▓▓県▓▓町における行方不明事件と「ミヌロサマ」伝承の関係性について
「そういえば美沙は知ってる? あの噂」
「……えと、どの噂ですか?」
美沙と呼ばれた小柄な少女は、問い返しながらあざとく小首をかしげる。愛らしい顔立ちによく似合う栗色のツインテールが、ぴょこんと揺れた。
「ミヌロサマの神隠し」
彼女の隣、すらりと背の高い黒髪ロングの少女が答える。
色白で顔立ちの整った、どこかミステリアスな雰囲気の彼女の名は玲子という。
夕陽に染まる公園のベンチ。いちごオレの紙パックを手に、仲良く腰かける夏の制服姿の女子高生ふたり。
「……ミヌロサマ? なんですかそれ?」
「ぜんぜん聞いたことない? このへんに昔からある言い伝えでね、女の子をさらっていく怖い神様なんだって」
「うーん、わたしは生まれたときから此処に住んでるけど、聞いたことないです」
さっきと逆方向に首をかしげる美沙の、ツインテールが再び揺れる。
「そっかあ、知らないかあ」
「うーん、知らないです。ごめんなさい」
「あやまることじゃないよ! でも、十年前に行方不明事件があったのは知ってるんじゃない?」
「あー……はい。事件のあとも何年か、商店街でチラシくばったりしてました。さゆりちゃんって、すごく可愛い子」
「そっか。私が転校してきたのは5年前だから……」
「ぜんぜん手掛かりもなくて、そのころにはみんな忘れかけてたかな……ご両親もどこかに引っ越したって……」
少し重くなった空気を、どちらとなくズズッとイチゴオレをすする音が中和する。
「で、それがね。ミヌロサマのしわざなんじゃないかって噂」
玲子はストローから唇をはなして続けた。
「神隠しってことですか? でも、普通に家出とかかも……」
「うん、それがね」
我が意を得たりとばかりに、彼女の口調に熱がこもる。
「その更に十年前にも女の子の行方不明があったの。さかのぼってみると、十年周期で一件ずつ女の子の行方不明があって、記録に残ってるだけでも五人。そのどれも、手掛かりひとつ見付かってない……って話が、ネットのオカルト界隈でちょっと話題になってて」
「……え……」
「だから、そろそろ次があるんじゃないか、って」
「そう言われると、ちょっと怖いですね……」
「みんな、美沙みたいに可愛い女の子だったらしいよ。六人目にならないよう気を付けてね」
凛々しさ際立つ真剣な表情で言い終えると、玲子はいちごオレの残りをいっきに飲み切って、隣でまだストローを咥えている少女の愛らしい横顔をのぞきこんだ。
視線に気づいた美沙は目をまっすぐ合わせ、同じく真剣な表情を作る。
「わたし、わかりました! その子たち、きっと玲子先輩みたいな人にたぶらかされて、さらわれちゃったんだ……」
「……なるほど、それはあり得る……」
そのまま数秒見つめ合い、ほぼ同時に噴き出していた。
笑いあう二人の声が、寂れた公園に束の間の華を添える。
「ほんとに、先輩ってそういう噂とか都市伝説とか好きですね。そのネットの話題とかも、どうせ先輩が調べて広めたんじゃないですか?」
「うっ、さすが美沙は私のことよくわかってるね……」
「当然です。先輩のことはなんでも知ってます」
「……でも、ちゃんと調べてみると面白いんだよ。火のないところに煙は立たぬ、って言うとおり、どんなに荒唐無稽なお話でも、必ず元になった何かがあるから。それってね、民俗学に通じるの」
「……そっか。そういう勉強がしたいから、向こうの大学に行くんですもんね」
美沙の声がワントーン落ちた。
玲子は来年、隣県の大学に進学するためこの町を出て一人暮らしをする。
推薦が決まっているだけで入学が確定した訳ではないけど、それを確信できるぐらいに彼女は優秀だった。
毎日この公園で待ち合わせて会えるのも、今だけ。
「ね、先輩! 他になにか面白い噂ないんですか?」
寂しさを振り払うように声のトーンを戻し、美沙は問いかける。
玲子は少しだけ考える素振りをしてから、口を開いた。
「んー、じゃあねえ、あれは知ってるかな」
「どんなのですか?」
「恐怖の、舌裂け女!」
「……ふえ? 口裂け女じゃなくてですか?」
きょとんとして聞き返す美沙に、玲子はニヤリと笑う。
期待通りのリアクションだった。
「口裂け女は知ってるよね」
「むかし、すごく流行ったんですよね? 噂のせいで集団下校になったみたいな、あれの最新型ですか?」
「まあ、そんな感じ。女の子が『私かわいい?』って聞いてくるんだけど、マスクしてるわけでもなく、普通にすごくかわいい子なの」
「え、それじゃあ話が終わっちゃうじゃないですか」
「でもその後に、『これでも?』って舌をね、こう出す」
てへぺろとばかりに、舌を斜めに出す玲子。
「先輩のは、ピンクでかわいいです」
「ありがとう。でもその女の子の舌は、先っぽからこう三方向に裂けて開いて、牙の生えた第二の口になってるの」
そして自分の口の前に揃えた右手の指先を、がばっと開いて見せる。
「……!?」
「だから口裂けじゃなく『舌裂け女』ってわけ。ちなみにその舌は蛇みたいに伸びて、こう口から相手の体の中に入り込んで、内臓をぜんぶ食べちゃうんだって」
今度はその右手をうねうね動かして美沙の口元まで近付けると、指先でちょんっと唇に触れて、すぐに戻す。
「んッ……なんか、急にB級映画みたいな話になりましたね……」
「ふふ、でも面白いのがね、おじいちゃんおばあちゃんに聞いてみると、この辺では口裂け女の噂が流行るずっと前から、舌裂け女の話があったみたいなの」
「じゃあ、そっちが元ネタってことですか?」
「それか、口裂け女とは別の由来があるか、ね」
言葉を切ると、玲子はいちごオレの紙パックを放り投げた。それは数メートル離れた空のゴミ箱の真ん中にきれいに吸い込まれる。
「……ああ、そうだ。この公園の噂もあるよ」
「えっ、ほんとですか?」
住宅街のはずれに位置する小さな児童公園は、少子化の影響でほとんど利用者がなく、この時刻ともなればまず誰も来なかった。
隣接する雑木林の前には「立入禁止」の立て札が斜めに刺さって、その奥は昼でも薄暗い。
老朽化したブランコやジャングルジムはとうに撤去され、一匹だけとり遺されたパンダの遊具は塗装が剥げて目も虚ろ。まるで地獄から這い出してきたかのようだ。
「向こうの、林の奥にね……」
玲子はそこで言葉を切って、雑木林の方に視線を向けてから、小さく頭を振る。
何かを振り払うように。
「ええと、違った。……そう、この公園で、ちょうど今ぐらいの時間にね」
美沙は先ほど触れられた唇をさすりながら、こくりとちいさく息を呑む。
「制服姿の女の子同志が、チューしてるの見たって……」
「……!? それって……」
それって私達のことじゃ? と漏らしかけた言葉を、美沙は寸前で飲み込んでいた。
玲子が肩を震わせて、必死に笑いをこらえていることに気付いたから。
「……ごめん。そういう噂を流したらどうなるか実験してみたいなあ、って話」
「もう! 先輩ひどいです。本気でびっくりしたじゃないですか」
「ふふ、ほんとごめんね」
「ゆるしません」
「ねえ、許して? ほら、これで……」
頬を膨らませる美沙の肩を抱き寄せると、その唇に玲子は自らの唇を重ねていた。
柔らかな感触といちごオレの甘い香り。ゆっくり唇を離せば後輩は、怒りなど最初からなかったように潤んだ瞳で見詰め返してくる。
「先輩、私かわいい?」
「うん、かわいい。世界一」
即答する。美沙は本当に可愛い。玲子は心の底からそう思っている。
ただ最近は少しだけ、彼女の向けてくる純粋な愛情を重たく感じるようになっていた。
それに、大学に行けばもっと可愛い子がいるかもしれない。
私たち、ちょっと距離を置こう。本当は、そう切り出したかったのだけど。
「──これでも?」
見たことのない挑発的な笑みを浮かべた美沙が、抱き着いて唇を重ねてきた。唇をこじあけ潜りこむ彼女の柔らかな舌先は、まるで別の生き物のように蠢いて玲子の舌に絡みつく。
「……!」
初めはあんなぎこちなかったのに、いつからこんな──微かな違和感は、いちごオレの甘みのなか、触れ合う粘膜の淫らな感触に塗りつぶされる。玲子の瞳は、潤んで蕩けてゆく。
「……んぅぐ……!?」
突然、その瞳がいっぱいに見開かれた。
苦しげに美沙の両肩を掴んで引き離そうとするも、逆にその両腕を掴み返される。
細腕から信じられない握力と腕力で、完全に玲子の自由を奪った美沙は、恍惚の表情で彼女の唇を貪っていた。
その口元からぼたぼたと、透明な粘液が糸を引いてベンチにしたたり落ちる。唾液にしては、多すぎる量で。
やがて白目を剥きビクビクと震える玲子の全身から、力が抜け落ちてゆく。解放された両腕はだらりとぶら下がり、美沙は彼女の頭を愛しげに抱え込んで接吻を続けている。
──数分後。ようやく、玲子の唇は解放された。
しかし唇と唇が離れても、長く伸びた舌はつながったまま。
玲子の体をベンチに横たえる間も、ずるり、ずるりと引きずり出される舌は、1メートル以上先でようやく体内から抜け出した。
血混じりの粘液にまみれたその舌先は、花が咲くように三方向に裂けていて、内側にはびっしりと小さな牙が並んでいる。中央にぽっかり空いた真っ黒な穴。
玲子の内臓を貪り喰らった舌は、まるで別の生き物のように──巣穴に還っていくかのように、美沙の口内に吸い込まれる。
最後にコクンと喉を鳴らし、口元にべっとりついた血混じりの粘液を両の手のひらで拭って、元の形状に戻った舌でていねいに舐めとった。
「あっ、そうだ」
思い出したように美沙は、足元に転がっていた自分のいちごオレの紙パックを拾い上げる。
ゴミ箱の近くまでトコトコ歩いてそれを捨ててから、ベンチ横に戻った。
「これでよし。それじゃ先輩、いっしょに還りましょ」
そして満面の笑顔を浮かべながら、骨と皮と制服だけの玲子を愛しげに抱き上げた彼女は──公園の奥、雑木林のほうへ軽やかな足取りで歩き出すのだった。
◇ ◇ ◇
児童公園に隣接する雑木林の奥に、奇妙な形状の石柱と、古びた小さな祠があることを覚えているのは、近隣に古くから住んでいるお年寄りだけだった。
玲子が個人的なフィールドワークで取材したとき、孫がすっかり相手にしてくれなくてと饒舌だった彼らの口は、その話になると一様に重くなった。
「ミヌロサマは、おっかねえ神様だ。さわるもんじゃねえ」
彼らは口を揃えてそう言った。
そんな中、たまたま道端で出会ったしわくちゃの老婆だけが、少し違った話を聞かせてくれた。
「ミヌロサマ? そら読み間違えだべな」
手渡したメモに彼女は、驚くほどの達筆でこう書いてくれた。
× ミヌロ さま
↓
○ 三叉口 さま
「三叉……口さま? これ、なんて読むんですか?」
三叉に裂けた口と言えば──舌裂け女を思い浮かべつつ玲子が問いかけると、老婆は黙ってメモに読みを書き加えた。
「三叉口様……それって……」
「おっと、下手にその名を口に出すもんじゃねえ。あの神さんは、若い娘が大好物だからのう」
──言って老婆は、歯のない真っ暗な口を開け笑った。
【作者より】
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