96杯目「リリアの想い」
夜。
醸造所には、俺一人が残っていた。
ランプの灯りが、静かに揺れている。
麹の様子を確認する。
発酵は……順調だ。
でも、本当にこれで良いのか?
守護者の力を宿した水。
ユリから貰った黄金の米。
すべて揃っているはずなのに——。
胸の奥に、不安が渦巻いている。
「まだ……何かが足りない気がする」
俺は、呟いた。
窓の外を見る。
二つの月が、赤く揺らめいている。
不穏な光だ。
時間がない。
街では、また倒れる人が出始めている。
守護者も、限界だ。
でも——。
俺に、何ができる?
ただの大学生だった俺が、この世界で何を……。
その時だった。
「アルさん」
ドアが開く音がした。
振り返ると——。
「リリア……?」
リリアが、差し入れの籠を持って立っていた。
紫色の髪が、ランプの光に照らされて柔らかく輝いている。
「まだ起きていたんですか?」
「ああ……ちょっと、気になって」
俺は、麹室から出た。
リリアが、テーブルに籠を置く。
「温かいお茶とサンドイッチです。少し、休憩しませんか?」
「……ありがとう」
俺は、椅子に座った。
リリアが淹れてくれたお茶を飲む。
温かい。
体が、少しずつ緩んでいく。
「美味しい」
「良かったです」
リリアが、微笑む。
その笑顔が、どこか寂しそうに見えた。
「リリア、お前も無理するなよ。今日は朝から手伝ってくれたんだから」
「大丈夫です。私、こういうの慣れてますから」
リリアが、俺の隣に座る。
近い。
でも、嫌じゃない。
むしろ——落ち着く。
「アルさん」
「ん?」
「不安なんですか?」
リリアが、静かに尋ねた。
俺は、少し考えてから答えた。
「……ああ。本当に、この酒で治せるのかって」
「俺は……醸造のプロじゃない。ユリさんに教わって、やっと日本酒が作れるようになった程度だ」
「それなのに、魂の病を治す酒なんて……」
言葉が、途切れた。
リリアは、黙って俺の話を聞いていた。
「もし、失敗したら……」
「街の人たちが、どんどん苦しんでいく」
「守護者も、もう限界だ」
「俺が……俺がもっと早く、もっと上手く——」
「アルさん」
リリアが、俺の手を握った。
柔らかくて、温かい手。
「あなたは、十分頑張っています」
「誰よりも、必死に戦って、走って、考えて……」
リリアの目が、真っ直ぐ俺を見つめている。
「だから……もう、一人で背負わないでください」
「私たちがいます。ルーナさんも、ミアさんも、マーカスさんも、みんな」
「あなたを、支えたいんです」
その言葉が、胸に染み込んでくる。
俺は……一人じゃない。
そうだ。
みんながいる。
「……ありがとう、リリア」
「いえ」
リリアが、微笑む。
そして——。
少し、顔を赤らめた。
「あの……アルさん」
「ん?」
「私……ずっと、言いたかったことがあります」
リリアの声が、少し震えている。
俺は、何となく胸がドキドキし始めた。
「何だ?」
リリアは、俺の目を見て——。
深く息を吸った。
「私、ずっと……あなたと一緒にいたいです」
「え……?」
俺は、思わず聞き返した。
リリアの顔が、真っ赤になっている。
「最初は……ただの護衛役だと思ってました」
「父上に命じられて、魔王の娘として、あなたを守る」
「それだけのはずだったんです」
リリアが、俯く。
「でも……あなたと旅をして」
「あなたが酒を作る姿を見て」
「あなたが、みんなを守ろうとする姿を見て」
「私……」
リリアが、顔を上げた。
その目には、涙が浮かんでいる。
「この気持ちが何なのか……最近、分かってきて……」
「私、あなたのことが——」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
城全体が、激しく揺れた。
「うわっ!?」
俺は、リリアを抱きとめた。
テーブルの上のコップが落ちて割れる。
麹室の扉が、バタンと開いた。
「何だ!? 地震か!?」
「いえ……これは……!」
リリアが、窓の外を見る。
俺も窓に駆け寄った。
そして——。
息を呑んだ。
街の中心部から、黒い霧が立ち上っていた。
巨大な、真っ黒な霧の柱。
それが、まるで生き物のように蠢いている。
「まさか……もう!?」
キィィィィィン!!
警鐘が鳴り響く。
城中が、騒然となる。
廊下を走る足音。
誰かの叫び声。
「アル!」
ドアが勢いよく開いて、ルーナが飛び込んできた。
息を切らしている。
「ルーナ! どうした!?」
「さっきの兵士だけじゃなかった……!」
ルーナの顔が、青ざめている。
「街の中心部で……井戸の水を飲んだ住民たちが、次々と同じように……!」
「くそ……広がってるのか!」
俺は、拳を握りしめた。
「しかも……数が多すぎる……!」
ルーナが、壁にもたれかかる。
「何十人も……いえ、もっと……!」
「街全体が、パニックになってる……!」
俺とリリアは、顔を見合わせた。
「行くぞ!」
俺は、腰の剣を掴んだ。
リリアとルーナも、武器を構える。
三人で、醸造所を飛び出した。
廊下には、兵士たちが慌ただしく走っている。
城の外から、悲鳴が聞こえる。
怪物の咆哮。
剣のぶつかり合う音。
炎の魔法の爆発音。
街が——。
また、戦場になっている。
「くそ……!」
俺は、歯を食いしばった。
リリアの言葉が、まだ終わっていない。
彼女が、何を言おうとしていたのか——。
でも、今は——。
今は、街を救うことが先だ。
俺たちは、城の外へ駆け出した。
中庭では、すでにマーカスとマリア、そしてミアが待機していた。
「アル!」
マーカスが、大剣を構えている。
「街の中心部で、住民が次々と怪物化してる!」
「治癒魔法が効かない!」
マリアが、焦った表情で叫ぶ。
「守護者様は……もう、これ以上力を使えません……!」
ミアが、杖を握りしめている。
その目には、涙が浮かんでいた。
俺は、黒い霧の柱を見上げた。
街が——。
みんなが——。
苦しんでいる。
酒は、まだ完成していない。
時間が、足りなかった。
でも——。
諦めるわけにはいかない。
「みんな、行くぞ!」
俺は、剣を抜いた。
「住民を救出する! 怪物化した人たちを傷つけずに制圧するんだ!」
「殺すな! 彼らは、まだ人間だ!」
マーカスが、力強く頷く。
「了解! 全員、非殺傷で!」
俺たちは、街へと駆け出した。
黒い霧が、俺たちを飲み込もうとしている。
でも——。
負けるわけにはいかない。
絶対に——。
みんなを、救う。
そして——。
リリアの、あの続きの言葉を——。
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