六
大学図書館の閲覧室で古泉は椅子に座って本を読んでいた。彼女がいる三階の閲覧室には文学関連の資料が並べられている。三十分ほどここで小説を読んでいるが、どうも内容に集中できない。何度も腕時計に目を向けながら読んでいた。
本を閉じて立ち上がり、元の場所にもどした。本棚の端まで移動し、著者名順に並べられた小説の背表紙を眺めた。タイトルを知っている本はたくさんあったが、蔵書全体から見たらほんの一部にすぎない。実際に読んだ本はさらに少ない。
小説の棚が終わると次はエッセイ、日記・紀行、ルポタージュ、ノンフィクション、その次が外国文学だった。世界名作全集の目次を見ているとき、階段の近くの柱の掛け時計が四時三分前を指しているのが目に入った。
慌てて本を棚に入れ、階段を下り、図書館を出て正面の坂を早歩きで下った。一階部分が自転車置き場になっている文化部棟に入り、二階の一つ一つの扉の上に掲げられたプレートの文字を確認しながら歩き、一番奥の部屋の前で立ち止まった。
早歩きで乱れた呼吸を整えて、扉に手を伸ばそうとしたときに古泉は気付いた。四時ちょうどに来る必要はない。
伸ばしかけた右手を鞄の口に持っていって、携帯電話を取りだした。メールを見ると「四時~七時の間」とあった。一度ついた勢いを削いでしまったので躊躇いがでてきた。写真部の部室の中からは話し声や物音は聞こえない。『写真部』と書かれたプレートを見上げながら、いっそ出直そうかと考えていると、横から声をかけられた。
「こんにちは。えっと、古泉さん」
部活動紹介の時に写真部のブースにいた女性だった。
「こ、こんにちは。名前、なんで、知っているんですか」
「写真褒めてくれたからね。印象に残ったんだ。ところで、入らないなら先に入るよ」
「いえ、私が開けます」
古泉は自分でも何を言っているかわからなかったが、おかしいと気付いたのは扉を開けた後のことだった。古泉は扉をかけながら、横開きの扉と共に横に動いた。そのため、部室の中からは、女性が扉に手をかけずにひとりでに開いたように見えただろう。
わけのわからないことをやらかしたおかげで、古泉は逆に落ち着いてきた。
「うむ、くるしゅうない」
女性は古泉の奇行に動じることなく、堂々と部室に入っていった。
「やあ二人とも。誰か……来てないようだね」
どうやら部室の中には二人の人がいるらしい。古泉は扉の影に隠れたまま、出るタイミングを伺っていた。部屋の中から別の女の人の声がした。
「なんだ、部長か。そりゃあ四時になったばかりですからね。さっきのは誰に言ったんですか?」
「え? あれ、古泉さんは? 古泉さーん、入っていいよ」
呼ばれたので、ようやく入り口に立った。部長と呼ばれた女性は振り向いていた。
「失礼します。日文一年の古泉蓮です」
顔をあげると中にいた二人の男女が挨拶を返してくれた。
「あっちが副部長の佐倉。で、こっちが次期部長の鷹見」
部長が奥にいる男の人と手前の女の人を示して言った。
「次期部長? 聞いてませんよ」
鷹見と紹介された女の人が部長に抗議するように言った。
「他にいないからね。だいじょーぶ、たいしたことないから」
「瑳内を見てるとつくづくそう思うな」
佐倉と紹介された男の人が納得したように言った。部長の名字は「さない」と読むことがわかった。
「そうですよ。部長はほとんど何もしないじゃないですか」
「いや、私はね、鷹見に次期部長としての経験を積ませるためにあえてそうしてるんだよ。断腸の思いで」
「えぇー」
鷹見は部長に疑わしげな目を向けた。
「そんなことはどうでもいいんだ。新入部員候補の前で内乱おこしてる場合じゃないよ」
「あっ」
三人はそろって古泉の方を向いた。
「いえ、おかまいなく」