74杯目「2百年越しの約束」
翌朝、ユリの声で目が覚めた。
「アル、起きて。今日が搾りの日よ」
「え……もう?」
俺が慌てて起き上がると、ユリが微笑んでいた。
「ええ。もろみの発酵が完璧に進んでいるわ。今日、搾りの作業を行うわよ」
「分かりました! すぐ準備します!」
急いで身支度を整えて醸造小屋に向かうと、すでにリリア、ルーナ、リーサが集まっていた。
「おはようございます、アル」
「おはよう、アル!」
「アルさん、おはようございます」
三人が笑顔で迎えてくれる。
「みんな早いな」
「だって、日本酒が完成する日ですもの」
リリアが嬉しそうに言う。
「楽しみで仕方ないわ」
ルーナも目を輝かせている。
「私も、お手伝いします!」
リーサが張り切っている。
醸造小屋に入ると、甘く芳醇な香りが俺たちを包んだ。
「いい香り……」
もろみの甕に近づくと、表面に細かい泡が立っている。
「完璧な発酵状態ね」
ユリが満足そうに頷く。
「それでは、搾りの作業を始めましょう」
ユリが準備していた布袋を取り出す。
「もろみをこの布袋に入れて、ゆっくりと搾るの。無理に力を加えると、雑味が出てしまうから注意してね」
「はい」
俺たちは慎重に、もろみを布袋に移していく。
「リーサ、丁寧にね」
「はい!」
リーサが真剣な表情で作業している。
「ルーナ、力を入れすぎないで」
「分かってるわ」
ルーナが慎重に布袋を扱っている。
そして、ゆっくりと搾り始める。
布袋から、透明な液体が滴り落ちてくる。
「これが……日本酒」
俺が呟くと、ユリが頷いた。
「そうよ。これが、あなたが造った日本酒」
滴る酒は、透明で美しい。
「綺麗……」
リリアが感嘆の声を上げる。
「まるで、水晶みたいね」
ルーナも見とれている。
搾りの作業は、数時間かかった。
ゆっくりと、丁寧に。
一滴一滴を大切に集めていく。
「よし、搾り終わったわ」
ユリが大きな瓶に集めた日本酒を確認する。
「量も十分ね。これなら、みんなで楽しめるわ」
「でも、まだ飲めないんですよね?」
俺が尋ねると、ユリが頷いた。
「ええ。まずは火入れをして、殺菌する必要があるの」
「火入れ?」
「酒を六十度くらいに温めて、酵母の活動を止めるのよ。そうしないと、瓶の中で発酵が進んでしまうから」
ユリが説明しながら、大きな鍋に湯を沸かし始める。
「この温度管理が、また難しいのよ。高すぎると風味が飛んでしまうし、低すぎると殺菌できない」
「なるほど……」
俺たちは慎重に、瓶を湯煎していく。
ユリが温度計で確認しながら、絶妙な温度を保つ。
「……よし、これで大丈夫」
火入れが終わり、日本酒を冷ましていく。
「これで、あと三日ほど寝かせれば……」
ユリが微笑む。
「完成よ」
「やった……!」
俺が喜ぶと、みんなも笑顔になった。
「よく頑張ったわね、みんな」
ユリが俺たちを見回す。
「特にリーサ。あなたは本当によく働いてくれた」
「ありがとうございます!」
リーサが嬉しそうに頬を染める。
「さあ、今日はここまで。後は日本酒が落ち着くのを待ちましょう」
午後、俺たちはユリの小屋でお茶を飲んでいた。
「ユリさん」
俺が切り出すと、ユリが俺を見た。
「昨夜の話……約束のこと、少しだけでも教えてもらえませんか?」
ユリは少し考えてから、静かに口を開いた。
「……そうね。少しだけなら」
ユリが窓の外を見つめる。
「その人の名前は、天泣」
「てんなき……?」
「ええ。二百年前、この世界に召喚された日本人よ」
「え……!?」
俺たちが驚くと、ユリは続けた。
「あなたと同じように、異世界から召喚された人。そして、酒造りの技術を持っていた」
「二百年前の……日本人」
俺が呟くと、ユリが頷いた。
「天泣は、この世界で日本酒を造ることを夢見ていた。でも、当時はまだ米もなかった」
「それで……」
「彼は、魔法で黄金の稲穂を創り出したの。そして、私にこう言った——」
ユリの目に、遠い記憶が浮かんでいる。
「『いつか、俺みたいな日本人が、また召喚されるかもしれない。その時まで、この稲穂を守っていてくれ』」
「……それが、約束」
「ええ」
ユリが俺を見つめる。
「私は二百年間、彼との約束を守ってきた。そして……あなたが現れた」
「天泣さんは、今どこに……?」
俺が尋ねると、ユリは悲しそうに首を横に振った。
「彼は……もうこの世界にいないわ」
「……」
「でも、彼の夢は生きている。あなたを通して、日本酒がこの世界に広まっていく」
ユリが優しく微笑む。
「だから、アル。あなたの日本酒が完成したら……天泣に報告したいの」
「報告……?」
「ええ。彼の墓に行って、『約束を守ったよ』って」
ユリの目に涙が浮かんでいる。
「二百年間、ずっと待っていたのよ。あなたみたいな人が現れることを」
「ユリさん……」
リリアが感動した表情で見つめている。
「なんて長い時間……」
ルーナも目に涙を浮かべている。
「二百年も、約束を守り続けたなんて……」
リーサも感動している。
「ユリさん、俺……」
俺が言葉を探していると、ユリが微笑んだ。
「あなたは何も言わなくていいのよ、アル。ただ、美味しい日本酒を造ってくれれば、それで十分」
「はい……!」
俺は強く頷いた。
絶対に、最高の日本酒を造る。
天泣という人の夢を、ユリの約束を、この日本酒に込めて。
「ユリさん、天泣さんはどんな人だったんですか?」
リリアが尋ねると、ユリは懐かしそうに微笑んだ。
「明るくて、情熱的で……酒造りが本当に好きな人だった」
「この世界に召喚された時、彼は絶望していたの。元の世界に帰れないことを知って」
「でも、酒造りに出会って、また笑顔を取り戻した」
ユリが遠い目をする。
「『酒は、人と人を繋ぐんだ』って、いつも言っていたわ」
「……それ、俺も同じこと思ってた」
俺が呟くと、ユリがくすりと笑った。
「やっぱり、日本人は同じことを考えるのね」
「天泣さんが造った日本酒は、どんな味だったんですか?」
ルーナが興味深そうに尋ねる。
「それが……」
ユリが少し寂しそうに言った。
「彼は、日本酒を完成させる前に……亡くなってしまったの」
「え……」
「病気だった。この世界の病気に、彼の体は適応できなかった」
ユリの声が震える。
「だから、彼は『天泣』と名乗ったの。『天に泣く』——日本酒を完成させられずに死ぬことを嘆いて」
「……」
俺たちは言葉を失った。
「でも、彼は最期にこう言った」
ユリが涙を拭う。
「『いつか、俺みたいなやつが現れるかもしれない。それまで、稲穂を守っていてくれ』」
「だから、私は待っていたの。二百年間、ずっと」
ユリが俺を見つめる。
「そして、あなたが現れた。天泣の夢を叶えてくれる人が」
「ユリさん……」
俺は胸が熱くなった。
二百年前の日本人。天泣。
彼の夢を、俺が引き継ぐ。
「アル、あなたの日本酒が完成したら、一緒に天泣の墓に行きましょう」
「はい!」
「そして、報告するの。『あなたの夢は、叶ったよ』って」
ユリが優しく微笑んだ。
その夜、俺は一人で外に出た。
星空が綺麗に見える。
「天泣さん……」
俺は空を見上げた。
「俺、あなたの夢を叶えます。必ず、最高の日本酒を造ります」
風が優しく吹き抜けていく。
まるで、誰かが答えてくれているような気がした。
「アル」
後ろからリリアの声がした。
「一人で考え事ですか?」
「ああ……天泣さんのこと、考えてた」
リリアが隣に立つ。
「……すごい話ですよね」
「ああ」
「でも、アルならきっと、彼の夢を叶えられますよ」
リリアが優しく言う。
「だって、アルがつくるお酒や情熱は本物だもの」
「ありがとう、リリア」
俺が微笑むと、リリアも笑顔を見せた。
「さあ、戻りましょう。明日からまた、準備が始まりますよ」
「ああ」
俺たちは小屋に戻った。
三日後、日本酒が完成する。
そして、天泣の墓に報告に行く。
二百年越しの約束が、ついに果たされる。
俺の酒造りの旅は、思いもよらない歴史と繋がっていた。
そして、これからも続いていく。




