濁った瞳
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続きを書いてて思います。頭おかしい。
――フィオ様っ、フィオ様っ! 魔女様が死んじゃった! 何で、何で?
――なんだ、まだ絵本の途中じゃないか。彼女の物語は、まだ半分も終わってないぞ?
――でもでもフィオ様! 死んじゃったら全部なくなっちゃうんでしょ? フィオ様もいなくなっちゃうの?
――そんな事はないさ。死んだ魂は愛するモノの『心臓』に宿り、そして、いつまでも、いつまでも残り続ける。次々と人の心を渡り歩いて、魂は延々と受け継がれていくのさ。
とある王国の領土の端、世界の果てに最も近いと言われる森に、二人の人間が住んでいました。
一人は少女。白いローブを纏い、痛々しいほどの鮮やかな紅い髪の魔女でした。眼つきは悪く、彼女に会った者は睨まれていると勘違いをしてしまいます。彼女は王国の民に『時空の魔女』と呼ばれ、畏れ、敬われていました。
もう一人は幼子です。童は時空の魔女とお揃いの白い洋服を着せられていました。パサパサの茶髪とくりくりの黒目は、魔女の屋敷を訪れる者に癒しを与えています。
「フィオ様! フィオ様! おかえりなさい!」
「ああ、ただいまだ。いい子にしていたか? スー」
「うん! スーはいい子にしてたよ!」
森の中に小さな屋敷が佇んでいます。白いローブの少女が扉を開けると、小さな女の子が少女のお腹に抱きついてきました。童女は少女を見上げると、八重歯をみせて笑います。少女は悪い目つきを柔らかくして、微笑みを返しました。
フィオと呼ばれた少女は、スーを抱き上げると屋敷の中に入っていきます。
廊下を歩いていると、書斎の扉が開けっ放しであることにフィオは気が付きました。スーは「しまった!」というように顔を青ざめさせました。
書斎を覗き込んだフィオは絶句します。積み上げられていた書物が散らばり、資料の山が床に倒れていたのです。スーはビクっと体を震わせ、フィオの顔を見上げます。
「ごめんなさい、フィオ様……。お掃除しようとしたら、倒れちゃったの……」
「そうか。怪我は無かったか?」
「うん。痛いところはないよ……。怒ってなぁい?」
「怒ってないさ。ここは後日、わたしが片付けておこう」
フィオは微笑みながらスーの頭を優しく撫でます。スーは穏やかなフィオの表情を見て安堵の息を吐きました。フィオは仕事に持ち出していたカバンを書斎に放り出すと、書斎の扉をゆっくりと閉じました。
「でもでも、フィオ様。フィオ様はお片付けできないでしょ? メアリさんが言ってたもん」
「メアリのやつ余計なことを……。ならば、後の事はメアリに任せようじゃないか」
フィオはスーのまっすぐな瞳にたじろいでしまいました。生来、フィオは片付けというものが大っ嫌いだったのです。フィオは使う度に物を棚から引き出すのならば、初めから手の届く場所において置けばいいという考えを持っていました。ゆえに、家の片づけはスーや、フィオの友人のメアリが行っていました。
「フィオ様、フィオ様! スーねっ、絵本の続きを読んでほしい!」
「わたしが仕事に出ている間、メアリに読んでもらわなかったのか?」
「だって、フィオ様に読んで欲しいんだもん! ……迷惑だった?」
「いいや、わたしもスーに頼られて嬉しいぞ。スーと過ごす時間は心が洗われるようだ」
フィオは首をゆっくりと振って迷惑ではないとスーに伝えます。スーは嬉しそうに微笑みました。フィオはスーの笑顔だけで、仕事の疲れが吹き飛んでいくのを感じます。スーの存在だけが、フィオの心の支えになっていたのです。
「夕食にしようか、スー」
「うん! 今日もメアリさんが作ってくれたんだよ!」
「本当にメアリには頭が上がらんな。さぁ、冷める前にいただこうじゃないか」
フィオはスーを抱いたまま、書斎を後にしました。
二人はメアリが食事を用意した台所に向かいますが、ちょうどその時、屋敷の外から何やら物音がしました。
どうやら、誰か人が来たようです。屋敷の扉が力強く叩かれます。
『ドゥリトル様! フィオ・ドゥリトル様はいらっしゃいませんでしょうかッ!?』
「……なんだ。不躾な客だな。先に台所で待っていてくれないか?」
フィオはスーに表情を見られないようにしながら、不機嫌そうに呟きました。フィオは、スーを優しく床に降ろすと、ドンドンと激しく叩かれる扉の元に向かいます。そして、乱暴に扉を開けると、客人を睨みつけました。
「うるさいっ! そんなに強く叩かなくても聞こえている! もっと静かに出来んのかッ!」
「ひぇっ!? ごめんなさいっ!?」
扉を叩いていたのは、フィオの見知らぬ若い男でした。しかし、彼の着ている制服には見覚えがありました。彼の着ている服は、王宮に努める騎士見習いの物です。つまり、フィオの務めている職場からの使者ということです。
「あ、あなたが『時空の魔女』、フィオ・ドゥリトル様でしょうか……!?」
「ああ、そうだが……。それより騎士見習いがどうしてここに? わたしは仕事から帰ってきたばかりなのだがな……」
フィオは不機嫌そうに若い騎士見習いを睨みつけました。頼りなさそうな若い騎士は、フィオの眼力に怯えて体を震わせます。それでも、職務を全うすべく、フィオに言づてを伝えました。
「緊急事態なんですっ! 申し上げにくいのですが、今すぐ王宮に来てくれと……。これは、王直々の召還なんですっ!」
「なに……?」
フィオは内容の深刻さに眉を潜めました。王直々の召還など、王宮に使えて以来、初めての事でした。それほどまでの緊急事態なのでしょう。フィオは準備を整えるべく、書斎の中に一度戻ります。
「フィオ様……?」
「すまない、スー。急な仕事が入ってしまった。悪いがゆっくり夕食をとっている時間は無くなったようだ」
スーは慌ただしい物音を聞いて、台所から顔を覗かせます。その瞳が不安そうに揺れていました。
フィオは書斎から出て台所に入ると、テーブルの上に並べられた夕食を見つめます。テーブルの上には、ステーキと溶けてから固まったチーズ、それにパンとスープが蓋をされて置かれていました。
フィオはカバンの中から短杖を取り出して、軽くテーブルを叩きます。すると、テーブルの上に黒い魔法陣が浮かび上がりました。それを確認してからフィオはスーに向き合います。
「これでテーブルの上の時間が巻き戻り、出来立ての状態に戻るだろう。わたしがいない間、火はメアリがいる時にしか使ってはいけないよ。……今回はいつ帰ってこれるか分からない。わたしが帰ってくるまで、いい子で待てるか?」
「……絵本はどうなるの?」
「……すまない。続きが気になるなら、メアリに読んでもらってくれ。屋敷に結界を張っておくから、わたしが許可した者しか入れない。ここにいれば安全だよ、スー。それでは行ってくる」
「あっ……」
スーはフィオに向かって幼い手を伸ばします。けれどもフィオは振り返りません。スーの悲しそうな顔を見てしまえば、屋敷を離れられる気がしなかったのです。
スーは「行かないで」とフィオに懇願しようとしました。けれども、スーの口から言葉が発せられることはありませんでした。スーは怖かったのです。フィオを困らせることが。
スーはフィオが急に入った仕事に乗り気ではないことを知っていました。何故なら、スーに話しかけるフィオは本当に申し訳なさそうだったからです。
スーは台所にあったイスを窓の下に置き、イスの上に載って外を覗き込みました。馬に乗って騎士見習いの男と並走するフィオを見つめます。
スーはフィオを責めません。仕事を持ってきたのはフィオではないのですから。
スーはフィオを責めません。フィオはスーと過ごしたいと言ってくれたのですから。
スーは騎士見習いの男に視線を向けます。決して、十にも満たない幼子がしてはいけない、濁った目で男を見つめます。
「……死んじゃえ」
スーは二人の姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと窓の外を見つめていました。