3.
グリフとの国境線を越えるには、二種類の方法がある。
北の中央砦から伸びる街道を行き、あちらの砦に作られた関所を通る方法。
戦時下の現在。そこが通れるはずも無い。
したがって、真維とセリフィスは、街道や砦を大きく迂回する、森を突っ切る道を選ぶこととなる。
道といっても獣道である。
近隣の村娘といった地味な姿に身を窶した二人組みは、どちらも慣れない長いスカートと藪との攻防戦に、苛々しながら進んでいた。
「ったくもう、何だってみんな、こんな長いスカート履くんだろうね」
何時もは、こだわりのミニスカートという軽装の真維が、ぶつぶつとぼやいている。
「もう少しです、森を抜ければ、迎えがいるはずですから、あ痛ッ」
慰めを口にするセリフィスが、小枝に髪を絡めて悲鳴をあげる。
その姿に力なく笑ってみせて、真維は眉を顰めた。
「迎え……居ないかもしれないよ」
意外な言葉に、小枝から髪を取り戻そうとしていた女騎士の手が止まる。
「え?」
「さっきさ、砦の隊長さんから、知らせを受けたの」
夜が明けかけた薄暗がりの中、トルマリンの瞳が不吉な光を放つようだ。魔導士になってからの真維は時々こんな目をする。
その姿に、もう一人の、琥珀の瞳の魔導士が重なる。
『世の中に、背中を預けられる剣士が三人居るが、お前はその一人だ』と言ってくれた魔導士。彼が時折見せていた闇に融けるような不吉な雰囲気を、何時の間にか真維も発するようになっていた。
「どのようなことですか?」
いやな予感を抱きながら、真維に問い掛ける。
女魔導士は小さくため息をついて、覚悟を決めた。
「アルムが、処刑された」
「な……なんてこと……」
手にしていた小枝をぱきりと折り取り、セリフィスは真維に向き直った。
「何時です?」
「四日前らしいわ。どうも、味方の裏切りで、アジトを急襲されたらしいの。捕らえられてから、公開処刑まで、たった二日だったそうよ」
アルムとは前グリフ国王の遺児、アルムレイド・ルーラッハ・グリフの事である。叔父である現国王によって父王を暗殺された上、無理やり廃嫡させられた彼は野に下り、地下に潜って現体制を覆すべくレジスタンス活動に身を投じていた。
彼はカリストに援助を求め、セイルロッドは密かにレジスタンスの後押しをしていた。同盟と呼ばれた密約の席に真維もまた筆頭魔導士代行として列席し、儚げでありながら強い意志に裏打ちされた青年と言葉を交わしている。
以来、欠かすことなく連絡を取り合い、セイルロッドの細作の手助けも、彼らが受け持っていてくれた。
今回の潜入に関しても、レジスタンスの協力が不可欠であったのだが。その主格であるアルムレイドの刑死は、計画の大半の瓦解を意味していた。
「替え玉という事は無いのですか? アルムレイド殿下は、機転の利かれるお方です」
セリフィスの言葉に、真維は苦笑しながら首を振る。
「だとしたら有難いんだけどね。確認は取れてないけど、思いっきり本人っていう線が濃厚らしいわ。それにもし迎えがきていたとしても、裏切りがあった限りは信用できないって事よ」
衝撃を飲み込むために、セリフィスは大きく息を吸い込んだ。次にゆっくりと吐き出し、下腹に力を篭める。
レグナムに叩き込まれた、平常心を取り戻す方法である。
顔を上げた時には、翡翠の瞳には動揺の色は消えていた。
「マイ、戻りますか?」
違う答えを確信している問いかけに、真維もまたにやりと笑って首を振る。
「これって、あたし等にとってはピンチだけど、チャンスでもあるわ」
ゆっくりと歩き出す。セリフィスがそれに続く。
「彼が処刑された事で、グリフはレジスタンスの報復を警戒していても、どこかで安心している筈よ。かなり惨たらしい公開処刑だったらしいから、これで抵抗する気力が減るだろうってね。アルムには悪いけど、この機に乗じさせてもらうわ。それに、単独のほうがあたし等の素性がばれ難いから動きやすいとも言える」
足の調達がちょっと厳しくなるけど、やるっきゃないでしょう。と笑う真維の姿に、セリフィスは思わず呟いた。
「マイ、貴方は、ゼルダ様に似てきましたね」
これには顕著な反応が返ってきた。
「えーっ? あのスチャラカに? やめてよね、縁起でもない」
さも嫌そうな声を出しながらなんとなく嬉しげにみえるのは、薄暗がりの光の加減でもなさそうである。
「とにかく、この森を抜けましょう。王都までの足は、どこかで調達する事ができるでしょうから」
「うん」
しっかりと頷きあって、二人の少女は再び藪と格闘しだした。
「クレイの奴今頃、砦の隊長さんからこの知らせ聞いて無茶苦茶心配してるんじゃないかな?」
最後に与えられた抱擁と口付けを思い出し、そっと頬を染めながらセリフィスも小さく笑う。
「そうでしょうね。同行できない事を、悔しがっていましたから」
真維の返事は暢気である。
「しょうがないよ。クレイには、あそこに居てもらわないと困るんだもん」
「そうですね」
藪に向かって、盛大な罵声を浴びせ始めた真維に微笑んで、セリフィスはそっと北の砦を振り返った。
――クレイ、行って来ます。
――ああ、待っている。
――はい……
別れ際の言葉が心を支える。
「必ず帰ります。クレイ」
誰にも聞こえないよう、セリフィスはそっと呟いた。
部隊長からの知らせを受け、クレイスは北の砦の門前に出てきていた。
黎明の中、二人が居るであろう国境の森が、黒々とした闇の溜まり場に見える。
旅は初めから、二人の少女に試練を与えてきた。おそらく進むに連れて困難は大きくなるだろう。
動けぬ自分が歯痒い。
しかし、半ば不具の身体では足手纏いにしかならないだろう。
右手では重いものは持てず、軽く引き摺る右足は歩く分には支障の無いものの、走る事は適わない。
事此処に至っては、それぞれができる事をするしかないのだ。
「二人とも、帰ってこいよ……」
搾り出すように呟いて、クレイスは色砂の入った袋を取り出した。
魔導士が魔方陣を描く時に用いる砂である。
袋の金具を開けて砂を少しずつ地面に落としながら、口の中で呪文を組み立て始める。
邪眼の魔導士は気を集中させつつ、砦の周りに呪法を掛けていった。