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Colors Of Love

Shiny Rain

作者: はるた




 夏の雨。

 まだ暑い九月の陽射しにこんがりと焼かれたアスファルトを濡らしていく。灰色の雲から降り注ぎながら、じっとりと肌にまとわりついていく。


 午後の降水確率は五十パーセントだったけど、まあ雨なんて降らないだろうと思ったのが失敗だった。五十パーセントってことは二分の一の確率で降るんだ。

 学校を出る頃はまだ小雨だったけど、歩いているうちに段々と強くなって、終いには走ってると前が見えないくらいの大雨になった。

 さすがにこの雨の中を傘を持たずに歩くのはきつい。まあ、シャワーみたいでいっそ気持ちいいかもしれないけど、鞄の中のノートがびちょびちょになるのは避けたい。


 俺はとりあえず、いつも前を通るアパートの階段の下に飛び込んだ。

 ほんの二、三分雨の中を走っただけだけど、めちゃくちゃ濡れてる。前髪なんてワカメみたいになっておでこに張り付いてるし。ハンカチなんか持ってないから拭くこともできない。


「もー最悪……」


 本当に今日は最悪の一日だった。

 佐野明香里に彼氏がいたなんて……


 佐野は隣の席の女子で、普通に話すくらいの仲だ。仲が良いわけでは決してない。呼ぶ時は苗字に『さん』付けだし、メアドを知ってるわけでもない。

 すらっとしてて、大人っぽいながらも可愛いところがある。成績優秀にして、人当りもいい。いわゆるザ・モテる女子だ。

 そんな子と隣の席になった時はめちゃくちゃ舞い上がったけど緊張したし、最初のうちはうまく話せなかったりしたけど、あっちの方から結構フランクに話し掛けてくれたので段々打ち解けて来ていた。

 ま、それが俺みたいなモテない男からしちゃ眩しくて、いとも簡単に好きになっちゃったってわけさ。相手からしちゃ、俺は単なる隣の人だったんだろうけど……


 佐野にはとりあえず今の所は彼氏がいない――はずだった。


 でも、俺は今日見てしまったんだ。

 他校の制服を着た男子が、佐野と一緒に帰ってるところを!!

 わざわざ迎えに来る男友達なんかいるか? いないね。あれは九割九分九厘彼氏だ!


 そんなわけで、俺は絶望に一人うちひしがれながら、とぼとぼと帰っているところだった。


 はあ……なんて一日だ。雨には濡れるし、失恋はするし。


 ぼやきながら、階段に腰を掛けようとして後ろを振り向く。


「――!?」


 全然気付かなかった。

 そこには先客がいたのだ。


 雨が目に入らないように、若干目を閉じて走って来たから気付かなかったんだろうか。いや、それにしたって……


 丁度今日は雨のお陰でじめじめしてて、おまけに薄暗い。

 俺がそいつを見て驚きのあまり飛び上がりそうになったのも、無理はない――と思いたい。


 階段に座って、寝てるみたいに頭を下げてる。雨に濡れた長い髪がだらりと垂れ下がって、顔が見えない。

 おまけに、着てるのは白いワンピース。


 なんなんだ、このザ・幽霊みたいな女。


「あの……?」


 恐る恐る俺は声を掛けた。


「大丈夫ですか……?」


 返答はない。ぶ、不気味すぎる……


「……っ、うっ……」


 代わりに、雨の中に消え入りそうなうめき声。今度こそ俺は震え上がった。

 やばい、本物だ、こいつ。


 本気で逃げ出そうかと思った瞬間、俺は女の肩がかすかに震えているのに気付いた。


「……?」


 泣いてる――のか? どっちにしろめちゃくちゃ不気味だが……


 俺はちょっと近付いてみた。


「泣いてんの……? 大丈夫……?」


 声までかけた俺は勇者だと思う。

 すると、女はぶんぶん首を振って、これまた聞こえるか聞こえないかくらいの声で、


「大丈夫なんかじゃ、ないわよ……」


 と言った。

 嗚咽が混じってる声。やっぱり泣いてるんだ。

 ど、どうすればいいんだろう、この状況……

 とりあえず慰めた方がいいのか?


「な、何かあったんですか?」

「何も無かったら、こんなとこで泣いてるわけ、ないじゃない……」


 そりゃそうだ。

 俺はしゃがんで、女と向かい合う恰好になった。とりあえず、人間なのは間違いないらしい。


 女は相変わらずうつむいたまま泣いてる。

 俺はどうすればいいのかわからなくなって、鞄の中身をまさぐった。


「あっ!」


 奇跡的にハンカチが入ってた。ぐっちゃぐちゃに丸まっててかなり汚いけど……


「あの、これ、良かったらどうぞ……」


 ちょっとでも綺麗に見えるように折り畳んでから、ハンカチを差し出した。

 すると女は顔を覆っていた手をゆっくりと下ろした。顔が見えないからわからないけど、どうやら俺が差し出してるものを見てるらしい。


 ちょっと躊躇うような素振りを見せてから、俺のハンカチを受け取った。


「……どうも、ありがと……」


 女はその汚らしいハンカチで涙を拭うような動作をした――が、本当にそうしたかはわからない。こんなハンカチで涙なんか拭いたら目にばい菌が入りそうだ。


 すると女は、顔の前に垂れている髪を払って、やっと顔を上げた。


 大学生くらいに見える。雨と涙のせいで化粧が崩れまくってるけど、よく見たらちょっとどきっとするくらい、かなり可愛い顔だった。


 この至近距離で向かい合ってるの、かなり恥ずかしいかも……


「えっと、もう大丈夫?」


 視線を逸らして俺は言った。


「うん。……ハンカチ、ありがとね」


 ちょっと明るい声だ。

 俺は女の隣にちょっと間を置いて座った。


「雨、止まないね」

「そうね」

「傘持ってないの?」

「降水確率五十パーセントだったから」

「……俺も」


 会話が途切れた。雨が地面に叩きつけられる音が、音楽みたいに聞こえる。


「全部、洗い流してくれればいいのに……」

「え?」

「私の汚いとこ、全部この雨に流されちゃえばいいのになって」


 俺は隣の女をちょっと見た。

 瞬きもしないで、唇をかすかに開きながら、じっと雨が降ってるその景色を見つめてる。


「何か、あったの?」


 さっきと同じ質問をまたした。

 しばらく黙り込んだので、前に向き直ったら、横から声が聞こえてきた。


「失恋」


 ……何となく予想してた答えだった。


「そうなんだ……」


 興味がないように俺は言った。

 すると彼女は独り言みたいにぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。


「彼氏がいたの。ずっと好きで、私が告白して付き合い始めたんだ」

「…………」

「彼も私のこと、好きなってくれたんだって思ってた。でも、私ばっかり突っ走って、空回りして……」

「……ふられたの?」


 何か言わなきゃと思って、馬鹿な質問をしてしまった。でも、彼女はそのまま続けた。


「彼は優しかったよ。すごく……私が不安になるくらい」

「…………」

「今思うと、それが彼の――臭い言い方だけど――愛だったのかもね。好きだとか、そういうことは一回も言われたことなかったけど」


 知らない女の人から唐突にこんな話をされる。

 そんなシチュエーション、想像したこともなかった――って当たり前か。

 こういう場合、何て言えばいいんだろう。

 付き合ったことなんか一回もないし、恋愛だってほとんどしたことないのに……おまけに失恋したてだ。


「好き……だったと思う、よ」

「え?」

「その、元彼。君の事」


 ただの慰めに聞こえてるんだろうな。でも、実際そうだし……

 なんて言えばいいのかわからなさすぎて、あまりにありきたりなことを言ってしまった。


 すると、彼女は笑った。


「ありがと、タツヤくん」

「えっ」


 何で名前――ああっ! ハンカチ!

 幼稚園のころから使ってるやつだったから、ひらがなで『たつや』って名前が……

 かっこ悪……


「あたし、ユカっていうの」

「そう、なんだ……」


 また沈黙。

 俺はとっさに口を開いた。


「……実はさ」

「うん?」

「俺も、失恋したんだ。さっき」

「…………」

「好きな子に彼氏がいた。……好きって言っても、特別仲が良かったわけじゃないし、完全に片思いだったんだけど」

「そうだったんだ……」

「なんか、笑っちゃうよ。相手はこんなこと何も知らないのに、一人で勝手に落ち込んでるなんてさ」


 すると、ユカはまた降り続ける雨に目を向けた。


「さっきの質問」


 いきなり話題が変わったので、俺は面食らった。


「え?」

「ふられたの? って質問。答えは、あたしがふったの」


 予想外の答え。女心って……


「……何で? 好きだったんでしょ?」

「あたしね、すごくずるいの。試したんだよ、彼を。聞きたかったの。『別れよう』って言って、彼があたしを引き留めるか、引き留めないか」

「…………」

「賭けはあたしの負け。彼は何にも言わなかった……あたしはふったけど、ふられたの」

「そう……なんだ」


 何て言えばいいんだろう。

 いや、俺が言えることは何もないんだ。女の子と付き合ったこともない俺が恋愛を語ることなんでできるはずがない。


「しかも、嘘の理由まで付けた。彼の友達が好きだってね。さっき、電話で告白までしちゃった」


 ユカは笑いながら言った。

 告白って……偽装のためにそこまでするのか。女って怖い……


「でも、別れたその日に告白したのはさすがに不自然だったかな。そこまで頭回らなかった」


 ユカはまた俯いた。


「……後悔してる?」

「……わからない。でも、これで良かったんだって気もする。あたし……臆病だから。臆病で、嫉妬深くて、独占欲が強い。彼がいくら心の中であたしを好きでいてくれても、言葉がなくちゃ、あたしは不安で仕方ないの」

「それでも、好きだったんでしょ?」


 ユカは強く頷く。


「彼を好きになったことは、後悔してない。それは絶対に、そう」

「幸せ……だったと思うよ」


 俺がぼそりと言うと、ユカはちょっとこっちを見た。


「その彼。そこまで誰かに愛されてさ。俺だったら、たとえふられても、すごく良かったって思える」

「君は?」

「え?」

「君は、どう? その子のことを好きになったこと、後悔してる?」


 すぐには答えられなかった。

 彼氏がいたことは確かにショックだった。でも、俺は――。

 ユカの気持ちに比べたら、俺の恋なんてあまりに薄っぺらい。隣の席でちょっと話すようになって、いいなって思い始めただけなんだから。


「……わかんないや。でも、ユカさんに比べれば、俺の気持ちは些細なもんだよ」

「好きって気持ちに、大きさは関係ないよ」


 ユカは柔らかい微笑を浮かべていた。


「比べることだってできない。人それぞれだもん」


 羨ましい。

 そこまで愛されたユカの彼氏も、そこまで他人を愛することができるユカも。

 俺にはできるだろうか。本気で泣いて、苦しんで、それでも誰かを好きになることなんて、できるのか?


「俺も、本気で誰かを好きになれるかな」


 ユカは何も答えなかった。

 雨が弱くなり、厚い雲の切れ端から光が差し込み始めている。

 ぱらぱらと降る小さな雨粒の残骸が、光に反射してきらきら輝いて、色を失った景色に鮮やかな彩を加えている。

 それを眩しそうに見つめるユカの横顔も、何だか眩しく見えた。


「雨、もうすぐ止みそうだね」

「……うん」


 ユカは立ち上がった。


 きらきらと輝く光の粒みたいな雨を背にして、にっこりと笑いかける。


「もう雨宿りは十分だよね」


 俺も頷いて立ち上がった。

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