48杯目 混沌の前の静けさ
翌朝、陽が昇ると同時に、俺たちは王城へと向かった。
昨夜の使者の報告通り、緊急会議が召集されたのだ。朝の空気は冷たく、息を吐くたびに白い霧が立ち上る。王城へ続く石畳の道を歩きながら、俺は昨夜の不穏な予感を思い返していた。
重い石扉を押し開けると、会議室には既に多くの人影があった。貴族たちの表情は一様に暗く、ざわめきが部屋を満たしている。
「アル、おはようございます」
リリアが小声で挨拶する。俺の隣には、マーカス、ゲルド、マリアの姿もあった。
会議室の奥、高い椅子に座る国王陛下の表情は深刻そのものだった。普段は穏やかな彼の顔に刻まれた深い皺が、この事態の重大さを物語っている。
「皆、集まってくれてありがとう。単刀直入に話そう」
国王の声が会議室に響くと、ざわめきが静まり返った。
「昨夜、また三人の貴族が行方不明となった。エルフ族、魔族、人族から一人ずつだ」
俺は配られた資料に目を通す。失踪した貴族たちの情報が細かく記されていた。全員が魔力に長けており、各種族の中でも影響力を持つ人物ばかりだ。
「これで失踪者は……十人を超えました」
ある貴族が震える声で言った。
「賛成派も反対派も関係なく攫われている。一体、何が目的なのか……」
別の貴族が顔を覆う。会議室の空気が重苦しい。
「魔力が強い者ばかり……何か意味があるのか?」
俺が呟くように言うと、国王が頷いた。
「その通りだ、アル。今回の事件には、明確な意図が感じられる。しかし……それが何なのか、まだ掴めていない」
ゲルドが資料を見つめながら口を開いた。
「賛成派、反対派を問わず、魔力の高い貴族が狙われている。これは偶然ではありますまい」
「政治的な理由ではなく……別の目的があると?」
マリアが問いかける。
「魔力そのものを狙っている、ということか」
マーカスが険しい顔で言った。
「スーの狙いは……魔力そのものなのかもしれないな」
俺の推測に、会議室がざわついた。
「魔力を集めて、一体何をするつもりなのだ……」
国王が苦悩の表情を浮かべる。
「王都全体に警戒態勢を敷く。特に貴族の護衛を強化し、夜間の外出を控えるよう通達する。また、魔力の高い者には特別な護衛をつけよう」
国王の指示が次々と下されていく。会議はさらに一時間ほど続いたが、結局のところスーの居場所も目的も掴めないままだった。
会議室を出る時、俺の心には焦燥感が募っていた。
「独自に調査を始めましょう」
マリアが提案する。
「街の人たちから、何か情報を得られるかもしれません」
俺は頷いた。こういう時は、現場の声を聞くのが一番だ。机上の空論では何も見えてこない。
なんかの刑事ドラマでも言ってた現場100回ってやつだ――
* * *
昼下がり、俺とマーカスは王都の街を歩いていた。
普段は活気に満ちた商店街も、今日はどこか重い空気が漂っている。人々の表情にも不安の色が滲んでいた。通りすがりの市民たちが小声で囁き合い、怯えたような視線を向けてくる。
「すみません、最近変わったことはありませんでしたか?」
俺は果物商の店主に声をかけた。人の良さそうな中年の男性だ。
「あー、そういえば……」
店主は周りを見回してから、声を潜めた。
「夜中に、黒いフードを被った人影を見たって話がありましてね。複数人で、音も立てずに移動してたそうです」
「黒いフード……」
マーカスと俺は顔を見合わせた。
「どの辺りで見られたんですか?」
「王都の北側、倉庫街の近くだそうです。うちの配達の者が夜遅くに見かけたって言ってました」
「他にも、夜中に妙な音がしたって話も聞きますよ。何かを引きずるような音だとか……」
店主の話に、俺の胸に不穏なものが走った。
「ありがとうございます。気をつけてください」
俺たちは店主に礼を言い、次の場所へ向かった。
通りを進むと、薬草を扱う雑貨屋があった。店の入口には魔除けの札が貼られている。
「いらっしゃい……ませ」
店主の老婆が警戒した目で俺たちを見る。
「早速で申し訳ありません。失踪事件のことで、何かご存じないですか?」
マーカスが丁寧に尋ねると、老婆は深いため息をついた。
「あぁ……知ってるもなにも、うちの常連の貴族様も攫われちまったよ。魔力の薬を買いに来る、優しい方だったのに……」
老婆の目には涙が浮かんでいた。
「その方は……魔力が強かったんですか?」
「ええ。魔法の才能に恵まれた方でね。だから薬で魔力を補う必要はなかったんだけど、念のためって言って買っていかれたんだよ」
やはり、魔力の強い者が狙われている。
「最近、変わった人物を見かけませんでしたか?」
「そういえば……」
老婆は眉をひそめた。
「妙な女が店に来たんだよ。黒っぽい服を着て、何か薬品を探してた。魔力を抑える薬とか、気配を消す薬とか……」
「それ、いつ頃の話ですか?」
「三日前かね。あの時は商売だから売ったけど、今思えば怪しかったね……」
俺たちは老婆に礼を言い、店を後にした。
「手がかりが集まってきたな」
マーカスが資料を整理しながら言う。
「ああ……」
王都にはそこら中にスーの息のかかったものが潜んでいて、魔力関連について何か企んでいるというところまではわかったが――。
「まだ決定的な証拠がないから狙いはわからないな……」
その後も聞き込みを続け、ついに俺たちは街はずれの酒場にたどり着いた。
「いらっしゃい。何にしますか?」
酒場の主人が愛想よく声をかけてくる。
「情報収集なんですが……最近、変わった酒とか出回ってませんか?」
俺の質問に、主人の表情が曇った。
「ああ……実は、妙な酒が持ち込まれることがあるんです。黒っぽい色の酒で、飲むと体が重くなるってで……」
「また黒い酒か……」
俺は歯噛みした。スーの手がここまで伸びているとは。
「ちょっと味見させてもらえませんか?」
俺が手を伸ばそうとした瞬間——
「だめだ!」
マーカスが俺の腕を掴んだ。
「何をしてるんだ、アル!危険だ!」
「いや、ちょっと舐めるだけなら……」
「絶対だめだ!」
マーカスに引きずられるようにして、俺たちは酒場を後にした。
「まったく……酒のことになると、判断力が鈍るな」
「いやいや、敵を知るためには必要な情報収集だろ?」
「そういうのをな屁理屈っていうんだよ」
マーカスに叱られながらも、俺は重要な情報を得ていた。スーの策略は確実に王都全体に広がっている。そして、黒い酒もその一環だ。
* * *
夕方、屋敷に戻ると、リーサが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「アル!手紙が届いてるの!」
「手紙?」
リーサから受け取った手紙には、見覚えのない文字で丁寧に書かれていた。
『あなたに話したいことがある。今夜、王都北の廃教会で待つ。敵ではない——ユリ』
「ユリさん!?」
俺は思わず声を上げた。あの日本酒をくれた、謎めいた女性の名前だった。
「ユリさんって?」
リリアが心配そうに尋ねる。居間には、ゲルドとマリアも集まっていた。
「前に会った人で……俺に日本酒をくれたんだ。でも、なんで今……」
俺は手紙を皆に見せた。
「ユリさん自身は……危険な人ではないと思います」
リリアが慎重に言葉を選ぶ。
「でも、スーの罠かもしれません。ユリさんを利用して、アルを誘き出そうとしているのかも……」
リリアの声には警戒の色が滲んでいる。
「確かに、その可能性もありますな」
ゲルドが険しい顔で言った。
「だが、敵なら直接襲ってくるはずだ。わざわざ手紙を送る必要はない」
マーカスが冷静に分析する。
「ユリさんなら何か知ってるかもしれない。スーのこととか……」
俺は手紙を見つめた。直感的に、これは重要な情報源になる気がした。
「行きます」
「危険です!」
リリアとマーカスが同時に声を上げた。
「わかってる。だから、お前たちに影から見守っててほしい。もし罠なら、すぐに助けに来てくれ」
俺の提案に、皆は顔を見合わせた。
「……わかった。でも、少しでも危険を感じたら、すぐに合図をくれ」
マーカスが承諾する。
「大丈夫、なんとかなるよ」
俺はいつもの楽観的な笑顔を浮かべた。だが、心の奥底では緊張していた。彼女の真意は一体——。
* * *
夜も更けた頃、俺は王都北の廃教会に向かっていた。
月明かりが石造りの建物を照らし、静寂が辺りを支配している。教会の尖塔が、まるで夜空を突き刺すかのように聳えていた。かつては多くの信徒が訪れたであろうこの場所も、今は朽ち果てて誰も近づかない。
足元には枯れた草が生い茂り、石畳は苔むしている。空気はひんやりと冷たく、どこか神聖さと不気味さが混ざり合った独特の雰囲気が漂っていた。
重い扉を押し開くと、軋んだ音が響いた。中にはほのかな明かりが灯っている。ろうそくの灯りだ。
「来てくれたのね」
聞き覚えのある、落ち着いた女性の声。振り返ると、そこにはユリさんが立っていた。
「久しぶりね、アル」
「ユリさん……」
俺は彼女を見つめた。以前と変わらず神秘的な雰囲気を纏っているが、どこか疲れたような表情も見て取れる。その瞳には深い憂いが宿っていた。
「突然の手紙で驚いたでしょう。でも、あなたに伝えなければならないことがある」
「一体何が……どうして俺を?」
ユリは深く息をついた。
「単刀直入に話しましょう。私はスーのことを昔から知っている」
ユリの言葉に、俺の心臓がドクリと跳ねた。
「彼は300年以上生きる古代の魔術師よ」
「300年!?」
俺は驚愕した。まさか、そんな存在だったとは。
「スーは古代から生き続け、強大な力を蓄えてきた。彼の目的は……世界に混沌をもたらすこと」
ユリの声には、深い憂いが込められていた。
月明かりがステンドグラスを通して、二人の間に幻想的な光の模様を作り出していた。色とりどりの光が、まるで過去の記憶を映し出すかのように揺らめいている。
「スーは純粋な悪。理想も大義もない。ただ破壊と混沌を愛する存在なの」
「それで、今の事件を……」
「そう。スーの目的は世界に混沌をもたらすこと。種族融和の象徴である王都を崩壊させ、再び争いの時代を作り出すこと」
ユリは悲しげに微笑んだ。
「なぜ今、俺に教えてくれるんだ? あなたも昔からスーを知ってるなら……」
「あなたなら……止められるかもしれないから」
ユリは俺の目をまっすぐに見つめた。
「スーは強い魔力を集めている。貴族ばかり攫っているのは、彼らの魔力が必要だから」
「魔力を集めて、何をするつもりなんだ?」
「大規模な結界魔法……おそらく、王都全体を覆う呪いを準備しているわ。その呪いが発動すれば、王都にいる全ての者の記憶が——」
ユリさんは言いかけて、口を閉じた。
「詳しいことは、まだ話せない。でも、時間がないの。スーはあと数日で準備を完了させるでしょう」
彼女の言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。
「アル、あなたは自分の力をもっと信じなさい。あなたのトレースの能力は、この世界でも稀有なもの。それは——」
突然、教会の外から物音が聞こえた。
「……気づかれたようね。もう行かなきゃ」
「待って! まだ聞きたいことが——」
「次に会う時まで。気をつけて、アル」
彼女はそう言い残すと、闇の中に消えていった。まるで最初からそこにいなかったかのように。
俺は呆然とその場に立ち尽くした。記憶を奪う呪い……まさか、それがスーの真の目的なのか?
* * *
屋敷に戻った俺を、リリアたちが心配そうに出迎えた。
「アル! 無事だったのですね」
「影から見守らせてもらった。怪しい動きはなかったが……」
マーカスがほっとした表情を見せる。
居間に集まり、俺は皆に報告した。ユリから聞いた全てを——スーが300年以上生きる古代の魔術師であること、そして純粋な悪として世界に混沌をもたらそうとしていること。
「300年以上……そんな存在が本当に?」
ゲルドが信じられないという顔をする。
「でも、説明がつくわ。あの力、あの策略……普通の人間にできることじゃない」
マリアが冷静に分析する。
「そして、魔力を集めて大規模な結界魔法を……」
リリアが震えた声で続けた。
「記憶を奪う呪い、ですか……」
「ああ。ユリさんは詳しく教えてくれなかったけど、おそらくそれがスーの最終目的だ」
俺は拳を握りしめた。
「スーを止めなきゃいけない。このままじゃ、王都全体が……いや、この世界全体が危険だ」
俺の言葉に、皆が頷いた。
「でも、どうやって? 相手は300年以上生きる魔術師ですよ」
リリアが不安そうに尋ねる。
「まずは、スーの次の動きを予測することだ。魔力を集めて、結界を張るには準備が必要なはず」
マーカスが地図を広げる。
「失踪事件が起きた場所を記録してみよう。何かパターンが見えるかもしれない」
俺たちは夜遅くまで、情報を整理し続けた。地図に印をつけていくと、ある規則性が見えてきた。
「これは……円を描いている?」
マリアが気づいた。
「王都の中心を囲むように、失踪事件が起きている……」
ゲルドが青ざめた顔で言った。
「結界の準備か……」
俺は窓の外を見つめた。2つの月が、今夜はより一層不気味に見える。
まるで、何かを予感させるかのように——。
俺たちの戦いは、ここから本格的に始まる。
そう直感した。
だが同時に、まだ見ぬ危機が静かに迫っていることも、俺は感じていた。スーの本当の狙い、ユリさんが言いかけたこと——全てが霧の中にある。
それでも、今ある手札で進むしかない。何もなかった酒飲みの俺にできるのはそのくらいだ。
それに、ルーナの分きっちり落とし前つけないとな。




