第4節:凍てつく撮影現場と、キャスト・スタッフが織りなす「ギャップ」、そして感動のクランクアップ
巨大な工業用ウインドマシーン(強力送風機)の重低音がスタジオの壁面を揺らし、ドライアイスフォグの白煙と冷風ミストが視界を白く染め上げる。セットの室温そのものを氷点下に下げているわけではないが、毎秒30メートルの風圧と舞い散るダイヤモンドダストパウダーが、画面上に完璧な「マイナス15度の生きた地獄」を立ち上げていた。その吹き荒れる極寒演出の真ん中に、緊迫した空気が張り詰めている。カメラが捉えるのは、映画の命運を握る実際の撮影現場の姿だ。
モニタールームの前に立ったアメリカ人の監督、ライアン・ミラー(Ryan Miller)が、手元のインサートモニターを見据えながら静かにうなずく。その傍らには、映画の撮影現場でおなじみのカチンコが掲げられている。表面のホワイトボード部分には、整然とした文字でこう記されていた。
PROD.:Type-Σ Life Support Unit
SCENE:104
TAKE:1
DIRECTOR:R. MILLER
CAM.OP:MARK HANSEN
監督のライアン・ミラーの合図で助監督が力強くカチンコを鳴らすと、「本番、回します」という低い声がスタジオの空気を震わせた。ハイテク車椅子の上に横たわるマック役の俳優トーマスは、呼吸も浅く弱く、声も低くかすれ、身体を動かそうとしてもわずかに指や首が動く程度という極限の演技状態に入り込んでいる。モニター越しに見守るライアン監督は、これまでのキャリアや本作にかけた想いについて、カメラに向かってこう語る。
「これまで私は、人間の極限状態やサイバーパンク的世界観を描いたSFスリラー『アイアン・ヴェール』や、閉ざされた宇宙船内での心理戦を描く『ゼロ・リミット』といった作品を手がけてきました。ですが、今回なぜこの『Type-Σ Life Support Unit -マック・アダソン定期総合生命維持施術-』という過酷な生命維持の全貌を描いたのか――それは、これまでのどんなSFよりも『生と死の境界線上にある圧倒的なリアリティ』を突き詰めたかったからです。CGで簡単にキャラクターが作れる現代だからこそ、あえて実物の特殊造形と、身動きの取れない肉体の重みを通して、人間の尊厳と孤独の極限を描き出してみたかったのです。しかも本作には、総製作費にして実に1億2000万ドル(約180億円)という巨額の予算が投じられています。妥協のない美術セットと特殊造形、そしてこの膨大な強風・ミスト演出をやり抜くためには、どうしてもこの規模が必要でした」
ここでカメラは、メイキングの別インタビューへと切り替わる。特殊メイク・造形スタッフが、マックの肉体造形の裏側についてカメラに向かってこう証言する。
「マックの全身は生命維持のための『第二の皮膚』であるCryo-Gelや、長年の自己実験による生々しい注射痕、古い化学火傷で埋め尽くされています。そのため、衣服で隠せる部分は一切ありませんでした。トーマスには最低限の撮影用アンダーパーツ(前張りや極薄のスキンカラーショーツ)だけをつけてもらい、文字通り全身全裸のキャンバスとして数時間かけてパーツを貼り付け、ペイントを施していきました」
続いて、主役であるトーマス・リチャーズ本人が、当時の過酷な撮影環境を振り返って苦笑交じりに語る。
「実質的に全裸の状態で、スタジオの強風ファン(ウインドマシーン)から叩きつけられる暴風と冷風ミストに晒され続けるわけです(笑)。もちろん実際の温度はマイナス15度ではないとはいえ、皮膚に直接水分や冷却ジェルが塗られているので、風が当たるたびに体温が急速に奪われていく。重厚な防護スーツを着て守られているBMSLT(特務隊)のメンバーたちが心から羨ましかったですね」
しかし、ライアン監督の「カット!」という声が響いた瞬間、スタジオの表情は一変する。巨大ファンの爆音が静まり、張り詰めていた緊張感の中から、特殊メイク班のスタッフやCryo-Gel担当、小道具スタッフたちが一斉に駆け寄るのだ。
現場での維持作業は過酷を極めた。照明の熱や風圧で数分ごとに乾燥してツヤを失う『Cryo-Gel』の表面へ、造形スタッフが特製の保湿冷却スプレーとジェルを手作業で素早く塗布し直していく。また、密閉度の高い『Cryo-Mask Σ』は内部に熱と湿気がこもりやすいため、「カット」がかかるたびに小道具チーフが専用ツールでワンタッチロックを解除し、トーマスに酸素と外気を吸わせる安全対策が徹底された。さらに、強風ファンの風圧で乱れた白髪ウィッグの「パリパリ・ネチャネチャとした固まり」をヘアメイク担当が手作業で丹念に復元し、重さ25キロを超えるAGBスーツを着たBMSLTのキャスト陣も、強風の風圧に耐えつつ内部の熱気と戦い、バイザーを解放して冷やすなど、一瞬の隙もないケアが続けられていた。
直前まで『Cryo-Vision Σ』の特殊コンタクトで離人症的な絶望の虚空を見つめていたトーマスが、目薬をしてもらいながら「ふう、あの風圧の中で冷気に体温を奪われながら息を殺し続けるのは本当の地獄だったよ!」とスタッフたちと笑顔を交わす。完成した映画本編の映像だけを見ればそこには恐ろしく冷酷な絶望の世界が広がっているが、カメラがひとたび止まれば、大勢のスタッフが俳優の安全と体調を支えるために奔走する――その過酷さと温かさが同居する現場のギャップこそ、このメイキングが映し出すもう一つの真実である。
さらに、現場の美術や強風演出だけでは描ききれないマックの異様な存在感を支えているのが、VFXチームの緻密なデジタルワークだ。VFXスーパーバイザーを務めるアレックス・マーティンが、コンピュータの編集画面を見せながらメイキングカメラのインタビューに答える。
「今回のVFXで最も難易度が高かったのは、毎秒30メートルの強風で激しく揺れる実物のCryo-Gelや配線チューブ、そして立ち込める霧の動きに、デジタルCGのエフェクトを完璧に同期させることでした。マックの体内で脈打つナノマシンの微小な発光や、空気中のウイルス粒子、VFXによる霜の結晶レイヤーを、実写の複雑な揺らぎに合わせてフレーム単位でレイヤリングしています。実物の持つ重厚な手触りと、高度なVFXトラッキング技術が融合して初めて、あのスクリーン上の不気味な生命維持施術が完成したのです」
すべての撮影日程が終わり、カメラは再び静まり返ったメイクルームへと戻る。早朝に約5時間もの時間をかけて構築されたマックの姿を、今度は逆の順序で丁寧に解体していく作業が始まる。チューブを一本ずつ慎重に外し、Cryo-Gelの特殊造形を取り除き、呼吸マスクを外し、粘着質に固められた白髪ウィッグを脱ぎ、数時間かけて特殊メイクを剥がしていく。マックという圧倒的な存在が、少しずつ、しかし確実に消えていく時間だ。
すべての装飾が取り払われ、俳優がようやく自分の顔へと戻った瞬間、彼は深い息をついてこう笑顔を見せる。
「ふう……やっと、マックから帰ってきました」
その声を聞いた瞬間、メイクルームの外から「お疲れ様でした!」と大きな歓声が沸き起こる。ライアン監督をはじめ、特殊メイク、造形、衣装、美術、VFX、音響のスタッフたちが大勢詰めかけ、長期間にわたる過酷な撮影を走り抜いた俳優やチームメイトたちへ、次々と色鮮やかな花束が手渡されていく。互いの健闘をたたえ合い、熱い抱擁を交わすクリエイターたちの顔には、激務をやり遂げた最高の笑顔が咲いていた。
その温かな拍手と歓声の余韻の中、画面には後日執り行われたアカデミー賞授賞式の輝かしい映像が挿入される。
この狂気とも言える職人たちの執念と技術の結晶は、映画界最高の栄誉によって報われることとなった。
本作『Type-Σ Life Support Unit -マック・アダソン定期総合生命維持施術-』は、第⚪︎回アカデミー賞において【最優秀特殊メイク・ヘアスタイリング賞】、【最優秀美術賞】、【最優秀視覚効果賞】、【最優秀音響賞】の主要4部門を堂々制覇。金色のオスカー像を抱えたクリエイターたちが壇上で涙を浮かべながら抱き合う姿が、この壮大な挑戦の正当性を証明していた。
映像は再び、本編の研ぎ澄まされたマックの姿へと鮮やかに切り替わる。そして画面は、本作を支え続けたクリエイターたちの名前がずらりと並ぶ特製スタッフロールへと移行していく。
ACADEMY AWARD® WINNER
CHARACTER CREATION
特殊メイク、特殊造形、Cryo-Gel造形、ヘア&ウィッグ、美術、医療プロップ、生命維持装置、VFX、特殊効果、音響デザイン、
照明――。マック一人のために人生と技術を捧げた無数のスタッフの名前がスクリーンを彩り、特典映像『Type-Σ Life Support Unit -マック・アダソン定期総合生命維持施術-』の記録は、一人の俳優を異世界の神へと変貌させた壮大な狂気と情熱の軌跡として静かに幕を閉じるのだった




