72杯目「試飲会と街の選択」
「……今日が勝負の日か」
窓の外を見ると、グラン・ハンマーの街はすでに活気に満ちている。
いつもの鍛冶の音に混じって、何やらざわついた空気が流れてきた。
「アル、起きてるの?」
ドアをノックする音と共に、リリアの声が聞こえた。
「ああ、起きてる」
「朝食の準備ができたわ。ゴルドさんが用意してくれたみたいです」
「分かった。すぐ行く」
身支度を整えて食堂に向かうと、すでにみんなが集まっていた。
「おはよう、アル!」
ルーナが笑顔で手を振る。
「よく眠れたかしら?」
「ああ、まあまあ」
正直に言えば、緊張で何度も目が覚めた。でも、それは言わない方がいいだろう。
「アル殿、おはようございます」
ゴルドが丁寧に挨拶してくれる。
「広場の準備は整いました。午前中から始められます」
「ありがとうございます」
「しかし……」
ゴルドが少し不安そうな表情を見せる。
「長老ブルグたちも、かなり準備をしているようです」
「準備?」
「ええ。保守派の長老たちは、街の人々に『人間の酒など飲むべきではない』と説いて回っているとか……」
ドラが苦い顔をする。
「あの頑固者どもめ……」
「でも、若い職人たちは逆に『アル殿の酒を試してみたい』と盛り上がっているぞい」
グラが付け加える。
「街が完全に二分されてしもうたな……」
ダグが深刻な顔をする。
「だからこそ、今日の試飲会が大切なんです」
ベルガモットが広間に入ってきた。
「おはようございます、皆さん」
「ベルガモットさん、おはようございます」
「アル殿、準備はいいですか?」
「はい。焼酎は持ってきました」
俺がユリから預かった瓶を見せると、ベルガモットが頷いた。
「しかし、これだけでは足りないかもしれません。街の人口は約三千人。全員に飲ませるのは無理でも、できるだけ多くの人に試してもらいたい」
「それなら……」
ゴルドが別の瓶を持ってきた。
「昨夜、ドラたちから少し分けてもらった焼酎を、水で割って薄めました。これなら、もう少し多くの人に試してもらえます」
「ありがとうございます!」
朝食を終えると、俺たちは広場へと向かった。
グラン・ハンマーの中央広場は、普段は市場として使われている場所だ。
今日は特別に、中央に大きなテーブルが設置されていた。
「おお……すごい人だ」
広場にはすでに、大勢のドワーフたちが集まっていた。
「あれが、人間のアルか」
「遺跡の騒動で街を救ったという……」
「でも、人間の造った酒など……」
「いや、試してみる価値はあるんじゃないか?」
ドワーフたちの間で、様々な声が飛び交っている。
「さあ、アル殿。あちらへ」
ゴルドが俺を中央のテーブルへと案内した。
テーブルの上には、たくさんの小さな杯が並べられている。
「これで、一人ずつ試飲してもらいます」
その時、広場の反対側から、長老ブルグたちが現れた。
「ふん、人間が来たか」
ブルグが腕を組んで、俺を睨みつける。
「さあ、始めるがいい。どうせ、我らドワーフの舌を満足させることなどできまい」
「やってみます」
俺は瓶を手に取った。
「それでは、試飲会を始めます!」
ゴルドが大きな声で宣言すると、ドワーフたちがざわめいた。
「皆さん、今日は大切な日です。アル殿の酒を試し、この街の未来を決める日です」
ゴルドが続ける。
「条件は昨日お伝えした通り。街の半数以上がアル殿の酒を認めれば、正式に取引を行います」
「逆に、半数に満たなければ……」
ブルグが割り込む。
「この人間は、二度とこの街に足を踏み入れることはできん」
俺は深呼吸をして、前に出た。
「皆さん、初めまして。アルと申します」
広場が静まり返る。
「俺は、酒造りを通じて、人と人を繋ぎたいと思っています」
俺が焼酎の瓶を掲げる。
「この焼酎は、黄金の稲穂を使った蒸留酒です。ユリさんの指導の下で、心を込めて造りました」
「ドワーフの伝統を否定するつもりはありません。むしろ、新しい可能性を示すものだと信じています」
「ふん! きれい事を!」
ブルグが鼻を鳴らす。
「まず、賛成派の者から試してみるんじゃな」
一人の若いドワーフが前に出てきた。
「俺は、アル殿を信じてる! 試させてくれ!」
「ありがとう」
俺は杯に焼酎を注いだ。
若いドワーフは杯を受け取り、一口飲んだ。
「……っ!」
彼の表情が変わる。
「これは……!」
「どうだ?」
周りのドワーフたちが注目する。
「うまい! すごくうまいぞ!」
若いドワーフが興奮した様子で叫ぶ。
「こんな酒、飲んだことない! すっきりしてるのに、深い味わいがある!」
「本当か!?」
「俺にも飲ませてくれ!」
次々と、若いドワーフたちが前に出てきた。
俺は一人ずつ、丁寧に焼酎を注いでいく。
「おお……これは確かに」
「雑味がないな」
「喉越しが最高じゃ!」
賛成派のドワーフたちは、次々と焼酎を絶賛した。
「ふん、若造どもが騒いでおるだけじゃ」
ブルグが鼻を鳴らす。
だが、しだいに保守派の中からも興味を示す者が現れ始めた。
「ちょっと……俺も試してみたいんじゃが」
中年のドワーフが恐る恐る前に出てくる。
「どうぞ」
俺が杯を差し出すと、彼は慎重に一口飲んだ。
「……これは」
彼の目が見開かれる。
「確かに、素晴らしい酒じゃ……」
「おい、本当か?」
「嘘じゃない。これは……間違いなく上質な酒じゃ」
その声を聞いて、さらに多くのドワーフたちが試飲の列に並び始めた。
保守派と賛成派の境界が、少しずつ曖昧になってくる。
「これは……予想以上の出来じゃのう」
保守派の長老の一人が呟く。
「ちょっと待て、お前まで……!」
ブルグが慌てる。
「しかし、ブルグよ。これだけ多くの者が認める酒を、頭ごなしに否定するのは……」
「黙れ! わしは絶対に認めん!」
ブルグが頑なに拒否する。
その時、ドラが前に出た。
「長老ブルグ、お願いじゃ。一度だけでも、飲んでみてくだされ」
「わしが? 人間の酒を?」
「アルの酒は、本当に素晴らしいんじゃ。長老なら、その価値を正しく判断できるはずじゃ」
グラとダグも続く。
「お願いします、長老」
「一口だけでも……」
ベルガモットも口を開く。
「長老ブルグ、これは新しい技術の可能性なのです」
「商人として数多くの酒を扱ってきた私が保証します。これは、間違いなく一級品です」
「……」
ブルグが沈黙する中、俺が一歩前に出た。
「長老ブルグ」
「何だ、人間」
「俺は、ドワーフの伝統を否定したいわけじゃありません」
俺が真剣な目で長老を見つめる。
「新しいものと古いもの、両方が共存できると信じています」
「この酒を通じて、人と人が繋がることができる。それが、俺の願いです」
俺が杯に焼酎を注ぎ、長老に差し出す。
「どうか、一度だけ試してください」
長老ブルグは、しばらく俺と杯を見つめていた。
そして——
「……ふん」
彼は杯を手に取った。
広場が静まり返る。
ブルグは杯を口元に運び、慎重に匂いを嗅ぐ。
「……」
そして、一口飲んだ。
「……!」
ブルグの目が見開かれる。
しばらくの沈黙の後——
「……これは」
ブルグが小さく呟く。
「どうじゃ、長老?」
周りのドワーフたちが息を呑んで見守る。
「……認めよう」
ブルグの言葉に、広場がどよめいた。
「この酒は……確かに優れている」
ブルグが俺を見た。
「人間よ——いや、アル殿」
「はい」
「わしの負けじゃ。この酒は、わしらドワーフがのんできた酒に劣らぬ、いや、それ以上の出来じゃ」
広場が歓声に包まれた。
「やった!」
「長老が認めたぞ!」
「これで、正式に取引ができる!」
ドワーフたちが喜び合っている。
「皆さん!」
ゴルドが大きな声で宣言した。
「長老ブルグをはじめ、街の大多数がアル殿の酒を認めました! よって、正式に取引を行うことを決定します!」
さらに大きな歓声が響く。
「そして!」
ベルガモットが前に出た。
「私からも提案があります」
「グラン・ハンマーに、アル殿の指導のもと、新しい醸造所を作りませんか?」
「醸造所……!」
ゴルドの目が輝いた。
「それは素晴らしい案だ!」
「アル殿が技術を教え、わしらドワーフが酒造りを学ぶ」
「そして、そこで造られた酒を、私が魔界で販売する」
ベルガモットの提案に、広場がさらに沸いた。
「異議なし!」
「それは名案じゃ!」
「わしらも協力するぞい!」
ドラ、グラ、ダグが興奮している。
「よし、決まりじゃ」
ブルグも頷いた。
「アル殿、わしらに酒造りを教えてくれるか?」
「喜んで」
俺が答えると、広場はさらに大きな歓声に包まれた。
「これで、街もまた一つになれる」
ゴルドが感謝の言葉を述べる。
「若造どもに負けておれんのう」
ブルグも笑顔を見せた。
試飲会は大成功に終わった。
街全体が祝賀ムードに包まれ、保守派と賛成派の対立も解消された。
「やったわね、アル!」
ルーナが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「よくやりました」
リリアも微笑んでいる。
「みんなのおかげだよ」
俺は仲間たちを見回した。
ドラ、グラ、ダグ。ベルガモット。ゴルド。そして、ルーナとリリア。
みんなが協力してくれたから、この結果が得られた。
「さあ、アル殿」
ゴルドが俺の肩を叩く。
「醸造所の場所を見に行きましょう。新しい計画が始まります」
「はい!」
俺は頷いたが、心の奥で小さな想いが湧き上がった。
醸造所の建設は素晴らしいことだ。でも、俺にはまだやらなければならないことがある。
「次は、日本酒を完成させないとな」
俺が呟くと、リリアが隣に立った。
「私たちも一緒ですよ、アル」
「そうよ。何があっても、アルと一緒よ」
ルーナも力強く言う。
「ありがとう、二人とも」
俺は安心した。
仲間がいれば、どんな困難も乗り越えられる。
空を見上げると、洞窟の天井に開いた穴から、光が差し込んでいた。
グラン・ハンマーでの新しい挑戦が始まる。
でも、その前に……ユリの山に戻り、本格的な酒造りを完成させたい。




