1杯目 川に落ちたら異世界だった件
夜の川沿いを千鳥足でふらつきながら歩く一人の大学生がいた。名前はアル——本名は誰も覚えていない。二十一歳、経営学部の三年生。今夜もサークルの飲み会で酒という酒を浴びるように飲んで、頭の中はすっかりアルコールに支配されていた。
「あー、楽しかった。明日は午後から授業だし、まあ適当に寝るか」
アルは楽観的な性格で、何事も「まあ、なんとかなるだろう」で済ませてしまう。経営学部を選んだのも「一番楽に入れそうだったから」という理由だし、今日の飲み会も「とりあえず行っとくか」程度の気持ちだった。
そんな彼が川沿いの遊歩道を歩いているとうっすらとモヤみたいなのがかかりはじめた
アルは目が霞んできたかと思い左手で目を擦ってみる
「きゃああああ!」
突然、背後から甲高い女の子の声が聞こえた。振り返る暇もなく、何かが猛スピードでアルの背中に激突する。
「うわあああ!」
酔っぱらいに正常なバランス感覚など期待するべくもない。アルの体は勢いよく宙に舞い上がり、そのまま川へと一直線に落下していく。時間がスローモーションのように感じられ、頭上には満月が——あれ?なんか月が二つある気がするけど、まあ酔っぱらいの見間違いだろう。
ざぶん。
冷たい川の水が全身を包み込み、アルの意識は静かに闇に沈んでいった。
* * *
「うぇ......げほっ、げほっ!水が......」
アルは重いまぶたを持ち上げ、ゆっくりと意識を取り戻した。口の中に川の水の味が広がり、体中がずぶ濡れだ。気がつけば川辺に這い上がっていた。いつ、どうやって?記憶が曖昧だ。頭の中はまだアルコールでぐるぐる回っている。
「あれ......?俺、川に......落ちた......よな?」
記憶を辿りながら上体を起こすと——そこは見たこともない光景が広がっていた。
空は薄紫色に染まり、そこには確かに二つの月が浮かんでいる。周囲は見たことのない植物に囲まれ、人の背丈ほどもある巨大なキノコがあちこちに生えている。中には淡く光っているものまであった。
「......これ、酔っぱらいの幻覚じゃないよな?」
アルは頬を軽く叩いてみる。痛い。でも現実感が薄い。酔っているせいなのか、それとも......?
「えーと......なんだこれ。月が......二つ?」
頭がぼんやりしていて、状況がまったく理解できない。キノコがデカい?空が紫?いやいや、酔ってるなぁこれ、まぁでも明日起きたらちゃんと布団の中だって。
「とりあえず......家、帰らなきゃ......うぅ、気持ち悪い......」
立ち上がろうとした瞬間、茂みの向こうから何かが近づいてくる気配を感じた。アルの勘が、それが人間——いや、人間らしき何かであることを告げている。
そして茂みから現れたのは——
「あ、あの!大丈夫ですか?」
聞き覚えのある声だった。川に落ちる前に聞いた、あの女の子の声に間違いない。
振り返ると、そこには確かに美しかもどこかあどけなさを残した少女が立っていた。ただし、その頭には小さな角が生えており、瞳は深紅色に輝いている。
「君は......もしかして俺にぶつかった子?」
「は、はい!先程は申し訳ありませんでした!私が追われていて、必死に逃げていたら......その、巻き込んでしまって」
少女は深々と頭を下げる。
「つーか君、角生えてない?コスプレ?今日何かのイベント?」
アルの頭はまだ完全に酔っぱらっていて、状況がまったく飲み込めていない。角が生えた美少女?深紅の瞳?まあ、ハロウィンとかそういうやつだろう。
「はい。魔人族のリリアと申します。あの......あなたは人族の方ですよね?なぜ魔界にいたのですか?」
魔界?人族?魔人族?何言ってんだこの子。まあでも可愛いからいいか。アルの頭は完全にアルコールに支配されていて、まともな思考回路が働いていなかった。
「とりあえずさ......座らせて。立ってるのキツい。あと水......いや、できれば酒......」
アルはふらふらとその場にへたり込んだ。酔っぱらいの本能で、とりあえず休憩が必要だと判断したらしい。リリアは心配そうに彼を見つめる。
「実は......私の正体を知ったら、きっと驚かれると思うのですが......」
そしてアルの意識は再び薄れていく。今度は気絶ではなく、単純に酔いつぶれただけだった。
「あ、あの!大丈夫ですか!?」
リリアの慌てた声を最後に、アルの意識は完全に闇に落ちた。魔人族の少女リリアの正体とは?そして、この酔っぱらい大学生は明日目覚めたとき、一体どんな反応を見せるのか?
酔っぱらいが巻き込まれる、壮大な異世界コメディの幕がここに上がったのだった。
次回予告:「リリアという少女と酒好き大学生のアル」




