107杯目「煙と真実の欠片」
翌朝——。
野営地に、リリアの料理の匂いが漂っていた。
俺は、目を覚ますと——。
すでに、リリアが朝食の準備をしていた。
「おはようございます、アルさん」
リリアが、振り返る。
「……おはよう」
俺は、体を起こした。
昨夜は——あまり眠れなかった。
父の声が、ずっと頭に残っていたから。
*
ルーナは、いつもより早く起きていた。
焚き火のそばで、空を見上げている。
「……ルーナ」
俺は、隣に座った。
「昨日は、大丈夫だったか」
「うん」
ルーナが、微笑む。
昨日のような悲壮感は——もうない。
「スッキリした」
「そっか」
「お母さんの声、聞けたから」
ルーナが、荒野の向こうを見つめた。
「それだけで——十分だよ」
「……ああ」
俺は、頷いた。
強いな、こいつは。
やっぱり——ルーナの母の言った通りだ。
*
ミアは、ノクトの隣で朝の祈りを捧げていた。
小さな手を合わせて、静かに何かを唱えている。
ノクトは、その横でじっと目を閉じている。
まるで——ミアの祈りに付き合っているようだった。
「ミア、朝食できたわよ」
リリアが、声をかける。
「はい、すぐに参ります」
*
四人で、朝食を取った。
リリアが作ったのは——薄切り肉と野草を炒めたもの、残りの野菜スープ。
温かい食事が、身体に染み込んでいく。
でも——。
俺は、ほとんど味が分からなかった。
頭の中に、父の声がずっと居座っていた。
俺たちが——お前を、この世界に呼び寄せた。
お前の中に、あの力が——。
「……アルさん」
リリアが、俺の顔を覗き込んだ。
「器、空になってますよ」
「あ……ああ」
俺は、我に返った。
「考えごとをしてた」
「昨夜、あまり眠れませんでしたか」
「……よく分かるな」
「目の下に、隈ができています」
リリアが、静かに言った。
「無理しないでください」
「……ありがとう」
俺は、残りのスープを一気に飲んだ。
「でも、今日も行く」
「……よし」
俺は、空になった器を置いた。
「今日も、忘却の海に入る」
三人が、俺を見た。
「母さんを、まだ見つけていない」
「……一緒に行きます」
リリアが、静かに頷いた。
「もちろん」
ルーナも、立ち上がる。
「ミアも、来ます」
ミアが、ノクトを見た。
「ノクト——今日も、ここで待っていてね」
ノクトが、低く鳴く。
昨日と同じように——「任せろ」と言っているようだった。
*
俺たちは、再び忘却の海へ向かった。
青白い光が、今日も変わらず広がっている。
光の境界に立つと——。
あの浮遊感が、すぐに戻ってきた。
「……また、来てしまった」
ルーナが、光を見つめる。
「今日は、アルのお母さんを見つけよう」
「ああ」
俺は、答えた。
そして——小瓶を取り出した。
*
液体が、喉を流れる。
すぐに——視界が変わった。
昨日と同じ。
視力・知覚強化。
魂の輪郭が、浮かび上がってくる。
「よし……」
俺は、光の海を見渡した。
無数の魂。
一つ一つを——丁寧に確認していく。
母さんの顔は、覚えている。
高校の時に事故で亡くなった。
でも——魂の輪郭が、生前の姿と同じとは限らない。
それでも——探すしかない。
*
時間が、経った。
どれくらいか、分からない。
忘却の海の中では——時間の感覚が、狂う。
でも——。
母さんの魂が、見つからない。
「……」
俺は、焦り始めた。
どこにいるんだ。
転生してしまったのか。
それとも——まだ、どこかに。
「アルさん」
リリアが、俺の腕に触れた。
「焦らなくていいです」
「……でも」
「渡し守は、まだここにいると言っていました」
リリアが、俺の目を見る。
「必ず、いるはずです」
「……ああ」
俺は、深呼吸した。
落ち着け。
*
その時——。
スキルが——揺れた。
視界の端が、ぼやけ始める。
切れる——?
まだ、そんなに時間は経っていないはずだが。
「……っ」
俺は、目を細めた。
その瞬間——。
何かが——変わった。
光の海の中に——。
異質な気配が、混じり込んできた。
魂の光とは——違う。
もっと、重い。
もっと、濃い。
まるで——煙のような。
「……まさか」
俺は、息を呑んだ。
*
『……また、来たか』
声が——響いた。
光の中から。
あの声だ。
煙だ。
「……っ」
俺は、全身が緊張するのを感じた。
「お前が、なぜここにいる」
『死者の領域——私にとって、居心地が良い場所でな』
煙の気配が、光の中をゆっくりと漂う。
姿は見えない。
どこにいるのか——分からない。
「母さんを探しに来た。邪魔をするな」
『邪魔?』
煙が、低く笑った。
『そんなつもりはない』
「……」
俺は、警戒を解かなかった。
こいつの「つもり」は、信用できない。
「何の用だ」
『用がなければ、声もかけない』
煙の声が、一瞬だけ——真剣みを帯びた。
『お前の父が消える前に言いかけたことがある』
『あれの続きを、知りたくないか』
*
俺は、黙った。
知りたい。
当然、知りたい。
でも——こいつが無償で話すはずがない。
「……何が目的だ」
『目的、か』
煙が、静かに言う。
『私にも、都合がある』
『それだけだ』
「都合……」
俺は、眉を寄せた。
「お前の都合のために、俺を使おうとしているんだろ」
煙は——答えなかった。
沈黙が、続く。
それが、答えだった。
*
『……少しだけ、教えてやる』
煙の声が、続いた。
『お前の中には——酒以外の力がある』
「それは父さんも言っていた」
『だが、父は何の力かまでは言えなかった』
煙の気配が、わずかに近づく。
『それは——この世界の「災い」と、同じ根を持つ』
「……っ」
俺は、息を呑んだ。
「俺が……災いと、同じ根を?」
『同じ根を持つ、だ』
煙が、静かに言う。
『同じではない。だが——繋がっている』
「どういう意味だ」
『……それを知るのは、まだ早い』
「はぐらかすな!」
俺は、思わず声を荒げた。
煙は——動じなかった。
『焦るな、アル』
低く、静かな声。
『一つだけ言っておく』
『お前の両親は——その力のために、死んだ』
「……」
俺は、言葉を失った。
胸の奥が——冷えていく。
「両親が死んだのは……その力のせいか」
煙は答えなかった。
答えないことが——肯定だった。
「お前は……何を知っている」
俺は、声を絞り出した。
「全部話せ。なぜ両親は死んだ。なぜ俺はこの世界に呼ばれた——」
『それは』
煙が、遮った。
『お前が自分で辿り着く答えだ』
「……ふざけるな」
『ふざけてはいない』
煙の声が——少し遠ざかった。
『最後に一つだけ』
『お前の中の力を——狙っている者がいる』
『もうすぐ、お前の前に現れる』
『その時——酒に頼るだけでは、足りないかもしれない』
「待て——」
俺は、叫んだ。
「まだ話が——!」
だが——。
煙の気配は、静かに——光の海に溶けていった。
*
その瞬間——。
スキルが、完全に切れた。
視界が、元に戻る。
魂の輪郭が——消えた。
煙の気配も——消えた。
「……っ」
俺は、目眩を感じた。
ふらり、と体が揺れる。
「アルさん!」
リリアが、駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「……ちょっと、くらくらする」
俺は、額を押さえた。
「スキルが切れた……それと、なんか頭が——」
「渡し守が言っていました」
リリアが、俺の腕を支えながら言う。
「長くいると、生者でも記憶が——」
「分かってる。早く出よう」
*
俺は、リリアに支えられながら——光の海を歩いた。
頭の中が、ぼんやりする。
さっきまで何を——。
ああ、煙だ。
煙が来た。
何かを言っていた。
俺の中の力を——狙っている者が、いる。
それだけは——覚えていた。
*
光の境界を抜けると——。
荒野の乾いた風が、俺の頬を叩いた。
頭が、少しだけ——クリアになる。
「……戻ってきた」
俺は、膝をついた。
「アルさん」
リリアが、隣に屈んで俺の顔を覗き込む。
「顔色が悪いです」
「少し、頭がぼんやりした」
「記憶は……大丈夫ですか」
「ああ」
俺は、頷いた。
「全部、覚えてる」
「よかった……」
リリアが、胸をなでおろす。
「ノクトーッ!」
ミアが、ノクトの元へ走った。
「アルさんが少し具合悪そうで——」
ノクトが、低く唸る。
そして——俺の方をじっと見た。
黒い、大きな瞳が——何かを伝えようとしているような。
*
しばらく休んで——。
俺は、岩の上に座ったまま、三人に話した。
「煙が来た」
「えっ」
ルーナが、目を見開く。
「忘却の海の中で?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「煙も——死者の領域に近い存在だから、入れるらしい」
「何を言っていたの?」
俺は、息を吸った。
「俺の両親は、この世界に「引き寄せられた」と」
「……引き寄せられた」
リリアが、繰り返す。
「俺が持つ力——酒以外の何か——それがこの世界と繋がっている」
「その力は——この世界の災いと、同じ根を持つらしい」
「……」
三人が、黙った。
「それと——」
俺は、続けた。
「俺の力を狙っている者が、もうすぐ現れる——そう言っていた」
「狙っている者……」
ミアが、顔を曇らせる。
「守護者として……感じる気配があります」
「え?」
「最近——ずっと、誰かに見られているような気がしていました」
ミアが、荒野を見渡す。
「でも、姿が見えなくて……」
「……そうか」
俺は、立ち上がった。
頭のぼんやりは——だいぶ消えていた。
「急いで戻った方がいいかもしれない」
俺は、忘却の海を振り返った。
青白い光が、静かに揺れている。
母さんに——会えなかった。
でも——。
「また、来る」
俺は、呟いた。
「必ず、もう一度来る」
でも今は——。
王都に戻って、マーカスたちに伝えなければならない。
俺の中の力を狙う者が、いると。
*
「行こう」
俺は、三人に言った。
「ノクトに乗せてもらえるか、ミア」
「はい」
ミアが、ノクトに駆け寄る。
「ノクト——みんなを乗せて、お城まで飛んでもらえる?」
ノクトが、低く鳴いた。
そして——大きな翼を、広げた。
「……乗るのか、ドラゴンに」
ルーナが、ノクトを見上げる。
「初めてじゃない?」
「アルさんは、以前も乗ったことがあるはずですよ」
ミアが、助け船を出す。
「あー……まあ、そうだな」
俺は、苦笑した。
「行くぞ」
*
ノクトの背に乗ると——。
巨大な翼が、羽ばたいた。
荒野が、遠ざかっていく。
忘却の海の青白い光が——小さくなっていく。
母さん。
また、来る。
俺は、約束した。
心の中で——静かに。
*
「ねえ、アル」
ルーナが、俺の隣で風に髪をなびかせながら、言った。
「煙が言ってた「お前の力を狙う者」って——」
「分からない」
俺は、正直に答えた。
「でも——ミアが言ってた。誰かに見られているような気がする、って」
「……私も、少し感じていました」
リリアが、俺の後ろから言う。
「旅の途中から——視線のようなものを」
「言ってくれたらよかったのに」
「確信がなかったので……」
*
ノクトが、上昇した。
雲の中に、突っ込む。
白い霧が、周りを包む。
風が、強くなる。
「きゃっ」
ルーナが、俺の腕を掴んだ。
「ちょっと! 急すぎでしょ!」
「ノクト、もう少し穏やかに頼む」
俺は、苦笑した。
ノクトが、低く鳴く。
雲を抜けると——。
視界が、一気に広がった。
遠く、地平線の向こうに——。
王都の輪郭が、見え始めた。
「……見えてきた」
「ええ」
リリアが、目を細める。
「もうすぐ、帰れます」
俺は、王都を見つめた。
マーカスに、全部話さなければならない。
煙の言葉。
父の言葉。
そして——俺の中にある、もう一つの力のことを。
*
雲の上から、風が吹いた。
まるで——この世界が、俺に向かって何かを語りかけているような。
俺は、そっと胸に手を当てた。
「あの力」。
お前は——俺の中のどこにいる。
答えは——まだ、出ない。
でも——。
必ず、見つける。
そう誓いながら——。
俺たちは、王都へと飛んでいった。
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