月光
力を感じた。
風のように疎らな流れではなく、まるで石壁が走り迫ってくるような、抗い様の無い圧。
それを両肩に感じた瞬間、為す術もなく押し倒されていた。
咄嗟に顎を引き後頭部を地面にぶつけることは避けたが、そこまでだ。倒れた身を押さえ付ける力は一瞬を過ぎても尚重い。
抵抗できない……正しくは抵抗を、真剣に考えられない。現実味がないのだ。
故に押し倒されたという結果を受け入れてはいるが、その原因を理解することが出来ない。
見上げる視線の先には夜空に昇った月と、間に在って月光を遮るもう一つの光。
少女だ。
昼間に出会ったばかりの異人で、それを物語るのは天女の織物が如き金糸の髪。直視を危うく思ってしまうほどに白く眩しい女性。
その眩さの中心で欄と輝く瞳。
赤い。
紅い。
アカく光っている。
光を反射しているのではなく、眼球そのものが光源となっているように、見える。
ぼんやりと、しかし確かに光っている。
光に照らされ浮かび上がる少女の顔。
微笑み。
喜悦のそれだ。
愉悦のそれだ。
赤光に彩られ、意を介さず腹の底に暗い熱を覚えるような艶やかさ。
それは妖艶と言うのだろう。
少女のあどけない顔立ちにはあまりに不釣り合いで、故に背徳の痺れが背筋をぞくりと撫でる。
女は苦手だと、情事に興味はないと、そう思い感じて来た自分なのに、今の少女には堪えがたい色を感じている。身体と心に張り詰めたモノを、抑えきれない。
異常だ。
こんな状況で危機感より情欲を沸き立たせる自分も、尋常でない様相の少女も。
自分の肩を押し、倒しては抑え付ける少女の力も。
そう……押し倒したのは少女だ。
筋骨で以て圧迫するような腕力ではなく、重量物のような均一な圧力で。
少女の小柄な身では有り得ない、技術というにも不可解な力の行使。
今も自分の腹に乗り、細枝のような腕が鉛以上の重さを発し肩を地面に抑え込んでいる。
さながら馬乗りに体を交わす男女のように。
総て。
この場の何もかもが、異常だった。
異に異を重ねて形を為す、倒錯的な良知外の領域だった。
理解を越えた、本質と異質だけの世界だった。
だが。
だが一つ、この月下の魔境にあって一つだけ分かっていることがある。
確かな認識を抱いている。
不可解な力も、危機感と情欲を取り違える自分の意識も、全てを超然と納得させる圧倒的なモノ。
美。
少女の姿。
二つの光に浮かぶ少女が、全てを内包し、許容するほどに輝き、その輝きが理性を縛っている。束縛されたまま、もどかしく本能を呼び覚ましている。
美しかった。
ただ、美しかったのだ――。
サブタイは鬼束ちひろ『月光』から。