97杯目「第二の試練—汚染の始まり」
街の中心部に着いた時、俺は言葉を失った。
地獄だった。
広場が、真っ黒な霧に包まれている。
その中で——。
「うああああああ!!」
「助けて……誰か……!」
人々の悲鳴が、響き渡っている。
そして——。
「グオオオオオ!!」
怪物化した人々の咆哮。
広場の中心には、何十人もの住民が倒れていた。
その体からは、黒い霧が噴き出している。
体が歪み、膨れ上がり、牙が生え——。
人間が、次々と怪物へと変わっていく。
「くそ……!」
マーカスが、大剣を構える。
「街の兵士たちが、すでに制圧に向かっているが……!」
広場の端では、王都の兵士たちが必死に戦っていた。
でも——。
怪物化した住民を、殺さずに制圧するのは困難だった。
「盾で押さえろ! 殺すな!」
兵士たちが叫ぶ。
でも、怪物化した住民の力は凄まじい。
盾が吹き飛ばされ、兵士たちが次々と倒れていく。
「治癒魔法を!」
魔法使いの兵士たちが、緑色の光を放つ。
でも——。
「効かない……!」
治癒魔法は、黒い霧に飲み込まれて消えていく。
何の効果もない。
「マリア!」
マーカスが叫ぶ。
「私も試してみます!」
マリアが、杖を掲げた。
強力な治癒魔法が、怪物化した住民に降り注ぐ。
でも——。
やはり、何も変わらない。
「ダメです……私の魔法でも……!」
マリアが、唇を噛む。
「くそ……どうすれば……!」
俺は、剣を握りしめた。
その時だった。
「きゃああああ!!」
広場の反対側から、女性の悲鳴が聞こえた。
見ると——。
一人の少女が、怪物化した父親に追われていた。
まだ十歳くらいだろうか。
怪物化した父親が、少女に手を伸ばす——。
「させるか!」
俺は、全速力で駆け出した。
しかし——。
間に合わない!
怪物化した父親の爪が、少女の背中に届こうとした——その瞬間。
「ぐっ……うぐぅぅ……!!」
怪物化した父親が、苦しそうに唸った。
自分の腕を——。
自分の、もう片方の手で、必死に掴んで止めている。
歯を食いしばり、体を震わせながら。
娘を——。
自分の娘を、襲おうとする自分の腕を、必死に止めている。
「まだ、自我が残ってる……!」
俺は叫びながら、怪物化した父親と少女の間に割り込んだ。
怪物化した父親の体を、剣の腹で軽く押して距離を取らせる。
「殺させちゃダメだ……!」
「っ……!」
怪物化してしまった父親が、苦しそうに俺を見た。
その目には——。
確かに、人間の感情が残っていた。
娘を守りたいという、父親の想い。
そして、自分が怪物のような姿になってしまったことへの、絶望。
「大丈夫か!?」
俺は、少女を抱き上げた。
「う、うん……」
少女が、涙を流しながら頷く。
「怖かった……でも……お父さんが、守ってくれて……」
少女が、震える声で言う。
「お父さん……怪物みたいになっても、私を守ってくれた……」
少女が、倒れた父親を見る。
その目には、恐怖だけでなく——。
愛情が、確かにあった。
怪物化した父親は、力尽きたように膝をついて——。
でも、まだ必死に、自分の腕を掴んで、娘を襲わないようにしている。
「……必ず、元に戻してやる」
俺は、心からそう誓った。
この人たちは——。
まだ、人間なんだ。
殺しちゃいけない。
絶対に——。
俺は、少女をリリアに渡した。
「リリア、この子を安全な場所へ!」
「はい!」
リリアが、少女を抱いて走り出す。
俺は、再び怪物化した人々に向き直った。
広場には、もう五十人以上の怪物化した人々がいる。
そして、まだ増え続けている。
黒い霧を浴びた住民が、次々と倒れて——。
怪物のような姿へと変わっていく。
「アル! 左から来るぞ!」
マーカスの声。
振り返ると、怪物化した三人が襲いかかってきた。
「はああっ!」
俺は、剣の腹で一体を殴り飛ばす。
マーカスも、大剣の腹で二体を叩き倒した。
「殺さずに制圧するのは、限界があるぞ……!」
マーカスが、汗を流しながら言う。
「分かってる……でも、殺すわけにはいかない!」
俺は、歯を食いしばった。
あの怪物化した人々は、元は普通の住民だ。
家族がいて、仕事があって、日常を送っていた人たちだ。
殺すわけには——。
絶対にいかない。
「光縛!」
ルーナの声が響く。
光の魔法が、怪物化した人々の足を光の鎖で縛って動きを止める。
「ルーナ! ありがとう!」
「礼はいいから、早く!」
ルーナが、額の汗を拭う。
彼女も、すでに限界に近い。
「ミア! お前は守護者のところへ戻れ!」
俺が叫ぶ。
「でも……!」
ミアが、杖を握りしめている。
「守護者様は、もう……これ以上、力を使えない状態です……!」
「だからこそだ! お前が、守護者を守るんだ!」
俺の言葉に、ミアは一瞬躊躇した。
でも——。
すぐに頷いた。
「……分かりました。でも、必ず戻ってきてください!」
ミアが、城へ向かって走り出す。
その背中を見送りながら、俺は思った。
守護者は、もう限界だ。
この黒い霧を、完全に止めることはできない。
なら——。
俺たちが、時間を稼ぐしかない。
酒が完成するまで——。
「みんな! 住民を広場の外へ避難させろ!」
俺は、兵士たちに指示を出す。
「怪物化していない人たちを、優先的に!」
「了解!」
兵士たちが、住民を誘導し始める。
でも——。
「うわああ!」
また一人、兵士が黒い霧を浴びて倒れた。
その体から、黒い霧が噴き出し始める。
「くそ……兵士まで……!」
マーカスが、拳を握りしめる。
その時だった。
空から、巨大な影が降りてきた。
「ノクト!?」
黒い龍——ノクトが、広場の上空に現れた。
その背には——。
「ミア!? 戻ってきたのか!?」
「一人では無理だと思いました!」
ミアが、ノクトの背から叫ぶ。
「ノクト、風を!」
ミアの指示で、ノクトが大きく翼を羽ばたかせた。
強烈な風が、広場を吹き抜ける。
黒い霧が、一時的に吹き飛ばされた。
「今だ! 住民を避難させろ!」
俺は、再び叫んだ。
兵士たちが、必死に住民を運び出す。
でも——。
黒い霧は、すぐにまた立ち込めてくる。
ノクトの風でも、完全には消せない。
「ダメだ……霧が、また……!」
ルーナが、絶望的な声で言う。
その時——。
広場の中心で、黒い霧がさらに濃くなった。
そして——。
その中から、何かが現れた。
「……何だ、あれ……?」
俺は、息を呑んだ。
黒い霧の中心に——。
巨大な、人型の影が浮かび上がっていた。
いや、人型ではない。
頭が三つあり、腕が六本。
全身が黒い霧で覆われている。
それが——。
ゆっくりと、俺たちに向かって歩いてくる。
「あれは……何だ……?」
マーカスが、大剣を構え直す。
その手が、震えている。
「分からない……でも……」
俺は、剣を握りしめた。
あの化け物から——。
圧倒的な悪意を感じる。
まるで、世界のすべてを憎んでいるような——。
「グオオオオオオオ!!」
化け物が、咆哮した。
その声が、広場全体を震わせる。
怪物化した住民たちが、一斉にこちらを向いた。
まるで、化け物に操られているかのように。
「まずい……!」
俺は、身構えた。
化け物が、腕を振り上げる——。
その瞬間。
「みんな、伏せろ!!」
マリアの叫び声。
俺たちが地面に伏せると、化け物の腕が空を切った。
黒い波動が、俺たちの頭上を通り過ぎていく。
その波動が通った場所の建物が——。
音もなく、崩れ落ちた。
「嘘だろ……」
俺は、冷や汗を流した。
あの波動に当たっていたら——。
確実に、死んでいた。
「アル! どうする!?」
ルーナが叫ぶ。
俺は——。
俺は、どうすればいい?
あんな化け物、どうやって倒せばいい?
殺さずに制圧なんて——。
無理だ。
でも——。
諦めるわけにはいかない。
「みんな、散開しろ! 固まるな!」
俺は、指示を出す。
「住民の避難を最優先! あの化け物は……俺が引きつける!」
「何言ってるの!? 無茶よ!」
ルーナが叫ぶ。
「でも、誰かがやらなきゃいけない!」
俺は、化け物に向かって走り出した。
剣を構える。
心臓が、激しく鳴っている。
怖い。
正直、めちゃくちゃ怖い。
でも——。
ここで逃げたら、みんなが死ぬ。
だから——。
「来いよ、化け物!」
俺は、叫んだ。
化け物が、こちらを向く。
三つの頭が、一斉に俺を見た。
そして——。
六本の腕が、同時に振り下ろされた。
「うわああああ!!」
俺は、必死に転がって避ける。
地面が、砕け散る。
化け物の拳が、俺がいた場所に叩きつけられた。
クレーターができている。
「アル!」
リリアが、俺に駆け寄る。
「リリア! 来るな!」
「一人で戦わせるわけにはいきません!」
リリアが、杖を構える。
「氷槍!」
氷の槍が、化け物に向かって飛んでいく。
でも——。
化け物は、手を振るだけで氷槍を粉砕した。
「効いてない……!」
リリアが、唇を噛む。
「リリア、下がれ! お前まで——」
その時だった。
化け物の腕が、リリアに向かって振り下ろされた。
「リリア!!」
俺は、リリアを突き飛ばした。
そして——。
化け物の腕が、俺の体を掠めた。
「がっ……!」
激痛が、肩を走る。
血が流れ出す。
「アルさん!!」
リリアが、叫ぶ。
俺は、痛みに歯を食いしばりながら立ち上がった。
まだだ。
まだ、戦える。
でも——。
このままじゃ——。
その時。
城の方角から、銀色の光が空に昇った。
そして——。
「皆さん……すみません……」
弱々しい声が、俺の頭の中に響いた。
守護者だ。
「私の力では……もう、これ以上は……」
銀色の光が、揺らめいて——。
消えた。
瞬間。
広場全体の黒い霧が、さらに濃くなった。
「うわああああ!!」
まだ怪物化していなかった住民たちが、次々と倒れていく。
そして——。
怪物へと、変わっていく。
「守護者様……!」
ミアが、城の方を向いて叫ぶ。
その声は、絶望に満ちていた。
俺は——。
俺は、どうすればいい?
酒は、まだ完成していない。
守護者の力も、尽きた。
このままじゃ——。
街が——。
みんなが——。
その時、俺の視界の端で、何かが光った。
見ると——。
醸造所の方角だった。
淡い、金色の光。
それが、空に向かって昇っている。
「あれは……まさか……」
俺は、息を呑んだ。
酒だ。
あの光は——。
酒が、完成したんだ。
でも、どうして?
俺は、まだ醸造所にいない。
誰が——。
その疑問は、すぐに解けた。
醸造所から、三つの人影が走ってくる。
がっしりとした体格——。
長い髭——。
ドワーフだ!
「ドラ! グラ! ダグ!」
俺は、思わず叫んだ。
ドワーフの三人組が、息を切らせながら走ってくる。
「アル! 無事か!?」
ドラが叫ぶ。
「ユリから聞いたぞ! 王都が大変なことになってるって!」
グラが続ける。
「それで——ユリが言うには、お前が作ろうとしてる酒に、まだ足りないものがあるって!」
ダグが、小さな袋を取り出す。
「これを渡せって! 魔力を込めた特別な麹だってよ!」
「麹……!?」
俺は、驚いた。
確かに、何かが足りない気がしていた。
あの金色の米も、守護者が力を込めた水も——。
でも、発酵を促す「何か」が、まだ足りなかった。
「急いで醸造所に戻って、これを仕込みの樽に入れたんだ!」
ドラが興奮気味に言う。
「そしたら——!」
「樽から、金色の光が吹き出したんだよ!」
グラが叫ぶ。
「見たこともねえ光景だった! 酒が、生きてるみたいに輝いて——」
ダグが、大きな瓶を抱えて見せる。
「完成したんだ! お前が作ろうとしてた、奇跡の酒が!」
三人が、同時に叫ぶ。
瓶の中の酒は——。
淡い金色に光り、まるで星屑が溶け込んでいるように輝いている。
「これが……完成した……」
俺は、瓶を受け取った。
温かい。
まるで、命そのものを抱いているような——。
これが——。
みんなを救う、酒。
「みんな! 酒が完成した!」
俺は、叫んだ。
「怪物化した人たちに、この酒を飲ませるんだ!」
マーカス、リリア、ルーナ、マリア——。
みんなが、こちらを向く。
その目には、希望が宿っていた。
俺たちは、再び戦い始めた。
でも今度は——。
絶望ではなく、希望を胸に。
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