3.
夜半。
物見の塔の最上階へ差し入れの熱い飲み物を携えて訪れた魔導士は、夜番の兵を労いながらじっとグリフの空を見つめる。
彼が北の中央砦に滞在をはじめてからの、夜の日課である。
最愛の妻と、妹とも思える娘。二人の少女が向かった地の空は、カリストの最北のこの地から見る限り黒く澱み、雷雲が閃光を閃かせる。
時折、この砦にすら大きな落雷があるほど、異常な気象はいっかな収まりそうにない。
ただ待つだけの焦燥を飲み込み、クレイス・ラムダは端然と遥か北の空を見つめて耐えている。
クレイスの事情など知らない兵士達だったが、静かに佇む姿へむやみに声も掛けられずに居た。
その魔導師が、はっとしたように北西の角へ駆け寄り闇を見据える。
彼の鋭敏な感覚には、黒く闇に沈む森の微かな"気"の異常が見えていた。
何も換わらないように見えながら、僅かに感じる異様な魔力の波動。
「来たぞ……」
その呟きに、哨番の一人が伝声管に飛びつく。
夜襲を知らせる声に、砦全体が騒然となった
「毎度ご苦労な事だ……」
物見の塔へ駆け上ってきた砦の副官が、クレイスの示す方を眺めて一人ごちた。
「この半月で5回目ですね……」
受けて頷く魔導師へ、副官が肩を竦める。
「今月の通算では8回目ですよ。開戦からは17回。この砦を落とせばカリストへの入り口が開く……なんとしても足掛かりが欲しいのでしょうな」
既に迎撃の態勢を整え、中庭で油の壺が煮られ始めている。立ち上る煙を見つめながら、クレイスはゆっくりと防御の魔法を練り始める。
意識の隅に置いていた魔方陣へ魔力を流し込み、気の集中をはじめながら副官の横顔に目をやる。
「こちらの状態は?」
「楽観はできませんね……」
苦い呟きが返ってくる。
ほんの僅かの期間に集中した夜襲に対して死者は僅かであっても、かなりの怪我人が出ていた。派遣されている魔導師達が自分の達の疲労も省みない懸命の治療も間に合わず、全員に施されているわけではない。
増援の報せは届いているが到着は二日後。いずれにしても、今、この戦いにはアテになりそうにはない。
兵糧も武器も、備蓄が心細くなっているのを砦の皆が知っていた。
ないない尽くしの中で、だがしかし。兵の士気だけは衰える事無く北東と北西の砦との連帯を保ち、カリストに戦靴の一歩たりとも入れまいと夜陰に潜む敵へ対峙している。
クレイスとしても、敵陣の最奥へ飛び込んでいった二人の少女の最後の生命線として、ここを退くわけには行かない
「護りきりましょう……」
にやりと不敵な笑みを浮かべて見せて、予め施していた防壁の魔方陣へ魔力を注ぐ。
ここを凌ぎ、明日へと繋げるために……
赤い壁がぼんやりと砦を包んだと同時に、一斉に鬨の声があがった。