56杯目 打ちのめされて剥がれたほんとの心
酒瓶を抱えたまま、俺は床に横になっていた。
頭がぼんやりとして、意識が朦朧としている。
だが——心の痛みだけは、決して消えることがない。
アルコールが血管を駆け巡り、思考が曖昧になる中で——
過去の記憶が、鮮明に蘇り始めた。
* * *
高校二年生の秋だった。
俺は学校から帰宅すると、玄関に見慣れない靴があることに気づいた。
警察の人が来ていた。
「お疲れさまです。○○君ですね」
警察官の重々しい声が、俺の耳に響く。
「ご両親のことですが……」
その瞬間、俺の世界が崩れ始めた。
交通事故。
両親が乗っていた車に、居眠り運転のトラックが追突した。
即死だった。
俺は——ただ立ち尽くすことしかできなかった。
葬儀の日。
親戚や近所の人々が集まった。
皆、俺を見る目が——同情に満ちていた。
「かわいそうに……」
「まだ高校生なのに、両親がいないなんて……」
「これからどうするんだろう……」
そんな声が、俺の耳に届く。
俺は——その視線が、その言葉が、耐えられなかった。
同情されることが、哀れまれることが——何よりも辛かった。
* * *
学校に戻ると、クラスメイトや教師の態度が変わっていた。
皆、俺に気を遣う。
遠慮がちに話しかけ、腫れ物に触るような扱いをする。
「大丈夫?」「何か困ったことがあったら言ってね」
担任の先生は俺を呼び出して言った。
「○○君、無理しちゃだめよ。何かあったら、いつでも相談して」
友人たちも——
「○○、元気出せよ」
「俺たちがいるから」
皆、優しかった。
だが——その優しさが、俺を「特別な存在」として扱っていることを意味していた。
「両親のいない子」
「かわいそうな子」
「普通じゃない子」
俺は——普通に扱ってほしかった。
笑い合い、馬鹿話をして、他の皆と変わらない日常を送りたかった。
* * *
幸い両親が何かあったときの為に用意してくれていた保険や貯金そして家のおかげで
俺は一人暮らしでも問題なかった。
親戚のおじさんが、時々様子を見に来る。
「大丈夫か? 何か困ったことがあったら連絡するんだぞ」
おばさんも心配してくれる。
「ちゃんと食べてるの? 一人だと心配で……」
その度に俺は答える。
「大丈夫です。ありがとうございます」
だが——彼らの目にも、同情が滲んでいた。
「気を確かにね」
「元気出してね」
そんな言葉をかけられる度に、俺の心は重くなった。
夜、一人になると——俺は泣いた。
両親がいない寂しさ。
誰にも理解されない孤独感。
そして——周囲の同情の目に晒され続ける辛さ。
だが、ある夜——俺は決意した。
もう、同情されるのはごめんだ。
かわいそうと思われるのはもうたくさんだ。
俺は——普通でいよう。
明るく振る舞い、弱音を吐かず、前向きに生きよう。
そうすれば——皆、俺を普通に扱ってくれるはずだ。
* * *
それから俺は——仮面を被った。
学校では常に笑顔でいた。
困ったことがあっても、決して弱音を吐かない。
「なんとかなる」
そう言って、いつも明るく振る舞った。
テストの成績が悪くても——
「まあ、なんとかなるよ」
部活で失敗しても——
「次があるさ」
友人が心配してくれても——
「俺は大丈夫だから」
皆、俺の変化に安心した。
「○○は強いな」
「立派だよ」
「両親も安心してるだろう」
俺は——その言葉を聞くたびに、内心で苦笑していた。
強い? 立派?
違う。
俺は——ただ同情されたくないだけだった。
普通でいたかっただけだった。
だが——その仮面は完璧だった。
誰も、俺の本当の気持ちに気づかなかった。
俺自身も——いつの間にか、その仮面が本当の自分だと思い込んでいた。
* * *
俺は異世界に転移した後でも、それが本当の自分であるかのように振舞った。自分でも気づかぬ内に——
異世界でも俺は同じ仮面を被り続けた。
困難に直面しても——
「なんとかなる」
仲間が心配してくれても——
「俺は大丈夫だから」
どんな絶望的な状況でも、前向きに振る舞った。
リリアと出会い、リヒトやマーカス、ゲルドと仲間になり——
俺は彼らと共に、数多くの困難を乗り越えてきた。
その度に「なんとかなる」と言い続けた。
だが——それは、高校生の頃から被り続けた仮面だった。
本当の俺は——
両親を失った、孤独で不安な少年のままだった。
* * *
現在——俺はまた酒を口に含んだ。
アルコールが喉を焼く。
「また……守れなかった……」
俺の声が、部屋に響く。
あの時と同じだ。
両親の死も——俺には防げなかった。
突然の事故。
俺が何をしようと、結果は変わらなかった。
そして今——
リヒトも救えず、リーサを悲しませたままだ。
そして、リリアの記憶も守れない。
王都の人々も——明日の夜、全て記憶を失う。
俺は——何一つ守ることができない。
両親の時と同じだ。いつの間にか俺の手から大切なものは零れ落ちていく。
「なんとかなる……?」
俺は自嘲的に呟いた。
「なんとかならない……なんとかなんて、ならない……」
これまで被り続けてきた仮面が——完全に崩れ落ちた。
前向きで、仲間を信じ、困難に立ち向かう——
そんな俺は——全て嘘だった。
本当の俺は——
両親を失った時と同じ、無力で孤独な人間だった。
酒瓶を抱えしめ、俺は床で丸くなった。
「もう……無理だ……」
もう、立ち上がることはできない。
もう、「なんとかなる」と言うことはできない。
* * *
どれくらい時間が経ったのかわからない。
扉を叩く音が聞こえた。
「アル!」
マーカスの声だった。
「頼む! 出てきてくれ!」
俺は——答えなかった。
答える気力もない。
「アル! もうすぐ新月の夜だ! 王都の皆が——」
マーカスの声が必死だった。
だが、俺には関係ない。
俺は——もう何もできない。
ただの——無力な人間だから。
窓の外では、魔法陣がより鮮明に輝いている。
新月の夜まで——あと数時間。
だが、俺は動けない。
酒瓶を抱えたまま、床に横たわっているだけだった。




