26・ゆりかごの外へ
明くる日、さっそく城塞へ撤収する。
サイ君とトウ君には空を飛んでもらって、さっさと帰る。
もちろん貴重な資源・食料も無駄にはしない。
(昨日倒したクマも持っていって~)
『はいよ、母ちゃん』
この日はサイ君に荷物を持ってもらい、トウ君に私、ミアちゃんとアトルくんが乗る。
二人には目を閉じていてもらうことにした。
ショック死の可能性を完全には否定できないので、念のため。
「ひゃ、ひゃあっ……!」
上空に移動すると声を上げて二人が私にしがみついてきた。
(ううむ、お母さん化が着実に進みつつある……)
いとこ達の子供と遊ぶことも多く、お子ちゃまには一応、耐性がある。
それでも言われた通り、健気に目をつぶったまましがみついてくるちびっ子に挟まれていると、ついきゅんきゅんしてしまう。
断じて変な意味じゃない。母性だ。
『お帰りなさいなの~母さま~』
『お帰りなさいませ~』
数日かかった道程をあっという間に飛び越え、数時間で城塞に到着した。
途中、ちょっと子供たちは寝てしまったようである。
下に下りるとすぐにナンさんとホクちゃんが出迎えてくれた。
『あ、母さまが抱えてるのがお土産なの?
ホク、お土産すごく楽しみにしてたの~』
(!!?
ち、ちがうッッこの子達じゃないッ
お土産はあっちのクマ!この子達はお客さんだから!食べ物じゃないから!)
『え?そうなの?』
そう言っていそいそとクマを運び入れようとするホクちゃんを尻目に、私はアトル君を抱き上げた。
(やれやれ……ナンさん、城塞の中でお湯を沸かしてくれないかな?
それからジャガイモとトウモロコシでおかゆを作ろうと思うから……)
『その子達に食べさせるんですわね。
かまどにも火を起こしておきますわ。
冷凍させた野菜ブイヨンキューブも用意しておきます』
いや~、ナンさん優秀だ。
ホクちゃんも優秀だけど、ベクトルが違うんだな。
などと思いながらミアちゃんとアトル君に声をかける。
「もう、目を開けていいよ」
目を開けると、二人はしゃっくりのような声を上げたまま呆然とした。
城塞をガン見している。
(うーん、どうやら目を閉じさせてのは正解だったみたいだね、城塞でこれじゃ……)
『母上、母上、この世界では誰でもそうなると思います。
この城塞は母上が改造しまくっているのを忘れちゃいけません』
(改造っていったって電気もガスも水道も通ってないよ?
あ、そうだ、エキナセアとヤギのバターと卵も用意しなくちゃ)
エキナセアはインディアンのハーブと言われ、免疫をあげる作用がある。
バターと卵は味の他に栄養を考えてのことだ。
『私が持ってきましょう、母上』
(お、ありがと~
エキナセアはアレルギーがあるかもだから、試しにちょっとね)
城塞に入るときに靴を脱ぐように言うと二人は不思議そうな顔をしたが素直に従ってくれた。
後で二人のために室内履きを作らなくちゃな、と思いながら中に案内する。
特にミアちゃんは周囲をきょろきょろ見回しながら入ってきたが、ガラス窓に近づくとそれをガン見したまま微動だにしなくなった。
巨大なハテナマークが頭上に見えるようだ。
私は思わず笑ってしまった。
「お湯をわかしてあるから、その石鹸で手と足と、顔を洗って。
着替えてまた少しごはんを食べてから、眠るといいよ。
アトルくんは長く休まなくちゃいけないけど、ミアちゃんは目が覚めたら温泉に入った方がいいね」
ミアちゃんはさらにハテナマークを飛ばしながらうなずいてくれた。
その後入浴、着替えは特に問題もなく終了した。
食事はスプーンを見たことがないらしく少しもたついたが、熱いおかゆを手を汚すことなく食べられるものだと説明すると納得して使ってくれた。
お皿を口元に持っていってスプーンでかきこむ形だったが、手づかみより食べやすいと喜んでくれた。
しかしトイレ。
トイレは引っかかった。というか混乱した。
「こ、こんなきれいな椅子にできません……ッ」
「いや、椅子じゃなくてね。これは便座って言ってね」
「でも汚しちゃいます……っこんなにきれいな椅子なのに……っ」
「いやいや私を助けると思って。資源になるから。
肥料になるから。後で野菜を育てるのに使えるから」
「そ、それにこの紙っていうの、見たこともないけど、貴重なものなんでしょう?
一度だけ拭いて捨てちゃうなんて……っ」
「その紙、タダだから。気にしなくていいから。それも肥料に使えるから。
あ、どうしても座って無理ならね、穴の両脇に足を置いてこうね、しゃがんでみたら?どう?」
長丁場の末、ようやくそれで使ってもらえた。
やれやれである。
就寝に至って私は毛玉と寝たいんだああと説得して、二人でベッドを使ってもらった。
私自身はその日は一階の広間にあるベンチをふたつ並べて寝袋とクッションを使って寝ることにする。
もちろん嘘でなく、いつものように毛玉たちを両脇に呼び込む。
そして思わず考え込んでしまった。
(ガラスはもちろん、石鹸、綿、卵、温泉、蝋燭、トイレ、紙、歯ブラシ、シーツ……そしてたぶん亜麻も見たことがない、と)
ガラス、石鹸、綿、トイレ、紙、歯ブラシは当然かもしれない。
だが卵、温泉、シーツは見たことがあるかもしれないと期待していたので残念だ。
蝋燭はランプの明るさ以前に夕方以降に明かりがあること自体を驚いていたから、やはり見たことがないのだろう。
亜麻を見たことがない、と分かるのは二人が着ていた服が目の粗い麻だったからだ。
同じ麻でも材質で料金が大分ちがう。
つまりミアちゃんたちは低い材質の麻しか着ることができない生活状況だということだ。
亜麻はもっと裕福なごく一部の層のものでしかないのだろう。
(とりあえず今使ってる日用品を増産、だな)
しかし、と思う。
ひとつ気になることがある。
アトル君がはいているズボンのことだ。……
* * *
次の日からさっそくできるものは増産していった。
木とあまっていた皮で室内ばきを。
やはり少し余っていた綿の布で下着、服。
これは二人とも体がとても小さかったので十分だった。
歯ブラシは柄を木で、ブラシ部分は馬になった毛玉たちの毛を失礼して少々。
柄にきりで小さな穴をあけ、DIY道具のステンレスワイヤーを二つ折にして穴に通し、そこに毛を通して穴に植え込んでいく。
ずっと以前、鍛冶場のおじちゃんの紹介で手作業の工場見学をしまくった甲斐があった。まだ覚えていた。
本来、非常に根気のいる作業なのだが器用なアニマルさんたちのおかげでさくっと終了。
力持ちで器用なんて最強ですね。
石鹸もさらに数個、ベッドも子供たち用にもう一台作った。
そして椿の木でしらみ取り用の目の細かいすきブラシを何種類か追加する。
アトル君の熱は数日で下がったので、毎日二人を温泉に入れた。
頭を重曹とラベンダー石鹸でよく洗い、すきブラシで根気強く梳いていく。
柚子とローズマリーで作ったリンスと椿油で仕上げる。
石鹸で髪を洗うとアルカリ性になって髪がぱっさぱっさになるし、石鹸かすが残りやすいので弱酸性にしてやらなければならない。
酢でもいけるのだが私は匂いが気になるのでレモンや柚子で自家製リンスを作っていたのだ。
いとこの所のちびっ子も幼稚園でしらみを貰ってきたらしく、この方法で撃退していた。
ミアちゃんとアトル君のしらみもこの方法でほぼ駆除でき、10日ほども経つとすっかりふわふわさらさらヘア。
天使の輪が出てキューティクルもばっちり、という状態になった。
いよっしゃああ、やっつけてやたぜえええ、である。
だが何より二人が素直で穏やか、真面目な働き者だったというのが大きかったのかもしれない。
二人はいかにも怪しげな私の言うことを素直にはいはい、と聞いてくれた。
スプーンやフォークの使い方も、トイレも数日で慣れてくれた。
これはちびっ子の強みである。
「ミィハさま、できました!
トイレって慣れると楽だし、足も汚れないし、とっても便利ですね!」
「そうでしょ、そうでしょ、気に入ってくれてうれしいよ」
それどころかさらには数日経つと家事や農作業、家畜の世話を手伝ってくれさえしたのだ。
「ミィハ様、この鳥とヤギはこのおうちの中に入っちゃってるけど、いいんですか?」
「いいんだよ、それはこの子たち専用の小屋なんだから」
「さすがミィハさまのヤギと鳥ですね、こんなおうちがもらえるなんて」
家畜の世話ひとつ取ってみても彼らには奇妙奇天烈なことばかりだったろうに
「ここにクローバーとたんぽぽを入れておけばいいんですね?
あたしがやっておきます!」
「これはええと……たいひ、どこ?に持っていくの?
おいらが行くよ!」
どんどん手伝ってくれた。
いい子だなーと思う。
お世話になったからといって、いい子たちすぎるだろう。
こうなれば私としても頑張らざるを得ない。
(日本人に気質が似てるかもしれないな。
あまり感情的にものを言うこともないし……
こんな状況だと小さな子供ならぐずっても仕方がないっていうのに、勇敢でもあるんだな。
なにしろ弓持って二人だけで森にいたんだもんなあ。
ゲルマン人?スラブ人?ズボンをはいてたからスキタイ人?フン族?)
別世界で元いた世界の民族と比べても仕方がないかもしれないが、ついそんなことを思ってしまう。
二人が持っていた弓からして特徴があった。
簡素で質素だが、まぎれもなく複合弓だったのだ。おまけに弓の両端が曲げる方向とは逆に反り返っている。
複合弓は複数の材料を組み合わせることで弓の性能を飛躍的に上げた弓のことだが、やはり遊牧民がよく使ったことで知られている。
これをこんな小さな子供が使えるのか、というのも驚きだったのだが、それ以上に驚きだったのは二人の年齢だった。
「12歳?ミアちゃんが12歳でアトル君は8歳なの!?」
「あたしが村で一番年上の子供なんだっておじいちゃんが言ってました。
前の戦で15より年上の男の人はほとんど帰ってこなかったんです。
あ、あと弓はあたしも引けるだけで狙ったところにはまだ上手く当たらないんです」
「いやいや、引けるだけでもすごいことだよ」
「おいらも引けるよ。
だけどね、本当はおいらたち、森に入っちゃいけなかったんだ。本当は森に入っていいのは14歳から上の大人の男だけなんだ」
「だけなんです、でしょ?アトル」
「あ、そっか。だけなんです」
「だけなんだ、でいいよ。
それじゃ14歳から上が成人なんだね」
つまり14から上の成人とみなされた男性がこの弓を引けるということだ。
もしくは的に当たるように習い覚える、ということだ。
たいしたものである。
私は和弓の経験ならあるが、それでもしっかり引けて的に当てられるようになるまでは相当かかった。
……まあ私の場合、他に寄り道しすぎたのかもしれないが。
「馬は?馬は村にいるの?」
「ずっと前に食べちゃった……です」
「すっごくおいしかったよ、でもミィハ様のごちそうの方がもっとおいしいよ。
おいらビスケットやあんなに甘いスープや野菜、食べたことなかったよ!
クマのハンバーグってやつも、ブルーベリーのプリンってやつもすごくすごくおいしかったよ!また食べたい!」
「ちょっとアトル!」
そうはいってもここ最近、二人は時々、ごくまれに不意に元気をなくして何もしゃべらなくなることがあった。
その日の農作業の後、夕暮れ時にも二人はしょんぼりとして声なく森の向こうを眺めていた。
アトル君も完全に体調が良くなったようだし、頃合いだ。
私はいよいよ二人に聞いてみることにした。
「どうしたの?ミアちゃん、アトル君」
二人がびくり、として私を振り返る。
「そのうち聞こうと思ってたんだけど……
どうして二人は、二人だけで森に入ってたの?」
二人は恐ろしく思いつめた顔をして黙り込む。
そしてとうとうミアちゃんが耐えかねたように崩れ落ち、私を拝むように地面に身を投げた。
「お願いします、ミィハさま。
村を――――あたしたちの村を助けてください!」
やはりこうなった、という気持ちが半分。
とうとう言ってくれた、という気持ちが半分。
二人を保護した時点でこうなることは覚悟の上だった。
「私ね、実は困ってたの。
ジャガイモもトウモロコシも倉庫にいっぱいでね、とても一人じゃ食べきれなかったの。
ミアちゃんやアトル君にわけても、それこそミアちゃんの村のみんなに分けても食べきれないほどあるからね」
「!!」
「私にできる限りのことはするよ」
「ミィハ様!……」
「だけどそれには村のみんなにもがんばってもらわなきゃいけない。
手伝ってもらわないと、この先何年も大丈夫なようにはできないよ」
「大丈夫です!
みんなもミィハ様のいうことだったらきっと聞くと思います!」
思えば最初の閉ざされた空間はゲームのチュートリアルのようなものだったかもしれない。
豊富な資源。都合のいいお助けアニマル。
人間との交流のない、だが決定的な脅威もない空間。
(というわけでの人が用意した、ゆりかごのようなものだったかもしれないな)
『母さまはずっとゆりかご?に居たかったの?』
黒い小型犬になっているホクちゃんが私の足元で見上げてきていた。
(最近ではそう思っちゃってたね。
でもいつかは出なきゃいけなかったんだよ)
そう宣告されていた。
それにゆりかごとはそうしたものだ。
『外に出てもホクたちずっといっしょなの!』
「ありがとね」
「?
ミィハ様がどうしてお礼を言われるんです?
お礼をいわなきゃいけないのはあたしたちの方なのに……」
「ううん、気にしないで。
それよりこれからよろしくね」
「!……はい、こちらこそ!」
「ほんでね。援助にあたって色々と聞いておきたいことがあるんだけども」
「聞いておきたいこと?」
まず何よりもどんなことよりも。
ずうっと気になって気になって仕方がなかったのだが。
「ミィハさまって何??????}




