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23・転機

その日の始まりはいつもと同じだった。


目を覚ますと、ベッドの上から窓の外に視線を移す。

外はうっすらと明るくなりはじめていた。

一面の銀世界。

夕べから降り出していた雪が、今は粉のように細かくなって空を舞い散っている。

季節は晩冬。






私がここに来てから、もう10か月が過ぎた。






『おはよう、母様~』


「おはよ~」


私がベッドの上で体を起こすと、私の足元の布団の中で丸まっていた毛玉たちがもそもそと顔を出してきた。

一匹一匹をもふもふともみ、

……もとい、なでなでしてあげる。至福。


「う~さむ~。

やっぱり今日も寒いね~」


『お母さま、今暖炉に火を入れますわ。

火鉢でお湯も沸かしましょう』


「ありがと、ナンさん」


心配していたミニ氷河期は到来しなかった。よかった。

蓄えていた薪と木炭、火鉢もどき、陶器のゆたんぽで充分暖を取れたのである。

しかし予想よりましとはいえ冬は冬。やはり冬は寒いものだ。

1月下旬頃から(ここが1年365日と仮定してだが)ちらちら雪が舞い始め、2月中旬にはどかっと降って1メートルほど積もった。

でも私的にはこの積雪はうれしかった。

むしろばっちこい。

トウ君の雪もあるけど、他に氷室をもっと作ってもいいし、今の私には氷雪はいくらあっても困らない。

その後、きゃっきゃうふふと毛玉たちと雪合戦をしたのは良い思い出だ。

もちろん雪だるまも作った。雪うさぎも作った。満喫。


暖炉の前でシュミーズを2枚、その上から椿で染めた長めのチュニックを重ね着して、腰に革ベルトを巻き、鉄製の留め具で留める。

もう完全に中世ヨーロッパコスプレである。

いいのだ、楽しいから。

着替え終わったらいつの間にか腰まで伸びてしまった髪を椿の木で作ったくしですいて、階下に降りる。

台所脇に置いておくようになった水瓶から水を汲んで歯を磨き、ゆたんぽのお湯で顔を洗って、小太刀を手に外に出る。


城塞から畑までの広場の一部は石畳にしてしまった。

塩を撒いておいた場所で、毎朝の稽古を念入りにこなす。

一時間もたてば、雪が降っていてもかなりの汗をかく。


「疲れなくなったなあ。

ここに来た頃はもう少し息も切れてたような気がするんだけど。

そういえば一度も風邪ひいてないし」


稽古の後、家畜小屋で鶏とヤギの世話をすませ、温泉に入り汗を流す。

極楽、極楽。


『母様、強くなったの?』


『母ちゃん、すげー』


『さすがです、母上』


目の前を毛玉たちがぱちゃぱちゃと泳いで横切っていく。

なにこの萌え萌え空間と思いつつ、私は首を横にふった。


「強くなったのとは違うよ、疲れにくくなったんだよ。

なんだかんだで毎日重労働してるからね」


私の頭に乗っかって気持ちよさそうに目を閉じていたナンさんが不思議そうな声を上げた。


『お母さま、お強くなってますわよ?』


「そんなに簡単に強くなれるならなりたいけどねえ」


『お母さまはこちらの世界の騎士たちの誰も敵わない位お強いと思いますわ。

こちらにいらした時、もうかなりお強かったですけど、今はもっとお強くなってますわ』


「……は?」


『そうですね、母上は人間どころかその辺りの狼やクマなどよりもお強いでしょう。

普通の人間は剣を持っていても、飛び道具なしなら、せいぜい大型犬くらいまでしか相手取れないでしょうからね。

運動能力が違いすぎます』


『母ちゃん、すげー』


「いやまてまてまてまて」


『母様、すごいのー』


「だからまてと言うに。

私、強くないよ?私だって狼やクマ相手にしたら死んじゃうよ?

獣どころか日本人の一般成人男性相手でも力じゃ絶対勝てないよ?」


『またまたお母さま。

ご謙遜が過ぎますわ』


「いやだから」


温泉から上がり今度はヒートテックの下着を着て、一枚目のシュミーズを替える。

城塞で朝ごはんを食べている間もわたしは誤解を解こうと必死になった。


『わーい、ごはんおいしいのー』


「私、剣道小太刀3段だからね?

それも剣道より居合とか柔術体術とか薙刀の方が面白くなっちゃって、ついうっかり試合経験少ないままほったらかしてきちゃったダメ人間だからね?

師匠は6段、師匠の師匠は8段という化け物でいらっしゃるけど、それでもクマとかやばいよ、クマ相手には勝てないよ、クマパンチってすごいんだよ?一撃で死んじゃうよ?」


『母上なら大丈夫ですよ』


「いやいやいやだからまて。運動能力以前に体格とか力とか違いすぎるからね?

今まで小太刀持ってたのだってあくまで趣味、遭遇しても防御と逃亡の手段としてしか使う気なかったからね?

クマとか出たら私逃げるよ?

お願いだからその時は助けてくださいお願いします」


『ごはんうめーぜ、母ちゃん』


「それは良かったね。

良かったからクマが出たら助けてくださいお願いプリーズクマなんかと戦いたくないよ狼もいやだよ」


『お母さまなら大丈夫だと思うんですけど……』



―――――――ずしん!!



「!!?」


地震!?

と思ってとっさに日本人の習性でテーブルの下に潜り込む。


「…………?」


でもちっとも揺れていない。

不思議に思って体を起こしてみると、テーブルの上の食べ物も揺れた様子もなくそのままだった。


「なに?今の?

ずしん、って来たよね?」


『来ましたわ。

でも何かおかしいですわ。

なんだか何かが入れ替わってしまったかのような』


「何か?」


トウ君がはっと顔を上げた。


『母上!おかしいです!

海がなくなっています!』


「!!?」


急ぎ毛皮のポンチョを着込み、外に出た。

トウ君に頼んで上空までのせていってもらう。


「え!?うそ!?ホントに!?

海がない!!」



海は跡形もなく消え失せていた。

陸地である。

それも深い森が延々と横たわっているばかり。

南も西も。森だけがずっと続いている。

東だけ数キロで森が途切れているが、後はだだっぴろい岩場である。


火山はそのまま、白い平原もあるにはあったがずい分面積が減っていた。

白い平原の向こうはやはり森、ずっと向こうまでかすんでいるから、かなり広大な森なのだろう。


「城塞の周りの森と増えた森の色がちがう……」


『どういうことでしょう?』


「木の種類がちがうんだよ、たぶん」


断面むき出しの城壁、樹木から推測しただけだったが、本当に空間だけが入れ替わるなどということが起こりうるだろうか。


「トウ君、下に戻ろ」


『はい、母上』


下では残り3人が私たちを待っていてくれた。

私はポンチョの下にさらに毛皮のコートを着込み、登山用の手袋をはめ、小太刀と刃のない小刀数本をベルトに差し込んでザックを引っ掴んだ。


「もしかしたら外に出られるかもしれない。

一度行って、見てみようと思う」


この場所だけで充分満ち足りているが、やはりどうなっているか確かめることは必要だろう。

新たな資源が見つかるかもしれないし、新たな危険が見つかるかもしれない。


「サイ君、トウ君、いっしょに来てくれる?」


『おうよ、母ちゃん』


『はい、母上』


『ホクも行くの!』


「ホクちゃんはナンさんとここでお留守番してて」


『え……?

ホク……行っちゃいけないの……?』


「ここの城塞を見ててほしいんだよ。

狼の群れとかクマとか来たら困るでしょ?

ごはんが食べられなくなっちゃうからね」


『え!?それはいやなの!

分かったの、ごはん守るの!』


『お母さま、お任せください』


「よろしくね、二人とも」


ホクちゃんのアニマルダウジングが便利なのは分かっているが、やはり最初なのだ。

お母さんとしては小さな女の子にはお留守番をしていてほしい。

最初、お母さんポジションを全力で否定していたことなど都合よく忘れて私は手を振った。


「じゃあね、行ってくるね。

できたら何かお土産もって帰ってくるからいい子でお留守番してるんだよ~」


『いってらっしゃいませ~』


『いってらっしゃいなの~』


サイ君の背に乗せてもらい、ザックはトウ君に持ってもらって上空へ浮かび上がった。

ひとまず南を目指してみる。

しばらく上空を進んで、いよいよ色ちがいの森に突入という所で私は二人に声をかけた。


「サイ君トウ君、森に入ったら馬になってくれないかな?」


『馬?なんで?』


「その格好でもし人間に遭遇したらえらいこっちゃだよ」


私なら逃げる。

むしろ弱い人なら一目で心臓発作ものだと思う。


『おう、分かったぜ。

ほい、母ちゃん』


森に着地後、見事な白馬(きらきらしている、とってもきらきらしている)に変身したサイ君に再び背に乗せてもらう。

鞍もないしポニーにしか乗ったことのない私だが、そこは不思議精霊、バランスを崩すことなく難なく乗れた。

まあ虎や竜に何の問題もなく乗れていた時点で心配してなかった。


サイ君トウ君に速足になってもらい、方位磁石を確かめながらひたすら南に進む。

森は基本的に起伏が少なく、なだらかだった。

雪は城塞回りほど積もっているわけではなく、数十センチといった所だろう。

水分の少ない雪で、固くしまっていて沈み込まない。

木と木の隙間も広く、馬で進むのに何の支障もない。


樹木はブナ、栗、オークも見られたが、一番多いのは針葉樹だった。

モミの木か、ドイツトウヒかもしれない。


(木だけ見ると雰囲気は東ヨーロッパなんだけど)


まだ分からない。

なにしろ雪で地面は真っ白だし、まだ何の生き物にも遭遇していないのだから。

最初の一日目はこんな調子で、何も見つけることなく日が暮れてしまった。

久しぶりにテントを張り、アルファ米、コーンスターチビスケットを食す。

サイ君とトウ君には中型犬くらいの大きさになってもらって布団兼ゆたんぽ代わりとなってもらった。

ふわっふわだ。


「それにしてもふわっふわですな。

本当にふわっふわですな。トリートメントなんかしてないくせになぜにこんなにふわっふわ?」


『なぜでしょう?』


「なぜでもいいさ、ふわっふわならば。

あ~綿布団やめてこれからこっちのアニマル布団で寝よかな~」


『おーいいぜ、母ちゃん』


「いい子だあなたたちいい子だ、さ、このビスケットをお食べ」


『もしゃもしゃ、うまいぜ甘いぜ』


「ところで相談なんだけど」


『もぐもぐおいしいです……なんです?母上?』


「もし人間と遭遇して、その人たちが万万万が一、悪い人だったら。

悪い人たちでもサイ君トウ君には攻撃しないでほしいんだよ」


『…………』


もう気分は完全に母親である。

もういいのだ、本当の子供でなくても彼氏いなくても、そんなのは脇に置いておく。

もしかわいい毛玉と遭遇して、その子がむやみやたらと懐いてくれて、ペットのつもりでいっしょに住んでいたら親の気持ちになるのは自然ではないか?

今ではもはや私にとって、この子たちはペットではなく人間の子供と同じだし。

まあ私の場合、明らかに毛玉たちの方が強いのだが、そこはやはり気持ちの問題である。


『分かりました、母上。

でもどのみち私たちは人間に危害を加えることはできないのです。

本当は私たちは自分たちの意思で人間に干渉することも、人間と話をすることもできないんです』


「???

私とは話してるよ?」


『母上は特別です。

ですから母上がお命じになれば、人間にも攻撃します』


「それは、めっ」


『へーんだ、トウの奴怒られてやんの~』


「君はもしゃもしゃしてるだけだったけど、お話聞いてたのかな?」


『あああ母ちゃん分かってるよ、人間には攻撃しないよ、そこはだめだよ力が抜けるよへにゃへにゃへにゃ』



  *   *   *



明くる日も雪だった。


粉雪よりは勢いを増している。

前日と同じようにひたすら南を目指して進むことにした。

そして行けども行けどもひたすら森、雪。


鳥は発見したけど、遠すぎてどんな鳥かも見えやしない。


(これはまさか……無限ループというやつか?)


などといや~な予感がしてきた頃、今日もこのまま何も見つけられなければ引き返そうと決めた。

まさにその時だった。


「………」


『母上』


「……今」


何か聞こえた。


そう言おうとした時。


「助けて!

助けて!誰か!誰か――――――」


――――間違いない、人だ!


「行って、サイ君!」


『おう!』


こちらに来る前の私だったら逃げたかもしれない。

少なくとも足がすくんで短時間にせよ、動けなくなっただろう。

でもサイ君に乗っているからだろうか。

城塞で強さの―――眉唾ものだが―――の話をしていたからだろうか。

考えるよりも早く、私の口からは声が出ていた。


サイ君は一陣の風と化して、森を駆けた。



  *   *   *



後方に飛び去っていく針葉樹。

数十メートルがあっと言う間に縮まり、前方に大きな黒い塊が現れる。

―――――出たよ、熊。

本当に熊だよ。


(――――つかこれ、ヒグマかよ!)


熊が急に私の方に振り返り、私を認識する。

熊の足元、数メートルの位置にうずくまっている人影がおそらく悲鳴の主だ。

熊の口が開き、白い息と見たこともないほど巨大な牙がのぞく。

後ろ脚で立ち上がり、威圧するように上体を起こした。


3メートルはある。

体重は4~500キログラム。

熊では最大級だ。


(ありえない)


普通の人間なら恐怖で支配されている。

元いた世界での私だったら、間違いなくそうなっている。

間違いなくそうなのに。

師匠の師匠の顔が思い浮かぶ。

一度だけ真剣で稽古をつけてもらったあの時。


(あの時の威圧と殺気の方が)


ずっと恐ろしかった。

ありえないな、だって熊だよ熊、と思いつつサイ君の背から飛び降りる。

着地しながら、横に体を投げ、そのまま走る。

走りながら熊が前足を振り上げるのを待つ。


熊が左足を振り上げたのを見て、勝った、と思った。


人間の運動能力では対応することは非常に困難なはずのその動きさえ、師匠たちの太刀筋にくらべれば緩慢だ。


その前足が振り下ろされるよりも早く、懐に入り、走り抜きざま跳躍する。

身に染みついた抜刀の動作―――

相手の頸動脈を斬り上げる太刀筋を放つ。


着地しながら体を転がし、その勢いで立ち上がりざま、振り返る。

振り返りながら肩の力を抜く。

手ごたえが熊の剛毛に覆われた分厚い皮膚を斬るそれではなかったからだ。

もっとたやすい、藁束を斬った時と同じような手ごたえ。


(本当に勝っちゃったよ)


熊に。

振り返った時にはもう、熊は首から眉間にかけて血を吹き上げ、地面に向かって倒れ伏そうとしている所だった。


小太刀って防御や崩し主体なんだけどなあ。

押し寄せる脱力感と戦いながら私はぼんやりと悟っていた。

私が強くなったのではない。

この世界の生物たちの運動能力が、元いた世界の生物たちに比べて劣っているのだ。


――――この世界の生物たちの方が、元いた世界の生物たちより弱いのだ。――――

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