60杯目 紡ぎ、つながるもの
アルの部屋に、全員が集まった。
マリアとリーサは、意識の戻らないリリアを抱えている。ゲルドは杖に体重を預けながら、なんとか歩いてきた。
窓の外では、魔法陣が不気味に輝いている。
新月まで、あと二時間を切った。
「リヒトが……私に託したもの」
ルーナは懐から、小さな水晶を取り出した。
それは親指ほどの大きさで、淡い青色に光っている。
「これは——記憶水晶」
ルーナの言葉に、全員が目を見開いた。
「記憶水晶……ですか?」
ゲルドが身を乗り出す。
「伝説の魔道具……記憶と知識を封じ込めることができる……」
「ええ。リヒトは、戦いに向かう前に私のところへ来たの」
ルーナの声が、静かに過去を語り始める。
* * *
——それは、スーの屋敷に向かう数時間前のことだった。
「ルーナ姫。少し時間をもらえるか」
リヒトが、ルーナの部屋を訪れた。
その表情は、いつもの穏やかさの中に、どこか決意のようなものが宿っていた。
「リヒト……どうしたの?」
「これから、おそらく最後の戦いに向かう」
リヒトは静かに言った。
「最後、って……」
「私の最後、という意味だ」
ルーナが息を呑む。
「リヒト、あなた……!」
「大丈夫だ。これは、悲観ではなく——覚悟だ」
リヒトは微笑んだ。
「スーという敵は、私たちが想像する以上に強大だ。彼を倒すには……犠牲が必要になる」
「そんな……!」
「ルーナ姫。お願いがある」
リヒトは、水晶をルーナの手に握らせた。
「これは、私の200年の記憶と知識を封じたものだ」
「この中には——スーを倒すための条件、そして……記憶を奪われた者を救う方法が記されている」
ルーナは震える手で、水晶を握りしめた。
「なぜ……なぜ私に?」
「君は光魔法の使い手。そして——アルを信じることができる人だから」
リヒトの瞳が、優しく輝いた。
「アルは、特別な魂を持っている」
「だが……彼は弱い。心が、とても繊細で脆い」
「もし彼が絶望に飲まれたなら——」
リヒトはルーナの目を真っ直ぐに見つめた。
「君が、彼を救ってやってくれ」
「そして、この水晶を彼に渡してくれ」
リヒトは少し間を置いて、続けた。
「ただし——この水晶には特殊な仕掛けがある」
「それは……?」
「特定の魔力波長を持つ者にしか、中の記憶は見えない。聞こえない」
ルーナが驚いた表情を見せる。
「つまり……アルにしか?」
「ああ。私とアルだけが持つ、特別な波長だ」
リヒトは何かを言いかけて——やめた。
「詳しくは言えない。だが……アルなら、きっと理解してくれるだろう」
「彼なら……必ず、なんとかする」
* * *
——回想が終わり、現在に戻る。
「リヒトは……全部わかっていたのね……」
マリアが涙声で呟く。
「ああ……」
アルは拳を握りしめた。
「俺が絶望にとらわれてしまうことも……全部」
「それで——この水晶には、何が?」
ゲルドが身を乗り出した。
ルーナは水晶を掲げた。
「この水晶を使えば、リヒトの知識を読み取ることができる。でも……」
「でも?」
「それには、特定の魔力波長が必要なの。リヒトが言うには——」
ルーナはアルを見た。
「アルの魔力が、鍵になる」
「俺の……魔力?」
「そう。リヒトとアルだけが持つ、特別な波長……詳しい理由は、リヒトは教えてくれなかったけど」
アルの表情が、わずかに変わった。
(リヒトと俺だけが持つ波長……やはり、異世界出身者特有のものなのか……)
アルは心の中で呟いた。
リヒトが異世界から来たことは、最初の戦いの時に知っていた。だが、それを他の誰にも話していない。
今も、それを明かす時ではない。
その時——扉が勢いよく開いた。
「アル! みんな!」
マーカスが、息を切らして飛び込んできた。
「マーカス! 無事だったのか!」
アルが駆け寄る。
「ああ……なんとか転移魔法の痕跡を辿って戻ってきた」
マーカスは懐から、古びた紙を取り出した。
「地下で見つけた古代文字を書き写してきた。ゲルド、読めるか?」
ゲルドが紙を受け取り、目を凝らす。
「これは……古代ルーン文字……」
「『光の導き手、魂の共鳴者、記憶の紡ぎ手』」
「『三つが揃う時、闇は祓われる』」
全員が息を呑んだ。
「光の導き手——それは光魔法を使える者……」
みんながルーナを見る。
「魂の共鳴者——これは特殊な魔力波長を持つ者を指す」
リーサの視線がアルに向く。
「アル……君がリヒトの記憶水晶に反応したということは、君がその共鳴者だ」
「俺が……」
アルは拳を握る。
「そして、記憶の紡ぎ手——」
ゲルドの視線が、意識のないリリアに向いた。
「リリア……?」
マリアが驚いて妹を見る。
「待って……リリアが記憶の紡ぎ手だと、どうして……?」
リーサが疑問を口にする。
ゲルドは深く息をついた。
「実は……さっき、リリアの魔力を感じ取った時に気づいたんだ」
ゲルドはリリアを見つめた。
「彼女の魔力には、特殊な波長がある。それは記憶に作用する——極めて稀な性質だ」
「え……?」
マリアが戸惑う。
「記憶魔法……それは人の記憶を読み取り、記録し、そして失われた記憶を取り戻すことができる能力だ」
「通常、この魔法の才を持つ者は……文献でしか聞いたことがない」
マリアが息を呑む。
「リリアが……そんな才能を……?」
「おそらく、彼女自身も気づいていなかったはずだ。まだ目覚めていない、潜在的な力だ」
ゲルドは真剣な表情で続ける。
「だが——スーは気づいていた。だからこそ、彼女から真っ先に記憶を奪ったんだ」
「リリアの記憶魔法が目覚めれば、スーの記憶操作を破られる可能性があったから」
「じゃあ……リリアの記憶を取り戻せば……」
「ああ。三人が揃う。スーを倒す条件が整う」
アルは水晶を見つめた。
「ルーナ、その水晶を使おう」
「俺の魔力で、リヒトの知識を読み取る——そこに、リリアの記憶を取り戻す方法があるはずだ」
ルーナは頷いた。
「わかったわ。アル、この水晶を持って」
アルは水晶を手に取る。
瞬間——
水晶が、激しく光り始めた。
部屋全体を包み込むような、青い光。
「うわっ、何だ!?」
マーカスが驚いて後ずさる。
「眩しい……!」
リーサが目を覆う。
だが——アルには、光だけではなく、その中に何かが見えた。
その光の中に——リヒトの姿が浮かび上がった。
「みんな……」
リヒトの声が響く。
(リヒト……!)
アルは心の中で叫んだ。
「アル? どうしたの?」
ルーナが心配そうに尋ねる。
「リヒトが……見えるのか?」
マーカスも不思議そうに辺りを見回す。
だが——誰にも、リヒトの姿は見えていない。
(そうか……俺にしか見えない。聞こえない)
アルは理解した。
「みんな……少し、待ってくれ」
アルは水晶を握りしめた。
「俺には……リヒトが見える」
全員が驚いた表情でアルを見た。
「アルにしか……見えないの?」
ルーナが呟く。
「ああ……リヒトが言ってた通りだ。特定の波長を持つ者にしか……」
アルは水晶の中のリヒトを見つめた。
「この記録を聞いているということは——」
幻影のリヒトが、優しく微笑んだ。
「よかった。アル、立ち上がったんだね」
アルの目から、再び涙がこぼれた。
「リヒト……」
アルは小さく呟く。だが、それは誰にも聞こえない。
「アル……?」
ルーナが心配そうに声をかける。
「大丈夫だ……リヒトが……話してくれている」
アルは涙を拭って、水晶に集中した。
「泣くな。君は強い。いや——強くなった」
リヒトの声が続く。
「さあ、伝えよう。リリアを取り戻す方法を」
リヒトの幻影が、手を掲げる。
その手は、リリアの方を指し示した。
「記憶魔法は、魂の深層に刻まれている。スーはそれを覆い隠しただけ——消し去ったわけではない」
「記憶を取り戻すには、三つのステップが必要だ」
アルは、リヒトの言葉をみんなに伝え始めた。
「一つ——魂の共鳴者……つまり俺の魔力で、封印を解く」
アルの体から、淡い光が立ち上る。
みんながそれを見て、息を呑んだ。
「二つ——光の導き手が、闇を祓う」
アルはルーナを見た。
「ルーナ、お前の光魔法が必要だ」
ルーナは頷き、手をかざす。
リリアを覆っていた見えない黒い靄が、ゆっくりと消えていく。
「三つ——」
リヒトの表情が、真剣になった。
「記憶の紡ぎ手本人の意志が必要だ。彼女が、自分で記憶を取り戻そうとしなければならない」
アルは、みんなにリヒトの言葉を伝えた。
「でも……リリアは意識がない……」
マリアが呟く。
「だからこそ——」
リヒトはアルを見た。
「君が、彼女を呼び戻すんだ」
「俺が……」
「君の声が必要だ。リリアにとって——君は、最も大切な記憶の一部だから」
アルは、リリアの傍に膝をついた。
彼女の手を握る。
「リリア……聞こえるか?」
静寂。
リリアは、何の反応も示さない。
「リリア……お前を取り戻しに来た」
アルの声が、部屋に響く。
「俺は……お前との約束を覚えている」
「一緒に、バーを盛り上げようって」
「お前の笑顔を、また見たいって」
アルは、リリアの手をさらに強く握った。
「だから……戻ってきてくれ」
「俺たちは——お前を待っている」
その時——
リリアの指先が、わずかに動いた。
「リリア……!」
マリアが叫ぶ。
リリアの瞼が、ゆっくりと開いた。
その瞳は——まだ焦点が定まっていない。
だが、次の瞬間——
「……アル……?」
かすれた声が、リリアの唇から漏れた。
「ああ! リリア!」
アルが思わず抱きしめる。
「待たせたな」
「アル……みんな……」
リリアの瞳に、次々と記憶が蘇っていく。
涙が、頬を伝った。
「思い出した……全部……」
「リリア……!」
マリアが妹を抱きしめた。
リーサも、涙を流しながら二人に駆け寄る。
部屋中に、安堵と喜びが広がった。
リヒトの幻影が、満足そうに微笑んだ。
「よかった……これで、君は戦える」
「さあ——最後の戦いだ」
「条件は揃った。あとは——」
リヒトはアルを見た。
「君が、なんとかするだけだ」
幻影が、ゆっくりと消えていく。
その時——リヒトの声が、アルの耳元でささやいた。
(アル……最後に一つだけ)
アルだけに聞こえる、小さな声。
(スーは——俺たちと同じだ)
アルの目が見開かれる。
幻影が完全に消える直前——
(なんとかしろよ、アル)
リヒトが、最後に笑った。
「ありがとう、リヒト」
アルが、消えゆく幻影に向かって小さく呟いた。
「俺たちは——お前の意志を継ぐ」
光が完全に消えた時——
アルは水晶を握りしめたまま、深く息をついた。
「アル……リヒトは、何を?」
ルーナが優しく尋ねる。
「ちょっとな」
アルは顔を上げ、仲間たちを見回した。
「俺たちなら——できる」
* * *
窓の外で、魔法陣がさらに強く輝いている。
新月まで、あと一時間。
アルは仲間たちを見回した。
「みんな、行けるか?」
マリアが頷く。リーサも剣を握りしめる。ゲルドは杖を構え、マーカスは拳を鳴らす。
そして——リリアが立ち上がった。
「アル……私も、戦う」
「リリア……」
「私には、記憶魔法がある。スーから奪われた王都の人々の記憶——それを取り戻せるのは、私だけ」
リリアの瞳には、強い意志が宿っていた。
「記憶の紡ぎ手……」
アルは微笑んだ。
「わかった。一緒に行こう」
ルーナが手を差し伸べた。
「さあ、行きましょう」
「最後の戦いに」
全員が、手を重ね合わせた。
「なんとかなる——いや」
アルは力強く言った。
「なんとかする!」
その声に、全員が頷いた。
そして——
七人は、スーの待つ場所へ向かって走り出した。




