この『第二柱』『夜の長』ダミアン・デュークが叶えよう」
「……本当?」
「本当だ。だから――安心して眠るがいい」
そして、男――ダミアンはスーの首筋に牙を突き立てました。スーの首からは血の滴が流れ落ち、地面を濡らしました。
「はっ……、ぁっ……、ふぃぉさま……」
スーは体がピリピリと痺れるのを感じました。視界はぼやけ、焦点が合わなくなってきました。
何もない虚空に向かってスーは必死に手を伸ばします。まるで、そこに求める者があるかのように。
そして、スーは意識を手放しました。
「これは……」
翌日、フィオの屋敷を訪れたメアリは困惑の声を漏らしました。屋敷の扉が開きっぱなしになっていたのです。屋敷の中にもスーの姿は見当たりません。
メアリはすぐにスーの捜索に着手します。
スーはフィオに拾われてから、一度も外に出たことがありません。スーは外の世界を極度に恐れていました。
スーが自分から外に出たとは考えられません。それほどまでにスーは閉じた世界に生きていたのです。
メアリはスーが攫われたと考えました。けれど、奇妙な事がありました。屋敷の結界は、破られてなかったのです。