1.
雷鳴は途切れる事無く、遂に、雨が激しく窓を叩きだす。
夜半は常に、土砂降りの雨となるのだ。
洗われるように雨が流れる窓と、そこに佇む男。
少し広めの室内には、あと数人の男達が、息を殺して自分を見詰めているようだ。
真維は胸にかけたペンダントを、そっと握り締めた。
別に意識した仕草ではなかったのだが、手の中に、ひんやりとした水晶の感触を確かめて、そっと息を吐く。
『お守りだ』そう言って、穏やかに微笑んだ青年の姿を思い出し、心の中で苦笑する。
我侭を押し通したくせに、こんな時には思い出す。実に手前勝手だ。
しかし、目の前の男や、周りの男達は、カリスト公子の婚約者である自分に対峙している。王宮で、神経を張り詰めていた時の感覚がよみがえってくる。迂闊な態度を取る事は出来ない。真維は、ゆっくりと、寝かされていたソファーに身を起こした。
少女が騒ぎ立てないのを確認して、傍にいた男が静かに退がる。かちゃかちゃと音がするのは、気付け薬でも仕舞っているのだろう。
退がる男に一瞥を投げて、ゆっくりと視線を窓辺の男に戻す。
「エルンストさん……だったわね。あたしに何の用?」
つとめて声を落とし、静かに問い掛ける。回りの男達に、自分が落ち着いているのをアピールする為と、おそらくどこかに潜んで、自分を助け出すチャンスを伺っている仲間に、無事を教える為。真維は自制心の総動員で、目の前の男を静かに見詰めた。
「ご信用頂けないか? 私はカリストで、貴方にお会いしているのだが?」
苦笑気味な声に、真維は肩をすくめて見せた。
「こう暗くっちゃね。自慢じゃないけど、夜目は利かないの」
セリフィスやガウディアに比べれば、の話だが。まあ、手持ちのカードは見せないに限る。
「殿下に従って、同盟の会合の席に臨んだとき、貴方は私の顔の傷を見て、『カッコイイ』と仰ったのを憶えてはおられないか?」
その言葉に、真維はポンと手を叩いた。
「十文字傷の人?」
男が頷く。
「女性にそう言われたのは初めてでしたので、実に驚きました」
笑いを含んだ声に、少しだけ肩の力を抜く。
「判ったわ……あんたたちが前王派だって、信用してあげる」
雷光によって、ある程度の判別はついたものの、一年前に一度会ったきりの人間の顔なんて、そうそう憶えている筈も無い。だが、頑なな態度をとり続けるのも、今の場合は不利となる。真維はとりあえず、納得した振りをすることにした。
それに、男が嘘をついているようには思えない。
真維の答に、今度はエルンストが安堵のため息を吐いた。
「有難い」
呟き、ゆっくりと窓から離れる。武人らしい無駄の無い動きで、真維の傍に歩み寄ってきた。
「カリストから、新たな細作が送り込まれていたのは聞いています。しかし、まさかそれが、筆頭魔導士代行殿直々とは思いませなんだ。我々の対処が遅れ、不自由な思いをさせた事をお詫びします」
潔く頭を下げてくる態度に、真維は少しだけ後ろめたさを感じた。元々、アルムレイド刑死の報を受け、前王派との接触を避けたのは自分達なのだ。それを謝られるのはなんとも居心地が悪い。
「気にしないでいいわよ、アルムの事は聞いてる。そっちも大変だったんでしょう?」
会話を重ねる都度に、一年前に感じた、『忠勤一筋のお侍様』という印象がよみがえって来る。印象そのままに、彼は無念の溜息を吐き出した。
「……やっぱり、アルム本人だったんだね?」
「違う!」
念を押す真維に、後ろから若い男が声をあげた。
「あれはアレクだ。殿下はどこかに落ち延びていらっしゃる! アーヴィス隊もそう言っている」
「よせ、首検分はグリフ王がしたんだぞ」
「俺は、殿下があいつに刀をむけるところを見たんだ。あいつが裏切り者だ。ボクトール達があいつの、行方を追っている」
「あいつは死んだんだぞ」
一人が言えばもう一人が諌める。俄かに騒然とし始めた室内に、エルンストの右手が上がる。途端に男達は口を噤んだ。
「アレクセルは、殿下をお守りして死んだ。ノルンの言葉を忘れたか?」
不満げなうめきが漏れたが、男達はそれで沈黙する。
「アレクセルって誰?」
真維の問いに、影武者だと声が返った。
「幼少時より、お側にお仕えしていた男です。強襲を受けた焼け跡で、アレクセルの遺体を彼の妻が確認しています。彼の事は私がよく知っている。裏切るような男ではありません。それに、殿下の介錯をしたのは彼の妻ノルンです。長く辱めを受けるよりはと、自ら志願し、殉死いたしました」
聞くだに付け、悲惨な話である。
「そう……」
一年前に会った、儚げなくせに強い意志の王子を思い出して、真維は沈んだ声を出した。
だが、同時に、厄介だと思ってもいた。
前王派は、アルムレイド刑死の衝撃からまだ立ち直ってはいない。むしろ崩壊の危機に面しているのかも知れない。強いリーダーシップを失った組織が、迷走するのはよくある事だ。
そして、エルンストは、かろうじて手持ちの部下を押さえているだけだろう。
図らずも披露された内幕を、真維は冷静に読み取っていた。
公子の婚約者として暮らした一年は、ただの少女に政治的戦略的な判断力を否応なく身につけさせてくれた。もともと本人の資質もあったのだろうが、それだけ、ゼルダ・カドフェルの居ない公子の周りは、政敵が林立していたといえる。それに、彼女自身の出自からくる誹謗中傷に、負けるまいと踏ん張ってきた結果でもある。
その能力と共に培った勘が警報を鳴らす。関わっては駄目だと。
「貴方方も大変そうだね……あたしが来たのは、むしろ迷惑でしょ?」
ことさらさり気無く、探りを入れてみる。はたしてエルンストは、まっすぐに真維を見詰めて首を振った。
「いいえ、貴方こそ、我々の希望の光です」
来たか、と、内心舌打ちする。彼が望んでいるものが、手に取るように判る。彼女は慌てて首を振った。
「エルンストさん。あたしが貴方方の仲間になったとしても、セイルは動かないよ。それと同じように、あたしが仲間にならなくても、セイルが同盟を破棄する事は無い。貴方も憶えているでしょう?」
これは、同盟締結時の取り決めの中に含まれている。
常に身の危険に晒されていたアルムレイドは、自分が志半ばで倒れた時の事も見越して、セイルロッドとの同盟の条約項目を作っていた。それによって、彼の遺志が完遂されるまで、カリストは前王派の援助を続ける事となっている。
「しかし、我々は、確証が欲しい……」
搾り出すように、エルンストが呻く。
「同盟の条約が決して違われる事が無い、という確証が欲しいのです。貴方はその証の為に、セイルロッド公子より遣わされたのではないのか?」
彼らの気持ちは判る。あやふやになった不安の中で、何とかして希望を繋ぎたいのだ。しかし、今の自分には、それに付き合う余裕は無い。
第一、勝手な理屈を押し付けてくる態度が気に入らない。
真維はきっぱりと首を振って見せた。どっちとも取れるような言動で言い包めるのは性に合わない、認識の違いをはっきりさせようと腹を決めた。
「悪いけど違う。あたしはセイルの命令なんかで、グリフに来た訳じゃない。あたしは、友達の為に、ゼルダ・カドフェルを探しに来たの。それに、あたしが今夜ここに来たのは、前の王様の側近の屋敷なら、お城への抜け道でもないかって思ったからよ。ついでに言うなら、ここに居るのはカリスト公子の婚約者でも、筆頭魔導士代行でもない、ただのマイ・アキハだよ。」
強い光を湛えて見詰め返してくる茶水晶に、エルンストは一瞬怯んだかに見えた。しかし、いきなり大きな手が、真維の細い両肩を捕まえる。
「いいえ、たとえそうではなくとも、貴方には、我々と共に居て頂く」
巨躯に圧し掛かられる格好となり、思わず身を硬くしながら、真維は男を睨みつけた。
「勝手な言い草ね、なんと言われても、あたしはゼルダを探しに来ただけ。同盟の証文扱いはごめんだわ」
「我々は、ゼルダ・カドフェル殿の探査を取りやめろとは言ってはいない。我々の基礎を固めなおし、反撃の力をつけてから、全面的に協力する。その手助けを、貴方にして頂きたいだけなのです」
そんなまだるっこしい時間を待てるぐらいなら、今自分は此処に居ない。
「言ってしまえば、セイルへの人質でしょう? 全部が済んでゼルダを探したとして、その時見つけたのが死体でしたって事だったら、あたしはあんたを許さないよ」
華奢な少女でありながら、思いの他強い意思で反撃を返してくる真維に、エルンストは苦い息を吐き出した。
両手が放され、男が再び窓辺に戻っていく。
「……筆頭魔導士代行殿はお疲れのようだ。タイラー。隣室でお休み頂け……」
短い応えの後、別の男が真維の前に歩み出る。
「おいでください」
逆らう必要も無い。促されるまま立ち上がり、男に背中を押されるように歩き出す。
部屋を出る寸前。真維はもう一度エルンストを振り返った。
「エルンストさん、本当に、あたしなんか充てにならないわよ。セイルは何が必要か、自分で判断する。あたしが居ようと居まいと、条約は破らない。あたしに言えるのはそれだけよ」
しかし、武人はもう返事を返さなかった。
頑なな態度に溜め息を吐きつつ、軽く背中を押されて部屋を出た。