5杯目 保守派のリーダー、マリア
翌朝、俺は、リリアと共に城の西棟へ向かっていた。
廊下は東棟とは雰囲気が違う。石壁は黒ずんでおり、松明の明かりも薄暗い。空気が重い。
「……ここが、保守派の人たちが住んでいる場所……ですか?」
リリアが不安そうに呟く。
「ああ、そうみたいだな」
アルは周囲を見回した。廊下の両側には、魔人族の兵士たちが立っている。その視線は冷たく、明らかに敵意を含んでいる。
「人族が……なぜここに……」
「魔王様の命令でも……許せん……」
兵士たちの小さな呟きが聞こえる。アルは気にしないフリをしたが、内心は緊張していた。
「アルさん……」
リリアがアルの袖を掴む。その手が震えている。
「大丈夫。なんとかなるって」
アルは笑って見せたが、正直、自信はなかった。
そして——廊下の奥に、大きな扉が見えてきた。
「あれが……姉様の部屋です……」
リリアが立ち止まる。
「ここから先は……私も、姉様に拒絶されてしまって……入れません……」
「そっか……」
アルはリリアの肩に手を置いた。
「待っててくれ。ちゃんと話をつけてくるから」
「アルさん……お願いします……」
リリアは涙ぐみながらも、笑顔で頷いた。
アルは深呼吸をして、扉をノックした。
「……入れ」
低く、冷たい声が中から聞こえた。
アルは扉を開けて、中に入った。
部屋は薄暗く、窓のカーテンが閉じられている。奥には、大きな椅子に座る女性の姿があった。
マリア・クマガワ——保守派のリーダー。
深紅の瞳、銀色の長い髪、そして立派な角。リリアと似ているが、その雰囲気はまるで違う。冷たく、鋭く、近寄りがたいオーラを纏っている。
「お前が……人族のアル、か」
マリアはアルを睨みつけた。
「はい。初めまして、マリアさん。俺はアル——」
「馴れ馴れしく名乗るな」
マリアは冷たく遮った。
「お前のような人族が、なぜここにいる」
「魔王様に頼まれまして。保守派の皆さんと話をしたいと——」
「話? 笑わせるな」
マリアは立ち上がった。
彼女の背はアルよりも少し高いくらいだ。その威圧感に、アルは思わず息を呑んだ。
「人族と魔人族が話をして、何になる。お前たちは、我々を裏切り、傷つけ、差別してきた」
「それは……」
「私の言葉を遮るな」
マリアの声が、一段と低くなる。
「お前たち人族は、口では『和平』だの『共存』だの言いながら、裏では我々を見下し、蔑んでいる。そんな連中と、なぜ手を取り合わねばならない」
「……」
アルは何も言い返せなかった。確かに、マリアの言うことは一理ある。歴史的に、人族と魔人族は争ってきた。差別もあっただろう。
「それに……」
マリアの表情が、ほんの少しだけ歪んだ。
「お前たち人族は、簡単に人を裏切る。愛を語り、絆を語りながら……最後には、相手を捨てる」
「マリアさん……」
「黙れ」
マリアは鋭く言い放った。
「お前に、私の何がわかる。父上が何を考えているのかは知らないが——私は、お前のような人族を信じない」
アルは沈黙した。
これは……想像以上に厳しい。
その時、部屋の扉が開いた。
「マリア様、報告があります」
入ってきたのは、屈強な魔人族の男だった。
「何だ」
「東棟で、人族の青年が魔法を使っているとの情報が——」
「魔法?」
マリアが眉をひそめる。
「はい。酒を飲んで、様々な魔法を発動させているとのことです」
「……なるほど。それがお前の力か、アル」
マリアはアルを見つめた。
「酒を飲んで魔法を使う……興味深いが、それがどうした。力があるからといって、信用に値するわけではない」
「そりゃそうですけど……」
「お前が何をしようと、私の考えは変わらない。人族を信じることはできない」
マリアは冷たく言い放った。
「帰れ。二度と、この西棟に来るな」
「ちょっと待って——」
「聞こえなかったか。帰れと言っている」
マリアの声は、拒絶に満ちていた。
アルは、その場で立ち尽くした。
このまま帰るべきか? いや、でも——。
「……わかりました。今日は帰ります」
アルは静かに言った。
「でも、一つだけ言わせてください」
「……何だ」
「俺、マリアさんがどんな辛い目に遭ったか、詳しくは知りません。リリアから少し聞きましたけど……それでも、全部は理解できない」
アルは真剣な表情で続けた。
「でも、一つだけわかることがあります」
「何だ」
「マリアさんは、本当は優しい人なんでしょう?」
その言葉に、マリアの表情が微かに揺れた。
「……何を言っている」
「リリアが言ってました。昔のマリアさんは、種族なんて関係なく、誰とでも仲良くできる人だったって。おっちょこちょいで、よく転んだり、物を落としたりして……でも、それが可愛くて、みんなに愛されていたって」
「……やめろ」
「マリアさんは、本当は今でも、そういう人なんじゃないですか? ただ、傷ついて、心を閉ざしているだけで——」
「黙れ!」
マリアが怒鳴った。
その瞬間——マリアの足が何かに引っかかり、体勢を崩した。
「あっ——」
マリアが倒れそうになる。
アルは咄嗟に駆け寄り、マリアの体を支えた。
「大丈夫ですか!?」
「……っ」
マリアはアルの腕の中で固まった。
数秒の沈黙。
そして——。
「……離せ」
「あ、すみません」
アルは慌ててマリアを離した。
マリアは顔を背けたが、その耳がほんのり赤く染まっているのが見えた。
「……今のは、偶然だ」
「えっ?」
「今のは……たまたま、足が引っかかっただけだ。普段は、こんなことにはならない」
「あ、はい……」
アルは少し笑いそうになったが、必死に堪えた。
リリアの言った通りだ。マリアは、おっちょこちょいなんだ。
「……とにかく、帰れ」
マリアは顔を背けたまま言った。
「今日はもう、話すことはない」
「わかりました」
アルは扉に向かって歩き始めた。
だが、扉の前で振り返った。
「マリアさん、また来ます」
「……来るな」
「でも、来ます。リリアが、あなたと仲直りしたいって言ってるから」
「……」
「それに、俺も思うんです。マリアさんは、本当は笑いたいんじゃないかって」
アルは優しく言った。
「また来ますね。その時は、美味い酒でも持ってきます」
そう言って、アルは部屋を出ていった。
◇
アルが去った後、マリアは一人で部屋に残った。
「……何だ、あいつは」
マリアは椅子に座り、深くため息をついた。
人族なのに、なぜあんなに優しいのか。なぜ、自分のことを理解しようとするのか。
「……優しい、だと? 笑わせる」
マリアは自嘲するように笑った。
だが——心の奥底で、何かが揺れていた。
あの青年の言葉。あの青年の笑顔。
「……リリアが、仲直りしたい、だと」
マリアの脳裏に、幼い頃のリリアの姿が浮かんだ。
いつも自分の後をついてきて、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と慕ってくれていたリリア。
自分が転んだ時、心配そうに駆け寄ってきてくれたリリア。
「……リリア……」
マリアの瞳に、涙が浮かんだ。
だが、すぐに涙を拭った。
「……私は、人族を憎んでいる。それは変わらない」
マリアは強く言い聞かせた。
だが——心の奥底で、小さな声が囁いた。
本当に、それでいいのか?
◇
西棟を出ると、リリアが待っていた。
「アルさん……!」
「おう、リリア」
「どうでしたか……?」
リリアは不安そうに尋ねる。
「うーん……正直、めちゃくちゃ冷たかった」
「……そう、ですよね……」
リリアは悲しそうに俯いた。
「でも!」
アルは笑った。
「マリアさん、やっぱりおっちょこちょいだった」
「え……?」
「転びかけてたよ。俺が支えたけど」
「本当ですか……!?」
リリアの角が赤く染まる。
「やっぱり……姉様、変わってないんですね……」
「ああ。冷たいフリしてるけど、本当は優しい人なんだろうな」
アルは空を見上げた。
「時間はかかるかもしれないけど、きっと大丈夫だ」
「アルさん……」
「次はもっとうまくやるよ。酒も持っていくし」
アルは笑った。
「リリア、お前の姉さんは、きっと元に戻る。俺が保証する」
「はい……!」
リリアは涙ぐみながらも、笑顔で頷いた。
◇
その夜、魔王ゼクセルは報告を受けていた。
「アルは、マリアと対面したようです」
護衛騎士が報告する。
「結果は?」
「マリア様は、アルを拒絶しました。しかし……」
「しかし?」
「アルが去る際、マリア様は少しだけ表情を崩していたとのことです」
「……ほう」
魔王は満足そうに頷いた。
「やはり、あの青年には何かがある」
「ですが、保守派は依然として警戒を強めています。アルの力を危険視する声も——」
「構わん。時間をかければいい」
魔王は静かに言った。
「マリアの心が、少しずつ開いていけば……それでいい」
「お優しいのですね、魔王様」
「優しいのではない。娘たちの幸せを願っているだけだ」
魔王は窓の外を見つめた。
「アル……お前なら、きっとマリアの心を開けるはずだ」
◇
その夜、アルは部屋で酒を飲んでいた。
「はあ……難しいなあ、マリアさん」
グラスを傾けながら、アルは今日のことを思い返した。
冷たい態度、拒絶の言葉、だが——転びかけた時の、あの表情。
「やっぱり、本当は優しい人なんだろうな」
アルは笑った。
「まあ、焦らずゆっくりいくか」
その時、ドアがノックされた。
「アルさん……入ってもいいですか……?」
「ああ、リリア。どうぞ」
リリアが部屋に入ってきた。手には、小さな包みを持っている。
「これ……姉様が昔、私にくれたお菓子を真似して作ってみたものです……」
「お菓子?」
「はい。姉様、お菓子作りが好きだったんです……下手でしたけど」
リリアは微笑んだ。
「でも、私は姉様の作るお菓子が大好きでした……」
「そっか」
アルは包みを受け取った。
「じゃあ、次に会う時、これを話題にしてみるよ」
「はい……!」
リリアは嬉しそうに頷いた。
「アルさん、本当にありがとうございます……」
「気にすんな。リリアのためだからさ」
アルは笑った。
「それに、マリアさんも可愛いし」
「え……!?」
リリアの表情が明るくなる。
「本当ですか……!? 姉様、可愛かったですか……?」
「ああ。転びかけてた時、めちゃくちゃ可愛かったぞ」
「やっぱり……! 姉様、昔からそうなんです……!」
リリアは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、アルは思った。
この笑顔を、マリアにも取り戻させてあげたいな——。
◇
その夜、西棟では——。
マリアは一人、部屋で考え込んでいた。
「……美味い酒、だと?」
マリアはアルの最後の言葉を思い出していた。
「人族の酒など……」
そう言いかけて、口をつぐんだ。
昔、あの人も——人族の青年も、酒を飲んでいた。
美味しそうに、楽しそうに。
「……もう、関係ない」
マリアは首を振った。
だが——心の奥底で、小さな期待が芽生えていた。
次に、あの青年が来たら——。
もう少しだけ、話を聞いてもいいかもしれない——。
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