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短編集『乙女のワンシーン』

赤い糸

作者: 紺色橙

 晴れた朝だった。起きてすぐ、睫毛をかすり気が付いた。伸びをした手から落ちる、赤い糸。小指に巻き付いたそれはリボン結びされていて、紐の先端は部屋を出て遠くまで続いているようだった。


 とりあえず今日も変わらず学校があるので、テレビを見ながら朝食を食べ、制服に着替えて鏡の前に立つ。校則に髪色指定はあるが、髪型指定はない。そこまで奇抜な髪型をしている子がいないせいかもしれない。前髪の根元に水をつけ、わしわしと勢いよく散らして乾かす。そうすれば寝ぐせはなくなっている。あくびを止めもせず、アラームとともに家を出た。


 玄関から出ても赤い糸は続いている。手繰ることはせず、追うわけでもなく学校に向かう。

 ブレザーの下に着たセーターの袖口を伸ばし、吹く風から指先を守る。――手袋をした方がいいだろうか。いや、まだ早い。マフラーにしたっていつ出そうかと周りの様子を窺っている。女子高生に流行りのブランドというものは、私には興味がないので関係がない。もこもこふわふわが何よりよ。


 脇を走る車が糸を引っ掛けていかないように、摘まんでぽいと道の端に寄せた。


「おはよう。ねぇなぁに、それ」

 赤い糸は私の後ろに続いている。小指に結ばれた赤い糸。

「赤い糸。起きたらあったの」

「へぇ。運命の人に繋がってんのかな」

 運命の赤い糸って、初めはどこで聞いたんだろう。なぜか知っているこの話を、私は何で聞いたんだろう。


 教室に入れば口々に、何それ、と問われる。運命の赤い糸よ、って答える。長く長く伸びる糸を、そうして誰かがまとめ始めた。

 くるくるくると指に巻いて、輪を作る。教室を赤く染める糸が、みんなの手で塊になっていく。

「不思議だねー」

「どこまで続いてんだろ」

「こんなに長いのに絡まってないんだね」

「こんなに長いのにどこにも引っかかってないしね」

 ただ面白がって、赤い糸を丸めていく。誰かがボールのようにして転がして、誰かがそれを転げ返した。



「ちょっと長いから、切るね」



 赤いボールが1ダースもできたころ、赤い糸はチョキンと切られた。

 ぽとりと落ちた赤いボールは、そのはずみで転がった。クラスメイトがそれを拾って、端っこの糸を中に織り込む。切られた端はまたギュッと結ばれて、私の指先からは二つのリボン結びが連なっていた。


「マフラーでも作ろうかな」

「うちの犬のベスト作ろうかなぁ」

「そんな器用さあるの?」

「おばあちゃんがね?」

「ほら、みんな何してるの。席について」

 雑談は止まり、授業の始まり。0.3のシャーペンと共に糸は動いてノートを擦った。


 お尻に沿わせて踏みつぶしたスカートの横で糸が揺れる。小指の先でぱたぱた揺れる。波はすぐそこまでで終わり。


 鞄を抱えなおして学校を出て、アスファルトをぺたぺた歩く。ふらふら揺れる指先は糸を垂らしている。誰もが地面の赤い糸を見て、私の指先を見る。ああ、そんなところに繋がっているのか、と納得して目をそらす。


 バイトもしていないから、放課後は自由時間。帰宅が少し遅れるくらい、かまわない。だから糸を追って歩く。

 あっちに曲がって、こっちの角へ。

 幸い高校も家の近所だったから、私の生活圏は子供の時から狭いまま。だけどもこっちの方はしばらく来ていなかったな。

 中学時代、明らかに向いていない美術部に入った。友達が一緒って理由だけで、絵の説明も画家の名前も一つだって覚えなかった。


 西日遮るカーテンの中、それでもぼんやりと明るい日光が部屋を染めていた。茶色い台は誰が削ったんだか傷ついていて、ハートマークまで彫られてた。そんなところに鎮座する白い像は、なんか有名な名前があることだけは知ってたよ。あの子がクロッキーの隅に書いたサインが、アイドルみたいにしゃれてたことも。


 赤い糸を追って歩く。くるくるくるくる、巻き付ける。教えてもらったから、人間糸車だって上手にできるの。

 黒い野良猫が一瞬立ち止まって、てててっと通り過ぎていく。私はそれを待ってまた歩く。

 引きずられた糸は汚れてやいないかしら。洗ってしまえば、問題はないか。

 どこからか漂ういい匂い。花の匂い、ご飯の匂い。整備されたお庭から外まで伸びてて枯れた蔓。


 この道はもう、よくよく知っている。

 大きな木が立ち並ぶ、ここらではちょっと有名な公園。子供も犬も走り回れる。大人はジョギングに最適ね。

 落ちている木の葉は赤黄色。きっとしゃがんでみればどんぐりだって見つかるはず。


 赤い糸は木の葉の上を走っている。時折埋もれてもいる。引っ張ってやれば、糸はピンと立ち上がり葉を落とす。

 入口から並木を過ぎて、広場の手前のベンチに着いた。


「おひさ」

「久しぶり」


 どこに着くか、もうわかってたの。この公園を貫通して知らないところになんて、きっと行かないって分かっていたわ。第六感だとか言わないけど、この糸自体おかしいんだから、誰にも言わなかった予言が当たったことも不思議じゃない。

 ベンチの周りは鮮やかな色で満ちている。積もったのか寄せられてきたのか赤黄色の落ち葉と、冬に向かう枯葉。そして仲間ですけどって顔をした赤い糸。


 ベンチに座って、いつも通り(・・・・・)に鞄を置いた。金具を押して開いた蓋の、さらにチャックのついたポケットを探る。取り出したのは、仲間色の黄色い箱。

 上下を間違わないようにちょっとだけずらして確認。大丈夫って隙間を見てから、反対側を指で押した。すすすっと白い台紙がずれてくる。


 あの子が「ていっ」って落ち葉を蹴った。赤い糸も一緒に舞った。でも落ち葉より面倒くさいから、そのローファーに引っかかる。笑っちゃう。


「ねーえ」

「はーい」


 親指と人差し指で摘まみ上げたキューブ。爪先を見つめ眉を寄せていたその唇を呼んで押し付けた。

 そっと開く艶の赤色。何塗ってるの? 校則大丈夫? 放課後だから内緒なの?

 覗くピンク色。茶色のキャラメルを抱え込んで、ついでに私の指先を舐めた。

 左手に残した薄い包み紙が、私の手のひらを刺している。


「ちゃんと自分で食べなさいよ」

「だってどうぞってされましたし」

「変わってないな」

「私たちまだそんなおばさんになってないわ」


 あ、またキャラメルを噛んでるな。もぐもぐ口が動いている。


「どうなの、そっち」

「まぁぼちぼち」

 一番仲が良かったの。でも転校するって言うから、許せなかったの。

「そんなら、良かったね」


 許すも許さないもあるわけないでしょ。子供は親について行くのさ。でも許せなかったの。だからもう話さないって連絡を絶った。

 どうしているのかなって思っても、住所はもう変わっている。電話番号も知らなかった。毎日学校で顔を合わせていたから全部知っていたのに、そんなことは知らなかったの。自称する好みの男のタイプもそれに反してる推しキャラも、小学生の時から使い続けてるポーチも、ペンケースに増殖し続ける必要のないカラーペンの新色も、時折左耳の上に出てくる若白髪さえも知ってたのに、簡単に繋がりは切れてしまった。


「花の女子高生なのに、一人でこんな公園に来ちゃって」

「どの口がそれを言う?」


 私の小指に蝶々が止まっている。

 すぐ隣の小指にも赤い蝶々が止まっている。


「『ごめんね』」

「『いいよ』。また引っ越してきたわけよ。まぁ、ここまでは電車乗ってきたんだけどさ」

「よく切れなかったね」


 ちょこんと蝶々が触れた。ふりふり、揺らされている。


「……あ、待って。私これ切ったよ。ていうか学校でさ、みんなで糸巻きしてる時に誰か切ったんだよ」

「私も切ったよ」

「切ったんかい。繋げといてよ」

「いや無理でしょ邪魔だし」

「夢もロマンもファンタジーも愛も無いな」

「あるよぉ。だからここまで来たんでしょ」


 ちょんちょん、蝶々が腹話術のように語り合う。だらり垂れさがった糸はベンチの下で渦を巻く。


「とりあえずこれ片づけようかー」

「二人だけじゃ時間かかるよ」

「いいでしょ。どうせ、今日の帰りは遅くなるんだから」


 それもそうだ。

 小指に巻かれた糸を解き、また私たちはたくさんの糸玉を作り始めた。



[end]

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