50杯目 記憶を奪う呪い
リヒトとの協力関係が成立した翌日、俺たちは早朝から街の調査を再開していた。
薄明の王都。空はまだ暗く、街灯の明かりがぼんやりと石畳を照らしている。冷たい朝の空気が肌を刺し、吐く息が白く染まる。
アル、リヒト、マーカス、ゲルドの四人で街を巡回する。リリアとマリア、リーサは屋敷で情報の整理をしてもらっていた。
「王都の様子が変わった」
リヒトが低い声で言う。
確かに、街を行く人々の表情は一様に暗く、警戒するような視線を辺りに向けていた。商店の店主たちも、客に対してどこか疑心暗鬼な態度を見せている。
「連続する失踪事件の影響だな」
マーカスが頷く。
「ああ。だが、それだけじゃない」
リヒトの勇者としての長年の経験と洞察力が、街の異変を鋭く察知していた。
「何か……邪悪なものが、この街全体を包み始めている。スーの影響力が、確実に広がっている証拠だ」
* * *
午前中の聞き込みで、俺たちは複数の「黒フードの集団」の目撃情報を得ることができた。
「王都東側で、夜中に五人組の黒フードが目撃されました」
「北西の商業地区でも、同じような集団が……」
「南の住宅街でも見たという話があります」
マーカスが地図に印をつけていく。目撃場所を線で結ぶと——やはり、王都の中心を囲むように、綺麗な円を描いていた。
「完全に包囲されているな」
ゲルドが険しい表情で呟く。
「結界の準備が、最終段階に入っているということか」
リヒトの表情も厳しい。
* * *
昼過ぎ、俺たちは倉庫街で黒フードの集団を発見した。
五人の人影が、廃倉庫の影で何かの作業をしている。距離があるため、詳細は見えないが、明らかに怪しい動きだった。
「追跡を開始する」
リヒトが小声で指示を出す。
だが、相手も俺たちの存在に気づいたようだった。黒フード集団は慌てたように散り散りになって逃走を始める。
「逃がすな!」
俺たちは路地裏を駆け抜けて追跡を開始した。
リヒトの動きが光る。さすがは元勇者、身体能力が桁違いだった。素早い身のこなしで先頭を走り、黒フードの一人に肉薄する。
「そこまでだ!」
リヒトが黒フードの腕を掴む。
「捕まえたぞ!」
だが、捕まった瞬間、黒フードは突然苦しみ出した。
「ぐあああああ……!」
その人物はフードの下で顔を歪め、激しく痙攣している。
「これは……呪いがかけられている」
リヒトが即座に判断した。
「口を割らせないための呪いだ。喋ろうとすると、激痛が走る仕組みになっている」
黒フードは何も語ることなく、そのまま意識を失ってしまった。
俺たちは手がかりを得ることができないまま、その場を後にするしかなかった。
* * *
夕方、屋敷に戻って全員で情報を共有した。
「地図を見てください」
マリアが、今日集めた目撃情報を整理した地図を広げる。
黒フードの目撃地点は、完全に円を描いている。王都の中心を囲むように、結界の準備が着々と進んでいることは明らかだった。
「ユリさんが言っていた『あと数日で完成する』というのは本当だったな」
俺は拳を握りしめた。
「新月の夜が三日後です」
リリアが暦を確認しながら言った。
「新月の夜……魔力が最も強まる時だ。大規模な魔法の儀式には最適な時期」
リヒトが解説する。
「つまり、三日後がタイムリミットということか」
ゲルドが深刻な表情を見せる。
俺たちに残された時間は、あと三日しかなかった。
* * *
報告会の最中、リリアが突然額に手を当てた。
「あ……」
「リリア? どうした?」
俺が心配そうに尋ねる。
「少し……頭が痛くて」
リリアは苦笑いを浮かべた。
「すみません、大丈夫です。少し疲れただけですから」
皆が心配するが、リリアは「大丈夫です」と笑顔を見せる。だが、アルにはその笑顔が少し硬く見えた。何かを隠しているような——。
「今日はもう休んだ方がいい」
「いえ、本当に大したことないので……」
「無理は禁物だ。リリア、部屋に戻って休め」
リヒトも心配そうに言った。
「……わかりました。では、少し休ませてもらいます」
リリアは渋々部屋に戻っていった。
* * *
その夜、俺はリリアの部屋の前で立ち止まった。
中から微かに苦しそうな呼吸が聞こえる。
コンコン。
俺はドアをノックした。
「リリア、大丈夫か?」
「……大丈夫です。少し休みます」
返事の声も、どこか弱々しい。
俺は不安を抱えたまま、自室に戻った。
窓の外を見つめる。2つの月が、不気味に光っている。まるで、何かが起ころうとしていることを予感させるかのように——。
* * *
深夜、俺は物音で目を覚ました。
リリアの部屋から、微かな光が漏れている。
心配になって様子を見に行くと、リリアがベッドで苦しそうにしている。額には汗が浮かび、呼吸も荒い。
俺は慌てて彼女の額に手を当てた。熱い。
「リリア!?」
俺の声で、リリアが目を開けた。だが、その目は焦点が定まっていない。
「アル……さん? ここは……どこ……?」
意識が混濁している様子だった。俺の名前すら、曖昧になっている。
「屋敷だよ。リリアの部屋だ」
「屋敷……? 私の……部屋……?」
リリアは困惑した表情を見せる。
だが、数秒後、彼女の目に意識が戻った。
「あ……アル? すみません……少し変な夢を見ていたみたいで」
リリアは不安そうな表情を浮かべる。
「医者を呼ぼう」
「いえ! 大丈夫です。明日には良くなります。心配しないでください」
リリアは俺の提案を強く拒否した。
* * *
翌朝、俺はリヒトにリリアの様子を相談した。
「意識の混濁……」
リヒトは深刻な表情で考え込む。
「スーの呪いかもしれない」
「呪い?」
「ああ。スーは過去に、標的の記憶を少しずつ奪う呪いを使ったことがある」
リヒトの言葉に、焦りがうまれる。
「呪いは段階的に進行する。最初は軽い意識の混濁。だが、放置すれば——」
リヒトが言葉を濁す。
「完全に記憶を失う」
記憶を失うなんてシャレになってないぞ。
「リリアは……スーの標的になっているのか?」
「おそらく。だが、なぜリリアなのかは分からない」
リヒトは頷いた。
* * *
その時、マリアが急いで屋敷にやってきた。
「新しい情報です!」
マリアは息を切らしながら報告する。
「王都北の廃教会で、怪しい光が目撃されました。夜中に、不気味な光がチカチカと点滅していたそうです」
廃教会——それはユリと会った場所だった。
「スーの拠点かもしれない」
マーカスが推測する。
「全員で向かおう」
俺が提案すると、皆が頷いた。
だが、俺はリリアを心配して躊躇した。
「私も行きます」
リリアが強い意志を見せる。
「このまま何もせずにいられません。自分のことは自分で守ります」
アルはリリアの決意を見て、頷いた。
* * *
夕方、一行は廃教会へ向かった。
教会の周りには、黒い霧のようなものが漂っている。
「結界だ……強力な魔力で守られている」
リヒトが警戒心を露わにする。
俺たちは慎重に近づいた。
教会の中から、微かに声が聞こえてくる。スーの声ではない。別の誰かの声だった。
「……もうすぐだ。新月の夜に、全てが完成する」
「王都の者たち全員の記憶を奪い、この世界に混沌をもたらす」
俺たちは息を潜めて聞き入った。
「そして、最も重要な鍵——種族融和を壊すカギの一人、リリアの記憶を最初に奪う」
その瞬間、俺の血が凍りついた。
* * *
教会から離れ、安全な場所で作戦会議を開いた。
「リリアが狙われている理由が分かった」
マーカスが分析する。
「彼女は種族融和を壊す重要なカギの一人だ。」
「リリアの記憶を奪うことで、種族融和を破壊するのが目的なのか」
ゲルドが続ける。
だが、俺は違和感を覚えた。
「待ってくれ……おかしくないか?」
俺の言葉に、全員が振り返る。
「リリア一人の記憶を奪うだけで、種族融和が壊れるとは思えない。確かに彼女は純粋な魔族だが……それだけじゃ足りない。何か、他に目的があるんじゃないか?」
俺の指摘に、一同が沈黙した。
「確かに……リリア一人では、種族融和そのものを崩壊させるには不十分ですな」
ゲルドが考え込む。
「スーの本当の狙いは、別にあるのかもしれない」
マーカスが険しい表情で言った。
「だが、それが何なのか……」
リヒトが腕を組む。
俺の心に、不安が広がる。スーの真の目的——それはまだ、霧の中だ。
だが、1つだけ確かなことがある。
「絶対に阻止する。リリアを守るし種族融和の破壊もさせない」
「俺も全力で協力する。二度と、大切な者を失わない」
リヒトが俺の肩に手を置く。
全員が決意を新たにした。
新月の夜まで、あと二日。
* * *
屋敷に戻る途中、俺は2つの月を見上げた。
月は徐々に欠けている。新月が近づいている。
リリアが隣を歩いている。その横顔は不安そうだが、強い意志も感じられる。
「大丈夫。絶対に守るから」
俺の言葉に、リリアは微笑む。
だが、その笑顔の奥に、微かな不安が見えた。
遠くで、夜鳥が鳴く。




