全てを察した私は予め罠を用意しておきました
「ルウ。ちょっとお話があります」
「はい、メイル様」
彼女は透き通るような銀色の髪を揺らしながら、私の元へと歩み寄る。
ルウは私直属の使用人。無駄な動き一つなく、洗練された気品ある振る舞いはさながら本物の女従者を名乗っても差し支えない。
私の命令に嫌な顔一つせず、そつなくこなして結果を残す。
まさしくメイドの鑑。だが今回も難題を押し付けてしまった。
多少やつれた様子で疲労の色が見え隠れしているが、そこは主人の手前ルウのメイドとしての矜恃が上回る。
メイドとはなんと負担の掛かる職種だろう。主人としては早く労ってあげねば。
「此度の一件ですが——よくメイドとしてつかえてくれました」
私から手を差し出して、ルウの顔の高さまで持っていった。
その様子に私の意図を汲んだルウは「はい」と一言呟き自身の手を合わせる。
軽くハイタッチをした後、よく全うしてくれたと労いの言葉を掛けつつ硬く手を結んだ。
私は満足げな笑みをこぼしながら——
※ ※ ※ ※ ※
「ゼレス様、今なんとおっしゃられましたか?」
「ん? あー、聞こえなかった? それとも意味が分からないか? 婚約破棄だよ、破棄」
婚約者に呼び出され、その一室で何食わぬ顔で彼はそう答えた。
もうすでに私に対する興味も関心もまるでない、軽くあしらうようにして。
もう君は必要ないよ。遠回しに気遣うこともなく、どこか手慣れた様子。
そしてこの部屋に入って来た時から、婚約者の隣には一人の女性の姿が。
この部屋に私が入ってくる前から事前準備は万端。私に見せつけるために婚約者の隣には花が添えられていた。
私に婚約破棄を言い渡して来た大柄な青年——ゼレス。
ゼレスとの出会いの場は、父からも勧められて王族が主催したパーティーに参加した時だった。
彼の一族は伯爵の地位を有しており、パーティーに出席した際に私を見初められたとか。
子爵である私の家系はこの話を断る理由はなかった。
特に私の父上は凄く乗り気で、ちょっと怖いくらい。
今思えば父が私をパーティーに参加させた狙いは、初めからコレだったのだろう。
親心とも言えるかもしれない、けれど実際はそれだけではない。
私の婚約者を早く見つけさせるため、躍起になり一族の地位を守ろうとしていたといったところだろう。
しかし当の本人——つまり私はそこまで婚約に関心も危機感も無い。
それにこういう展開になり得るのは薄々勘づいてはいた。
これまでも婚約者として何度か会う機会はあったものの、回数を重ねる毎に態度は素っ気ないものになり。
出会った当初に比べて、私への扱いも損在なものへと変わっていった。
でもそれも納得せざるを得ない。
婚約者の隣にいる女性の姿を拝見したならば、私では到底太刀打ちできないと。
私がじーっと、彼女に視線を送っているとゼレスは自慢げに勝ち誇った顔で私に歩み寄り耳元で囁き始める。
「レティアはなぁ。王族の血筋を引いている将来有望な女だ。断る理由は無いだろう」
ぞわぁー、と思わず身震いし鳥肌が立つ。
下卑た笑みを浮かべ、語りかけるその姿がゼレスの性格の全てを物語っていた。
「レティア様が、何故……? まさか!」
「おっとー! 変な想像からの言い掛かりは慎んでいただこうかメイル殿。私たちは結ばれる運命であり純愛だよ」
「そうですよー! レティアはゼレス様をお慕いしておりますぅ〜!」
レティア様の弱みにつけ込んだ卑劣なやり口かと私は疑いを掛けるが。
他の者全てを魅了するような透き通った美声で、それらの疑念を彼女は全て否定した。
どこか私に見せつけるようにして——沸き立つ感情をグッと堪えた。
「メイル殿。あなたには婚約破棄の事実を伝えたかっただけだ。用件は済んだ、もう帰るがよい。そのお顔を拝見できただけでもう十分だ」
ゼレスはそう言葉を吐き捨てると共に高々と嗤い始める。
苦渋の表情を見たかったと言わんばかりに、彼の感情は最高潮に達していた。
「分かりました。婚約破棄につきましては私から父に伝えておきます。ただ——」
私からも最後にゼレス様に一言言いたいことがある。
一つ息を吐いて、私からの本題を切り出した。
「あなたたちの婚約については認められません」
「突然何を言い出すかと思えば、私との婚約を破棄されるのがそんなに惜しいか? ふんっ! メイル殿には矜持が無いようだ。妾としてなら検討してやってもいい」
「何を勘違いされておられるのか、私には理解できません」
笑い話として揺さぶりを掛けて来たであろうゼレスに対して、私は毅然とした態度で言い放つ。
自分の世界に浸水していたゼレスは私の一言に反感を買い、明らかに気分を害しているようだった。
しかし私は気にも止めず追随する。
「レティアは私の使用人なのですから」
「はぁ?」
私の発言にゼレスは呆れ返った。
突拍子もない話であると。
王族が使用人などと、そんな与太話を誰が信じられる?
「何をおっしゃられるかメイル殿。現にこうして私とレティアは——」
レティアの肩を抱こうとしたゼレス。
だが予見したレティアも軽やかな身のこなしでするりとかわした。
まるで王族の淑女とは思えないほど、立ち回りが手慣れているように思える。
「ゼレス様の言う通りです。元来メイル様が心配なされているような、親密な関係ではございません」
「——なッ!」
言葉にならない、ゼレスは体内の空気が抜けたような音を発する。
思いもよらぬレティア本人からの発言により、憤りを通り越してゼレスの身体は固まってしまっていた。
突然レティアは何を言い出したんだ、と。
彼の脳内処理が追いつかないまま、私はさらに畳み掛けていく。
「安心しました。いかに無類の女好きと評されるゼレス様であろうと——ね?」
「——ゼレス様、これは余興です」
レティアはにっこりと微笑みながらゼレスに語りかける。
温和で優しく、まるで救いの手を差し伸べる女神様のように。
「そ、そうだよなっ! キツい冗談を言いやがって、余興で良かったよ。危うくメイルの話を鵜呑みにするところだったじゃないか!」
「ええ、余興です。従って——」
一瞬たりとも目を離さないようにと、レティアは私たちに注意を促した。
んん? と惚けるゼレスにお構いなくレティアは“余興”を始める。
突如——私たちが状況を認識した時には、彼女が眼前にいたはずにも関わらず、目で視認も動作による音も何一つ感じられず。
瞬く間にレティアの姿は消えていたのだ。
そして彼女がいたその場所には別の女性の姿が。
レティアという存在は跡形も無く消え去って、彼女がいた場所には私にも身に覚えのない全くの別人。
「ゼレス様! 私という存在がありながらレティアを選ぶなんて、どういうことかしらっ!!!」
「——あっ…………」
首を絞められたような小さな断末魔が聞こえた。
自我が崩壊する寸前、彼が正気を保った最後の一瞬だったのかもしれない。
「他にも伴侶がいるなど聞いてませんよゼレス様!」
「私が一番って言ってたのアレは嘘だったの!? どうなの!」
——ゼレス様ッ! ゼレス様ぁ〜! ゼレスッ! と。
その後も彼女らの怒りは止まる所を知らず。
色とりどりの声、姿、形をころころと、多種多様な姿へ次々と電光石火の早業で瞬きも許さぬ間に切り替わっていく。
「——あ……あっ、ああぁ!!!」
ゼレスは露骨に狼狽え始め、顔を青ざめさせた。
計十人は優に超えただろうか。
彼が表情豊かにあたふたする姿は、実に滑稽で余興として素晴らしい。
「良い余興でしたね」
ゼレスの女の紹介という、彼にとっての地獄の時間は終わりを迎えた。
無気力なまま崩れ落ち、灰になったゼレスを尻目に私は当事者に歩み寄りながら賞賛を送った。
目の前にして現れたのはレティアではなく。
「ご苦労様です。ゼレス殿の相手はさぞ大変だったでしょう」
「ええ、全くです。メイル様は毎度毎度ボクに無茶振りを」
あれ? そこは主人に対して忖度する場面じゃなくって?
労ったのに容赦なく、切れ味鋭く斬り込まれる。
それはともかくとして、私はゼレスに再び向き直った。
「可愛らしい顔立ちでメイドとしても優秀。時に女性と見間違われることもあるとはいえ、ルウは男の娘ですから」
そう言ってルウの肩を叩くと、「メイドじゃないですから、男の娘にはさせられただけです」と一蹴。
ベタ褒めしたのにちょっと冷たい。
此度の命令、ルウの中では根に持っているようだ。
ルウも多少ピリついているものの、私たちにとっては日常のやりとりが展開され、ある種和やかな空気の中で。
「ふ、ふざけるなッ!」
ゼレスの一喝が響き渡った。
怒り心頭といった様子で、わなわなと身体を震わせて。
「これは……許されないぞ。美人局など断じて!」
「だからなんなのです? ゼレス様が婚約者がいるのに不貞を働く不届者という事実には変わりありませんよね?」
「ち、違う! 私はレティア一筋なんだ! レティアしか見ていなかったのにぃ! お前たちが——お前たちのせいでッ!!!」
この期に及んで、ゼレスは見苦しい言い訳を並び立て続けた。
しかも婚約者である私を差し置いて、レティア様の名を何度も何度も。
私の話を聞いていなかったのか、あるいは冷静さを失ってのことか。
彼の哀れな姿を前にして、私は非情になった。
「本物のレティア様があなたを伴侶に選ぶとお思いですか?」
私は容赦なく現実を突きつけた。
するとゼレスは私の言葉を振り払うかのように何度も「違う、違う!」とぶつぶつ呟いていたが。
次第に微動だにしなくなり、彼の心は完全に折られてしまっていた。
※ ※ ※ ※ ※
——思惑通りに事が運び私はひとまず安堵した。
ゼレスに対する女性関係の噂は、使用人であるルウから聞いていた。
ゼレスはやはり婚約という手段を、自身がのし上がるための一つの道具としか思っていない。
だがそれが悪かと問われればまた違う。
本家からの影響が大きいとはいえ、かくいう私もその一人。
両家にそういった利害関係の目論みがある以上、致し方ないのかもしれないが。
だからこそ私も唯一の我儘——婚約に際して一つ条件をつけた。
——私だけを見て欲しい、と。
ゼレスの回答は「もちろん!」と肯定だった。
約束を破ればどうなるか——そう忠告もした。
だが結果はこの有様だ。
同意したにも関わらず、ゼレスが不貞行為を働いたとの報告をルウから受けあっさり禁忌を破った。
名声も爵位も私の家系よりも上のゼレスにとって取るに足らないと判断したのだろう。
完全に舐められていた。
私はルウと結託し、彼の本性を暴くべく何も知らないフリを続けた。
ゼレスを貶める状況を作り上げるために。
今回の婚約に乗り気であった父に報告すると、当初は大いに嘆いていた。
——またか、と。
これまでにも似たような事例が複数回。
私もロクな異性と出会わずして今回も。
しかし、これに至ったまでの経緯とゼレスの醜態が明るみとなれば——これ以上関わるのは触らぬ神に祟り無しとばかりに、最後は納得していただき婚約破棄を受け入れて貰った。
「ところでルウ。あなた今後もうメイドとしてやっていかない?」
「嫌です!」
「じゃあメイドじゃなくても良いから、もう一度女の子に——」
「絶対に嫌ですっ!」
ルウは普段から感情の起伏が少ないが、男の娘になる時に限っては過剰な反応を見せる。
本当に可愛いのに。主人の欲求は霧散した。
そんな使用人はいざ主人に危機が訪れるや否や、不平不満一つ言わずに一肌脱いでくれる。
私はルウの手を握ったまま懇願するも頑なに拒否し、逃げ出すように部屋を出て行った。
残念。もう一度ルウの凄技を見たかったのだけど。
※ ※ ※ ※ ※
——思惑通りに事が運びボクはひとまず安堵した。
「今回も上手くいった」
薄暗い通路を明かり一つ灯さず、不敵に笑い足早に歩く少年。
メイル様に害を為す悪い虫はボクが排除する。
全てはメイル様を手中に収めるために。
それにはあの男が邪魔で仕方がなかった。
だからボクはゼレスという男を徹底的に調べ上げた。
弱みを握るためにね。
だけど状況を覆すような弱みは存在しなかった。
どれだけ調査を続けても、多少性格に難あれど黒い噂は一つも見つからない。
外面だけは良い青年といった印象。
なのでボクは外堀から埋めようと考えた。
簡単な話だ。黒い噂が存在しないのであれば、黒い噂を造ってしまえば良いのだと。
全ては嘘が始まりだった。
ゼレスは決してメイル様が言うような女好きでは無かった。
だからボクはメイル様に嘘を擦り込んだ。
疑念を抱かせて、やがては疑惑というゼレスに対する不信感を募らせるために。
全てはゼレスの本性を暴きメイル様を救い出す。
導入の多少の脚色はメイル様のためなのだ、何の問題があるであろう?
そしてボクは何人もの女性に扮して、ゼレスに接触した。
ボクの変装技術と変声技術を使って、何役もの女性の姿、声、会話でゼレスを魅了し落とした。
メイル様がおっしゃられたように、ボクの顔は初対面の方だと女性と見間違えられることも少なくない。
それにボクは生まれつき器用な人間だった。
故にメイル様の使用人という大役を仰せつかったのだが、ただ器用なだけではない。
器用なのは手先だけではなく、声もだった。
生まれてこの方ボクは男性女性問わず、様々な擬音も含めた音声を再現できる特殊な声質を持っていた。
普段は誰であっても、この特技は見せない。
仮令ご主人様に頼まれたとしてもだ。
彼女に異性として見てもらいたいがために、ボクはメイル様を守る時のみこの力を使う。
その決意の元——
「ゼレス様には多少の罪悪感はありますが、元はと言えばメイル様に近づいたあなたが悪いのです」
現に事実を捏造する過程で、“ゼレスは無類の女好き”という現実そのものは結果としてご自身で行ったもの。
女性に溺れた男の末路といったところでしょうか。
最後はメイル様より身分が上のレティア様に縋った辺りも救いようがなく。
メイル様の不信は頂点へと達し、ゼレスは最高の道化としてボクにとっては思惑以上だった。
これでメイル様から悪い虫はいなくなった。
だが、根本からは何も解決していない。
また時間が経てば、メイル様の元には別の婚約者の話が舞い込んで来る。
無数の婚約者ループを断つには——
「——お父様を処すしかない」
だがそれは想定している中で一番の最悪のシナリオ。
もしメイル様に知られれば、ボクは終わる。
幸福に感じるかけがえのない、あの日々は消え去ってしまう。
だからそうなる前に——メイル様と。
誤字報告大変助かりました! ありがとうございます!