8. (sideリアム)
謹慎と安静が解けてから2週間後、やっとティナに会いにいく時間が取れた。
といってもベルティーレ家での剣術訓練の前に、ティナと合う時間を少し設けることができただけなのだが。
事件以来、手紙ですら連絡をとっていなかったので、ティナに会えることはとても楽しみだった。
支度をしていると、仔犬が転がりこんできた。
「―――兄上!あれ、今日はお出掛けされるんですか?」
「リュカおはよう。今日はね、ベルティーレ侯爵家に行くことになっているんだ」
「……ベルティーレ侯爵家?」
「王室騎士団の団長の家門だよ」
リュカはまだ要職に就いている人物などは詳しく知らないらしい。
へぇー?と可愛らしく首を傾げている。
「侯爵家には何をしに行くんですか?」
「定期的に剣術の訓練を受けに行っているんだよ」
「へええ!僕も行きたい!」
リュカはリアムと一緒にいれる時間は片時も離れたくなかった。
本気で剣術訓練についていこうと思っているのだ。
「それはまだ難しいかな。7歳ではまだ剣も重くて持てないよ。それにベルティーレ侯爵家は皇宮の外だ。母君に知らせずに行くことは出来ないでしょう?」
「うう。それはそうだけど…」
「また明日、一緒に勉強しよう。ね?」
「………はい」
さすが美少年というところか。リュカの落ち込んでいる姿は哀愁を醸し出し、リアムに少しの罪悪感を与える。
しかし、久々のティナとの再会には代えられない。
また明日ね、とリュカの頭を撫でて部屋を後にした。
数日後。
今日もベルティーレ侯爵家へと向かう予定だった。ティナとお茶をするための充分な時間を確保するのに、他の予定を昨日までに詰め込んだ。
久しぶりに会えると、もっともっと一緒に過ごしたくなる。
ティナは、『来てくださるのはとても嬉しいのですが、リアムお兄さまのお身体に差し障りがあるのでは?』と心配してくれた。しかし、少し傷が引きつる程度でなんの問題もなかった。むしろティナに心配されるのならば、無理をしたい。
そう思いつつ支度をしていると、またかわいい仔犬が転がりこんできた。
「―――兄上!あれ?今日もお出掛けなさるのですか?」
「おはようリュカ。ベルティーレ侯爵家に行ってくるよ」
「またベルティーレ侯爵家ですか?剣術訓練に?」
「今日は剣術訓練ではないよ」
リアムが微笑む。
口ぶりは普段と変わらないが、表情から明らかに機嫌が良いのが伝わってくる。
リュカは眉を潜め、不思議そうな顔をした。
「ベルティーレ侯爵令嬢に少し用事があってね」
「へええ、用事?僕もついて行きたい!」
「それは出来ないよ。お茶してくるだけさ。リュカとはまた今度お茶をしよう」
大人げなかったが、慌ててリュカを止める。
僕の反応にリュカはまた眉尻を下げ、捨てられた仔犬の如く哀愁を漂わせた。
「ごめんね、リュカ。でももう出ないと。また明日のティータイムにでもおいで」
そう言って、リュカの頭を撫でて、リアムは出ていった。
「―――本当にお茶してくるだけなのかな?兄上、もの凄く楽しそうだった……」
あれ程リアムが上機嫌な様子を、リュカは初めて見たのだった。
丁度部屋に入ってきた侍女が、リュカの言葉に反応する。
「フォードリアム殿下はクリスティーナ様とお過ごしになられる時間を、何より楽しみにしていらっしゃいますからね。あ、最近はリュカ殿下とのお時間も大変楽しんでおられますが」
侍女はにっこり微笑む。
完全に好意で教えてくれたのだろうが、付け加えられたような最後の一文はリュカの嫉妬心を煽るのに充分だった。
「クリスティーナ?」
「はい。ベルティーレ侯爵令嬢クリスティーナ様です。皇宮内では、フォードリアム殿下の未来のお妃様だと専らの噂なのです」
「兄上にそんな人がいたなんて……」
王族や皇宮に出入りする人間としか接したことのないリュカは、なんとなく兄上も同じなのだろうと思っていた。
他の同年代の人間との関わりはあまりないのだろうと。
実際、ほぼその通りである。
リアムは、同年代の友人といえば、フォルジュ公爵家の嫡男ラウルとティナくらいだ。
だが、全く居ないのと、少しでもいるのとは大きく違う。
少なくともリュカはそう思った。
兄上と仲が良いのは自分だけだと思っていたのが、そうでは無かった事を知らされ、少し悔しくなった。
「どんなやつなのか、確認してやる!」
リュカは、クリスティーナとやらがどんな奴なのか、自分の目で確認することを心に決めたのだった。
数日後。
兄上と勉強をしようとやってきたリュカは、扉の前で立ち止まった。
「―――また、始まった。ティナ嬢の……―――」
「―――…ラウルはティナではなく、クリスティーナと。いやベルティーレ侯爵令嬢と…―――」
いつもなら勉強中で静かなはずの部屋から談笑が聞こえてきた。
「もしかして、クリスティーナ?いやでも、男の子の声だ」
リュカは扉の前で聞き耳を立てた。
「今回のティナがもの凄く可愛かった話を聞いてくれ」
「聞く気は全く無いけど、どうぞ」
「お茶をしていて、僕の腰の傷跡の話になってね。ティナが心配して、見せてくれって言ってきたんだ。傷跡は腰の下の方だったから、そんな所を見せてくれって言うなんて、僕の事を男として見ていないのかと思って。少し意地悪だったかな…、でも場所も場所だったし…、シャツをズボンから引き抜いて、ズボンも少し下にずらして、腰の傷跡を見せたんだよ。少し大胆めに」
「そりゃまた…」
「見たかな?と思って振り返ったら……!もう可愛かった!真っ赤になって照れていて、困ってた!食べたいくらい可愛かった!」
「ティナ嬢に同情するよ」
「何故だ。僕は別に……」
「どうせリアムのことだから、『ティナが見せてって言ったんでしょ?』とか言ったんだろう…?」
「よく分かったな」
「やはりティナ嬢に同情するよ」
話の半分程しか分からなかったが、同年代の男の子とクリスティーナの話で盛り上がっていたのは何となく分かった。
「しかも可愛いって言ってた……」
いつも優しく穏やかな兄上が、あんなふうに盛り上がっていることに驚いた。一緒に話している男の子にも嫉妬したが、やはり兄上が心砕いているというクリスティーナとやらがどんな奴なのか確かめる必要がある、そう思わせた。
その時部屋に、入ろうとしていた侍女に声をかけられる。
「リュカ殿下はお入りになられないのですか?」
「今日は帰る。先客がいるようだし」
リュカは少し不貞腐れていた。
兄上と過ごす時は、二人だけで過ごしたいのだ。
「左様でございますか?フォードリアム殿下からは、リュカ殿下が来られたらお通しするよう申しつかっておりますが…」
「いいの。それより、クリスティーナは皇宮に来ることはある?」
侍女はリュカの口から出た意外な名前に驚いた。
「ベルティーレ侯爵令嬢のクリスティーナ様ですか?」
「そうそう、その人」
「クリスティーナ様は2週間後に、フォードリアム殿下とお茶会をされる為、皇宮においでになると伺っておりますが…」
「え、また兄上とお茶!?そっか…。2週間後ね」
リュカはその日に張り込む事を決めた。
嫉妬心を抑え、まずは、クリスティーナが兄上の友人としてふさわしい人物なのか、それを見極める事にした。