6杯目 保守派のリーダー、マリア
翌日の午後、アルとリリアは城の西棟へと向かっていた。
廊下は東棟とは雰囲気が違う。壁には人族との戦いを描いた絵画が並び、明らかに威圧的な空気が漂っている。
「......なんか、空気重くない?」
「はい。西棟は保守派の方々が多く住んでいるので......」
リリアの声は小さく、角の色も普段より薄い。緊張しているのだろう。
「大丈夫。俺がいるから」
アルはそう言って、リリアの肩をポンと叩いた。
「ありがとうございます......」
リリアは少し安心したように微笑む。
やがて二人は大広間の前に到着した。重厚な扉の前には、黒い鎧を纏った魔人族の騎士が二人、槍を構えて立っている。
「姫様、それに人族の......」
騎士の一人が警戒した目でアルを見る。
「マリア姉様にお会いしたいのです」
リリアが毅然とした声で言う。
「承知しております。どうぞ」
扉が重々しく開かれた。
中に入ると、そこには数十人の魔人族が並んでいた。全員が鋭い目つきでアルを睨みつけている。
(うわぁ......完全アウェーじゃん。これ、下手したらリンチされるパターンだ)
アルは内心冷や汗をかいた。だが、ここで怯むわけにはいかない。
広間の奥、玉座に似た椅子に一人の女性が座っていた。
長い銀髪、リリアより大きな角、深紅の瞳——美しいが、その表情には冷たさが宿っている。
「来たな、人族」
マリア・クマガワの声が響いた。威厳があり、どこか悲しみを含んだ声だ。
「マリア姉様......」
リリアが小さく呟く。
「リリア。父上の命令だからといって、こんな人族を連れてくるとは......失望したぞ」
マリアの言葉は冷たかった。リリアの表情が苦しそうに歪む。
「待てよ」
アルが一歩前に出た。
「リリアは悪くない。俺が勝手についてきただけだ。文句があるなら俺に言え」
「......ほう。人族の分際で、随分と大きな口を叩くものだな」
マリアは立ち上がり、アルに向かって歩いてくる。その威圧感は魔王にも劣らない。
(やべぇ、めっちゃ怖い......でも、リリアが言ってたおっちょこちょいな姉って、この人なのか?)
アルはマリアを観察する。確かに美しく、威厳もあるが——どこか無理をしているような、そんな印象を受けた。
「人族よ。お前がここに来た理由は知っている。父上が私たちを説得しろと命じたのだろう?」
「まあ、そんなところ」
「無駄だ。我々は絶対に人族との和平など認めない」
マリアの声には強い意志が込められていた。
「それが、我々を苦しめた者たちへの——」
その時、マリアの足が廊下の段差に引っかかった。
「あっ——」
バタン!
マリアは盛大に転んだ。
「姉様!?」
リリアが慌てて駆け寄る。アルも思わず手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「触るな、人族!」
マリアは怒鳴りながらも、アルの手を払いのけようとして——再びバランスを崩した。
「うわっ!」
アルは咄嗟にマリアを支える。
「......っ」
マリアの顔が真っ赤になった。怒りではなく、恥ずかしさで。
「あ、あの......すみません」
マリアは小さな声で呟いた。その瞬間、アルは確信した。
(あ、これリリアが言ってた本来の姉様だ。めっちゃおっちょこちょいじゃん)
周囲の保守派たちも困惑している。普段の厳格なマリア様とは違う姿に、戸惑いを隠せないようだ。
「マリア様!お怪我は!?」
「だ、大丈夫だ!このくらい......」
マリアは慌てて立ち上がろうとして、またよろめいた。
「姉様、無理しないで......」
リリアが優しく声をかける。
「リリア......お前には、見せたくなかったのだが......」
マリアは恥ずかしそうに顔を伏せた。その仕草は、確かにおっちょこちょいで可愛らしい。
アルはふと思った。この人は——本当は優しくて、種族なんて気にしない人なんだろう。でも、傷ついて、心を閉ざして、厳格な保守派のリーダーを演じている。
「あのさ、マリアさん」
「......何だ」
「一つ聞いていい?あんた、本当は人族のこと憎んでないでしょ?」
「何!?」
マリアだけでなく、周囲の保守派たちもざわめいた。
「だって、さっき俺が手を差し伸べた時、一瞬だけど受け入れようとしたよね」
「それは——咄嗟のことで——」
「あんたが本当に人族を憎んでるなら、俺の手なんか絶対に掴まないはずだ。でも、あんたは無意識に俺の手を——」
「黙れ!」
マリアが叫んだ。
「お前に何がわかる!お前は何も知らないくせに!」
「確かに。俺はあんたの過去も、苦しみも知らない」
アルは真っ直ぐにマリアを見つめた。
「でも、一つだけわかることがある。あんたは本当は、こんな風に生きたくないんじゃないか?」
「......っ」
マリアの表情が揺らぐ。
「リリアから聞いたよ。あんたは昔、種族なんて関係なく誰とでも仲良くできる人だったって。おっちょこちょいで、笑顔が可愛くて、みんなに愛されてた——」
「やめろ......」
「でも、好きになった人に拒絶されて、心を閉ざした。それから、ずっと厳格な保守派のリーダーを演じてる」
アルは言葉を続けた。
「でもさ、それって......あんた自身を苦しめてるだけじゃない?」
「黙れ!お前に私の何がわかる!」
マリアは涙声になっていた。
「私は——私は、もう二度と傷つきたくない!だから、人族なんて......人族なんて——」
その時、リリアが前に出た。
「姉様」
「リリア......」
「私、ずっと姉様と話したかった。昔みたいに、一緒に笑いたかった......」
リリアの瞳にも涙が浮かんでいる。
「お願いです。もう一度——もう一度だけ、昔の姉様に戻ってください」
「戻れるわけがないだろう!私はもう——」
「戻れるよ」
アルが遮った。
「だって、あんたはさっき、無意識に俺の手を掴もうとした。それって、あんたの本心がまだ『種族なんて関係ない』って思ってる証拠じゃないか」
マリアは言葉を失った。
確かに——咄嗟に、人族であるアルの手を受け入れようとした自分がいた。
「それに、あんたが好きだった人も、本当はあんたと一緒にいたかったんじゃないの?ただ、周りの圧力に負けただけで」
「それが何だと言うのだ......」
「つまり、あんたを拒絶したのは『その人』じゃなくて『周りの人族』だったんでしょ?だったら、憎むべきは『人族全員』じゃなくて『あの時の周りの人族』だけじゃないの?」
マリアは震えていた。
アルの言葉が、心の奥深くに突き刺さる。
「俺、あんたの好きだった人のこと知らないけど——もしその人が本当にあんたを愛してたなら、今のあんたを見たら悲しむと思うよ」
「......何?」
「だって、あんたは憎しみに囚われて、笑顔を失って、ずっと苦しんでる。それって、その人が望んだ未来じゃないでしょ?」
マリアの瞳から、涙が一筋流れた。
(確かに......あの人は、いつも私に笑っていてほしいと言っていた)
「姉様......」
リリアが優しく声をかける。
「お願いです。もう一度、昔みたいに——」
「リリア......私は......」
マリアは妹を見つめた。そこには、自分を心配してくれる優しい妹がいる。
そして、人族でありながら、自分に真剣に向き合ってくれる青年がいる。
(私は......本当は......)
その瞬間——
「マリア様!こんな人族の戯言に惑わされてはなりません!」
保守派の一人が叫んだ。
「そうだ!人族を信じるなど愚の骨頂!」
「ここで殺してしまいましょう!」
殺すなんてそんな物騒な……アルはポッケの酒に手を伸ばす
騒然とする広間。だが、マリアは静かに手を上げた。
「......静まれ」
その一言で、場が静まり返る。
マリアはゆっくりとアルに近づいた。そして——
パシン!
平手打ちがアルの頬を打った。
「いっ......」
「調子に乗るな、人族。お前の言葉など、所詮は綺麗事に過ぎん」
マリアは冷たく言い放った。
「だが......」
彼女は一瞬だけ、妹のリリアを見た。
「お前の言葉......少しだけ考えてやろう」
「姉様!?」
リリアが驚いて声を上げる。保守派たちもざわめいた。
「勘違いするな。人族との和平を認めたわけではない。ただ、お前の話を......もう少し聞いてやるだけだ」
マリアは背を向けた。
「次に来る時は、もっとマシな話を持ってこい。そして——」
彼女は振り返り、アルを睨んだ。
「お前自身が、人族の中でも『信じるに値する者』だと証明してみせろ。それができなければ、次はない」
「......わかった」
アルは頬を押さえながら頷いた。結構痛い。
「じゃあ、また来るよ。その時は、もっとちゃんと話せるようにする」
「ふん。期待はしていないがな」
マリアは再び椅子に座った。
「リリア。お前も行け」
「はい......姉様」
リリアは名残惜しそうにマリアを見てから、アルと共に広間を後にした。
* * *
廊下を歩きながら、リリアがぽつりと呟いた。
「アル......ありがとうございます」
「いや、全然ダメだったけど」
「そんなことありません。姉様、少しだけ......心を開いてくれました」
リリアの角がほんのり赤く染まる。
「あの姉様が『考えてやろう』なんて言うなんて......初めてです」
「そっか。それよりリリアさん?平手打ち受けてから顔の角度左向きから戻らないんだけど??」
「ふふ、それは......姉様なりの照れ隠しかもしれません」
「照れ隠し!?首もげたと思ったんだけど!?」
「姉様、昔からああなんです。恥ずかしいことがあると、つい手が出ちゃうって」
「マジか......」
リリアはくすりと笑った。
「でも、本当にありがとうございます。姉様、きっと変われると思います」
二人は笑いながら歩いていた。
その時——
「アル、危ない!」
リリアが叫んだ。
廊下の影から、何かが飛び出してきた。黒い矢が、アルのヘッドショットを狙わんばかりに飛んできた——
「くそっ!」
アルは普通の大学生、不意打ちの攻撃に対応できるわけもなく
(やばい——酒、飲んでない!)
「う、うわぁぁぁぁ!!!」
黒い矢はアルの顔の右側を掠めていった。
左向きに顔固定されていてよかった!ありがとうマリア様!心の中でアルは感謝する
「アル!」
リリアが魔法を放とうとした瞬間——
「待て、リリア姫」
黒い鎧の騎士が現れた。魔王直属の護衛騎士だ。
「この者は保守派の過激派。すぐに拘束する」
騎士たちが襲撃者を取り押さえる。
「アル、大丈夫ですか!?」
リリアが慌ててアルに駆け寄る。
「ああ......ちょっと切っただけだから」
アルは顔の傷を見る。浅い傷だが、血は出ている。
「すぐに治療を!」
リリアが叫ぶ。
だが、アルはふと思った。
(俺、酒飲んでたら......あの刃、防げたのかな?それとも、変な能力発動して逆にヤバいことになってた?)
欠陥チートの不安定さを、改めて実感する瞬間だった。
* * *
その夜、治療を終えたアルは部屋で酒を飲んでいた。
「はぁ......今日は疲れたな」
腕には包帯が巻かれている。幸い、大した傷ではなかった。
「アル、大丈夫ですか?」
リリアが心配そうに覗き込む。
「平気平気。これくらいなら——」
グラスを傾けた瞬間、アルの体が光った。
「おっ、来た......って、え?」
アルの体が宙に浮いた。
「うわっ!?なにこれ!?浮遊!?」
「す、すごいです!空中浮遊の能力が!」
リリアは目を輝かせる。
だが、アルはコントロールできずにクルクル回り始めた。
「うわあああ!止まれ止まれ!」
「ア、アル!?」
リリアが慌てて手を伸ばすが、アルは天井近くまで浮いてしまった。
「やばい、これ酔う!めっちゃ酔う!」
そして5分後——
ドサッ
アルは床に落下した。幸い、高さはそれほどでもなかったので怪我はない。
「......やっぱり欠陥チートだ、これ」
アルはそのまま仰向けになって呟いた。リリアはくすくすと笑っている。
「でも、面白かったです」
「笑うなよ......」
だが、アルも笑ってしまった。
こうして、マリアとの初対面は終わった。まだ和解には程遠いが——少なくとも、小さな一歩は踏み出せたようだ。
そして、アルの欠陥チートは相変わらず予測不能だった。
次回予告:「再びマリアの元へ」
※毎日更新予定です。お楽しみに!




