87杯目「紫色の煙」
赤い光の柱を見た瞬間、俺たちは決断した。
夜通し馬車を走らせる。
グランツ大臣の馬車が先導し、俺たちの馬車が続く。
ミアのノクトは、空から並走している。
「大丈夫?」
リリアが、俺の隣で不安そうに聞く。
「ああ。大丈夫だ」
俺は答えた。
でも、胸の奥に不安がある。
あの赤い光は、一体何なんだ?
「父上……無事でいて」
リリアが小さく呟く。
「……」
ルーナも無言で祈っていた。
ミアは、窓の外を見つめている。
「ミア、あの光は……」
「魂の川が、溢れ出している」
ミアが振り返る。
「このままでは……現世と異世界の境界が、完全に崩壊する」
「……!」
リリアとルーナが息を呑む。
「急がないと」
俺は御者に声をかけた。
「もっと速く行けますか!」
「はっ、はい!」
馬車が速度を上げる。
夜道を、ひたすら駆ける。
*
夜明けと共に、俺たちは王都に到着した。
しかし——。
「これは……」
俺は言葉を失った。
王都は、混乱の渦中にあった。
街の中心から、真っ赤な光の柱が天に向かって伸びている。
その周囲には、空間に亀裂が走っている。
まるで、ガラスにヒビが入ったように。
「父上……!」
リリアが馬車から飛び降りる。
「リリア!」
俺も続いた。
街の様子は、異様だった。
人々が慌ただしく行き交い、顔には恐怖の色が浮かんでいる。
「あの光は何なんだ!」
「世界が終わるのか!?」
「逃げろ! 街から逃げるんだ!」
叫び声が、あちこちから聞こえる。
兵士たちが、必死に街の秩序を保とうとしているが、追いつかない。
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
兵士長らしき男が叫んでいる。
「魔王陛下と人族の王が、必ず何とかしてくださる!」
でも、人々の不安は収まらない。
グランツ大臣が、俺たちのもとに来た。
「アル殿、すぐに城へ向かいましょう」
「はい」
俺たちは、城へ向かって走った。
*
城への道も、混乱していた。
避難する市民、駆け回る兵士、泣き叫ぶ子供。
リリアが、立ち止まった。
「リリア?」
「……見て」
リリアが指差す先に——。
一人の老人が、倒れていた。
周りの人々は、忙しくて気づいていない。
「おじいさん!」
ルーナが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「う……うう……」
老人が呻く。
顔色が、ひどく悪い。
「これは……」
ミアが老人を見て、表情を曇らせた。
「魂の病……もう、始まっている」
「魂の病?」
「魂の川が乱れることで、人々の魂が不安定になる。このままでは……」
ミアが老人の額に手を当てる。
黒い光が、老人を包む。
「……少し、楽になったはずよ」
「う……ありがとう……」
老人が小さく礼を言う。
周りの兵士が気づいて、老人を運んでいく。
「ミア、あなたの力で……」
「一時的なものよ。根本的には、魂の川を安定させるしかない」
ミアが立ち上がる。
「急ぎましょう」
俺たちは、再び走り出した。
*
城の門前に着いた時、兵士たちが槍を構えて立っていた。
「止まれ! 今は城への立ち入りを——」
「待て! この方々は、陛下がお呼びになった方々だ!」
グランツ大臣が声を上げる。
兵士たちが、道を開ける。
「失礼しました。どうぞ」
俺たちは、城の中へ入った。
城の中も、慌ただしい。
貴族たちが右往左往し、侍女たちが悲鳴を上げている。
「リリア様!」
一人の侍女が、リリアに駆け寄った。
「お帰りなさいませ! 魔王陛下が……陛下が……」
「父上はどこ!?」
「謁見の間に! でも……」
侍女が泣きそうな顔をする。
「陛下の様子が、とてもお悪いのです……」
「……!」
リリアが駆け出す。
「リリア、待って!」
俺たちも続いた。
謁見の間への廊下を走る。
その時だった。
廊下の隅に、誰かが立っていた。
いや、立っているというより……浮いている?
紫色の煙が、ゆらゆらと漂っている。
「……誰だ?」
俺が立ち止まる。
煙の中から、声が聞こえた。
「ハッハー……」
低く、でもどこか楽しげな笑い声。
「遅かったねぇ、アル君」
「お前……」
煙が晴れると、そこには——。
白黒混じりの髪、ぼろぼろのローブを纏った、中性的な人物。
口には、紫色の煙を出すタバコのようなものを咥えている。
そして、その目は——笑っていなかった。
「初めまして……かな? いや、初めてじゃないかもねぇ」
人物が、タバコを吸う。
紫の煙が、ふわりと広がる。
「僕の名前は……まあ、何でもいいさ。君たちは、僕を『煙』と呼べばいい」
「煙……?」
リリアが警戒する。
「あなた、一体……」
「さてねぇ。それは、君たちが決めることさ」
煙が、にやりと笑う。
でも、その目は笑っていない。
「ただ、一つ言えるのは……」
煙が、謁見の間を指差す。
「王様たち、もう長くないかもねぇ。ハッハー」
「何ですって!?」
ルーナが叫ぶ。
「嘘……!」
「嘘じゃないさ。魂の川が乱れれば、世界の守護者たる王たちが、最初に影響を受ける」
煙が、のんびりとタバコを吸う。
「まあ、君たちが頑張れば……何とかなるかもねぇ。なるかなぁ? どうだろうねぇ」
「お前……!」
俺が一歩前に出ると、煙がふわりと後ろに下がる。
「おっと、怖い怖い。暴力はダメだよぉ」
煙が、にやりと笑う。
「じゃあ、また会おうね。ハッハー」
紫の煙が広がり——。
次の瞬間、煙の姿は消えていた。
「消えた……?」
俺は辺りを見回す。
しかし、どこにもいない。
「アル、今のは……」
「分からない。でも……」
俺は謁見の間を見る。
「急ごう」
俺たちは、再び走り出した。
謁見の間の扉が、目の前に迫る。
扉の向こうで、何が待っているのか。
父親の姿を心配するリリアと…… そして、あの謎の人物——煙。
俺は、扉に手をかけた。
深く息を吸い、扉を押し開ける。
そこには——。
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