7. 第二王子殿下(sideリアム)
ベルティーレ領での野営訓練から1ヶ月が経とうとしていた。
野営訓練では、ティナを狙ったであろう襲撃により腰を負傷した。
3日間ほどはベッドで寝たきり生活を送る羽目になったが、幸い傷も浅く、1週間後にはこっそり軽い剣術訓練を再開した。
というのも、1ヶ月の皇宮での謹慎と安静を言い渡されてしまったからだ。
王子ともあろうものが他をかばって怪我をするな、ということらしい。
怪我をしたことよりも、1ヶ月の間ティナに会えないほうがよほど堪えた。
僕が襲撃に遭い負傷していることが漏れてはいけないからと、外部との手紙も1ヶ月制限されてしまった。もちろんティナともだ。
襲撃の後、翌朝の日の出と共に、ティナとはろくに会話もせずに皇宮に帰ってきた。目の前で僕が襲われ怪我をしたせいで、さぞかしティナを怯えさせたのではないかと心配だった。手紙もできず、外部とも接触できない今、ティナの様子を知ることはできない。
自室での勉強以外には特にすることもなく、ティナという癒やしもない今、とても鬱々とした毎日だった。
「少し庭園を散歩してくる」
「殿下、1ヶ月は安静にと言われております!」
「もう身体は治っている。庭を少し散歩するくらい、問題ないだろう」
「左様でございますか……。畏まりました」
ティナに会えない今、ティナと出会った庭園でも散歩して、当時の記憶に癒やしを得たかった。
庭園に出る為、渡り廊下を歩く。庭に出ようと曲がった時、視線の先で何者かが建物にへばりついていた。
明らかに怪しいその人物は、窓から中の様子を伺っているようだった。
「―――あれ、いないのかな?」
しかも覗いている部屋は僕の部屋だった。
「おい、何をしている」
「ひっ、ぎゃああ」
盛大にひっくり返った人物は、思っていたよりも随分若かった。というより、子どもだった。
「ごっ、ごめんなさい!え、兄上?――あっ」
「ん?兄上?」
「あっ、えと、ごめんなさい……」
銀髪に青い目が綺麗な美少年は、自分の発言に逡巡しているようだ。
初めて出会った時のティナくらいの年齢だろうか。
僕の事を兄上と呼んだ少年は、くりくりの目でこちらをちらっと見ては頬を染めて、目を逸らし、何やら言いたげにもごもごしている。
「そなたの名は?」
「……りゅ、リュカ·エメ·ヴァロアです」
やはり。皇宮でこのくらいの子どもはそうとしか考えられなかった。
国王陛下とその側室、グレース·ナディアの息子、第2王子。髪色と瞳の色は母君ゆずりか。
誕生の知らせこそ聞いてはいたが、会わせてもらったことは一度もなかった。顔も知ることなく、数年が経ってしまったが、とうとう自分の弟に会うことができた。
「……初めまして、リュカ。僕の弟だね?」
「は、初めまして、兄上」
「それで…、リュカはここで何をしていたの?」
その途端リュカの顔が気まずそうに伏せられた。
少しもじもじした後、申し訳なさそうに話しだした。
「その…、兄上はどうしておられるかなと。少し部屋を覗いたのですがいらっしゃらなくて…。ここ最近、覗いた時はいつも、ずっと部屋におられたので、心配になって……」
「ここ最近、覗いた時はいつも―――?」
「あっ」
失言をしたらしい。
聞けば、毎日窓から僕の様子を伺うのが、日課になっているという。
「――母上からは、『兄上には絶対に会ってはいけない』と言われていて……。でもどうしても兄上とお話してみたくて!でも、いきなり会いには行けないし…。どうしようもなくて、窓から兄上のお部屋を覗いてみたら、その…、気付いたら毎日…」
「僕は毎日覗かれていたのか…」
「ご、ごめんなさい兄上っ」
初対面の弟の変質者ぶりにも驚いたが、その視線に今まで気付かなかった自分にも驚いていた。
視線に悪意がないからだろうか。
何にせよ、悪事がバレた時の犬のようにシュンとしている、僕の小さなストーカーには愛着を覚えた。
「ふふ、まあ今度からは覗くのではなく、部屋に遊びに来るといい」
「ええっ、いいの?」
リュカはキラキラした瞳を一層輝かせてリアムを見つめた。
「もちろんいいとも。ちょうど退屈していたところだ。今からお茶でもしようか?」
「ほんとに?」
「本当だよ。さあ、行こう」
僕は仔犬のように喜ぶリュカを連れて、部屋に戻った。
そのまま30分程、お茶をしながら話をした。
リュカが産まれてから今まで一度も会えなかったのは、リュカの母親であるグレース·ナディアの意思によるものらしい。
「母上がね、『フォードリアム殿下は第2王子である貴方の存在を疎ましく思っているはずだわ。会おうものなら何をされるか分からない』って言うんです。だから会っちゃいけないって」
「なら、僕に会ってしまって良かったの?」
リュカは困ったように眉尻を下げる。困りながらも必死に考えている姿も愛らしかった。
「でも、この皇宮の中で友達もいないし寂しくて…。だから、本当に母上の言うように兄上は怖い人なのか確認しようと思って!」
「それで毎日覗いてたってわけだね」
「もう、本当にごめんなさいってばあ…。だっていきなり、僕が弟です、って会いには行けないでしょう?」
リュカが顔を真っ赤にしながら弁明する。
ふと出会った頃のティナを思い出した。
からかっては、ティナが恥じらい頬を染めるのを見て、楽しんでいた。可愛くて可愛くて堪らなかった。
「ふふ、これからは何時でも来てくれていいからね」
「ありがとうございます、兄上!また明日も来ていい?」
「いいとも。楽しみにしてるよ」
自由時間にこっそり抜けてきたらしいリュカは、そのままひとりで帰っていった。
その日から、リュカは毎日遊びに来た。
野営訓練から1ヶ月が経ち、安静と謹慎も解け、リアムはまた忙しい日々を送っていた。
「兄上とご一緒できる時間が少なくなったように思います…!」
「リュカ、そんなに膨れないでくれ」
「膨れてなんかいません!ただ、兄上が忙しくて……」
確かに安静が解けてから、少なめになっていた勉強の時間も元通りになり、そこに休んでいた剣術の訓練などもあって忙しくしていた。
この忙しさもリアムにとっては元通りになっただけだが、リュカにとっては、急に忙しくなったように感じたのだろう。
「……なら一緒に勉強する?僕が勉強している時間に、リュカも宿題をしたらいいよ」
「え、いいんですか?」
「もちろん。そうすれば、勉強もみてやれるよ」
「わあ、嬉しい!」
リアムもティナを紹介される10歳までは、身近に気軽に話せる相手などもおらずに過ごしてきたので、リュカの気持ちは良くわかった。
その為か、リュカには数年前の自分がしてもらいたかった事をしてやりたかった。
勉強をみたり、お茶を一緒にしたり、庭で遊んだりする日々が続いた。
「どうして母上は、あんなにも兄上の事を警戒するのでしょうか。実際の兄上はこんなにも優しくて素敵なのに」
ここ1ヶ月程ですっかり慕ってくれているリュカの言葉に、穏やかな気持ちになった。
「ありがとう。でも第2王子の母君としては、当たり前の反応だろうと思うよ。僕たちはいずれどちらかが皇太子になり、王になる。競い合う運命の僕に対して、警戒する気持ちがあるのは普通の事だ」
「僕は兄上と競い合うつもりなんてない!」
憤慨した彼は、本心からそう叫んでいた。
「そうだね。でも僕たちにそのつもりは無くても、周りが競い合う事になるかもしれない」
「そんな…」
「だから僕を悪く言っていたとしても、母君を批難してはいけないよ?」
リュカはまだ幼い。物事はそう単純ではないが、自分の母親を大切にしてほしくて、そう伝えた。
「分かりました。でも僕は兄上が大好きです!ずっと仲良くしてくださいね!」
「もちろんだよ」
今まで、父上しか家族と呼べる人はいないと思っていた。その父上も国王である。僕を切り捨てて国益を得れるのならば、その道を選ぶのが国王というものだ。
そう理解しているからこそ、父上は気を許せる相手ではなかった。
そこに、こんなにも無垢に僕の事を慕ってくれる弟が現れて、可愛がらずにはいられなかった。
僕は、抱きつくリュカの頭を優しく撫でた。