【2/3】共和国の聖殿
結果から言うと、俺は属性適性も無く、魔力も十人並みという冴えない結果だった。
適性はともかく、魔力さえも大したこと無いと知ったときのジェイクと魔導士たちの落胆ぶりが脳裏に浮かぶ。
(勝手に期待かけられて、ハズレ扱いされた俺の心のケアねーのかよ!!! もしかしたらチート能力で無双できるかもみたいな俺のうっすら期待も粉々だよ、畜生!!)
ベッドで悶絶したのは最初の2〜3日だけだった。
俺の頭を占拠したのは前世から引き続きの問題。
(これからどうすっかなぁ……)
俺の心の声に同意するように、クルミがまた「クアァ」とあくびをした。
おまえはいいよな……特別に期待がかけられたわけでもないし。
適性調査のときの、いたたまれない空気をまた思い出してしまう。
「……うん、適性ないけど、魔力は俺の召喚当時と同じくらいかな」
遥輝はことのほか明るい声で言った。
「うーん、特別魔導士に向いてるわけじゃないっぽいから、あとはやる気だろうね。ちなみに俺たち異世界人はこの世界に来て、しばらくして特別なスキルに目覚めるタイプもいるらしいよ」
「あっ! でも、玲央にはあるじゃん、強み!!」
そこで遥輝と真尋が一斉に俺の横に寝そべっていたクルミ……黄金の魔狼を指差したが。
「勘違いするな、私だって状況はお前たちと同じなのだからな」
とキッパリ断られた。
ジェイクも「従魔士はアンデッド討伐には向かない」とキッパリ言い切った。
魔獣も必要になればアンデッドと戦うこともあるが、いくら信頼し合う関係でも人間の命令で戦わせるのは難しいのだという。
さらに魔導を使う魔獣でない限り、武器を使わず近接攻撃となる魔獣は些細な傷口が悪化してアンデッド化する恐れが高いらしい。
アンデッドって……感染する系?
だめだこりゃ。
(俺、なんのためにこの世界に来たんだろう)
まあ、対アンデッドの最有効戦力としての期待、ってのがあったんだろうけど、それは叶わなかった。
適性調査の後、俺専用の個室をあてがわれて3日が経った。
個室はそう広くないが、洗濯や掃除は専門の人がしてくれるし、食事の時間になると誰かしらが呼びに来てくれる。今、この城にいる異世界人……というか戦えない召喚勇者は、遥輝と真尋と俺の3人だけのようだ。
俺がいる、この国……【コレクト聖教共和国】というらしいが、日本で言うところの国会みたいな議会と、【聖教会】という宗教法人的なものが国を動かしているらしい。
俺のような異世界から召喚された勇者は、所属としては自動的に【聖教会】になる。
そこから戦えるのなら軍へ、国益につながる異世界の知識を持っていれば学会へ、特別な才能は無くても本人に意欲があれば社会インフラや内政の意見役として議会へと移籍することが可能なんだと。
そしてどこにも所属したくないという奴は、いくらかの支度金をもらって【聖教会】を出ても構わないのだという。
なんというか、それまでは……国公認のニート、みたいな……?
ま、まあ拉致されて新しい生活を模索するのなら準備期間は必要だよね……?
そうやって自分を納得させながらも、子供の頃からカネに苦労してきた俺は悠々自適ともいえるこの生活を素直に楽しむことができない。おばさんはケチではなかったが、贅沢はそう簡単に許してくれなかった。
「働かざるもの食うべからず」が骨身に染みている俺としては、まずは自立したい、と思うのだが……なにせここは異世界だ。
どう計画を立てたものか……。
もそもそと談話室で食事するが、味がしない。
別に落ち込みすぎて味覚がヘンになったとかではなく、この世界の食事の多くは俺たち異世界人の影響が少ない。ほとんどのメニューについては大抵こんなもんだと遥輝が言っていた。おいおい、話が違うじゃん? ある程度美味しいって言ってたよね、遥輝。
あれは僧兵がいたから気を遣ったのかな? それとももう慣れちゃったのかな。
圧倒的に種類が少ない調味料。
名前と姿と味が一致しない野菜や肉に新鮮な驚きを感じたのも数日だけ。
食材の特性を全てかきけして画一化する、焼くか煮るかの調理。
調理の専門学校に通っていた俺としては、単純な野菜でも下ごしらえひとつで味は変わるのに、と溜め息を吐く。
(あ)
これだ! 俺のスキル!!
「え……料理人として弟子入りする先、ですか?」
ジェイクが困惑した顔で、聞こえた内容を再確認するように俺の質問を繰り返す。
「レオ様は、料理人を目指される、ということでしょうか」
側にいた別の魔導士が、明らかに不満げな顔でそう確認をとってくる。
ジェイクの後ろにいる魔導士たちも、暗い顔を浮かべて顔を見合わせている。
「俺、ハッキリ言って戦いにはひときわ向いてないと思うんだよ。魔導士になるかもしれない、みたいな期待を残したままここでお世話になり続ける訳にもいかないし」
出ていくなら長居せずサッサと決めないと、迷って生活しているあいだにこの国の税金が俺に消費されるのだ。それをやんわり伝えると、ジェイクは目を見開いた。
「本当に、なんというか、義理堅いというよりももっと……誠実、と言ってもいいかもしれません。貴方は確かに魔力としてはこの世界で理想とするものをお持ちではありませんでしたが、この世界でも得難い、素晴らしい人格をお持ちです。料理人といわず、執政者として国政を目指してはいかがでしょう?」
聞けばこの共和国では、国民による選挙と議会による政治をとっているらしい。
政治家になってはどうかと言われても、魔導士よりも想像がつかない。
ジェイクとの話はそこで曖昧に終わった。
その後も簡単な一般教養の授業を受ける度にジェイクの言葉を思い出す。
(なんか異世界、って言う割に、魔法がある以外あまり違和感がないな)
魔法がある、と聞いて魔導士の訓練所へ行って実際の魔導|(魔法の中でも攻撃魔法のことを魔導というらしい)を見せてもらったが、何ていうか……想像していたよりも派手さはなかった。
炎がバーンと出て、ドンドンドンッ!と、敵を爆破してく、みたいなものを想像していたせいもある。
実際にアンデッド戦で有効だった魔法として広く使われているのは、元の世界でいうところのライターオイルみたいな燃焼剤をぶっかけて火のついたマッチを投げつけるみたいな攻撃だった。指揮棒のような魔法の杖から出るのは光の粒みたいなもので、それがスゥっと飛んでいって対象に当たると燃え広がるのだ。
前の世界と違うのは、前もってライターオイルをかけなくても燃え広がるよ、くらい。
まあ、たしかに当たれば火だるまになるだろうから、強力な攻撃魔法であることは間違いないんだが……。
派手さとわかりやすさを求めるゲームのエフェクトを参考にしてる時点で間違ってるのかもしれない。うん、実戦は別ってやつね。
さて、この日はジェイクの許可を得て厨房へ。
俺たちが生活する聖教会の建物の中でも、大掛かりな炊き出しや催しをするときだけ使う臨時厨房ということで食器や調理道具は一通り揃っている。
食材はメインの厨房からいくつか頂いてきた。
もちろんジェイクと料理人の許可は得ている。
キャベツとレタスの間のような硬さで、味はほぼレタスな野菜「アペリーフ」をしっかり水で洗ってリズミカルに千切りにしながら、
料理人として異世界で自立するには、ということを考えていた。
以前サンドイッチに使われていたハムの元の肉をしげしげと見つめる。
小さく切って軽くフライパンで焼いて食べてみると、少し臭みがある。
元の世界でいうところの安い豚肉って感じだ。実際に豚によく似た動物の肉らしい。
途中、クルミが俺の様子を確認するように厨房に来たので肉をひときれあげた。ここでは十分に餌をもらっているようで、ねだるような真似はせずすぐに出ていった。
相変わらずクールだな。
味は玉ねぎ、見た目はヘチマという日本人からすると混乱しそうな「オニア」という野菜は輪切りにする。
豚もどきはよく冷えていたが生肉なので薄くできず、かなり厚めの薄切りにして白ワインに似た酒につけて少し時間を置く。
その間に、トリュフのようないい香りがするきのこも薄切りにする。
塩以外に一般的な調味料が3つほどあって、嗅いだり舐めたりして調べてみる。
どうやら1つはネギっぽい植物を乾燥させたもののようだ。もう1つはガーリックの粉末といったもの、もう1つは嗅いだこともない不思議な味なのでこれはパス。
塩で下味をつけた豚もどきで輪切りのヘチマ……ええっと、オニアね。オニアと薄切りのトリュフ|(正式名称を教えてもらったが速攻わすれた)を、臭み消し処理した豚肉もどきでクルクルと巻いて、フライパンで軽くソテーする。
さらに見た目も味も完全にイタリアントマト(これも別の名前があったが覚えられない)な野菜を湯むきしてダイス状にカット。ソテーしているフライパンに雑に投げ込んで、千切りにしたアペリーフをぶっこみ、最後にガーリックの粉末を軽く振ってできあがり。
とくに料理名があるわけじゃないが……。
「玉ねぎの豚肉巻き・フレッシュ野菜トマトソースあえ」、ってところかな。
一連の動作を見ていた料理メイドがポカンとしている。
「あ、調理場と食材、お借りしてます。ジェイクさんから許可はもらってるんですが、使っちゃマズイ食材とかありました?」
「あ、いえっ」
料理メイドは慌てて首を振る。
「ナイフさばきが、その、すごくて! 見入ってしまいました……レオ様は異世界で料理人だったと聞いたのですが、本当だったのですね!」
「いや、正式な料理人じゃなくて、見習いだよ。趣味で料理はしてたけど、人に出せるようなものは作ったこと無いし。今作ったのも、こっちの野菜や肉がわからないから適当に作っただけだし……美味しいかは、食べてみないとわかんないね、はは」
軽く味見してみると、うん、トマトと豚肉と玉ねぎだね。という感じの味。キャベツとレタスの間みたいなアペリーフは歯ごたえがしっかり残っていて、食感はいい。
特別な味付けもしていないし、というかできないし。まあこんなもんだろう。
この城の料理人が毎朝まとめて焼くという作り置きのパンを少し厚めに切って、湯気のたつ「玉ねぎの豚肉巻き・フレッシュ野菜トマトソースあえ」を雑に乗せて、かぶりつく。うん、もう少し味を濃いめにしてもよかったかな。
「まあ、自信を持って人様に差し上げられるほどの味じゃないけど……食べます?」
料理メイドがものすごく物欲しそうな目をしているので、ついそう言うと食い気味に「よいのですか!? ありがとうございます!」と言って向かいの椅子に座る。
パンを切って渡すと、俺の見様見真似でサービススプーン|(取分用の大きなスプーン)ですくってパンに乗せる。
教会というので何か食事に特別な作法があるのかと思ったが。メイドさんを見る限りは特になさそうだな、と思って見ていると、大口をあけてかぶりついた。
うーん、淑女っぽい見た目に反して、いい食べっぷりだ! 惚れちゃう!
メイドさんはカッと目を見開いて俺を見ると、残りをやや強引に口に詰め込む。
油断すると出てきそうなほど、リスのように頬を膨らませてモグモグしながら、もう目が「おいしい」と言ってくれているのがわかる。
まあ、そこは謙遜して「気に入ってもらえたらいいんですけど」と言うと、モグモグしながら目を輝かせて俺を見つめながらウンウンと頷く。
「おいひいれふッ!!!」
ようやく口の中のものが喋れるくらいの量になったところでそう叫ぶ。
その言葉が聞けるだけで料理人冥利に尽きる、というものだ。
「あれ? 玲央、料理したの!? 俺も食べたい!」
近くを通りかかったらしい遥輝が部屋を覗き込んで俺を見つけると、駆け寄ってきた。
遥輝にもパンを切って料理を乗せて差し出すと、目が輝いた。
「これ、リュコだよね! うわあ、形が残ってるの初めて食べるかも!」
ええっと、リュコって確かイタリアントマトみたいなやつのこっちの世界での名前か。
イタリアントマトと同じように、煮崩して使うのが一般的なようだ。
俺は裏ごしされたピューレ状よりも、食感の残るダイス状のほうが好みなんだが、こればかりは人それぞれだよな。
「ンッ! 美味しい〜!!! 同じ素材なのに全然、普段食べる味と違う」
「確かに、作るときに特別なことをなさったように見えませんでしたけれど……このエーバーフライシュはハーブを揉み込まないと臭みが強いはずです。普通はハーブまみれにしてしっかり油が落ちるまで焼いて食べるものですよ?」
「エバー……なに?」
「エーバーフライシュです! このお肉! 軽く焼いただけのように見えますけど、どんな魔法をかけたのですか!?」
肉は焼けば焼くほど身が固くなり、旨味が絞り出されてその分、臭みが強くなる。
感染症や寄生虫などを気にしてしっかり焼くのはわかるが……あれ、もしかして。
「……もしかしてしっかり焼かないと危ない系の肉?」
笑顔でおかわりを食べてた遥輝のモグモグが止まる。
「危ないって……なんでですか?」
メイドさんが本当にわからないという風に首を傾げる。くっ、かわいいな。
「いや、その、感染症とか……き、寄生虫とか、生肉を食べるとそういう危険が」
「ああ、そういう危険ですね! エーバーフライシュなら大丈夫です! 冒険者なんかは潰してすぐ半生で食べたりもするみたいですよ。新鮮なお肉は臭みが少ないんですって。エーバーフライシュなら、少し傷んでても臭みさえどうにかなれば危険はないですよ。そういう理由で大きな食堂でも各家庭でも、保存用のお肉に向いてるんです」
遥輝がホッとしたようにモグモグを再開した。すまん。
「エーバーフライシュ……つまりこの国じゃポピュラーな肉なんだな。この肉のレシピを研究すれば国内のどこにいってもウケるかな?」
「いいですね! エーバーフライシュは木の生える環境ならどこにでもいますし、保存食に向いていて狩るのも簡単な魔獣ですけれど、料理のレパートリーは少ないですから! 常温でも1週間、しっかり冷やせば1ヶ月、冷凍すれば半年は持つんですよ」
「へえ、すごいな! 他の肉だとそうじゃないのか?」
「そうですね、普通のお肉だと……しっかり処理して、しっかり冷やしても1週間くらいでしょうか? もちろん冷凍すればもう少し伸びますけど、味はどんどん落ちますね。
エーバーフライシュだけ、ちょっと特別なんです」
普通のお肉、と言われてるものは前の世界となんら変わらない気がする。
「超低温で一瞬で冷凍できるような魔法とかないの?」
「あるらしいですけど……そういう処理がされたお肉は貴族や富豪しか食べられません」
塩漬けにしたり燻製にしたり、冷凍したり干したり。保存の工夫はされているようだが、エーバーフライシュは傷みにくい上に多少腐っても食べられるというのだからすごい。
「この国の冬は厳しいですからね。小さい頃は冬になるとどこの家庭もエーバーフライシュとツヴィーベルのスープでしたけど、もう臭くて臭くて……まあ、無事に働けるほど成長できたのはそのお肉のおかげですけれど、できればもっと美味しければいい思い出になったと思うんですよね」
ツヴィーベルというのは「帝国産の根菜の総称」らしい。
「ツヴィーベル……ああ、僕も食べたことある。ていうか冬はよく出る。あのじゃがいもみたいなやつとか、ゴボウみたいなやつとかか」
「あ、遥輝様はご存知ですね。あれマズイですよね。異世界ではジャガー・モーって言うんですか?」
「じゃがいも、ね。まあいいけど。うーん、たしかにちょっと泥臭い……? でもシチューにしちゃえばわからないから、言われてみればって感じかな?」
「遥輝は割と食にこだわりないんだな」
帝国は共和国よりもずっと暑い気候なので、作物の取れない期間というのが冬ではなく夏になる。なので冬の間は町の八百屋にも帝国産の根菜が多く出回るのだが、帝国産の野菜は最終手段なのだという。
「最終手段?」
「帝国産のお野菜は共和国に馴染みがないのが多く、調理方法がよくわからなくて。それに、帝国領地はその昔『毒の土』と言われていたので……だいたい、帝国の正式名称聞きました? 『ギフトゥエールデ帝国』ですよ? 意味を訳すと毒の土帝国ですよ!」
「毒の土、かあ……それは確かにちょっと、いやだな」
「ちょっとどころじゃないですよ! ……でも、実はずっと昔に、帝国は毒の土の無害化に成功しているんです。お野菜にももちろん、毒は含まれていません。むしろ、帝国産の野菜が手頃な値段で買えるようになって、共和国の冬の餓死者はずっと減りました」
この国は40年ほど前まで冬になればどこの町や村でも餓死者が出るほどだったそうだ。
今では貧しくても、小さな村でも帝国産野菜の運送が滞らない限りは死ぬことはない。
帝国の野菜は大ぶりで栄養価が高く、しかも輸入品の割にとても安いのだそうだ。
生きるために買うし食べるが、できれば口にしたくないというのが共和国民の本音。
「その帝国産の根菜ってのは、冬にならないと出回らないの?」
「そうですねえ、冬以外で見かけたことはないですね。多分、食糧支援に近いんじゃないですかね?」
帝国って聞くとなんとなく独裁国家みたいなイメージがあるけど、いい国みたいじゃん。
「共和国内で寒さに強い作物が出来たほうが共和国のためになると思うんだけど……」
「俺ができるのは料理。作物の品種改良は専門外……っていうか国の仕事」
「えっ、玲央様の世界では、国が作物の品種改良を手掛けていたのですか?」
「えっ? ああ……多分。研究してたのは別の専門機関かもしれないけど、出資くらいはしてたんじゃないのかな」
「マグロの養殖とかは大学がやってたよね」
「あれも研究費とかは国か県か公的なところから出てるんじゃないのかな?」
「さあ……ニュースでは知ってるけど、実際どうなのかまでは」
「俺たち、不勉強だよな。社会の仕組み知ってるだけで、もうちょっとこの国のために助言するとか出来たかもしれないのに。あ、『俺たち』とか。一緒くたにしてゴメン」
「何いってんの、多分俺、玲央よりずっと無知だよ。俺も激しく同感」
遥輝と俺は綺麗に食べ尽くした皿を目の前にため息をついた。
「でもっ、玲央が料理頑張って、この国の食文化を豊かにしてくれればさ、きっと『異世界召喚料理人』って感じで歴史に残るんじゃないか?」
遥輝がことさら明るく言うと、同じタイミングでジェイクが厨房へ入ってきた。
「……玲央殿は、本当に料理人になるつもりなのですか」
メイドが慌てて口を拭いて席を立ち、「失礼します!」と言って部屋を出ていった。
俺はジェイクの言葉に、ガッカリさせて申し訳ないという気持ちと、俺の人生だぞという開き直りとが入り混じってちょっと複雑だ。
「俺が今までの人生で学んできたことで胸を張ってできると言えるのがそれなんで。それに調味料や食材、保存食の研究は国の……というか国民のためになりませんか?」
ジェイクはそれを聞いて、すこし困った顔をして、やがてニコリと笑った。
……違うみたいだな。
「玲央殿の世界では食、衣服、住まいも、とても贅沢な作りをしていると聞いています。聞けば身分に関係なく金銭を支払えば王と同じような食事ができるとも」
王なんていないけどね、と言いたいところだけど。
遥輝もまあ、流すつもりみたいだ。
「現在の共和国中央政府が目指すのは、その異世界の話を聞いた旧貴族たちがこちらの世界に合わせて少し改変した『民主主義』を提唱し、実現化したものです。……が、実際はちがう」
ジェイクは苦々しい表情を隠しもせず、俺と遥輝を見つめる。
「……少し、散歩でもしませんか」
穏やかな口調だったけど、断れる雰囲気ではなかった。
ジェイクさんに連れられてやってきたのは、俺が召喚された聖堂のような建物の周囲に広がる庭園。遥輝は魔導の訓練の時間ということで厨房で別れた。
異世界に召喚されてまだ一週間も経っていないけれど、なんとなく外界との接触をやんわり遮断されているなとは思っていた。
寝食に不自由はしていない。
そうなると気になるのは周囲の状況。
自由に歩き回ることはできるものの、従者がついて回るし建物内は立入禁止も多く、窓から外界が見える場所はほとんどない。聖堂や居住施設、厩舎や畑や僧兵の訓練所などたくさんの施設があるけれど、ここはどうやら閉鎖空間だ。
高い壁の向こうがどうなっているかはわからない。
外にはでっかい巨人のアンデッドがいるとかそういうオチじゃないよな。
施設内は階段を登りまくっても降りまくっても芝生や立木の生える地面っぽい場所がどこかしこにあるので1階=地面ってわけでもないのもまた感覚を狂わせる。
俺が召喚された聖堂は、階段をいくつも登って辿り着く場所なのでなんとなく高い位置にあるんだろうくらいの理解しかなかった。
「こちらへ」
ジェイクさんに連れられて、庭園の青々しい芝生を踏み分けて進む。
庭園にはたいてい護衛の僧兵が立っていて、基本的に「これ以上は行かないように」みたいな空気感を出してくる。俺はそういうの読み取るのすごい得意なんでなんとなく近づかなかった。
「ここ、入っていいんですか」
「……フ、本当に、玲央殿はお行儀がいいというか……今までの異世界召喚勇者の中でも年齢が高いせいかとても自律心の強い御方ですね」
「はあ……」
よくわかんないが褒められてんだろうか?
なんとなく、そういう風には聞こえなかった。
「ご覧ください。これが、共和国の首都、キャレトレールです」
庭園の端、立木の向こうの柵を指さしてジェイクさんが言う。
手すりの向こうには、岩場にへばりついたフジツボのように巨大な谷にしがみつくように建てられた街が見えた。
遠くに見える一部は石造りで立派だけれど、足元に見えるほとんどの建物はニュース映像で見た難民キャンプのよう。石造りの建物の合間に布を張っただけのような空間があり、そこには煮炊きの湯気や煙がもうもうと上がっている。
こちらの位置が高すぎてよく見えないが、人々もあまり活気があるようには見えない。
陽の当たらない建物の陰で、身を寄せ合うようにうずくまっているのは子どもだろうか。
大きな樽を3人がかりでヨロヨロと押して運ぶ姿も見える。あれはなにかの仕事なのか。
開けた広場には、ここでよく見かける聖教の旗。
そこには沢山の人だかりができていて、長い行列と炊き出しのようなものを受け取る姿。
難民キャンプ、あるいは被災者の避難所。
「あの人たちは被災したとか、戦争から逃げてきたとか、そういう人たちなんですか?」
「いいえ。古くから代々この首都に住む、れっきとした市民です。もちろん移民もいますが基本的にキャレトレールは移民を歓迎しませんので、全体の……そうですね、2、3%もいないでしょう。家を失ったものは、市民の中でもとくに貧民と呼ばれています」
現代でいう、ホームレスか。
「仕事は、してないんですか?」
「失業者も多いですが、家のない者でも6割から7割程度はちゃんと職についています。それでも貧しくて家を失うのです」
「そんな、どうして」
「玲央殿。やはり貴方はこれまでの異世界召喚勇者様よりも賢い。これを不自然なことだとお思いになるのですね。つまり、異世界ではきちんと職について稼いでいれば、住む場所を失うようなことにはならないということですよね?」
俺はそう聞かれて、目が泳いだ。
調理師学校に通うための学費はおばさんが半額は補助してくれた。
16歳から続けていた飲食店のバイト先では可愛がってもらった。
学校の先生は事情を知ってたからよくしてもらったし、友人たちにも世話になった。
だから、家が焼けたときでもさすがに公園や道端にブルーシートを張って生活するような状況に直行するかも、と一瞬頭によぎりはしたけど。それしか道はないというほど絶望してはいなかったし、呆然とした中でもきっとどうにかなるんじゃないかとある意味、気楽に考えていた。
でも、この世界の人たちは。
「た、たとえばお金を借りたり」
「貧民の多くは質の悪い貸金業者に法外な金利を取られて泣く泣く家を手放した市民ですよ」
「せ、生活保護とか」
「……それは、異世界の制度なのでしょうか? 残念ながら、そのような制度はありません。貧民の救済を担っているのは、我々聖教です」
「……」
「玲央殿、異世界召喚勇者が聖教預かりになる理由をご説明しましょう。聖教は、市民から隔絶された空間と組織をなしています。我々が異世界から召喚する勇者様は、200年前から『民主主義』や『核戦争』、『あいてぃー社会』や『えすえぬえす時代』などという話をしていらっしゃいました。それを詳しく説明できるものは多くありませんが」
200年前から、SNSの話が?
こちらの時間軸と、召喚される異世界の年代は一緒じゃないのか。
「……そうなんですか」
「理由はわかりませんが、ユニヴェールが召喚する勇者様は日本国という限定された国家のご出身が多い。そしてその日本国は、戦火の時代も貧困の時代もあったと聞きます。しかしそれらを経験した勇者様はいない。……つまり戦闘どころか、社会的な混乱にも貧困にも空腹にも不潔にも、まるで免疫がない」
俺はそれを聞いて、足元に広がる難民キャンプのような市街地に目を向ける。おそらく下水施設は整っていないだろうし、明日の食事も不安な人々がうじゃうじゃといる。
少しでも金や食料を持っていると見なされれば奪われるかもしれないという不安もあるに違いない。
「……それで、隔絶された施設に」
「そうです。共和国の実情を知って、恐慌状態になってしまった異世界召喚勇者は今までたくさんいます。『こんな世界では生きていけない』といって自ら命を絶った者さえいました。すぐに適応した人物もいましたが、全体の数としては少ないです」
現代日本でいくら『因果律の繋がりが薄い者』とはいえ……明日の食事もままならないような生活をする者は……多くない、と思いたい。が、相対的貧困という社会問題もあったし、一概には言えないと思うけど……。
「俺たち異世界召喚勇者に求められているのは……少なくとも料理人ではないですね」
「玲央殿は、理解が早い。やはりある程度年齢が高い方だからでしょうか。それともよい教育を受けてらっしゃったのか……おっしゃるとおりです。食糧事情がよろしくないことは間違いありませんが、それはあくまで量の問題。質は二の次です」
ジェイクさんは俺に近づいて、そっと俺の肩に手を置く。
肩に感じた温かな手の感触に、不意に怖気がした。
「玲央殿。貴方は理解が早く、冷静で人の機微にも聡い。異世界でどう生きてきたかはわかりませんが、貴方の能力は共和国では稀有なものです。どうか、貴方の力をこの貧しい人々のために貸していただけないでしょうか?」
マジか。まじかよ。
何の能力もない、平々凡々な俺、宮本玲央、18歳。調理師学校中退。
卒業まであとちょっと、ってとこだったのに異世界転移しちまったから中退だわな。
共和国の貧困解消のために力を貸せって言われても、別に俺は冷静じゃないし賢いつもりもない。
やっぱりせっかく召喚したんだから、手放したくないんだろうか?
ジェイクさんは若そうに見えて実はアラフォーです