一
目が覚めたとき、カーテンの隙間から光は差していなかった。
十分眠れたわけではないが、再び目を閉じる気にはならなかった。古泉は起き上がってカーテンを開けた。
日はまだ昇っていないようだった。しかし、真っ暗なわけではなく、空の色が薄いながらもわかるほどだった。わずかな日の光で窓の外の町が青く浮かびあがっていた。
寝グセを簡単に整えて、着替えて外に出た。四月とは思えないほど寒かったので、一度戻り上着を換えた。部屋の中から見たときの印象と変わらず、外は静かだった。車の音もほとんど聞こえない。町が動き出すにはまだ時間がかかるようだ。
目的地は特になかった。持ち物は財布と首からさげたカメラだけ。眠気覚ましのために外に出たついでに、引っ越して来て間もない自宅の周辺を歩いてみようと思った。
細い道を選んで歩いていると、何度も知らない場所に出た。来た道を戻らずにさらに別の道に進むと、また分かれ道があったりした。行き止まりに当たることはなかった。
だんだんと空が明るくなってきた。空の端は朝焼けの色に染まっていて、日を受けた雲はほのかに赤い。
空に目を向けていると、近くから猫の鳴き声がした。聞こえた方を見ると、白いワゴン車が停めてあった。鳴き声は車の下から聞こえたようだ。
猫を驚かさないように、静かに車の後方に回りこんだ。すると、彼女の足になにかが当たった感触があり、一瞬猫を蹴ってしまったかと思ったが、「うん?」という声が聞こえたので安心した。いや、安心している場合ではない。
足下を見ると、人がいた。寝そべっていて、胸から上は車の下に入っている。
茶色っぽい猫が逃げるように車の下から飛び出した。「あっ!」という声がして、その後に固いものがぶつかる鈍い音が聞こえた。車の下から這い出してきた白いジャージの女の子は、後頭部をさすりながら立ち上がった。
古泉はあわてながら謝った。
「すみません。足が当たってしまって……大丈夫ですか?」
「いえ、こちらこそ。こんなところで寝そべっていたせいですよ」
落ち着いてみるとそのとおりだと思った。車の下に人がいることを想定しながら行動するほうがおかしい。
古泉は白いジャージの女の子を見た。首からさげたデジタル一眼レフカメラは小柄な体格とは不釣り合いだった。中学生か小柄な高校生だと推定した。彼女は古泉のカメラに目を向けていた。
猫を撮るために車の下に潜るとはなかなかやる、と古泉は思った。
「ところで、猫はどちらに行きましたか?」
古泉は来た道を指さし、
「あっちです」
と言った。彼女はお礼をして、
「お互いにいい写真を撮りましょう」
と付け加えた。二人は逆の方向に歩き始めた。
家に戻るまでに何匹かの猫に会った。日が昇り、明るくなったのでちゃんと写すことができた。
この日は大学の入学式の日だった。