45杯目 失踪事件の始まり
失踪事件から三日が経った。
しかし、行方不明になった貴族や魔族の代表は、依然として見つかっていない。
王都には不穏な空気が漂い始めていた。
「また一人、失踪者が出たそうだ」
マーカスが険しい表情で報告する。
「今度はエルフの商人だ。昨夜、宿を出たまま戻っていない」
「エルフまで……」
俺は眉をひそめた。
人族、魔族、そしてエルフ。
3つの種族から、種族融和に関わる人物が次々と消えている。
「これは偶然じゃない。確実に狙われてる」
ゲルドが腕を組む。
「だが、犯人の目的が分からん」
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その時、スーが屋敷を訪ねてきた。
「アルさん、ご無事で何よりです」
スーが心配そうな表情で言う。
「王都が物騒になってきましたね。失踪事件が続いて……」
「ああ。スーさんも気をつけてください」
俺は答えた。
「ところで、アルさん」
スーが少し声を落とす。
「実は、お話ししたいことがあるんです」
「話?」
「ええ。特別な酒の原料ルートについてです」
スーが微笑む。
「以前から、アルさんに紹介したいと思っていた商人がいるんです」
「商人?」
「はい。遠方から珍しい原料を仕入れている方で、とても信頼できる人物です」
スーが説明する。
「もしアルさんが酒造施設を作るなら、きっと役に立つはずです」
「それは……ありがとうございます」
俺は礼を言った。
しかし——
なぜか、心の奥に小さな違和感が生まれた。
スーさんは、いつも通り親切だ。
でも、何か……タイミングが良すぎじゃないか?
「それで、いつ会えるんですか?」
俺は尋ねた。
「明日の夜、王都の倉庫街で会えます」
スーが答える。
「ただ、その方は少し人目を避けたがる性格でして……夜の方が都合が良いそうです」
「夜……倉庫街……」
俺は繰り返した。
何か、引っかかる。
「もちろん、無理にとは言いません」
スーが優しく微笑む。
「ただ、この機会を逃すと、次はいつになるか分かりませんので」
「……分かりました。行きます」
俺は頷いた。
「素晴らしい!それでは、明日の夜、倉庫街の第三倉庫でお待ちしています」
スーは満足そうに笑い、屋敷を後にした。
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スーが去った後、俺は一人考え込んでいた。
「アル、どうしたの?」
リリアが心配そうに聞いてくる。
「いや……スーさんが商人を紹介してくれるって」
「それは良かったじゃない」
「ああ……でも、何か変なんだ」
俺は呟いた。
「変?」
「タイミングが良すぎるというか……それに、夜の倉庫街って、ちょっと怪しくないか?」
リリアも考え込む。
「確かに……普通なら昼間に会うわよね」
「だよな」
俺は頷いた。
でも、スーさんが俺たちを騙すなんて考えられない。
今まで偶然かもしれないけど助けられたこともあった。
「でも、行かないわけにはいかないな。せっかくの機会だし」
「そうね……でも、気をつけてね」
リリアが心配そうに言う。
「ああ。念のためマーカスも連れて行くよ」
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その夜、俺は再びルーナのことを思い出していた。
祝勝会に来なかったルーナ。
あれから三日、一度も姿を見ていない。
「そういえば、ルーナ……どうしてるかな」
俺はふと呟いた。
「城に用事があるって言ってたわよね」
リリアが答える。
「でも、三日も連絡がないって、ちょっと変じゃないか?」
俺は不安になってきた。
いつものルーナなら、こんなに長く連絡がないなんてことはない。
「明日、城に様子を見に行ってみるか」
「そうね。私も心配だわ」
リリアも頷いた。
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翌朝、俺たちは王城へ向かった。
「ルーナに会いたいんですが」
俺は門番に告げた。
「申し訳ございません。ルーナ様は現在、お部屋で静養されておりまして……」
門番が困った表情を浮かべる。
「面会はご遠慮いただいております」
「静養?」
俺は首を傾げた。
「体調でも崩されたんですか?」
「詳しくは……申し訳ございません」
門番は曖昧に答えるだけだった。
「おかしいな……」
俺は城を後にしながら呟いた。
「ルーナ、品評会の時は元気だったのに」
「そうね……何か変だわ」
リリアも心配そうだ。
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その日の午後、マリアから連絡が入った。
「アル、大変よ!」
マリアが慌てた様子で駆けてくる。
「どうした、マリア?」
「倒れていた審査員の方が、意識を取り戻したの」
「本当か!?」
「ええ。でも……何か変なことを言ってるの」
マリアが真剣な表情になる。
「変なこと?」
「『黒い影が……酒を……』って、うわ言のように繰り返してるの」
「黒い影……」
俺は影の醸造家を思い出した。
「もしかして、影の醸造家のことか?」
「分からないわ。でも、何か重要なことを知ってるみたい」
マリアが答える。
「すぐに行こう」
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王城の医務室に急いだ。
ベッドには、顔色の悪い審査員が横たわっている。
「……黒い……影が……」
審査員が苦しそうに呟く。
「大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、審査員がゆっくりと目を開けた。
「あなたは……優勝した……」
「はい。アルです」
「……気をつけて……」
審査員が弱々しく言う。
「あの黒い酒は……罠だった……」
「罠?」
「目的は……種族融和を……妨害すること……」
審査員が必死に伝えようとする。
「酒を飲んだ者は……魔力を奪われ……そして……」
「そして?」
「……消される……」
審査員の言葉に、俺は背筋が凍った。
「失踪事件……まさか……」
「恐らく……黒い酒を飲んだ者が……次々と……」
審査員が咳き込む。
マリアが慌てて水を飲ませる。
「無理しないでください」
「いや……伝えなければ……」
審査員が俺を見つめる。
「裏で糸を引いているのは……商人……」
「商人!?」
俺は驚愕した。
「まさか……?」
いや、そんなはずはない。
でも——
心の奥底で、疑念がどんどん大きくなっていく。
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医務室を出ると、マーカスが待っていた。
「アル、聞いたぞ。審査員が目覚めたって」
「ああ。でも、とんでもないことを聞いた」
俺はマーカスに事情を説明した。
「商人が黒幕……だと?」
マーカスが眉をひそめる。
「それって、もしかして……」
「……スーさんかもしれない」
俺は小さく答えた。
「でも、確証はない。ただの勘だ」
「勘……か」
マーカスが考え込む。
「でも、お前の勘は結構当たるからな」
「今夜、スーさんが商人を紹介してくれることになってる」
俺は言った。
「倉庫街の第三倉庫で、夜に会うんだ」
「夜の倉庫街……?」
マーカスが怪訝な表情を浮かべる。
「それ、明らかに怪しいだろ」
「だよな……」
「罠かもしれないぞ」
「分かってる。でも、行かないと真実は分からない」
俺は決意を固めた。
「お前も一緒に来てくれ」
「もちろんだ。お前一人で行かせるわけにはいかない」
マーカスが頷く。
「ゲルドにも声をかけよう」
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夕方になり、俺たちは作戦会議を開いた。
「倉庫街の第三倉庫か」
ゲルドが地図を広げる。
「この辺りは人通りが少ない。襲撃されたら逃げにくい場所だ」
「やっぱり罠かもしれないな」
マーカスが言う。
「でも、行くしかない」
俺は決めていた。
「もしスーさんが本当に黒幕なら、ここで証拠を掴まないと」
「分かった。じゃあ、俺とマーカスが先に現場に潜伏する」
ゲルドが提案する。
「アルは予定通り、スーと会え。何かあったらすぐに俺たちが助ける」
「ありがとう」
俺は頷いた。
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その時、リリアが部屋に入ってきた。
「アル、私も行くわ」
「リリア……でも、危険だ」
「だからこそよ。一人で行かせられない」
リリアが真剣な表情で言う。
「私の魔法があれば、万が一の時も安心でしょ?」
「……そうだな」
俺は頷いた。
リリアの魔法は強力だ。
いざという時、心強い。
「じゃあ、決まりだ」
ゲルドが立ち上がる。
「今夜、倉庫街で真実を確かめよう」
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日が沈み、夜になった。
俺とリリアは、倉庫街へと向かった。
人気のない暗い道。
冷たい風が吹き抜ける。
「……怖いわね」
リリアが呟く。
「大丈夫。ゲルドとマーカスが見てくれてる」
俺は彼女の手を握った。
やがて、第三倉庫が見えてきた。
古びた木造の建物。
窓からは微かな灯りが漏れている。
「誰かいるな」
俺は深呼吸をして、扉を開けた。
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中には——
スーが一人、立っていた。
「ようこそ、アルさん」
スーが微笑む。
「……商人の方は?」
俺は周囲を見回した。
誰もいない。
「ああ、残念ながら……」
スーの表情が変わった。
微笑みが消え、冷たい目つきになる。
「その商人は、存在しません」
「……やっぱり」
俺は身構えた。
「罠だったのか」
「罠、というよりは……お誘いですよ」
スーが不敵に笑う。
「アルさん、あなたは邪魔なんです」
「邪魔……?」
「ええ。酒で種族をまとめようとする、あなたのような存在が」
スーの声が冷たくなる。
「種族融和など、幻想です。この世界に秩序は不要。混沌こそが自然な姿なのです」
「お前……一体……」
その時、倉庫の奥から、黒いフードを被った人影が現れた。
「影の醸造家……!」
俺は驚愕した。
「そう。彼は私の部下です」
スーが笑う。
「品評会に参加させたのも、全て計画の一部」
「黒い酒で魔力を奪い、種族融和派を消していく……それが目的だったのか」
「正解です。さすがアルさん、察しが良い」
スーが拍手する。
「でも、残念ながら……あなたにはここで消えてもらいます」
その瞬間——
倉庫の扉が蹴破られた。
「させるか!」
ゲルドとマーカスが飛び込んでくる。
「ゲルド!マーカス!」
「アル、下がってろ!」
マーカスが剣を抜く。
「ふふ……予想通り、仲間を連れてきましたか」
スーが笑う。
「でも、無駄ですよ」
スーが指を鳴らすと——
倉庫の周囲から、黒いフードの集団が現れた。
「影の醸造家……こんなに……!」
「さあ、どうします?」
スーが不敵に笑う。
「ここで全員、消えてもらいますか?」
---
緊迫した空気が流れる。
俺たちは完全に包囲されていた。
「くそ……」
マーカスが歯ぎしりする。
その時——
突然、倉庫の天井が光った。
「……!」
魔法陣が浮かび上がる。
「転移魔法!?」
スーが驚愕する。
次の瞬間、俺たちの体が光に包まれた。
そして——
気がつくと、俺たちは倉庫の外にいた。
「何が……」
「間に合って良かったわ」
聞き覚えのある声。
振り向くと——
「マリア!」
マリアが魔法陣を描いていた。
「転移魔法で助けたのよ」
「ありがとう!」
「でも、油断しないで。すぐに追ってくるわ」
マリアが警告する。
「今すぐ、王城へ逃げましょう!」
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俺たちは全速力で走った。
背後から、黒フードの集団が追ってくる。
「くそ、しつこい!」
マーカスが叫ぶ。
「このままじゃ追いつかれる!」
「待って!」
リリアが立ち止まった。
「氷結魔法!」
リリアが呪文を唱えると、地面が凍りつく。
追っ手たちが滑って転ぶ。
「今のうちに!」
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何とか王城までたどり着いた。
「ゲルド様!」
門番が驚いて駆け寄る。
「すぐに国王陛下に報告しろ!」
ゲルドが命じる。
「商人のスーが黒幕だ!失踪事件も、影の醸造家も、全て奴の仕業だ!」
「なんと……」
門番が青ざめる。
---
緊急会議が開かれた。
国王、ゲルド、マーカス、そして俺たちが集まる。
「スーが黒幕だと?」
国王が驚愕する。
「はい。彼は種族融和を妨害するため、黒い酒で人々を襲っていました」
俺は報告した。
「そして、失踪した人々は……」
「恐らく、どこかに監禁されています」
ゲルドが続ける。
「すぐに捜索隊を出します」
「頼む」
国王が頷いた。
その時、俺はふと思い出した。
「そういえば……ルーナは?」
「ルーナ?」
国王が首を傾げる。
「静養しているはずだが……」
「静養……?」
俺は嫌な予感がした。
「もしかして、ルーナも……」
「まさか……」
国王が顔色を変える。
「すぐにルーナの部屋を確認しろ!」
---
ルーナの部屋に駆けつけると——
そこには、誰もいなかった。
「ルーナ様が……いない!」
侍女が泣き叫ぶ。
「三日前から、誰も入室を許されていなかったのですが……まさか……」
「くそ……」
俺は拳を握りしめ、近くの壁を叩く。
ルーナも、スーに捕まったのか!?
あの時の違和感は、これだったのか。
昨日の審査員の言葉が脳裏をよぎる。
急いでルーナを救出しないと……
月に雲がかかり、いつもよりも夜が漆黒に包まれているように感じた。




