【3/3】共和国から、帝国へ
異世界に召喚されて、半年。
その間、簡単な文字……日本語に置き換えるとひらがなに相当する声文字の読み書きには不自由しなくなった。この世界で共通語といわれている言語は、文法も文字も日本語にそっくり。
それもそのはず、もとを辿れば異世界召喚勇者がもたらしたものなんだそうだ。
数字は形こそ違うものの、概念はほぼローマ数字と一緒なので、問題ない。
そして聖殿の書庫にあった植物と魔獣の図鑑を毎日穴が空くほど読み込んだ。
書庫には食材となる植物と魔獣をまとめた本もあったが、毒があるかないかが最優先で味についてはあまり書かれていない。栄養価についてもほとんど言及がなく、あまり親切な本ではなかった。
「レオ殿、本当に行かれるのですか」
「あ、ジェイクさん……すみません。もう、心に決めました」
俺は、先日ジェイクさんの話を聞いてなおさら政治の道へ進むのは「違う」と思った。
異世界生まれの俺にとって、この世界ではまだ異邦人。
炊き出しに群がり、貧困にあえぐ市民をかわいそうだとは思うけど、俺にできることはないとも思う。そしてその原因を作ったのは共和国なのだから、彼らが責任を取るべきだとも思う。
「……残念です。レオ殿のように年齢の高い異世界召喚勇者は、稀なのですよ」
「はは、そうらしいですね。俺の精神が子どもなのかな」
ジェイクの表情は暗い。
遥輝たちにきいたところ、異世界召喚にはとても莫大な予算が使われているのだという。
当然、そのような予算をかけて召喚した勇者と呼ばれるものは、なるべく手放したくないと思うだろう。
それでも、国家が異世界召喚勇者に戦闘や残留を無理強いできない理由がある。
「レオ殿は高潔な方だ。私は、今回の異世界召喚は成功だと思っています」
「でも俺は料理しかしかできないし、戦いも政治にも参加したくない。その意志は変わっていません」
ジェイクは観念したかのように大きく息を吐き、いかり肩になっていた肩を緩めた。
「……そういえばクルミのやつ、僧兵の方々に可愛がってもらってるらしいですね」
「ええ、言葉はわかりませんが、大人しくて聡明、そしてとても勇敢な魔狼です。アンデッド討伐には参加させられませんが、魔獣駆除では大活躍ですよ」
「もしクルミが望めば、アイツを置いていきますよ」
「……!? よろしいのですか!? しかしあの魔狼は、レオ殿の従魔では」
「従魔に関する本を呼んでみたんですけど、どうも違うみたいです。アイツは俺の命令なんて聞かないし、『状態表示』の魔法も効きませんでした」
状態表示は、従魔にだけ聞く魔法だ。いわゆるステータス・オープン!ってやつ。ただし従魔限定。
この世界の魔法、英語っぽいのとドイツ語っぽいのが混じってるんだよな。
前の世界で見たような物語では言葉が勝手に翻訳される、みたいな設定もあったようだけど、ここではガチで日本語がそのまま話されている。
「そうだったのですか……もし、僧兵がクルミ殿を従魔にしたいという話が出たら」
「あー、もちろん俺は構わないよ。クルミの意志もあるだろうけど、俺は関係ないって言っといて」
書き写していた本を閉じ、手早く机の上を片付ける。
……この書庫とも、お別れだ。
「ほんとに行っちゃうんだ」
「寂しくなるよ」
帝国に向かう司教の馬車に乗せてもらえることになった俺を、遥輝と真尋が見送りに来てくれた。遥輝なんかはちょっと目が潤んでる。
「帝国はいろいろと食材が豊富らしいからさ。研究して、あっちの料理が再現できるようになったらレシピを送るよ」
「俺、フライドポテトかポテトチップがいいな」
「俺は生クリーム……ケーキとかはいらないから、生クリームだけでいい」
「ははっ! 残念だけど、どっちもカネがあればすぐできそうなやつだな。文明あんまり関係ないぞ。あー、でも生産量が増えれば安くなるかもしれないな」
遥輝と真尋は「マジかー」とがっかりしたようだ。
聖殿の清貧っぷりは身にしみている。油と砂糖が高級品なこの世界で、聖職者の口に入ることはないだろう。
「手紙くれよ。帝国からでも届くんだよな? 時間はかかるかもしれないけど……まあ、安否はわかるから別に必須じゃないけどさ! 寂しいじゃん!」
「どうだろうなー、国際情勢ビミョーっぽいし。とりあえず、魔物とアンデッドに気をつけてね。美味しい食材が見つかったら冒険者にでも広めればきっと手紙より確実に共和国まで情報が来るよ」
確かに、と笑いあって、「じゃあな」と軽く言って馬車に乗る。遥輝と真尋と別れるのはすこし寂しい気分だけど、この場所自体にはさほど名残惜しさはない。
同行する6人の司教たちはほぼ老人の男性1人、女性3人、若い男性2人。
帝国行きを希望した人たちとあって、車中は和やかだった。
「レオ殿、従魔はどうされたのですか?」
「ああ、あれはたまたま俺といっしょに召喚されたってだけで、従魔ではないんですよ。僧兵の方に懐いたみたいなので、そのままお譲りしました」
「あのような聡明な魔獣を簡単に譲るなんて……異世界召喚勇者殿は無欲でいらっしゃるのですね。帝国で騙されないか、心配です」
「帝国は治安が良いと聞いていますけど」
「ええ、野盗や山賊の類は強力な軍隊ですぐに壊滅させられますが……詐欺となると話が変わってきますのでね」
「なるほど……皆さんはどうして帝国行きを希望されたのですか?」
俺が尋ねると、皆が顔を見合わせた。
「あ、答えにくかったら、別に」
女性の3人がクスクスと笑う。
「レオ殿が考えているような答えにくさではありませんよ。私たち、お腹いっぱい食事したいから帝国行きを望んだんです」
「え」
「そうですなあ。帝国のグロースレーは肉付きが良く、新鮮であれば半生でも食べられるほど。それに乾燥させるだけで旨味の強いジャーキーになると聞いて、もうヨダレが出る思いで帝国行きを渇望していたのです」
「それにリヨードの卵は絶品でした……私はこの先あまり長くは生きられないでしょうから、せめて美味しいものを腹いっぱい食べて死にたいと思っています」
「リヨードの採卵を確立したのは大きいですね。あれは生でも大変美味しい。集落でリヨードを育ているところも多いのだそうです。そういう場所では、葦の茎を使って中身を生で飲むんですよ。これがなかなかどうして、イケるんですよ」
「帝国では、お野菜ができすぎて捨てられている地域があるのだそうです。共和国では考えられないことですわ。新鮮なお野菜は、旧貴族たちのところに集まって市民にはなかなか手に入りませんから……」
「帝国の男は体が大きくて強いので、小さな集落にも狩人がいて十分にお肉がいきわたるんだそうです。赤子の死亡も少ないと聞いていますから、やはり栄養状態はいいのでしょう。私が生まれ育った村は、生まれた赤子の半数が亡くなるような土地でしたもの」
女性司教が恥ずかしげに告白してからというもの、全員が口をそろえて帝国への希望を語りだし、何の味もしないパンには辟易していたのだと口々に語った。
……要するに、みんな食いしん坊ってわけか!
「あはははっ! みなさんとは気が合いそうです! この道中、なるべく美味しいものを作らせていただきますよ!」
「本当ですか!?」
「おお……精霊に感謝を……」
「楽しみです〜!」
「レオ殿とご一緒できて光栄です」
「たしかレオ殿も料理人として立身するために帝国に向かうとか……?」
「私たち、運が良いですわ〜」
馬車の乗り心地は最悪でアトラクションのように揺れたけど、街道沿いは危険もなく僧兵たちが護衛してくれたので大きな問題はなかった。
俺は休憩のたびに周囲の野草からハーブや食べられそうなものを集め、僧兵に弓を教えてもらった。僧兵の1人は小さな村で狩人をしていたらしく、魔獣の習性や狩りのコツなどを教えてくれる。
なんだか改めて、異世界生活スタート!ってかんじだ!
「この麦粥……やけに美味しいですね!?」
野営の1日めから、僧兵たちの目の色がかわる。
「はい、塩漬け肉とは別に道中で狩ったウサギ……いやボビットの骨を煮込んで出汁をとっていますから。あと、ハーブの代わりになるような野草をいくつか」
「野草にもお詳しいのですね!」
「聖殿にいたころは書庫に通い詰めてましたからね……」
「この味なら椀いっぱい食べられそうです! 本当に美味しいです!」
こっちの世界のひとはダシをとるって概念がそもそもないからな。旨味が増すだけで美味しさは段違いになる、ってことを説明すると、全員が熱心に聞いていた。
馬車の外から、僧兵まで質問が飛んできたくらいだ。
(ああ、もっと食材に含まれる栄養素について調べられたら便利なのにな……ラノベによくある、「鑑定!」とかできないかな)
馬車の中で眠りにつくときにそんなことを考えていたら、機械音のような女性の声が聞こえた。
(異世界人の固有スキルを「食材鑑定」に固定します)
「えっ!」
ガバッと起きると、衝立の向こうで寝ていた女性司教も驚いて飛び起きたようだ。
「ど、どうされました!?」
「い……いえ、すみません、ちょっと変な夢を」
システムメッセージのようなものか? そんな話、遥輝や真尋からは聞いていない。
……ここは、アレを使って確認すべきか。
いや、アレはものすごく魔力を食うからな……しばらくしたら夜明けだ。
魔力不足でヘバってしまうと道中の食材採取にも影響が出る。明日の就寝前くらいに連絡しよう。
そう決意して無理やり寝た翌日。
いつも通り食材採取のために停車中の馬車の周囲で野草を摘もうとして、ふと思い出す。
手にした野草をジッと見つめて呟いた。
「し……食材鑑定」
パッと目の前にウィンドウのようなものが現れ、水分量、食物繊維量、ビタミンA、C、D、E、パントテン酸やナイアシンが何グラムだとかが事細かに表示された。
す、すごい! すごい、けど……。
植物の名前も出ないし、説明らしきものもない。
試しにもうひとつ、昨日の麦粥に使った野草を食材鑑定したところ、「ジジン草」という名前と簡単な説明が出た。名前は植物図鑑で見たので知っていたし、この説明、おそらく俺が感じた感想だ。「細かく刻みすぎると匂いが強く出過ぎる」とか「茹でたあとの食感はホウレンソウに似ている」とかが追加されていた。
なるほど、俺が得た情報しか表示されないのか。そして栄養素は手にしたものしか解析できない。これって……。
「……便利か?」
なんとなくハズレ感を覚えずにはいられない能力。
さらにいくつか野草を「食材鑑定」してみて分かったことは、「手にしてなくても遠隔でも発動できる」ということと、「知らない栄養素でも、毒だけは確実に表示される」という結果だ。
薬学で使われるという軽い麻痺を伴う「シュレの花」の花粉を「食材鑑定」したら、栄養素とは別に「ポルケニン」という成分が真っ赤な文字で表示された。
名前は聞いたこともないが、おそらくこれは麻痺を引き起こす主成分なんだろう。
「……便利かも」
とりあえず食材として不適切な成分が含まれるものは、避けることができる。
ビワや梅の種に天然の毒物が含まれるという場合もあるが、それは果肉と種どちらも食材鑑定をかければ解決するかもしれない。今度やってみよう。
まあ、毒が感知できるだけでも上等だろう。
「ほんっと、戦闘にも政治にも向いてない能力」
自嘲気味に笑ったが、これってある意味正しくチートなのでは?
……貴族のお抱えシェフみたいな立場が得られたら、口にすることなく毒を感知できたりするかもしれない。
その日は共和国での最終日となる野営。
国境が近く、越境のために夜を明かす人が多いこともあってちょっと賑やかな野営地だ。
僧兵たちが不寝番をしてくれているので安心だが、落ち着かないのだろう、みんな寝付きが悪い。全員が寝るのを待っていたら寝不足で明日迷惑をかけてしまいそうだから、賑やかさに乗じて強行することにした。
目をつぶって、小声で「情報表示」と言うと、芽をつぶった状態でもハッキリと目視できるウィンドウが空中に現れた。
これが、共和国が異世界召喚勇者に戦闘を無理強いできない理由。
異世界召喚勇者同士は、お互いに状況や所在を確認でき、メールのようなメッセージを送り合えるのだ。ただ、状況がわかるのは実際に接触した人物だけに限られる。簡単な世界地図の上に散らばっている赤い点は、俺達のいる共和国のほか、共和国、帝国、そして南の大陸にたくさん、東の大陸にも数個。拡大とかはできないので、大体の位置しかわからないけど、王国と南の大陸の赤い点はよく消え、よく新しく現れる。
これはおそらく、異世界召喚勇者が入れ替わっているのではないか、と遥輝と真尋が予想していた。
そんな世界地図の下に個人チャットウィンドウのようなものがあり、メッセージを送れるのだ。この魔法を開発したヒトは何千年前の異世界召喚勇者らしいが、きっとインターネットが一般に普及する前の人物に違いない。だってかなり使い勝手が悪いもんな。
そしてこの術、魔力の消費がかなり多い。
十人並みと言われた俺の魔力では、就寝前に1度、5分程度使うのが限界。
共和国はこの術の存在を知っていて、もしも異世界召喚勇者に無体をすれば各国の異世界召喚勇者たちが結束して襲ってくるかもしれないということを危惧しているんだそうだ。実際はそんなことないだろうけど、まあ異世界召喚勇者なりの自衛策というやつだよな。
俺は頭の中でスマホのフリック入力するイメージで、メッセージを書いていく。
(異世界人の固有スキルが固定された、って声がしたんだけど、これなに? わかる?)
かなり抽象的な質問になってしまったけど、これが限界だ。
何もしなければ5分は持つ術だが、メッセージを送るとすごく疲れる。
その日はそのまま寝た。
翌日、一行はとうとう国境に到着。
僧兵たちは鎧のうえからつけていた前掛けみたいな布を外し、馬車に掲げられていた旗も中にしまわれた。帝国では、あまり聖教関係者だと知られるのはよろしくないらしい。
全員馬車の外に出て、検問官から質問される。
出身はどこか、職業は何か、帝国へは何の目的で入国するのか……空港の入国審査みたいなものか。検問官は一回り体躯の大きな男で、武装していないのにすごい威圧感だ。
「ん……なんだこの者は。聖職者ではなさそうだが……ああ? 異世界召喚勇者?」
俺と書類を交互に見て、大男の検問官はものすごく目を丸くしている。
「ほんとか?」
「ええ、本当です。今年、共和国で召喚された異世界召喚勇者です。戦闘にも政治にも興味がないということで、我々と共に帝国へ」
「戦闘にも政治にもって……ああ、アンタ料理人なのか!? ほー! そりゃ確かに、共和国より帝国のほうが良いだろうなぁ。んで、料理で食っていこうってか。ほうほう。んで、アテはあんのかい」
「いえ、ないです。しばらくは聖殿のお手伝いをしながら、お世話になる先を探そうかと思っています。食材の研究もしたいですし」
「ほー、なるほどなあ。それならすこし遠いが南部に行くと良い。特にラウプフォーゲル領は帝国の中でもさらに治安が良いし、食材が豊富で料理に対する感心も高い。異世界料理人なんて、もしかしたら貴族のお抱えになれるかもしんねえぞ」
検問官の大男は見かけによらず気さくに俺にアドバイスしてくれた。
「いったん帝都を目指そうと思ってたんですが、やめたほうがいいでしょうか」
「ああ〜、まあそれでもいいんじゃねえか。だが帝都はかつて共和国の戦争に巻き込まれた土地だ。親共和国派は多いが、それと同じくらい反共和国派も多い。貴族のお抱えにはなりやすいかもしれねェが……ココだけの話、あまり質の良い貴族はいねェから行くなら気をつけな。対して、旧ラウプフォーゲルの貴族はどいつもこいつも腹芸が苦手なまっすぐな貴族が多い。まあ、そういうところで中央貴族どもにやられちまうんだがな……」
「あの、貴方は……」
「俺はラウプフォーゲル人だ。国境警備の兵士たちが見えるだろう? そん中で黒っぽい鎧の、背中に鷲のマークがついているやつは全員ラウプフォーゲル人さ」
国境門の大きな壁と砦に視線を巡らせると、検問官がいう黒っぽい鎧は他の鎧の兵士にくらべてひときわ体が大きい。武器も扱いにくそうな大斧や大金槌みたいな重戦士っぽいものだ。あんなに大きな体で、大きな武器を振り回すとなると……!
「たくさんご飯食べてくれそうですね!」
「おうよ!」
あまりにも目をキラキラさせていたせいか、検問官はそれ以上追求してくることなく通行手形をくれた。砦と壁の向こう側、帝国にはそれなりに立派な建物の街が作られている。
豊富に並んだ野菜や果物、肉に魚。すでに共和国とは別世界だ。
「レオ殿、聖殿から支度金が出ているでしょう? ここで帝国通貨に両替していくと良いですよ。これから先、両替できるところはほとんどありませんから。それに、帝国通貨は共和国でも王国でも使えますが、共和国の通貨は帝国では一切使えません。今後商売をされるときは、帝国通貨でされたほうがいいと思います」
俺たちは僧兵たちの馴染みの両替商のもとへ行き、両替してもらう。
聖殿からもらった支度金は紙幣だったが、帝国通貨にすると金貨6枚になった。
これは多いのか少ないのか。
「わ、金貨ですか。あー、でもレオ殿は訳ありですものね。金貨でも使えますが、何枚かは崩しておいたほうがいいですよ」
「これって多いんですかね」
「当面の生活費と考えれば十分だとおもいますよ。帝国はとにかく食材が、特に野菜がものすごく安いですから、ちょっと贅沢しても1日10FRくらいです」
10FR……この金貨は、1万FRって書いてあるから……。
えっ、これだけで6000日、つまり16年くらいは暮らしていけるってこと!?
慌てて小さな革袋に入れて握りしめると、女性司教がころころと笑った。
「大丈夫よ、帝国は治安が良いから。金貨くらいで物取りに遭うなんてこともないわ。食材が安いからとんでもない大金に思えるけど、帝国の市民でもふつうに手持ちの財布に入ってるくらいのものよ。それに食材以外の魔道具や宿代、馬代なんかは、ふつうよ」
女性司教が指さした先には、「宿:一泊300FR」と書いてあった。
「あれはちょっと高すぎるわね。国境の街だから、まあ仕方ないわ。街道沿いの宿場街なら、一泊120FRから180FRくらいが相場かしら」
いろいろな物価を確認していると、金貨はなんとなく前の世界の一万円札くらいかな、という感覚で落ち着いた。そう考えると6万円って安くないか?と、ちょっとムッとしたけど、食費が安いから食材だけで価値を換算すると600万円くらい?
間をとって60万円? 感覚がつかみにくい金銭価値だ。
「少ないと思うかもしれないが、渡されたのが共和国通貨だからな。目減りは仕方ない」
青年の司教が肩をぽんと優しく叩いてきた。
……なるほど、帝国通貨は強いのか。
でもとにかく、贅沢しなければとりあえず単純計算で16年は生活できることが分かってホッとした。もちろんこれから料理人のしごとでお金を稼ぐつもりだが、万一ケガや事故でしばらく働けなくても飢え死にすることはなさそうだ。
国境砦を出て1週間、大きな街につくとそこで司教のうち老人と女性の1人がこの国境の街で馬車を雇い、別れた。
彼らは帝都に向かうため東へ向かい、俺たちは旧ラウプフォーゲル領に入って南下するためにいったん西へ向かう。
道中、遥輝からメッセージの返信が来ていた。
(すごいじゃん! それっていわゆる、真尋が言ってた『特別な能力』だとおもうよ。でも、それは『能力がある』ことも、『能力の内容』も。誰にも言わないほうがいい。この世界のヒトならなおさらね。異世界召喚勇者の間での秘密ってことになってるんだ。たぶん自衛策の一環だと思う。この情報表示と一緒でね。元気そうでよかったよ! 帝国でもがんばって!)
「レオ殿、ラウプフォーゲルで料理店を出すのですか?」
退屈な街道の旅のなか、残った司教たちと他愛もない雑談を交わす仲になった。
「それは目的にしたいですが……まずは帝国の料理様式を調べたいので、どこかの料理店に料理人として雇われたいです。料理の研究をするには、やはりその土地の好みや食材を知らないと」
「やっぱり、レオ殿は聡明で現実的ですね。共和国の政権に入り込んでくれたら、きっと良い政治をしたでしょうに」
「政治に必要なのは、善良さや誠実さだけじゃ難しいでしょ」
俺の言葉に、司教たちが一斉に笑った。そんなおかしなこと言ったか?
「やっぱり聡明だ」
「そこまで分かってるなんて、さすが異世界人は違いますね!」
「善良さや誠実さが共和国の政権にどれだけ不足してるか、既にご存知だったようね」
「きっと帝国でも立派に立身出世しますよ、レオ殿なら」
司教たちは長旅の中でも常に優しく、俺を受け入れてくれた。
聖殿で過ごした半年間よりも、充実した旅だった。毎食料理していたことも、それを全員が喜んでくれたことも大きいかもしれないけど。
帝国に入ってだいぶ植生が変わり、見慣れない野草や野生の果物が野営地の近くにもごくふつうになっている。毒がないことをを確認して一つ一つ検証しながら進む旅は、とても楽しい。気温も高くなって、汗ばむ日も多くなってきた。
道中の街で1人馬車を降り、また1人馬車を降り、最後には若い男性と女性の3人になった。僧兵たちも、街で何人か入れ替わっている。
「お目当てのラウプフォーゲル領に入ったね。ここは帝国の剣と呼ばれる領だよ。男たちは強くたくましく、女たちもまた強く美しい……と、本に書いてあった。見て!」
若い男性が馬車の外の女性を指差す。
180センチはありそうな長身に、海賊漫画に出てきそうなボンッキュッボンだ。
浅黒い肌に藍色の髪の毛がエキゾチックでセクシー。アラブの美女、って感じ。小学生くらいの子どもを2人連れて歩いているけど、母親なんだろうか。ベビーシッターとか?
年齢は見ただけではよくわからない。
「わあ……」
「あのね、女の子が生まれにくいラウプフォーゲルでは、ものすごーく女性を大事にするの。だから、女性に不快な思いをさせたら即!牢屋に入れられるわよ?」
ヒエッ、と男2人で悲鳴をあげると、女性司教はいたずらが成功したようにクスクス笑った。
「冗談よ! 見とれるくらいなら、ここの女性たちは慣れてるから平気よ、多分。でも手を出したりしたら、本当に牢屋に入れられるどころか、斬り捨てられることもあるから気をつけてね」
「わ、私は聖職者ですので……そのような不埒なことはいたしません」
「おお俺だって異世界じゃ痴漢冤罪とか怖い世界だったから、そんなコトしないよ」
それに、もしもまともに力比べになったら確実に負ける。
というのは口に出さないでおくことにした。
「うわあ、すごい。大都会だ!」
遠くの高台から見たラウプフォーゲル城下町は、今まで見た街とは比べ物にならないくらい広くて高くて密集している。2、30メートルはありそうな巨大な城壁が街を囲んでいて、城下町全体が要塞みたいだ。
「……あの街についたら、レオ殿とはお別れなんですね。どうですか、私の赴任地であるブラウアフォーゲル領までついてきてくれるという話は、考えてくれました?」
「あっ、ちょっと抜け駆けよ! 私のシュペヒト領の聖殿も考えてほしいわ!」
2人の司教から誘われたけど、俺は一度ラウプフォーゲルの街で情報収集するつもりだ。
「ラウプフォーゲル城下町にも聖殿はあるんですか?」
「ありますけど……あそこは共和国の司教を受け入れてないんです」
「何度か本殿から赴任を打診したそうなんですけど、聖殿長自ら受け入れを拒否してるんですよ。政治的な判断もあるのかもしれませんね、共和国と帝国は微妙な関係ですから。レオ殿は、ラウプフォーゲルではあまり共和国とか聖殿とかの関係を必要以上に公言しないほうがいいですよ」
嘘をつくつもりはないが、たしかに積極的に公言しないほうがいいこともある。
そこは情勢を見極めないとね……。
「城下町についたら、まずは何をするおつもりです?」
「うーん、とりあえず1週間くらい宿をとって、物価や市場を調べて……あっ、冒険者組合には行ってみたいです! 討伐や採取の傾向から、人気の食材がわかるかもしれないし!」
「ほんと、ブレないわねえ。なんにつけても結局、『料理』なのね」
「はは……料理人ですから」
そう、俺は料理人だ。
異世界召喚勇者と呼ばれてきたけど、実際のところ勇者でもなければ魔導士でもない。
前の世界で火事に遭い、途方に暮れたところをまさかの異世界転移で助けられるとは思わなかった。選択肢をくれた共和国……いや聖殿には多少の感謝の気持もある。
だが、これは俺の人生。
いつか爺さんになって死ぬときに「いい人生だったなあ」って悔いなく終わりたい。
そのためには、自分で行動しないと。
1ヶ月半かけて共和国の首都からやってきた、異世界イチの大都会に降り立つ。
安全に移動ができて、道中の路銀も必要なかったと思えばこれも聖殿の支度金のひとつだったんだろうな。
2人の司教と僧兵たちに別れの挨拶をして振り向いて手を振ると、ずっと仲良くしてくれた女性の司教はすこし涙ぐんでいたようにも見えた。
この世界でも、社会を形成するのは同じ人間。
縁と義理を大事に、愚直と言われようと、ヒトにも仕事にも社会にも誠実に、真摯に。
俺を可愛がったわけではないおばさんが、ときどき俺に言っていた言葉だ。
失ったときには泣けなかったけど……おばさんが亡くなって、寂しいよ。
じわりと浮かぶ涙を拭い去って、まずは宿探しだ!
よし!
異世界転移料理人に、俺はなる!! ってな!
これにていったん玲央の物語は終了です。
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