71杯目「グラン・ハンマーと分断の影」
翌朝、俺たちはユリの小屋の前で出発の準備を整えていた。
空には朝日が昇り始め、山の空気は清々しい。
「アルさん、これ……」
リーサが小さな包みを差し出してきた。
「これは?」
「お弁当です。道中で食べてください」
リーサが恥ずかしそうに言う。
「ありがとう、リーサ」
俺が受け取ると、リーサは少し寂しそうに微笑んだ。
「みんな、気をつけて行ってきてください」
「リーサも、無理しないでね」
ルーナがリーサを抱きしめる。
「はい……」
「強くなって、また一緒に旅しましょうね」
リリアも優しく声をかける。
「必ず……!」
リーサが涙を堪えながら頷いた。
「さあ、出発するぞい!」
ドラが馬車に乗り込む。
「グラン・ハンマーまで、二日の道のりじゃ!」
グラも続く。
「行ってくるぞい、ユリ殿!」
ダグが手を振った。
「気をつけて。アル、長老たちは頑固だけど、心は悪くないわ。誠意を持って話せば、きっと分かってくれる」
ユリが励ましてくれる。
「はい! 行ってきます!」
俺たちは馬車に乗り込み、ユリの山を後にした。
振り返ると、リーサとユリが小さく手を振っている。
「……頑張れよ、リーサ」
俺は心の中でそう呟いた。
馬車は山道を下り、やがて平地へと出た。
「そういえば、あの遺跡の騒動の後、街はどうなったんだ?」
俺が尋ねると、ドラが少し複雑な表情を浮かべた。
「ああ、あの時はアルたちのおかげで助かったんじゃ」
「遺跡から出てきた魔物を退治してくれて、街は平和を取り戻したぞい」
グラが頷く。
「あの後、街では『人間のアルが街を救った』という話が広まったんじゃ」
ダグが続ける。
「それで、若い職人たちは『人間も信頼できる』『外の技術も学ぶべきだ』と考えるようになった」
ドラが説明する。
「でも、長老たちは違ったんじゃ……」
グラが表情を曇らせる。
「『たまたま運が良かっただけじゃ』『ドワーフの伝統を守らねば』と頑なでな」
「むしろ、若者たちが外に目を向けることを警戒するようになってしもうた」
ダグが深刻な顔で言う。
「それで、今回の対立が……」
俺が呟くと、ドラが頷いた。
「そうじゃ。お前のカクテルが魔界で人気になったと聞いて、若い職人たちは『アルと取引したい』と言い出した」
「でも、長老たちは『人間の造った酒など認めぬ』と反対したんじゃ」
グラが付け加える。
「あの遺跡の件で、お前を恩人だと思っている者も多いんじゃが……長老たちの力は強い」
ダグが苦い顔をする。
「だから、アルに来てもらったんじゃ。お前が直接説明すれば、長老たちも考えを変えるかもしれん」
「俺にそんなことができるかな……」
「大丈夫じゃ! あの時お前は街を救ってくれた。今度はお前の酒で、街の未来を開いてくれ!」
ドラが力強く言った。
馬車は順調に進み、一日目の夜は街道沿いの宿屋で休んだ。
二日目の午後、遠くに大きな山が見えてきた。
「あれが、わしらの街がある山じゃ!」
ドラが指差す。
「前に来た時以来だな」
俺が懐かしそうに言う。
「そうじゃのう。あの時は、もっと平和だったんじゃが……」
グラが複雑な表情を浮かべる。
やがて、山の麓に巨大な石造りの門が見えてきた。
門の両脇には、立派な角を持つドワーフの警備兵が立っている。
「おお、ドラたちか! 帰ってきたんじゃな!」
警備兵の一人が手を振った。
「ただいま戻ったぞい!」
「アル殿も! お久しぶりでございます!」
警備兵が俺を見て笑顔を見せる。
「久しぶりです。以前お世話になりました」
俺も笑顔で返した。以前、カクテルの材料を求めてこの街を訪れた時、警備兵たちには親切にしてもらった。
「今回は酒造りの件で来られたと!」
「ええ、まあ……」
「わしらは賛成派じゃ! アル殿の酒、ぜひ飲ませてくだされ!」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、警備兵たちは嬉しそうに笑った。
「さあ、中へどうぞ! ゴルド様たちが待っておられる!」
門をくぐると、見慣れた地下都市の光景が広がった。
グラン・ハンマー——ドワーフの誇る地下都市。
石造りの建物が立ち並び、街路には灯りが灯っている。
「久しぶりね、グラン・ハンマー」
ルーナが懐かしそうに呟く。
「前に来た時より、何だか雰囲気が違いますね……」
リリアが不安そうに周囲を見回す。
街中からは、相変わらず金槌を打つ音が響いてくる。
カンカンカン——
「この音、変わらないのう」
ドラが言う。
「でも、雰囲気は変わってしもうた……」
だが、街を歩いていると、以前とは明らかに違う空気を感じた。
ドワーフたちの表情が、どこか硬く、張り詰めている。
「……あれは賛成派じゃな」
「あっちは保守派か」
すれ違うドワーフたちが、互いを警戒するような目で見ている。
「街の雰囲気が……」
俺が呟くと、ドラが苦い顔をした。
「ああ……対立が、かなり深刻になっているようじゃ」
馬車は街の中心部へと進んでいく。
やがて、立派な建物の前で止まった。
「ここが、鍛冶頭ゴルドの屋敷じゃ」
グラが説明する。
「そして……」
ダグが別の建物を指差した。
「あそこに止まっているのは、ベルガモット殿の馬車じゃ」
見ると、豪華な装飾が施された立派な馬車が停まっている。
「待っててくれたんだな」
俺が呟いた時、屋敷の扉が開いた。
「よく来てくれた、ドラたち!」
立派な角を持つ、貫禄のあるドワーフが現れた。
「ゴルド! 連れてきたぞい!」
「これがアル殿か! 初めてお目にかかります!」
ゴルドと呼ばれたドワーフが、俺の手を強く握った。
「アルです。初めまして」
「ゴルドと申します。グラン・ハンマーの鍛冶頭を務めております」
ゴルドが丁寧に挨拶する。
「ドラたちから、あなたの噂は聞いておりました。カクテルの件、街でも評判でしたよ」
「ありがとうございます」
以前この街を訪れた時、ドラたちの親方には会ったが、鍛冶頭のゴルドとは会う機会がなかった。
「あの時は親方殿にお世話になりました」
「ええ、親方からも聞いております。あなたは信頼できる人物だと」
ゴルドが笑顔を見せるが、その表情にはどこか疲れが見える。
「しかし……今回は難しい状況でお呼びしてしまいました」
「さあ、中へどうぞ。ベルガモット殿もお待ちです」
俺たちは屋敷の中に案内された。
広間に入ると、そこには見覚えのある姿があった。
「やあ、アル殿! よくぞお越しくださった!」
堂々とした体格に、立派な角。上質なスーツに身を包んだ魔族の男性——ベルガモット商人だ。
「ベルガモットさん! お久しぶりです!」
「ははは! お元気そうで何よりです!」
ベルガモットが俺の肩を叩く。
「カクテルの件では大変お世話になりました。あれは魔界で大人気ですよ」
「それはよかったです」
「そして今回、グラン・ハンマーで新しいお酒ができたと聞いて、居ても立ってもいられず参りました」
ベルガモットの目が真剣になる。
「黄金の稲穂を使った、全く新しい種類の酒。それも、蒸留酒まで造られたと」
「はい。日本酒——いえ、米から造る醸造酒はまだ仕込み段階ですが……焼酎なら完成しています」
俺がユリからもらった瓶を取り出すと、ベルガモットの目が輝いた。
「これは……!」
「しかし、アル殿」
ゴルドが深刻な表情で口を開いた。
「問題があります。保守派の長老たちが、あなたの酒を認めようとしないのです」
「『人間の造った酒など、ドワーフの伝統に反する』と……」
ベルガモットが苦い顔をする。
「私が取引を申し出たことで、かえって事態が悪化してしまいました」
「いえ、ベルガモット殿のせいではありません」
ゴルドが首を振る。
「元々、保守派と革新派の対立はあったのです。これが、きっかけになっただけで……」
その時、広間の扉が勢いよく開かれた。
「ゴルド! 人間を連れ込んだと聞いたぞ!」
白い髭を蓄えた、年老いたドワーフが数人の仲間と共に入ってきた。
「長老ブルグ……」
ゴルドが身構える。
「これが、その人間か!」
ブルグと呼ばれた長老が、俺を睨みつけた。
「わしらドワーフの酒は、ドワーフが造るものじゃ! 人間風情が、酒造りなど笑止千万!」
「待ってください、ブルグ長老!」
ゴルドが割って入る。
「アル殿の酒は、ユリ殿が認めたものです! 一度味わってから判断を——」
「黙れ! ユリはよそ者じゃ! あやつの言うことなど信用ならん!」
ブルグが怒鳴る。
「それに、若造のお前が口を出すな! わしらは何百年もこの街を守ってきたのじゃぞ!」
「しかし……!」
「問答無用じゃ!」
ブルグが俺に向き直った。
「人間よ、とっとと帰れ! お前の酒など、この街には不要じゃ!」
その言葉に、俺は拳を握りしめた。
試飲もせずに否定するのか。話も聞かずに追い返すのか。
「……一度、飲んでみてください」
俺は焼酎の瓶を取り出した。
「これは、黄金の稲穂で造った焼酎です。ユリさんと一緒に、心を込めて造りました」
「ふん! そんなものを飲む価値もない!」
ブルグが手を払う。
だが、その時——
「長老ブルグ、それは違うぞい」
ドラが前に出た。
「わしらは、アルの酒を飲んだ。それは、どんなドワーフの酒にも劣らん、素晴らしい酒じゃった」
「ドラ、お前まで……!」
「わしも同意見じゃ」
グラも続く。
「アルの酒は、ドワーフの誇りに傷をつけるものではない。むしろ、新しい可能性を示してくれるものじゃ」
「わしらは鍛冶屋じゃ。新しい技術を学び、取り入れることで成長してきた」
ダグが力強く言う。
「酒造りも、同じではないのか?」
長老ブルグの顔が紅潮する。
「お前たち……若造が生意気な!」
「長老ブルグ」
今度は、ベルガモットが静かに口を開いた。
「私は商人として、数多くの酒を扱ってきました。その私が、アル殿の酒に価値を見出しているのです」
「魔族の商人が何を言うか!」
「でしたら——」
ベルガモットが提案する。
「明日、公開試飲会を開きませんか? 街の皆さんに、アル殿の酒を飲んでいただく。そして、判断は街の人々に委ねる」
「……ほう」
ブルグが興味を示した。
「街の者たちが、その酒を不味いと言えば、お前は諦めるのか?」
「はい」
俺は頷いた。
「でも、もし美味しいと言ってもらえたら……認めていただけますか?」
ブルグは しばらく考え込んだ。
そして——
「……よかろう。明日、広場で試飲会を開け」
「本当ですか!?」
「ただし! 街の半数以上が認めなければ、二度とこの街に来るな!」
ブルグが厳しい条件を突きつけた。
「分かりました」
俺は覚悟を決めて頷いた。
「必ず、認めてもらいます」
「ふん! 出来るものならやってみろ!」
ブルグたち長老は、そう言い残して広間を出て行った。
静寂が訪れる。
「アル殿……」
ゴルドが心配そうに俺を見る。
「大丈夫です」
俺は瓶を握りしめた。
「この酒なら、絶対に分かってもらえる」
「アル……」
リリアとルーナが、心配そうに俺を見つめる。
「明日、勝負じゃな」
ドラが真剣な表情で言った。
「ああ」
俺は頷いた。
明日の試飲会。
そこで、俺は自分の酒を認めてもらわなければならない。
グラン・ハンマーの未来が、この勝負にかかっている。




