94杯目「マーカスの過去」
会議は、予想以上に長引いた。
魔王と人族の王、マーカス、マリア、そして俺たち。
全員で今後の方針を話し合った。
結論は——。
災厄の再襲来に備えて、防衛体制を強化する。
そして、俺は次の試練に備えて力をつける。
シンプルだが、それしかできることはなかった。
夕暮れ時、会議を終えて城の廊下を歩いていると——。
「アル、少しいいか?」
マーカスが声をかけてきた。
「ああ、何だ?」
「……話したいことがある」
マーカスの表情は、いつになく真剣だった。
「俺の部屋に来てくれないか」
「分かった」
俺は、マーカスについていった。
マーカスの部屋は、質素だった。
ベッドと机、それに武器が並んでいるだけ。
壁には、剣が何本も掛けられている。
「座ってくれ」
マーカスが、椅子を勧める。
俺が座ると、マーカスは棚から酒瓶を取り出した。
「これは……?」
「お前が作った日本酒だ。グラン・ハンマーから、少し分けてもらった」
マーカスが、二つの杯に酒を注ぐ。
「乾杯、といこうか」
「……ああ」
俺たちは、杯を合わせた。
カチン、と音がする。
そして、酒を口に含む。
喉を通る、温かい味。
「……うまいな」
マーカスが、しみじみと言った。
「お前の酒は、本当にうまい」
「ありがとう」
俺も、もう一口飲む。
しばらく、沈黙が続いた。
マーカスが、杯を見つめながら口を開く。
「アル……俺には、話していないことがある」
「俺の……過去のことだ」
俺は、黙って聞く姿勢を取った。
マーカスは、ゆっくりと語り始めた。
「十年前……人族と魔族は、まだ戦争をしていた」
「俺は、人族の騎士として最前線で戦っていた」
マーカスの目が、遠くを見ている。
「当時、俺には家族がいた」
「妻と……娘だ」
俺は、息を呑んだ。
マーカスに、家族がいた——。
「妻の名は、エレナ。優しくて、いつも笑っていた」
「娘の名は、リリー。まだ五歳で……俺にそっくりだった」
マーカスが、微笑む。
でも、その笑顔は悲しげだ。
「ある日、俺が前線にいる時……」
「魔族の部隊が、俺の故郷の村を襲撃した」
俺は、じっと耳を傾ける。
何も言わず、ただマーカスの言葉を受け止める。
「村は、焼かれた」
「住民の多くが、殺された」
「そして——」
マーカスが、拳を握る。
「エレナと、リリーも……」
俺は、黙ったまま拳を握りしめた。
「いや、いいんだ」
マーカスが、首を横に振る。
「もう、昔の話だ」
マーカスは、酒を飲み干した。
そして、続ける。
「当時の俺は……狂っていた」
「復讐しか、考えられなかった」
「魔族を、一人残らず殺してやろうと思った」
マーカスの声が、震える。
「俺は、魔族の兵士を何人も殺した」
「老人も、女も、容赦しなかった」
「憎しみが、俺を支配していた」
俺は、マーカスを見つめる。
彼の目には、当時の苦しみが浮かんでいる。
「でも……」
マーカスが、深く息を吐いた。
「ある日、俺は魔族の村を襲撃した」
「そこで……一人の子供を見つけた」
「魔族の子供だ。角が生えていて、怯えていた」
マーカスが、杯に酒を注ぐ。
「俺は、剣を構えた」
「この子も、魔族だ。殺さなければならない——」
「そう、思った」
マーカスが、俯く。
「でも……その子の目を見た時」
「俺は、気づいたんだ」
「この子は……リリーと同じだって」
俺は、息を呑んで聞き入る。
「同じ、怯えた目をしていた」
「同じ、小さな体をしていた」
「ただ、角があるかないかの違いだけだった」
マーカスが、震える手で酒を飲む。
「俺は……剣を下ろした」
「そして、その子を抱きしめた」
「『ごめん……ごめんな』って、何度も謝った」
マーカスの目から、一筋の涙が流れた。
「その時、俺は悟ったんだ」
「憎しみは、何も生まないって」
「エレナとリリーを殺したのは、魔族じゃない」
「戦争そのものだったんだって」
俺は、静かに頷いた。
言葉は不要だった。
ただ、マーカスの想いを受け止める。
「その後、俺は騎士を辞めた」
「戦うことに、意味を見いだせなくなった」
「しばらくは……放浪していた」
マーカスが、遠い目をする。
「だが、数年後……人族と魔族の戦争は終結した」
「表向きは、和解ということになった」
マーカスの声に、わずかな苦みが混じる。
「でも、本当に平和が訪れたわけじゃない」
「両種族の間には、まだ深い溝がある」
「憎しみの連鎖は、簡単には消えない」
マーカスが、俺を見る。
「だから俺は、再び剣を取った」
「両王に仕え、騎士団を率いることを選んだ」
「もう二度と……あの悲劇を繰り返さないために」
「誰も失わせないために……守るんだ」
マーカスが、微笑む。
「表向きの平和は、脆い」
「いつ崩れてもおかしくない」
「だから、俺は今、ここにいる」
「この脆い平和を……お前たちを、守るために」
俺は、マーカスを見つめた。
この男は——。
誰よりも戦いの痛みを知っている。
誰よりも平和を願っている。
「マーカス……」
俺は、杯を持ち上げた。
「俺も、同じだ」
「この世界を……守りたい」
「もう、誰も失いたくない」
マーカスが、杯を持ち上げる。
「ああ……」
二人の杯が、再び合わさった。
カチン。
その音が、静かな部屋に響く。
「お前なら、できる」
マーカスが言った。
「お前には、仲間がいる」
「お前には、想いがある」
「だから……必ず、この世界を救える」
「……ありがとう」
俺は、心からそう言った。
「俺、頑張るよ」
「ああ、期待してる」
俺たちは、酒を飲み干した。
その後、しばらく二人で語り合った。
戦いのこと。
仲間のこと。
未来のこと。
気づけば、もう夜遅くになっていた。
「そろそろ、戻るか」
マーカスが言った。
「ああ」
俺は立ち上がる。
部屋を出る前、マーカスが俺の肩を叩いた。
「アル」
「何だ?」
「お前は……一人じゃないからな」
「……ああ」
俺は頷いた。
「分かってる」
マーカスの部屋を出て、廊下を歩く。
胸の中に、温かいものが広がっている。
マーカスの想い。
それが、俺の背中を押してくれる。
「俺は……一人じゃない」
呟いて、窓の外を見た。
二つの月が、静かに輝いている。
今夜は、穏やかだ。
自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると——。
「あら、アル」
背後から声がして振り返ると、マリアが立っていた。
夜なのに、彼女は城の廊下を歩いている。
普段の凛とした服装ではなく、くつろいだ部屋着姿だ。
肩を覆うショールが、優雅に揺れている。
「マリアさん、こんな時間にどうしたんですか?」
「守護者様の様子を見に行ってきたの。今日は少し落ち着いているわ」
マリアが微笑む。
「それより、アル。あなた、まだ起きていたのね」
「ああ……マーカスと、話してたんです」
「そう……」
マリアが、俺の顔を覗き込む。
近い。
「顔色が悪いわよ。ちゃんと休んでる?」
「だ、大丈夫です」
「本当かしら?」
マリアが俺の額に手を当てる。
柔らかくて、温かい手。
そして、彼女の体が近づいて——。
豊かな胸が、俺の腕に触れる。
「……っ!」
俺は硬直した。
「あら、顔が赤いわ。やっぱり熱があるんじゃない?」
「ね、熱じゃないです!」
俺は慌てて一歩下がる。
マリアが、意味ありげに微笑んだ。
「ふふ、冗談よ。でも、本当にちゃんと休みなさいね」
「は、はい……」
マリアが去っていく。
その後ろ姿を見ながら、俺は大きく息を吐いた。
心臓がバクバクしている。
あの人、絶対わざとだろ……。
気を取り直して、自分の部屋に向かう。
部屋の前まで来ると——。
「アル様!」
リリアが、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「リリア? どうした——って、うわっ!?」
リリアが、バランスを崩して俺に倒れこんできた。
反射的に受け止める。
柔らかい体。
いい香り。
そして——。
「あ……」
リリアの顔が、すぐ目の前にあった。
お互いの息が聞こえるくらい、近い。
「す、すみません! 急いでいて、足が……!」
リリアが真っ赤な顔で謝る。
「い、いや、大丈夫……」
俺も顔が熱い。
リリアを支えたまま、数秒が経過する。
どうしよう。
このまま離すべきか、でも急に離したら彼女が倒れるかも——。
「あら、あらあら」
廊下の向こうから、ルーナの声が聞こえた。
「何やってるの、二人とも」
ルーナが、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
彼女も部屋着姿だ。髪を下ろしていて、いつもより柔らかい雰囲気。
「ち、違うの! これは事故で……!」
リリアが慌てて説明する。
「へえ、事故ねぇ」
ルーナが疑いの目で見る。
「本当に事故だって!」
俺も弁明するが、ルーナは信じていない様子だ。
「まあ、いいわ。でも、廊下で抱き合うのはどうかと思うわよ?」
「だから、抱き合ってないって!」
リリアと俺が同時に叫ぶ。
ルーナが、くすくすと笑う。
「冗談よ、冗談。でも、二人とも顔が真っ赤よ?」
「う、うるさい!」
リリアが頬を膨らませる。
その様子が可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
「アル、笑わないでください!」
「ごめん、ごめん」
その時、ミアも部屋から出てきた。
「騒がしいですね。何かあったのですか?」
ミアは、長い髪を下ろした姿。普段とは違う柔らかい雰囲気だ。
黒いシンプルな寝間着が、体のラインを強調している。
「ミアまで起きてたのか」
「はい。守護者様のことが心配で、眠れませんでした」
ミアが俺に近づく。
「アルも、心配で眠れないのですか?」
「まあ、そんなところだ」
「では……」
ミアが、俺の手を取った。
「一緒に、月を見ませんか?」
「え?」
「月を見ると、心が落ち着きます」
ミアが真顔で提案する。
「あ、それいいわね! 私も行く!」
ルーナが手を挙げる。
「わ、私も!」
リリアも慌てて続く。
こうして、俺たち四人は城のバルコニーに出た。
夜風が心地よい。
二つの月が、静かに輝いている。
「綺麗だな……」
俺が呟くと、三人も頷いた。
「そうですね……」
リリアが、柵に寄りかかる。
彼女の横顔が、月明かりに照らされて——美しい。
「ねえ、アル」
ルーナが、俺の隣に立つ。
「明日から、また忙しくなるわよね」
「ああ……」
「だから、今日くらいは……ゆっくり休まなきゃダメよ」
ルーナが、優しく微笑む。
普段のツンツンした態度とは違う、素直な笑顔。
「ルーナ……」
「な、何よ。変な顔しないでよ」
ルーナが顔を赤らめる。
ツンデレは健在のようだ。
「アル」
ミアが、俺の腕を掴む。
そして、自分の肩に俺の手を置いた。
「え、ミア……?」
「疲れているなら、少し寄りかかってください」
ミアが真顔で言う。
距離感が近い。
というか、俺の手がミアの肩に——。
「ちょ、ちょっとミア! 何してるのよ!」
ルーナが慌てる。
「? 疲れている時は、誰かに寄りかかるのが良いと本で読みました」
「そういう意味じゃないでしょ!!」
リリアも顔を真っ赤にして抗議する。
俺は、四人でのこの時間が——。
戦いの合間の、束の間の平和が——。
とても愛おしく感じた。
守りたい。
この日常を。
この笑顔を。
俺は、心の中で誓った。
その瞬間——。
二つの月が、激しく明滅した。
「……!」
俺は、息を呑む。
月の光が、赤く染まっていく。
まるで、血のように。
そして——。
城全体が、微かに揺れた。
「な……何だ!?」
遠くで、警鐘が鳴り響く。
城の外が、騒がしくなる。
俺は、窓に駆け寄った。
街の方角を見る。
そこには——。
黒い霧が、街の一角から立ち上っていた。
「まさか……もう!?」
心臓が、激しく脈打つ。
廊下を、誰かが走ってくる足音。
「アル!」
マーカスだ。
彼の顔は、緊迫している。
「街で異変だ! 井戸の水が黒く濁り始めた!」
「くそ……!」
俺は、走り出した。
マーカスの言葉が、頭の中で反響する。
——もう二度と、誰も失わせない。
その誓いが、試されようとしている。
城の廊下を、俺とマーカスは駆け抜ける。
背後から、リリアとルーナの声が聞こえた。
「アル!」
「アル、待って!」
みんなが、集まってくる。
謁見の間の扉が開き、魔王と人族王が飛び出してきた。
「一体、何事だ!?」
「街の井戸が……!」
マリアが、息を切らしながら報告する。
「黒い水が湧き出しています! それを飲んだ住民が……!」
その時だった。
城の中庭から、悲鳴が響いた。
獣のような、人間のような——。
歪んだ、悲鳴。
俺たちは、顔を見合わせた。
そして——。
全員で、中庭へと走った。
そこで俺たちが見たものは——。
黒い霧に包まれた、一人の兵士だった。
兵士の体が、みるみる変形していく。
腕が異様に伸び、目が赤く光り、口から牙が生える。
「助けて……助けて……!」
兵士の声が、苦痛に歪む。
マーカスが、剣を抜こうとする。
しかし、躊躇っている。
「くそ……! あいつは、俺の部下だ……!」
魔王が、魔法を構える。
「止めるしかない!」
「待って!」
俺が叫ぶ。
「殺すな! まだ……まだ助けられるはずだ!」
でも——。
どうやって?
守護者は、今も病床で伏せている。
あの人の力がなければ——。
「アル……」
リリアが、震える声で言った。
「どうすれば……」
俺は、拳を握りしめる。
くそ……!
まだ、準備ができていない。
新しい酒も、まだ醸していない。
なのに、もう次の試練が始まろうとしている。
「第二の試練……!」
ミアが、震える声で呟いた。
「早すぎる……準備が……!」
兵士の悲鳴が、さらに大きくなる。
そして——。
城の外から、次々と悲鳴が響き始めた。
街中で、同じことが起きているのか。
俺は、歯を食いしばった。
間に合わない。
何も、できない。
この無力感——。
その時、俺の頭の中に、あの声が響いた。
紫色の煙のような、あの男の声。
『準備はできたかい、アル?』
『第二の試練は、もう始まっているよ』
『さあ、どうする?』
煙の笑い声が、頭の中で反響する。
くそ……!
俺は、空を睨みつけた。
赤く染まった月が、俺を見下ろしている。
まるで——。
試すように。
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