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蒼の封印  作者: 鈴村弥生
庇護の翼
11/33

3.

 気合いを入れなおした真維が繁華街まで戻ってくると、なにやら騒がしい喧騒に包まれていた。


「いいぞ、ねーちゃん」


「やれ!やれー!」


 人だかりになった場所から、そんな野次が飛んでくる。


「まさか……」

 

 嫌な予感に眉を顰め、小柄な体を最大限に生かして、人の森を抜けると。


 ガッシャーン。


 陶器の砕ける音と共に、男が宙を舞う。


 どさりと落下した場所は、丁度真維の目の前だった。


 観衆の哄笑を浴びつつ、白目を剥いた男は、実に人相が悪い。


 その上みすぼらしく、いかにも日雇いの労働者といった風情のむさい男だ。


 泡を吹いて涎を垂らした口からは、濃厚な酒の匂いが立ち上っていた。


 最近頓に増えたらしい、流れ者の一人なのだろう。


 グリフ国内は、魔法兵器製造のあおりをくらって天候が荒れ、各地で天災の被害が出ている。当然住む土地を追われ、流民となった人々は、次第に職を求めて王都に集まり、王都周辺には、貧民窟のような流民村が形成されていた。


 行政府は各地の人の流れを止めるために、国内の移動にも鑑札を発行し、それを持たない者の移動を禁じてはいたが、ほとんど焼け石に水の状態で、蟻が群がるように流民達は王都に集まってくる。それにつれて、窃盗、強盗なども頻発し、王都の治安も次第に悪化している。


 スラム化は、下町に行くほど酷くなり、真維達が宿を取る繁華街周辺では、自警団すらも形骸化しかけ、不逞の輩が我が物顔でのし歩く、乙女が歩き回るには、不似合いな場所となっている。


 だが、逆に言えば、余所者が潜り込むには最も楽な場所でもあるのだ。


 真維達は、身寄りを無くし、田舎からやってきた姉妹。そんな風情でこの街に溶け込む事が出来ていた。唯一の弊害を除けば……


「あちゃ~。またか……」


 額を押さえ、男が飛んできた方へ、恐る恐る顔を向ける。そして、素っ頓狂な声をあげた。


「ガウ姉?!」


 すらりとした長身に、流れるような黒髪の美女が、埃を落とすように両手を叩き合わせている。


「あら、真維。お帰りなさい」


 花の顔をほころばせ、至極優しい口調で語りかけてくる彼女の後ろから、怒りに赤黒くなった男が踊りかかる。


「ちょっと待ってちょうだいな」 


 柔らかな声と共に、肘鉄が男の鳩尾に叩き込まれた。悶絶して空を切る右腕を捕え、腰をひねって担ぎ上げると、その勢いを利用して投げ飛ばす。


 教科書に載りそうなほど見事な一本背負いである。


 重なり合って伸びた男達を確認して、観衆が一気に盛り上がった。


 やんやの喝采のなか、ガウと呼ばれた黒髪の女は優雅に一礼して観客へ微笑み、サービスに喜んだ野次馬から御捻りまで朕で来た。


 遠慮なく広げたエプロンへ、チャリチャリと臨時収入が集まっていく。

 

「ち……ちょっとこっち来なさいよ!!」


 痛む頭を抱えながら、真維はエルの腕を掴んで、彼女が出てきた店の中へ駆け込んだ。


 店の外からは、伸びた男達へ浴びせられる観衆の嘲りと、ショーの終わりを残念がる声が聞こえてきたが、真維は構わず店の奥へと入っていく。


「ガウちゃん終わったかい? あ、マイちゃんおかえり」


 店の女将が帳場から顔を覗かせる。


「おばさん、ただいま。ガウ姉借りるね」


「いいともさ、これで暫く静かだろうから」


 人の良さそうな女将がニコニコ笑うのに一礼して、真維は階段を駆け上がった。


 食堂の上に宿屋がある、よくある造りの街宿で、真維達三人は、姉妹として一部屋を借りていた。


 自分達の部屋の中にエルと共に飛び込むと、やっと腕を開放された黒髪の美女が、小さな溜息をつく。


「どうしました? マイ」


 そんな女に、真維は盛大な溜息で応酬した。


「どうもこうも無いわよ。何してるの?」


 呆れ声に、女はきちんと背筋を伸ばす。


「当然の報いよ。酔っ払って婦女子に絡むなど、まともな殿方のする事ではありませんわ」


 当たり前、という顔の女に、真維は肩を落とした。


「んじゃあ、質問変える。何したの、あいつら?」


 これには顕著な反応が返ってきた。怒りを含んだ青い瞳がひたと真維に注がれる。


「あの不埒者共は、酔っ払って絡んできただけでなく、セリフィーのお尻に触ったんです! !許さ無いわ、絶対に。セリフィーに触れていい殿方は、世の中に一人だけよ」


 それだって、本当は許したくないのに、と、拳を握り締めて息巻く美女に、真維は更に脱力した。


「なるほど、確かに、あんたが怒るはずだね……」


 弊害というのはこれである。


 余所者が溶け込みやすいのは確かなのだ。現に、素性すらしかとは判りもしない女三人を、鑑札があるという理由だけで、この宿の女将は何の疑いも無く受け入れ、言い訳の、仕事を探しに来たと言う言葉をそのまま受け取って、定職が見つかるまでと、宿や食堂での用事を世話してくれていた。


 女将の人柄に甘えて、丁度いい隠れ蓑として働いているのだが、飯屋には付き物の酔っ払いや、性根の悪い輩が、何かとちょっかいをかけてくるのである。


 水準以上の娘が三人も揃っているのだから、当然といえば当然なのだが、これに激烈に反応したのはセリフィスである。

 もともと正義感にあふれ、女騎士としてカリストの治安にも力を尽くしていた彼女なのだ、そして、仲間を守るという使命感にも燃えている。


 故に、真維やガウディアに言い寄ったり絡んだりする連中は、悉く彼女によって排除されていた。

 ところがおかしな事に、自分に対しての悪戯には結構我慢強いのだ、なにをされても微笑んでやり過ごそうとしてしまう。


 だが、今度は反対に、セリフィスの事となると黙っておられないのが、目の前にいる美女であった。


 ガウディアというのが長い呼び方だが、彼女は実の所、カリストの女神官であり、その正体は、元グリフのスパイ兼刺客である。


 今はダイナの良人となったアルマンディン・ラムダが、帳簿改竄の陰謀に巻き込まれたとき、グリフ側の間者の監視と後始末を請け負っていたのが彼女であった。


 通称白鴉。卓越した殺人技術と攻撃魔法を操る暗殺者。あでやかな銀髪の女という以外、その素顔を見た者は一人も居ない。


 セリフィス・ラムダ。いや、当時のセリフィー・ノアトゥンのほかは。


 正体を見破られた彼女には、二つの道があった。


 一つはセリフィーを殺し、請け負った任務を遂行すること。


 一つは観念し、間者として縛につくこと。


 しかし、セリフィスは第三の道を示した。心穏やかに、カリストの者として暮らす事。


 この時、白鴉はこの世から消え去った。


 セリフィスは、敬愛するレグナムにすら彼女の正体を明かさず、その心意気を受けて、ガウディアは、半ば崇拝に近い友情を抱いている。


 今回、セリフィスが真維に同行し、グリフ潜入をすると聞くや、一足先にグリフへ入り、どう渡りをつけたものか、しっかり鑑札や手形を用意して、国境の森の入り口で待っていたのである。


 以来三人で旅をしてきた。


 その間のガウディアのセリフィスへの傾倒ぶりはものすごく、お揃いで染めた黒髪とあいまって、外から見るなら妹思いの美しい姉なのだが、間近で見ている真維には、『悪女の深情け』という言葉が浮かんでくる。


 あの日雇い労働者達は、触れてはならない逆燐に触れたのだ。


「気の毒に……」


 真維はがっくりと肩を落とした。


 もはや何も言う気にならない。


 初めの内こそ、敵国に潜り込んだ工作員なのだから、もう少し穏便にとか、目立たないように、などと二人に注意していたのだが、そんな事はガウディアの方がずっとエキスパートなのだ。


 目立たぬ者静かな者が、間者の取るもっとも多い姿である。現に、少しでも頭のある捜索者ならば、まず真っ先にそういう者を狙って絡め取る。


 ならば、最も目立つ者、騒がしい者、何処に居ても目を引く者ならばどうか? これも疑惑の対象となる。細昨や間者には、大道芸人に成りすます者も多い。


 しかし、街の中のちょっとした人気者。程度であれば、奇妙な事にそれほど目立たないのである。


 現に、三人は宿屋の腕っ節の強い看板娘としてこの界隈では名を馳せはじめていたが、戦争に忙しい軍隊は、レジスタンスや間者を警戒してはいても、三人の娘の顔を憶えようとはしなかった。


 結局、餅は餅屋である。


 真維はガウディアのする事に、文句を言うのは止めていた。


 ついでに真維も、護身用に持ち歩いているフライパンで、ごろつきを3・4人撃退しているのだから、強い事はいえない。


「それで……今日はどうでしたの?」


 一段声を低めて、ガウディアが訊ねる。真維は肩をすくめて首を振った。


「そう……ごめんなさいね、真維」


 自嘲気味の溜息が漏らされ、ガウディアは窓辺へと歩み寄った。


 鎧戸の隙間から漏れる、細い光に目を落とし、溜息混じりの声が出る。


「わたくしが、もう少しグリフのことに詳しければ、貴女方にこんな苦労をさせはしないのに……」


 元間者とはいっても、白鴉はグリフの者ではなかった。


 暗殺と情報収集を請け負う特殊技能者として、グリフと契約を交わしていただけなのである。もう一つ正確にいえば、グリフの有力貴族が、個人的に白鴉と契約していたのであって、グリフ自体とはまったく関係ないともいえた。


 その貴族も、もうこの世には居ない。


 以前の繋がりを利用して、鑑札と手形を手に入れはしたものの、王都の中の地理に関しては、ガウディアも真維達と大差がなかった。


「役に立たなくて、ごめんなさいね……」


 謝る年上の女性に、真維は何時ものあっけらかんとした笑顔を向ける。


「気にしない気にしない。なんとかなるって。それにさ、ただ無駄骨だったわけでもないのよ」


「何か、ありましたの?」


 茶水晶の瞳が悪戯っぽい光を帯びる。


「ま、ね。大した事じゃないんだけど、面白い噂を聞いたの」


 言いつつ真維も窓辺に歩み寄る。


 鎧戸に手を掛けて思い切りよく押し開けると、夕暮れ間近の心地よい風が吹き込んでくる。


 窓にガラスも入らないような安宿であるが、三階にあるこの部屋からは、城下町が見渡せ、初夏に向かう季節にはありがたい涼風が与えられている。真維は結構この部屋を気に入っていた。


「えーと、東西南北……あっちだ」


 四方を確かめてから、真維は東の方を指差した。


「あちらは、山の手の方ね」


「うん」


 半山城であるグリフ城がそびえる山腹から、二重の城門を経て、貴族達の住む一の郭、さらに大きい城門を通って、城下町の大通りや、煩雑な町並みが屋根の波に沈んでいく。


 マイが指差したのはその波の向こう、爪先上がりに小高くなっていく丘に点在する瀟洒な館が集まる地域であった。


「どんな噂ですの?」


 邸宅群を見ながらガウディアが問う。


「お化け屋敷だって。面白そうだから、見に行こうよ」


 可愛らしく首を傾げてみせる少女に、黒髪の美女も微笑み返した。


「いいですわね、セリフィーも誘いましょう」


「うん」


 マイが頷いた時、軽いノックの後にドアが開かれた。


「真維、コル……じゃなかった、ガウ姉。お店が込んできたので、お願いしますって、おばさんが呼んでます」


 はあい、と元気に返事をして、真維が飛び出していく。



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