76杯目「魂の川の秘密」
ユリの言葉が、俺の頭から離れなかった。
『必然なのよ』
翌朝、俺は早くに目が覚めた。
窓の外は、まだ薄暗い。
「……なぜ、俺が」
俺が、この世界に呼ばれた理由。
偶然じゃない。必然。
それは、一体どういう意味なんだろう。
「アル、起きてるの?」
ドアの向こうから、リリアの声が聞こえた。
「ああ、起きてる」
「ユリさんが呼んでいますよ。朝食の準備ができたそうです」
「分かった。すぐ行く」
居間に向かうと、すでにみんなが集まっていた。
「おはよう、アル」
ルーナが笑顔で手を振る。
「おはようございます、アルさん」
リーサも元気そうだ。
「おはよう、みんな」
俺が席に着くと、ユリがお茶を注いでくれた。
「よく眠れた?」
「え、ああ……まあ」
正直に言えば、あまり眠れなかった。ユリの言葉が気になって。
「アル、昨夜の話が気になってるのね」
ユリが微笑む。
「……はい」
「それなら、今日ゆっくり話しましょう」
ユリが俺を見つめる。
「魂の川のこと。そして、あなたがこの世界に来た理由」
「本当ですか!?」
「ええ。もう、隠す必要もないわ」
朝食を終えた後、俺たちはユリの居間に集まった。
「さあ、座って」
ユリが俺たちを座らせると、自分も腰を下ろした。
「まず、魂の川について説明するわ」
ユリが静かに語り始める。
「魂の川——それは、世界と世界の境界に流れる通路よ」
「境界……」
俺が呟くと、ユリが頷いた。
「ええ。この世界には、複数の世界が存在しているの。アルや私が元いた世界、今私たちがいるこの世界、そして——もっと多くの世界」
「それらの世界は、普段は完全に隔てられている。でも、その境界に1つだけ『繋がり』がある」
「それが、魂の川」
「川……」
俺は自分がこの世界に来た時のことを思い出した。
あの時、確かに川を渡った。
暗い水の流れ。そして、光。
「アル、あなたは川を通ってこの世界に来たのね」
「はい。元の世界で川沿いを歩いていたら、突然引き込まれて……気づいたら、こっちの世界にいました」
「そう」
ユリが頷く。
「それが、魂の川の力よ」
「でも……なぜ俺が?」
俺が尋ねると、ユリは少し考えてから答えた。
「魂の川は、自然現象に近いものなの」
「自然現象……?」
「ええ。世界には、自然にバランスを保とうとする力が働いている」
ユリが窓の外を見る。
「世界が危機に瀕すると、川が自動的に『足りないもの』を他の世界から引き寄せる」
「足りないもの……」
「そう。人材だったり、知識だったり、技術だったり」
ユリが俺を見た。
「あなたの場合は……『酒造りの知識』と『人を繋ぐ心』」
「でも、俺の酒造りの知識なんて、大したことないですよ」
俺が反論すると、ユリは首を横に振った。
「それが重要なんじゃないの、アル」
「川が選ぶのは、必ずしも『専門家』じゃない」
「どういうことですか?」
「川は……いえ、世界は『心』を見るの」
ユリが真剣な目で俺を見つめる。
「あなたには、人を繋ぐ心がある。困っている人を放っておけない優しさがある」
「そして、酒を通じて人と人を繋ぎたいという想いがある」
「それが、川に選ばれた理由よ」
「でも……」
俺がまだ納得できない様子を見て、リリアが口を開いた。
「ユリさん、川は必ず『正しい人』を選ぶんですか?」
「いいえ」
ユリが首を横に振った。
「それが、難しいところなの」
ユリが深いため息をつく。
「川は自然現象に近いから、完璧じゃない」
「完璧じゃない……?」
「ええ。時には、完全に偶然で人が呼ばれることもある」
ユリが説明を続ける。
「世界が『必要としている人』を選ぼうとする傾向はある。でも、その選定基準は不明確なの」
「選定基準が分からない……?」
ルーナが不思議そうに尋ねる。
「ええ。同じ条件でも、時によって選ばれる人が違う」
「なぜある人が選ばれて、ある人が選ばれないのか——それは、誰にも分からない」
「でも、天泣さんの場合は?」
俺が尋ねると、ユリが頷いた。
「天泣も同じよ。彼は酒造りの知識を持っていたけれど……それが選ばれた決定的な理由かは分からない」
「ただ……」
ユリが少し考える。
「1つだけ言えることがある」
「何ですか?」
「天泣の想いが、川に宿っていた可能性があるの」
「想い……?」
「ええ。天泣は死ぬ間際、『いつか、俺みたいなやつが現れるかもしれない』と言った」
ユリが俺を見つめる。
「その強い想いが、川に残留して……あなたを引き寄せた可能性がある」
「俺を……?」
「あなたの心——人を繋ぐ想い、酒への愛——それが、天泣の残留思念と共鳴したのかもしれない」
「でも、これも推測よ」
ユリが付け加える。
「本当にそうなのかは、誰にも分からない」
「……」
俺は混乱していた。
偶然なのか、必然なのか。
川の選定は、どういう仕組みなのか。
「ユリさん、じゃあ……誰が川の仕組みを解明できるんですか?」
リーサが尋ねると、ユリが微笑んだ。
「実は、その研究をしている人がいるの」
「え?」
「ミズハという人よ」
ユリが立ち上がる。
「百年前に召喚された転生者。川の研究を続けている学者」
「百年前の……転生者!?」
俺たちが驚くと、ユリが頷いた。
「ええ。彼女は、この山のもっと奥で研究所を構えているの」
「会ってみる?」
「はい! ぜひ!」
俺が即答すると、ユリがくすりと笑った。
「それじゃあ、今日の午後、一緒に行きましょう」
「彼女なら、もっと詳しく教えてくれるわ」
午後、俺たちはユリに案内されて山の奥へと進んでいた。
道は険しく、普通の人では辿り着けないような場所だ。
「こんなところに、研究所があるんですか?」
リリアが不安そうに尋ねる。
「ええ。ミズハは人里離れた場所を好むの」
ユリが前を歩く。
「彼女は変わり者だけど、とても優しい人よ」
やがて、開けた場所に出た。
そこには、古い石造りの建物が立っていた。
「あれが、ミズハの研究所」
ユリが指差す。
建物の周りには、奇妙な装置がいくつも設置されている。
「何ですか、あれ……」
「川の流れを観測する装置よ」
ユリが説明する。
「ミズハは転生してから数十年間、ずっと川を観測し続けているの」
ユリが扉をノックする。
「ミズハ、いる?」
しばらくすると、扉が開いた。
「やあ、ユリ。久しぶりだね」
現れたのは、三十代くらいに見える女性だった。
長い黒髪を1つに束ね、眼鏡をかけている。
「こちらが、ミズハ」
ユリが紹介する。
「ミズハ、こちらがアル。天泣の後継者よ」
「ああ、噂は聞いているよ」
ミズハが俺を見て微笑む。
「日本酒を完成させたんだってね。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
俺が驚いて見つめていると、ミズハがくすりと笑った。
「不思議そうな顔をしているね。百年前に召喚されたのに若く見えるからかい?」
「え、ああ……はい」
「私は、召喚された時にこの世界の魔法使いから『若さを保つ秘術』をかけてもらったんだ」
ミズハが説明する。
「ユリも同じだよ。二百年前から生きている彼女も、秘術で容姿を保っている」
「そうだったんですか……」
俺が驚くと、ユリが頷いた。
「ええ。でも、この秘術は誰でもかけられるわけじゃないの。かなり高度な魔法が必要だし、受ける側にも適性が必要」
「アル、あなたは普通に年を取っていくと思うわ」
「え……」
「異世界から来た人、全員がこうなるわけじゃないのよ。むしろ、秘術をかけられている方が稀なの」
ユリが優しく言う。
「でも、心配しないで。それが普通なんだから」
「……分かりました」
俺は少し複雑な気持ちになったが、納得した。
「さあ、中へどうぞ」
研究所の中に入ると、壁一面に紙が貼られていた。
図表、数式、観測データ。
「すごい……」
「数十年分の研究データだよ」
ミズハが説明する。
「川の流れのパターン、召喚の記録、世界の異変……全て記録してある」
「数十年も……」
俺が驚くと、ミズハが苦笑いした。
「でも、未だに解明できていないことばかりだよ」
「解明できない……?」
「ああ。川の選定基準は、完全に不明だ」
ミズハが1つの図表を指差す。
「見てごらん。これは過去百年の召喚記録だ」
「召喚された人の特徴、時期、状況……全て記録してある」
「でも、共通点が見つからない」
「共通点が……?」
「ああ。ある時は専門家が召喚され、ある時は素人が召喚される」
「ある時は世界が危機の時に召喚され、ある時は平和な時に召喚される」
ミズハが首を横に振る。
「規則性が、全く見つからないんだ」
「じゃあ、完全にランダムなんですか?」
ルーナが尋ねると、ミズハが考え込んだ。
「それも違う気がする」
「何かしらの『傾向』は感じるんだ。でも、それを言葉で説明できない」
「傾向……」
「ああ。例えば——」
ミズハが俺を見る。
「君と天泣には、共通点がある」
「共通点……?」
「二人とも『人と人を繋ぎたいという心』を持っている」
ミズハが微笑む。
「二人とも酒に関わっている。そして、二人ともお人好しだ」
「でも、それが選定理由かは分からない」
「もしかしたら、完全に偶然かもしれない」
ミズハが肩をすくめる。
「川の仕組みは、本当に謎だらけなんだ」
「ミズハさんは……なぜ召喚されたんですか?」
俺が尋ねると、ミズハが笑った。
「私も分からないよ」
「元の世界では、民俗学を研究していた。特に、水の民俗学が専門だった」
「川沿いで調査をしていたら、突然引き込まれて……気づいたら、この世界にいた」
「それだけ?」
「ああ。特別な理由は思いつかない」
ミズハが窓の外を見る。
「もしかしたら、川を研究するために召喚されたのかもしれない」
「もしかしたら、完全に偶然かもしれない」
「でも——」
ミズハが俺を見た。
「私は、この研究に人生を捧げることにした」
「なぜ召喚されたか分からなくても、今ここにいる意味を自分で見つけたんだ。まっ帰る方法もわからないしね」
「……」
俺は、ミズハの言葉に深く頷いた。
理由が分からなくても、今できることをやる。
それが、大切なんだ。
「ミズハ、最近の川の様子はどう?」
ユリが尋ねると、ミズハの表情が曇った。
「……それなんだ、ユリ」
ミズハが深刻な顔をする。
「最近、川の流れが乱れている」
「乱れている……?」
「ああ。観測データを見てほしい」
ミズハが一枚の紙を取り出す。
「ここ数ヶ月、川の流れが予測不能になっている」
「どういうことですか?」
「通常、川の流れには一定のパターンがある。でも最近、そのパターンが崩れているんだ」
ミズハが真剣な目で俺たちを見る。
「何か、大きなことが起ころうとしている」
「大きなこと……」
「ああ。次の双月蝕が、数ヶ月後に迫っている」
「双月蝕?」
「2つの月が重なる天体現象だ」
ミズハが説明する。
「双月蝕の時、川の力が最大化する」
「そして、何か大きな変化が起きる可能性が高い」
ミズハがユリを見た。
「ユリ、アルを巻き込むことになるかもしれない」
「……分かっているわ」
ユリが頷く。
「でも、アルには知る権利がある」
「アル」
ユリが俺を見た。
「これから、この世界で何かが起こるかもしれない」
「大きな変化が」
「でも、あなたなら——」
ユリが微笑む。
「きっと、乗り越えられるわ」
「はい」
俺は強く頷いた。
理由が分からなくても、俺はここにいる。
今できることを、やるだけだ。
「ミズハさん、また来てもいいですか?」
「もちろん。いつでも歓迎するよ」
ミズハが笑顔を見せる。
「君は興味深い。天泣の後継者として、きっと素晴らしいことを成し遂げるだろう」
「ありがとうございます」
俺たちは研究所を後にした。
帰り道、俺はミズハとユリの言葉を反芻していた。
川の謎。
選定基準の不明確さ。
そして、来るべき双月蝕という天体現象。
「アル、大丈夫?」
リリアが心配そうに尋ねる。
「ああ、大丈夫」
俺は微笑んだ。
「理由が分からなくても、俺は今ここにいる」
「だから、今できることをやるだけだ」
「そうね」
リリアが優しく微笑む。
「私たちも、一緒よ」
「そうよ。何があっても、アルと一緒」
ルーナも力強く言う。
「ありがとう、二人とも」
空を見上げると、2つの月が静かに輝いていた。
魂の川。
2つの月。
そして、俺がこの世界に来た理由——
まだ全ては明かされていない。
でも、きっといつか分かる日が来る。
それまで、俺は前に進み続けるだけだ。




