7杯目 カクテルと繋がる心
「それで、次はどうするの?」
翌日の昼過ぎ、アルは部屋でリリアと作戦会議をしていた。テーブルには魔界の酒が数本並んでいる。
「正直、何を話せばいいのかわからないんだよね......」
アルは頭を掻いた。昨日のマリアとの対面は、正直言って手探りだった。平手打ちを食らって終わったが、それでも「考えてやろう」という言葉はもらえた。
「姉様、少しだけ心を開いてくれたと思います」
リリアの角がほんのり赤く染まる。
「でも、次に何を話せば......」
「あのさ」
アルは酒瓶を手に取った。
「酒、持っていこうと思うんだけど。それも、ただの酒じゃなくて——」
「ただの酒じゃない?」
「俺の世界で人気だったカクテルを、魔界の材料で作ってみようかなって」
アルはニヤリと笑った。
「カクテル......ですか?」
「そう。複数の酒を混ぜて作る飲み物。見た目も綺麗だし、味も色々変えられる。魔界にはないでしょ?」
リリアは目を輝かせた。
「それは素敵ですね!姉様、きっと驚かれます!」
「だろ?バイト先のバーで見よう見まねで覚えたんだよね。まあ、プロじゃないから本格的なのは無理だけど」
アルは魔界の蒸留酒、果実酒、リキュール類を並べ始めた。
「よし、じゃあ準備しよう。マリアさんを驚かせてやる」
* * *
再び西棟の大広間へと向かう二人。今回、アルは様々な種類の魔界の酒と、調合用の道具を持参していた。
「......今度は何の用だ」
マリアは玉座のような椅子に座り、冷たい視線を向けてくる。だが、昨日よりも明らかに——表情は柔らかかった。
「約束通り、もっとマシな話を持ってきたよ」
アルは酒瓶をテーブルに並べ始めた。
「それと——今日は特別な酒を作ってみようと思って」
「特別な酒?」
マリアは興味を示した。
「俺の世界では、カクテルって言ってね。複数の酒を混ぜて、新しい味を作るんだ」
「混ぜる......?」
周囲の保守派たちもざわめく。魔界では、酒は基本的にそのまま飲むものだ。
「まあ、見てて」
アルは手慣れた様子で、蒸留酒に果実酒を加え、さらに少量のリキュールを注ぐ。軽く混ぜると、美しい赤と金色のグラデーションができあがった。
「これが俺の世界の代表的なカクテルの一つ......魔界版『サンセット』だ」
マリアは目を見開いた。グラスの中で、夕焼けのような美しい色彩が揺れている。
「綺麗......」
思わず呟いたマリアは、慌てて表情を引き締めた。
「見た目だけではないだろうな」
「もちろん。どうぞ」
マリアはグラスを手に取り、一口飲んだ。
「——!」
その味は、彼女の知るどの酒とも違った。甘さと苦さ、爽やかさとコクが絶妙に混ざり合い、複雑な風味が口の中に広がる。
「美味い......これは......」
「でしょ?魔界の材料だけでも、工夫次第で新しいものが作れる。それって——」
アルは真っ直ぐにマリアを見つめた。
「種族が違っても、同じじゃないかな。人族も魔人族も、それぞれの良さを混ぜ合わせれば、もっと素晴らしいものが生まれるかもしれない」
マリアは黙っていた。
「お前は......本当に、面白いことを言う」
「さあ、もう一杯どうぞ。今度は違う味で」
アルは次々とカクテルを作っていく。青く光るもの、紫色のもの、層になっているもの——。
「これは『魔界の星空』。これは『二つの月』。これは——」
「待て待て。そんなに飲めん」
マリアは苦笑した。その表情は、確かに昨日より柔らかい。
周囲の保守派たちも、その様子を静かに見守っていた。厳格なマリア様が、人族と笑い合っている——。
「あのさ、マリアさん」
アルは少し真剣な表情になった。
「昨日の続き、聞いてもいい?」
「......何だ」
「あんたが好きだった人——その人のこと、ちゃんと覚えてる?」
マリアの表情が曇った。
「当然だ。忘れられるわけがない」
「じゃあ、その人がどんな人だったか......どんな言葉をかけてくれたか、全部覚えてる?」
「それは......」
マリアは言葉に詰まった。
「正直に言うと......最後の別れの言葉ばかりが頭に残って......他のことは、段々と薄れてきている」
その時、アルは醸造酒のグラスを手に取り、一気に飲み干した。
「おっと......来るか?」
アルの体がほんのりと光り始めた。そして——今回は特殊能力系のようだ。
「アル?」
リリアが心配そうに声をかける。
アルは自分の手を見つめた。何か......記憶に関する力のような——。
「マリアさん、手を貸して」
「何を——」
「いいから」
アルがマリアの手を握った瞬間——
広間全体が淡い光に包まれた。
そして、空中に映像が浮かび上がる。
「これは——!」
マリアが驚愕の声を上げた。
そこには、若き日のマリアと、一人の人族の青年の姿があった。
「あの人......」
映像の中で、二人は笑い合っている。
『マリア、君の角って本当に綺麗だね』
青年が優しく微笑む。
『種族なんて関係ない。僕は君のことが好きだ。君の優しさも、天然なところも、全部』
『私も......あなたのことが......』
映像のマリアは幸せそうに微笑んでいた。
そして次の場面——青年は周囲の人族たちと何か激しく言い争っている。
『なぜだ!マリアは素晴らしい人だ!なぜ君たちはそれを認めない!』
『目を覚ませ!魔族だぞ!我々の敵だ!』
『そうだ!お前は騙されているんだ!』
青年は苦悩の表情を浮かべている。そして——マリアの前で、涙を流しながら言った。
『ごめん......僕は弱かった。君を守れない......』
『どうして......』
『僕は......君と一緒にいられない。周りが......許してくれない......』
そこで映像は途切れた。
「あの人......泣いていた?」
マリアは呆然としていた。
「私は......最後の『魔族なんかと一緒にいられるか』という言葉ばかり覚えていて......でも、その前に......あの人は泣いていた......」
涙が頬を伝う。
「あの人は......本当は私のことを......」
「そうだよ」
アルは優しく言った。
「その人は、あんたを愛していた。でも、周りの圧力に負けてしまった。弱かったんだ」
「あの人は......私を憎んでいたわけじゃ......」
マリアの声が震える。
「ずっと......ずっと、私は憎まれたと思っていた。人族全てに裏切られたと......」
「違うよ。裏切ったのは『周りの人族』であって、『その人』じゃない」
アルは続けた。
「もちろん、その人が弱かったのは事実だ。あんたを守れなかった。でも——それは、人族全員がそうだってことじゃない」
マリアは両手で顔を覆った。
「私は......間違っていた......あの人を憎むのではなく......本当に憎むべきは、差別や偏見そのものだったのに......」
リリアが姉に駆け寄った。
「姉様......」
「リリア......私は、なんて愚かだったのだろう」
マリアは妹を抱きしめた。
「人族全てを憎んで......お前まで苦しめて......」
周囲の保守派たちも、動揺していた。
「マリア様が......」
「私たちも......もしかしたら......」
だが、その時——
ガシャン!
突然、窓ガラスが割れた。
「何事だ!?」
黒い影が次々と広間に飛び込んでくる。ダークウルフ——それも複数だ。
「ダークウルフ!?なぜ城内に!」
リリアが叫ぶ。
そして、影の中から矢が放たれた。
「マリア様、危ない!」
「アル!」
矢はアルとマリアに向かって飛んでくる。
「くそっ!」
アルは咄嗟に蒸留酒の瓶を掴み、一気に飲み干した。
「頼む——当たってくれ!」
アルの体が激しく光り輝いた。肉体強化系——しかも、過去最大級のパワーだ。
「おおおお!」
アルは矢を素手で叩き落とし、襲いかかるダークウルフを次々と殴り飛ばす。
「リリア!マリアさんを守って!」
「はい!」
リリアは魔法で防御障壁を展開する。
だが、矢は次々と飛んでくる。
「マリア様!伏せて!」
保守派の騎士たちが盾になろうとするが——
一本の矢が、マリアに向かって飛んできた。
「姉様!」
「——!」
その瞬間、アルが飛び込んだ。
ガキン!
アルは矢を素手で掴み、砕いた。
「大丈夫か、マリアさん!」
「お、お前......なぜ......」
マリアは呆然としていた。人族であるアルが、自分を庇った?
「当たり前でしょ。友達を守るのに理由なんていらない」
「友達......?」
「そう。俺、あんたのこと友達だと思ってるから」
アルはニッと笑った。
その笑顔に、マリアの心が大きく揺れた。
「侵入者を確認!制圧する!」
魔王直属の騎士団が到着した。
暗い影の中から、数人の魔人族が逃げ出そうとしていた。
「逃がすか!」
騎士たちが追跡する。だが、彼らは煙幕を使って姿を消した。
「くっ......逃げられたか......」
「まさか......過激派の一部が、マリア様を利用して......」
「我々は......踊らされていたのか?」
保守派たちが動揺する中、アルの体が光を失った。
「うお......やっぱ疲れる......」
アルはその場に膝をついた。
「アル!」
リリアとマリアが同時に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「ちょっと疲れただけ......でも、みんな無事で良かった」
アルはニコリと笑った。
マリアは、そんなアルを見つめていた。
(この人族は......私を守った。種族の壁を越えて......)
そして、決意した。
「みんな!」
マリアが立ち上がり、保守派たちに向かって叫んだ。
「私は間違っていた!人族全てを憎むのは......間違っていた!」
「マリア様!?」
「本当に憎むべきは、差別や偏見そのものだ。種族ではない」
マリアの瞳には、強い意志が宿っていた。
「今日をもって、保守派は解体する。私は——リリアと共に、真の種族和平を目指す」
「マリア様......」
保守派たちは戸惑いながらも、少しずつ頷き始めた。
「私たちも......マリア様に従います」
「そうだ。もう、憎しみに囚われるのはやめよう」
マリアはアルに向き直った。
「アル。お前の言う通りだった。私は——本当の心を取り戻すことができた」
「良かった」
アルは疲れた表情で笑った。
「じゃあ、これで一件落着——って言いたいところだけど、あの逃げた奴ら、危なくない?」
「過激派の一部が逃げたようだ。必ず捕らえる」
マリアは騎士たちに命じた。
「総力を挙げて逃亡者を捜索せよ!」
「御意!」
* * *
その夜——
西棟の大広間では、和解を祝う宴が開かれていた。
「よくやったぞ、アル」
魔王ゼクセル・クマガワ自らが現れ、アルの肩を叩いた。
「いやー、死ぬかと思いました」
「ははは!だが、見事だった。娘たちを和解させただけでなく、保守派全体を変えてしまうとは」
「それはマリアさんの決断ですよ」
アルは謙遜する。
マリアとリリアは、久しぶりに姉妹で笑い合っていた。
「リリア、覚えているか?昔、一緒に花摘みに行ったこと」
「はい!姉様、あの時転んで泥だらけになりましたよね」
「や、やめろ!その話は!」
二人は笑い合う。その光景を見て、魔王は目を細めた。
「ありがとう、アル。本当に......ありがとう」
「どういたしまして。俺も楽しかったですよ」
アルは酒を飲みながら、満足そうに笑った。
だが——
「ただ、あの逃げた過激派が気になるんだよね」
「ああ。必ず捕らえる」
魔王の表情が厳しくなる。
その頃——
城の外、暗闇の中で逃亡した過激派の一人が息を潜めていた。
影は静かに闇に溶け込み、姿を消した。
新たな火種が、静かに燻り始めていた——。
次回予告:「魔界の村にて」
※毎日更新予定です。お楽しみに!




