49杯目 再来の元勇者
翌朝、俺たちは失踪事件の現場を調べるため、王都北側の倉庫街へと向かった。
朝靄が立ち込める石畳の道。足音だけが静かに響く。昨日の聞き込みで得た情報を頼りに、黒いフードの人影が目撃された場所を探していた。
「この辺りのはずだが……」
マーカスが地図を確認しながら呟く。
倉庫街は普段から人通りが少ない。だが、今日はさらに静まり返っていた。まるで、何かが起きることを予感しているかのように。
「アル、こっちです」
リリアが古びた倉庫の前で立ち止まった。扉には新しい傷跡がある。何かで引っ掻いたような痕だ。
「誰かが抵抗した跡か……」
ゲルドが険しい表情で言う。
俺は扉を押し開けた。軋んだ音が響き、埃っぽい空気が鼻をつく。中は薄暗く、窓から差し込む光だけが床を照らしていた。
「床に……何か痕跡が」
マリアが床を指差す。そこには、黒い液体が飛び散った跡があった。だが、血ではない。もっと不自然な、粘り気のある何かだ。
「これは……黒い酒?」
俺が近づこうとした瞬間——
ガシャン!
倉庫の奥から物音が聞こえた。
「誰かいるのか!?」
マーカスが剣を抜く。全員が警戒態勢を取った。
薄暗い倉庫の奥から、ゆっくりと人影が現れる。フードを深く被った人物だ。だが、その雰囲気は黒フード集団とは明らかに違っていた。
「……久しぶりだな、アル」
低く、落ち着いた男の声。そして、フードが取り払われた。
「リヒト!?」
俺は驚きの声を上げた。
そこに立っていたのは、リーサの父親——かつての勇者、リヒトだった。精悍な顔立ちに刻まれた傷跡、鋭い眼光。だが、その目には深い疲労の色が滲んでいる。
「お父さん……!?」
リーサが驚きの声を上げる。彼女も今日は俺たちと同行していたのだ。
「リーサ……」
リヒトの表情が一瞬緩んだ。だが、すぐに険しさを取り戻す。
「アル、お前たちに話がある。スーのことだ」
リヒトの言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
* * *
場所を変え、俺たちは倉庫街の外れにある小さな酒場に集まった。
早朝の酒場には客もなく、静かな空間が広がっている。リヒトは窓際の席に座り、俺たちを見渡した。
「まず、謝らせてくれ。今まで黙っていたことを」
リヒトが重い口を開く。
「俺は……スーのことを昔から知っていた」
「!?」
一同が驚きの声を上げた。
「父さん、どういうこと……?」
リーサが震える声で尋ねる。
リヒトは深く息をついた。そして、遠い目をして語り始めた。
「それは……俺がまだ勇者として活動していた頃の話だ」
* * *
二百年前、俺はこの世界に召喚された。勇者として。
当時、俺は勇者パーティーの一員として、魔王ゼクセルの討伐に向けて冒険をしていた。仲間は五人。俺を含めて、誰もが種族融和という理想を信じていた。
魔王討伐まであともう少しという所まで来ていた。だが——
ある日、俺たちは辺境の村で、不気味な噂を耳にした。
「黒い魔術師が、村人を攫っている」
村人たちは怯えていた。そして、攫われた者たちは皆、魔力の高い者ばかりだった。
俺たちは調査を開始した。そして——黒い魔術師の正体を突き止めた。
それが、スーだった。
廃墟と化した古城で、俺たちはスーと対峙した。彼は冷たく笑い、こう言った。
「勇者か。理想を掲げる愚か者どもめ」
戦いは熾烈を極めた。スーの魔法は圧倒的で、俺たちは次々と傷を負った。
そして——
俺の仲間が、一人、また一人と倒れていった。
「くそっ……!」
俺は必死に剣を振るった。だが、スーの力は桁違いだった。
「無駄だ。お前たちでは俺を倒せない」
スーは余裕の表情で、俺たちを見下ろしていた。
そして、最後の一撃が俺に向かって放たれた——
だが、その瞬間。
仲間の一人が、俺を庇って前に出た。
「リヒト……逃げろ……!」
彼は俺を守り、スーの魔法を受けて倒れた。
「……っ!」
俺は必死に逃げた。仲間を助ける余裕すらなかった。スーの圧倒的な力の前に、ただ逃げることしかできなかった。
振り返ることもできず、ただ走った。
そして——気づいた時には、村から離れた森の中にいた。
生き残ったのは、俺だけだった。
仲間を見捨てて、逃げた——
当時、俺は魔王の仕業だと思い込んでいた。スーの存在を知らなかった俺は、全てを魔王ゼクセルのせいだと信じて疑わなかった。
仇討ち——
今まで共に戦ってくれた仲間たちの思いを胸に、俺は魔王城へと向かった。
そして、魔王ゼクセルと対峙した。
だが——結果は、引き分けだった。
魔王城の玉座の間。壮麗な柱が立ち並ぶ中、ゼクセルは俺を見下ろしていた。だが、その瞳に映るのは憎悪ではなく——深い悲しみだった。
戦いの最中、ゼクセルの攻撃は明らかに手加減されていた。致命傷を避け、まるで俺を生かそうとしているかのように。
剣を交えるたび、彼の目は何かを語りかけていた。
まるで、終わりのない争いの虚しさを知る者の目——
種族の壁が生み出す悲劇を、幾度となく見てきた者の目——
そして、真実を知らぬまま怒りに駆られる若者を、哀れむような目——
「……お前は、何も知らないのだな」
ゼクセルはそう呟いた。その言葉の意味が、当時の俺には理解できなかった。
彼の声には、諦めと憐憫が混ざり合っていた。争いの連鎖を断ち切れぬ世界への、深い絶望が滲んでいた。
今では、そう思える。
「ゼクセルはおそらく見透かしていたんだろうな……」
リヒトは遠い目をしていたが、自分の無力さを悔いるようなかおで語っていた。
アルたちもそれを黙って各々が聞いていた。
「それから俺は、スーを追い続けた。だが……証拠がなかった」
リヒトの声には、深い後悔が滲んでいる。
「スーは巧妙に痕跡を消し、姿を隠した。俺がいくら訴えても、誰も信じなかった。むしろ、俺が仲間を見捨てたのではないかと疑われた」
「そんな……」
リーサが涙ぐむ。
「嘘だとは言えなかった。そんな俺に勇者を名乗る資格などあるわけがない……」
リヒトは遠い目をした。
「仲間を見殺しにしてしまったんだ、どう償えばいいかわからなかった、ただただひたすら目的もなく生きた。だが――」
「そんな中、妻と出会い、家庭を持ち……そして、リーサが生まれた」
リヒトはリーサを見つめた。その目には、深い愛情が宿っている。
「お前が生まれた時、俺は誓ったんだ。もう二度と、大切な者を失いたくないと。家族を守ることが、俺にとって何よりも大切になった」
リヒトの声には、深い愛が込められていた。
「そして、月日がたったころ……」
リヒトは苦々しい表情で続けた。
「俺は……スーに操られた」
「!?」
一同が息を呑んだ。
「町の人々から向けられた心無い言葉。『仲間を見捨てた臆病者』『偽りの勇者』……そんな言葉が、二百年の間、俺の心に積もり続けていた」
周りの木々がざわめく。
「スーはその憎悪を増幅させた。俺の心の闇を利用して、まるで掌の上で操るように……呪いを使って、王都を攻めさせたんだ」
「あの時の……」
リヒトが王都を襲撃した、あの事件。
「ああ。お前たちに止められて、俺は我に返った。『俺は何をしていたんだ』と……後悔と自己嫌悪で押しつぶされそうだった」
拳を握る音がアルたちにもきこえてくる
「その後——あんなにもあった憎悪が、嘘のように消えたんだ。まるで糸が切れたように」
「消えた……?」
「ああ。そして、聞こえたんだ。声が」
リヒトの表情が険しくなる。
「『もっと面白いもの見つけた』——そう、スーの声が」
一同の背筋に、冷たいものが走った。
「スーは俺を実験台にしていたんだ。呪いで人を操る力。憎悪を増幅させ、意のままに動かす術を……そして、もっと効果的な標的を見つけたんだろう」
俺は黙ってリヒトの話を聞いていた。彼の苦悩、無念、そして愛——全てが伝わってきた。
「だが……スーが再び動き出した。失踪事件の手口が、二百年前とまったく同じだった」
「だから俺は、調査を始めたんだ。独自に」
リヒトが息を深く吐いた。
「それで、今日ここに……」
マーカスが納得したように頷く。
「ああ。この倉庫は、スーの拠点の一つだ。だが……もう使われていない。奴は常に拠点を変えている」
リヒトが立ち上がる。
「アル、俺も手を貸させてくれ。スーを止めるために」
リヒトはアルに手を差し出す。彼の目には、強い決意が宿っていた。
「もちろんだ。力を貸してくれ、リヒト」
俺は彼の手を握った。
かつての勇者と、異世界から来た酒好き大学生。
そして、共通の敵——スー。
俺たちの協力関係が、始まった。
* * *
酒場を出ると、空は既に明るくなっていた。
リーサはリヒトの隣を歩きながら、時折父親の顔を見上げている。その表情は複雑だった。驚き、安堵、そして——少しの寂しさ。
「父さん……今まで、一人で抱え込んでたんだね」
リーサが小さく呟く。
「すまない、リーサ。心配をかけた」
リヒトが娘の頭に手を置く。その仕草は、とても優しかった。
俺はその光景を見て、胸が温かくなった。親子の絆——それは、どんな力よりも強いものなのかもしれない。
「さて、これからどうする?」
マーカスが現実的な話題を持ち出す。
「スーの次の拠点を探すしかないな」
リヒトが険しい表情で言う。
「だが、時間がない。ユリさんの話だと、あと数日で準備が完了するらしい」
俺の言葉に、全員が緊張した表情を見せた。
「ならば、急ぐしかありませんな」
ゲルドが言う。
「ああ。だが、焦りは禁物だ。スーは罠を仕掛けるのが得意だからな」
リヒトの警告に、俺たちは頷いた。
遠くから、王城の鐘が鳴り響く。
静かな街に、その音だけが響き渡った。
だが、その静けさの裏で——スーの策略は、着実に進行していた。




