Summer vacation
青々と茂る木々、砂埃の舞うグラウンド、崩された石灰の線がその跡を残す、救急車のサイレンと、もう夏を隠さない日差し、手を置いた窓枠は私の体温を奪ったが故にぬるい、生徒の笑い声や私の後ろを通る床と上履きの擦れる音。
「伊織?」
呼ばれた名前は確かに私のもの。
振り返れば、窓から吹いた風に私の長い髪が揺れて視界を遮る。
「どうしたの?」
そんな私の言葉も風に溶けた。
視界が開けた時、彼は嬉しそうな驚いたようなそんな顔をして私を見ていた。何が彼にそんな顔をさせるのか、その理由は知らないけれど。
「....部活始まってるから」
翔の声が耳に届くと同時に外に目を向けると舞い上がった砂埃は渦巻きをつくって遊ぶ。救急車のサイレンは鳴り止んで静かで平穏な景色が蘇る。
「わかった」
小さく微笑んで振り返った翔は色素の薄い髪と差し込む日差しのせいで消えてしまいそうで、思わず声をかけた。
「.......翔、」
「___.....先に行って、待ってる」
はにかむ翔はそのまま廊下の角に消えた。
部室がある四階へ上がる。
“英語準備室”そう書かれた教室に入るとまず見える茶色。
白いテーブルの上に置かれた青いiPod。
それと茶色を繋ぐ紫のイヤフォン。
広げっぱなしの教科書とシャーペン。
果物の飴玉と一つだけの開けられたままの飴玉。
風に踊るカーテン。
ふたりの髪が揺れて、翔が目を覚ます。
「い、__おり.....」
「部活、始まってますよ」
たった“ふたりだけ”の部活。
それで十分、“たったふたりだけ”、で。
「明日からの予定、どうするの?」
明日から始まる高校生活で二回目の夏休み。
そんなに実感が湧かないのはいつものこと。
終わって気が付くだけだから。
「.....毎日ですよ、伊織サン」
Yes以外は言わせない不敵な笑みが私に向けられては、もうどうしようもない。
「飴、食べる?」
「うん」
「好きなの選んで」
真っ逆さまにされた袋からはバラバラと音を立てて色とりどりの飴玉がテーブルの上に散乱する。
「林檎味にする」
手を伸ばす前に翔が飴玉を取って私に渡す。
「ありがと」
私が笑うと、翔はまた嬉しそうな驚いたような顔をして静かに笑った。
「伊織は、林檎味好きだもんな」
「よく知ってるよね」
13年は私を知るのには十分だろう。
向かいの席に腰を下ろす。
「翔はキウィアレルギーだもんね」
私の声に顔を上げて、翔と目が合う。
「治ったよ、言わなかったっけ?」
「___....そう、だっけ?」
「そんな顔すんなよ、伊織」
伸びてきた大きな手が私の頭をぐしゃっと乱す。
風が翔の教科書を捲る。
表紙に戻るとそれは“高3数学”。
なんで頭の良さはこうも不平等なのか。
「もう高3数学できるの?」
「...」
「私なんて今でいっぱいいっぱいだよ」
「まだ、俺たち高2だけどやっぱり将来考えないと」
真面目なところはずっと変わらない。
「ふたり部、始めますか」
「そうですね、部長さん」
部長、錦織 翔
部員、漆原 伊織
以上、“ふたり部”
ふたりだけの部活。
“嘘” にも似た、夏の日。
そんな部活の夏休みが始まった。