75杯目「完成の味と墓前の誓い」
三日が過ぎた。
朝、俺は醸造小屋に向かった。
今日が、その日だ。
「アル、おはよう」
ユリがすでに小屋の前で待っていた。
「おはようございます」
「準備はいい?」
「はい」
俺が頷くと、ユリは優しく微笑んだ。
「それじゃあ、開けましょう」
扉を開けると、甘く優しい香りが俺たちを迎えた。
「いい香り……」
「完璧ね」
ユリが瓶を確認する。
「火入れも上手くいったわ。これなら、間違いなく美味しいわよ」
「本当ですか……」
俺の声が震える。
ついに、完成したんだ。
日本酒が。
「さあ、味見しましょう」
ユリが小さな杯に、日本酒を注いだ。
透明で、きらきらと光る液体。
「アル、あなたから」
「はい……」
俺は杯を受け取り、そっと香りを嗅いだ。
米の甘い香り。優しくて、懐かしい香り。
そして、一口。
「……っ」
口の中に広がる、やさしい甘み。
米の旨味。
そして、すっきりとした後味。
「うまい……これ、本当に……」
俺の目から、涙がこぼれた。
「完成したんだ。俺の、日本酒が……」
「おめでとう、アル」
ユリが俺の肩に手を置く。
「あなたは、やり遂げたわ」
その時、小屋の扉が開いた。
「アル! 完成したの!?」
リリアが駆け込んでくる。
「聞こえたわ! おめでとう!」
ルーナも続く。
「アルさん、やりましたね!」
リーサも嬉しそうに笑っている。
「ああ……みんな、ありがとう」
俺はみんなを見回した。
「みんなのおかげで、完成できた」
「私たちにも、飲ませてください!」
リリアが期待に目を輝かせる。
「もちろん」
ユリが三人にも杯を渡す。
みんなで、一緒に日本酒を味わった。
「美味しい……」
リリアが感動している。
「これが、日本酒……すごいわ」
ルーナも目を閉じて味わっている。
「優しい味……」
リーサも微笑んでいる。
「これが、お父さんたちが守ろうとした稲穂で造ったお酒なんですね」
「ええ」
ユリが頷く。
「黄金の稲穂。そして、二百年の約束」
ユリが俺を見た。
「アル、準備ができたら……天泣のところに行きましょう」
「はい」
俺は強く頷いた。
午後、俺たちはユリに案内されて山を登っていた。
「天泣の墓は、山の頂上近くにあるの」
ユリが前を歩く。
「彼が最期に、『空に近いところに埋めてくれ』と言ったから」
道は険しかったが、俺たちは黙々と登り続けた。
やがて、開けた場所に出た。
そこには、小さな石の墓標が立っていた。
シンプルな作りだが、丁寧に手入れされている。
墓標には、こう刻まれていた。
『天泣 ここに眠る
夢は果たせなかったが、希望は残した』
「……」
俺は墓の前に立った。
「天泣さん」
俺が呟くと、ユリが横に立った。
「二百年、待ったわよ」
ユリが墓標に手を置く。
「あなたの夢を叶えてくれる人が、ついに現れた」
ユリが俺を見る。
「アル、彼に報告してあげて」
「はい」
俺は深く息を吸って、墓に向かって語りかけた。
「天泣さん、初めまして。俺はアルといいます」
「あなたが創った黄金の稲穂で、日本酒を造りました」
俺が持ってきた瓶を掲げる。
「これが、あなたが夢見た日本酒です」
「二百年、ユリさんが守ってくれた稲穂で、ついに完成しました」
風が優しく吹き抜ける。
まるで、誰かが聞いてくれているような気がした。
「俺、あなたの夢を引き継ぎます」
俺が続ける。
「この日本酒を、もっと多くの人に飲んでもらいます」
「人と人を繋ぐために。みんなが笑顔になれるように」
「あなたの夢は、これからも生き続けます」
俺が頭を下げると、ユリも一緒に頭を下げた。
「天泣、約束を守ったわ」
ユリの声が震える。
「二百年間、ずっと待っていた。そして、ついにこの日が来た」
「あなたの夢は、叶ったのよ」
ユリの目から、涙がこぼれる。
「ありがとう、天泣。あなたと過ごした時間は、私の宝物よ」
リリア、ルーナ、リーサも墓の前で頭を下げた。
しばらくの沈黙の後、ユリが顔を上げた。
「さあ、天泣にも飲んでもらいましょう」
ユリが杯に日本酒を注ぎ、墓の前に置いた。
「これが、あなたが夢見た日本酒よ」
風が吹き、木の葉が揺れる。
穏やかな、優しい風だった。
「……喜んでくれてるわね」
ユリが微笑む。
俺も、そんな気がした。
天泣さんは、きっと喜んでくれている。
「ユリさん」
俺が尋ねると、ユリが俺を見た。
「天泣さんは、ユリさんにとって……どんな存在だったんですか?」
ユリは少し考えてから、静かに答えた。
「……大切な人よ」
「彼は、私に酒造りの素晴らしさを教えてくれた」
「そして、夢を持つことの大切さも」
ユリが空を見上げる。
「彼がいたから、私はここで生きていけた」
「二百年という時間は長かったけれど……彼との約束があったから、私は孤独じゃなかった」
「ユリさん……」
「でも、もう大丈夫」
ユリが俺を見て微笑む。
「あなたが来てくれたから。天泣の夢は、これからあなたが引き継いでくれる」
「はい!」
俺は力強く頷いた。
「絶対に、天泣さんの夢を広げていきます」
「ありがとう、アル」
ユリが優しく微笑んだ。
俺たちはしばらく墓の前で過ごした後、山を下り始めた。
「ユリさん、1つ聞いていいですか?」
下山の途中、俺が尋ねた。
「天泣さんは、どうやってこの世界に召喚されたんですか?」
「それは……」
ユリが少し考える。
「川よ」
「川?」
「ええ。異世界への川。彼は、その川を通ってこの世界に来たと言っていたわ」
「異世界への川……」
俺が呟くと、ユリが頷いた。
「この世界と、あなたたちの世界を繋ぐ川があるの」
「その川を通って、時々、異世界の人がこの世界に来る」
「……」
俺は驚いた。
川。
俺が、最初にこの世界に来た時も、川だった。
「俺も、川を通ってこの世界に来たんです」
「やっぱり」
ユリが頷く。
「天泣も同じだった。でも、彼はその川の秘密を完全には解明できなかった」
「川の秘密……」
「ええ。なぜ川が異世界を繋ぐのか。どうやって人を召喚するのか」
ユリが遠い目をする。
「それは、この世界の大きな謎の1つよ」
「いつか、その謎も解けるかもしれませんね」
リリアが言うと、ユリが微笑んだ。
「そうね。でも、今は日本酒の完成を祝いましょう」
「はい!」
俺たちは小屋に戻った。
夕食の時、ユリが改めて日本酒を注いでくれた。
「さあ、完成を祝って、乾杯しましょう」
「乾杯!」
俺たちは杯を掲げた。
「アル、本当におめでとう」
リリアが笑顔で言う。
「素晴らしい日本酒だわ」
ルーナも嬉しそうだ。
「これから、どんどん広めていきましょうね」
「ああ」
俺は頷いた。
「次は、グラン・ハンマーの醸造所だな」
「そうね」
ユリが微笑む。
「ドワーフたちに、酒造りを教えてあげて」
「はい!」
その夜、俺はまた外に出た。
星空を見上げる。
「天泣さん、見てますか」
俺は空に語りかけた。
「俺、あなたの夢を叶えます。必ず」
風が優しく吹く。
まるで、励ましてくれているような気がした。
「アル」
今度はルーナの声がした。
「一人で何してるの?」
「ああ、ちょっと考え事を」
ルーナが隣に立つ。
「天泣さんのこと?」
「ああ」
「素敵な人だったのね」
ルーナが空を見上げる。
「二百年前に夢を見て、それが今、叶った」
「時間を超えて、夢が繋がるなんて……素敵よね」
「ああ」
俺も頷いた。
「俺も、そういう酒を造りたい」
「時間を超えて、人と人を繋ぐ酒を」
「きっとできるわ」
ルーナが微笑む。
「アルの酒なら、絶対に」
「ありがとう、ルーナ」
俺たちはしばらく星空を眺めていた。
そして、小屋に戻った。
乾杯の音が、夜の山に響いた。
日本酒が完成した。天泣の夢が叶った。
宴もひと段落した頃、俺はふと疑問を口にした。
「ユリさん、さっき天泣さんが川を通ってこの世界に来たって言ってましたよね」
「ええ」
ユリが頷く。
「俺も、川を通ってこの世界に来たんです。あの時のことは、今でもよく覚えてる」
「川……ですか」
リリアが興味深そうに聞いている。
「私も気になっていました。この世界と、アルの世界を繋ぐ川」
ルーナも身を乗り出す。
「どうして川が、異世界を繋いでいるの?」
「それは……」
ユリが少し深刻な表情になる。
「とても古い話になるわ。この世界の創世に関わる話」
「創世……?」
「ええ。あの川は、ただの川じゃないの」
ユリが窓の外、夜空に浮かぶ2つの月を見上げた。
「あの川は——『魂の川』と呼ばれているわ」
「魂の川……」
俺が呟くと、ユリが続けた。
「生と死を繋ぐ川。過去と未来を繋ぐ川。そして、異世界を繋ぐ川」
「この世界には、まだまだあなたたちの知らない真実がたくさんあるの」
ユリが俺たちを見回す。
「2つの月の伝説。魂の川の秘密。そして……」
ユリが一呼吸置いて、静かに言った。
「あなた、アルが、なぜこの世界に呼ばれたのか、その本当の理由」
「……え?」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「俺が……呼ばれた?」
「天泣も、あなたも。魂の川を通ってこの世界に来た者たちには、必ず『理由』があるの」
「理由……」
「それについては、また改めて話すわ」
ユリが立ち上がった。
「あなたがこの世界に来たのは、偶然なんかじゃない——」
ユリが俺を真っ直ぐ見つめる。
「必然なのよ」
ユリの言葉が、静かな夜の空気に響いた。




