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悲しい過去③

 客間に入ると、晴彦がソファーに座って煙草をくゆらせていた。

「父は僕のことを愛してなどいませんでした。常に僕のことを『出来損ない』と呼んでいました。父の愛情を感じたことなど、一度もありません。僕は何とか父の期待に応えようと頑張りましたが、どうにもなりませんでした。その度に向けられた、父からの『ほら、見たことか』と言う冷たい視線が忘れられません。母だけが僕の救いでした」

 勇太は晴彦の前に仁王立ちになると、「僕はお父さんの子供じゃないのでしょう?」と問いかけた。晴彦は、さも当然とばかりに、「お前が俺の子? 冗談じゃない。俺の子がお前のように出来が悪い訳がない。俺のDNAを受け継いでいるのであれば、もっと優秀な人間になったはずだ」と言い放った。

「お前は、公園で拾ってきた子だ」と晴彦は言った。

 妻の真理恵との間に男の子が生まれたが、夜泣きの酷い子だった。当時、事業の拡張による資金繰りに追われ、張り詰めた毎日を送っていた晴彦は、ある夜、赤子の夜泣きに耐え切れなくなり、ベビーベッドから赤子を抱え上げると、「うるさい!」と床に叩きつけた。

 赤子は床の上で動かなくなった。即死だった。

 真理恵は半狂乱となり、晴彦も流石に「一時の激情から、まずいことをした」と後悔した。我が子を殺害したことが露見すれば、警察に捕まり、晴彦の事業は水泡に帰してしまう。

「このことは誰にも言うな!」

 晴彦は真理恵にそう言い聞かせると、赤子の遺体を庭に埋めた。そして、数日後に、赤子を抱いて帰宅した。辻製作所の社長室の窓から、映子が赤子を浚われた公園が丸見えだった。

「ほら、勇太が戻って来た」

 晴彦はそう言って、赤子を真理恵に渡した。赤子を失って正気を失っていた真理恵は、本当に勇太が戻って来たと思った。

「所詮、お前なんぞを拾ってきたのが間違いだった。俺の事業の後を継ぐ資格など、お前には無い。気が付けば母さんは居なくなっていて、赤の他人のお前しか残っていない。ある時な、取引先の社長から言われたんだ。『辻さん。立派な跡継ぎ息子がいるのですから、そろそろ会社を譲ってはどうですか?』ってな。それを聞いて、俺は思った・・・」

 晴彦はじろりと勇太を見上げると言った。「お前になど、俺の築き上げた会社を渡すものか。お前に渡すくらいなら、売り払ってやる。そして、その売り払った後の金も、一円だって残してやるものかとな」

 晴彦の言葉を聞いた勇太は、咄嗟にテーブルの上にあった灰皿を掴んだ。

「僕はお金なんか欲しくなかった。僕が欲しかったのは、愛情だけだったんだ!」

 灰皿にあった晴彦の吸った煙草の吸殻と灰が、客間に散らばった。晴彦は勇太の一撃を受けて、ソファーから転げ落ちると、絶命した。

 勇太は足元に横たわる晴彦の遺体を見つめたまま、暫く動くことが出来なかった。

「とんでもないことをしてしまった」という後悔の念は不思議に湧いて来なかった。ただ、頭上を覆っていた巨大な雲が吹き飛んでしまったかのような爽快感を感じた。

 勇太は丹念に部屋の中の指紋を拭いて回った。自分のことはどうでも良かった。係累が島崎に及ぶことを恐れた。


 島崎と勇太こと島崎無常からの事情聴取を終えた森は、辻家の庭の捜査報告を聞いた。庭を掘り返して、ついに赤子の遺骨の一部を回収することが出来たと言うことだった。

「庭に埋められた赤子の幽霊だったのですかね? あのお屋敷は、『幽霊屋敷』なんて呼ばれていましたから」

 庭の捜索に立ち会った石川が、しみじみとした口調で言った。

「ご苦労様でした。殺人事件と三十年前の誘拐事件を解決できた訳です」

「そうですね。しかし、後味の悪い事件になってしまいました。勇太、いや、無常ですか。彼は奪われた時間を返して欲しかったのでしょう」

「奪われた時間ですか・・・なるほど。僕は思うのです。ひょっとして辻晴彦は、甘んじて無常の制裁を受けようとした。それで、無常を挑発するようなことを言ったのではないかと」

 晴彦は正面から灰皿で殴られて殺害されている。襲い掛かって来る相手に気が付いていたにも係らず、身を守ろうとしなかった。

「無常に殺してもらいたかったと言うことですか? 確かに、その可能性はあります。でも、もしかしたら、辻晴彦は無常を破滅させたかっただけかもしれませんよ」

 自分を殺害させることで、無常を陥れようとしていたのではないかと石川は言っていた。

「だとすると、恐ろしいことですね」

 そう言って森は両腕を抱えて震えて見せた。


                                          了

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